血涙

小狸・飯島西諺

掌編

 仕事の出先の帰りに書店に寄ったところ、『』という新書を見つけた。


 僕はそれを見て。


 思わず本棚からその書籍を引っ張り出し、床に叩きつけて原型を留めないほどに足蹴にし、その残りを完膚なきまでに破った後に口の中に入れ、噛み砕き飲み込み、その本の存在を元から無かったことにした末、発狂し暴れまわりたい――という衝動に駆られたけれど、何とかギリギリのところで自分を抑え込んだ。この間は、一秒にも満たない。


 次の予定があったので、僕はその書店を後にした。


 ずっと、輪廻するかのように、その新書の言葉が頭に残っていた。


 いじめを受けて、変わることができる人、だと?


 ふざけるな。


 いや、一度では物足りない。


 もう一度言わせてもらおう。


 ふざけるな。


 まるでいじめを、人生の内に起こる良いイベントの一つのように扱っている、どうしようもなく「いじめを受けたことがない側」からの暴力的なまでの見解に、僕は文字通り言葉を失った。


 嘘だろう。


 今は、そういう時代なのか?


 変わってしまった、とでも言うのか?


 そうでも考えなければ、こんな題名など許されないだろう。


 あまりにも「いじめを受けて人生が捻じ曲がってしまった人」に対する配慮がない。


 何だよ、変わることができる人って。


 一行すら読む気も湧かない。


 いじめは、悪である。


 そしてそれは、いじめを受けた人間が悪いのではなく、いじめた人間が悪いのだろうが。


 そんなことも多様性という言葉でふんわりと包括されてしまうというのか?


 冗談でも笑えない。


 そして何よりも許せないのは、そういういじめられた子の被害を、曲がってしまって、どうしようもなくなってしまった人生を、自身の新書の売り上げに変換せんとするなにがしとかいう著者である。


 名前はもう忘れた。記憶することすら無駄である。


 いじめを舐めているとしか思えない。一体何人の児童が、生徒が、学生が、その被害に遭って命を絶つ選択をしていると思っているのだ。そんなことも分からずに、受けた後に「変わることができる人」だと? 見当違いも甚だしい。こんな下らない新書が存在している世界が許せない。必要なのは心療内科や精神科での治療と、カウンセリングと、身近な人間からの理解だろう。


 と、あまり言うと僕の方が悪になってしまいかねないので、ぐっとこらえた。


 なぜここまで僕が義憤に駆られているのかといえば、もう言わずもがなかもしれないが、実際に僕が、小学校5年生から中学校3年生までの間、いじめを受けていたからである。


 僕が受けていたのは、暴力を伴ういじめだった。毎日何か難癖を付けられては、クラスの隅で殴られ、蹴られ、それの連続だった。クラスの皆は、それを冷ややかな視線で見ているだけだった。誰も僕を助けてくれなかった。


 僕の学校――特に中学校は、市内でも有名なほどに、荒れている学年だった。


 いじめなんて日常茶飯事、男子の間でも女子の間でも頻発していた。


 僕はそんな中の一例でしかなく、教師たちは処理に追われて、限界を超えていた。


 今考えればだが、あの時不登校になっていれば良かったと、今なら思う。


 あんな中学校、行きたくなかった。


 成績だけは良かったので、2年次の担任なんかは、僕を生徒会役員にしようとしていたけれど、なるはずがないだろう――内申点のためとはいえども、なんて人生の汚点である。


 勝手にこっちに介入してきて、暴力なり無視なりで人生を滅茶苦茶にして、数年後ににこにこ笑って成人式で写真を撮っている奴ら。


 いつだってそうだ。


 加害者は加害を忘れるが、被害者は被害を忘れることはできない。


 考えてみれば、テレビや動画配信サイトで見る著名人でも成功者気取りは「過去にいじめをしていた」とか「かつていじめを裏から牛耳っていた」とか、そんなことを自慢げに話す奴ばかりである。私が就活の時には、今就職しているところとは別の企業だけれど、堂々と「僕は学生時代いじめをしていました」と公言している莫迦さえいた。


 僕は今になっても、夢に見る。


 クラスの後ろで、殴られ蹴られ、それでもへらへら笑って過ごす僕を見る、クラスの皆の傍観的な目線を。


 正直痛いのは我慢できた。ただ痛いだけならば、何でもなかった。それでも何より僕を傷つけたのは、僕をみたいな風に見てくる、そんな傍観者たちの視線だった。


 何も分からないくせに。


 何もしてくれないくせに。


 何も助けて、くれなかったくせに。


 成人式には、僕は行った。お前らのいじめなんか屁でもない――僕はこうして生きているぞと、皆に示したかったからである。


 しかし当時の加害者たちは、僕をいじめていたことすら覚えていなかった。


 笑顔で肩を組んできたくらいである。


 気持ち悪かった。


 そいつの中では、当時の思い出は美化されて、楽しい中学3年間だったとか、青春だったとか、そんな風に思っているのだろう。


 だから僕は、どんな風潮があろうとも、いじめを許容しない。


 そう思い、会社に戻った。


 自分のデスクに戻ろうとした時、すれ違った同じ部署の先輩から声を掛けられた。


「ん、島村しまむら、手、怪我してないか?」


「え?」


 言われて、気が付いた。


 僕のてのひらから、血が、少量滴っていた。


 いつの間に――どこかに引っかけたのだろうか、と思ったけれど、傷は掌の内側にあった。


 ――と、すぐに思い至った。


 書店であの本を見た時、僕は。


 掌を握り締めていたのだ。


 爪で傷がつくほどに。


 血がにじみ出るほどに。


「本当ですね――ありがとうございます。気付きませんでした」


「大丈夫か」


「はい、ちょっとお手洗いで手、洗ってきます」


 トイレで血を洗い流し、手にみる痛覚を感じながら、僕は思う。


 これは僕の、怒りの痛みだ。




(「血涙」――了)

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