『最終仕向け地:愛。――夜景クルーズと、一生分の独占契約――』
「……ふぅ。今夜の潮風は、湿度が65パーセント。僕の心拍数をちょうど5拍分だけ押し上げる、完璧なコンディションだ」
遼は横浜・みなとみらいの埠頭に、愛車のビンテージ・スポーツカーを滑り込ませた。
188センチの長身が車から降り立つと、漆黒のスーツが街灯の下で鈍く光る。目の前には、チャーターしたばかりのプライベート・クルーザーが、横浜の宝石のような夜景を反射して揺れていた。
「橘くん! 待った?」
背後から聞こえた弾むような声。振り返ると、そこにはオフショルダーの白いドレスを纏った凛が立っていた。潮風に揺れる髪から、あの懐かしい、けれど今はもっと愛おしいシトラスの香りがふわりと漂う。
「いえ。予定時刻の120秒前です。凛さん……今日の貴女の『輝き(ルミナンス)』は、計算上、ランドマークタワーの展望台を凌駕しています」
「もう、相変わらず大げさなんだから。でも……嬉しい。今日はずっとドキドキしてたんだよ」
遼は、凛の華奢な手を取り、優しくエスコートして船に乗り込んだ。
船が桟橋を離れると、心地よいエンジンの重低音が足の裏から伝わってくる。シャンパングラスに注がれた黄金の液体が、船の揺れに合わせて細かな泡を弾けさせた。
「……乾杯。僕たちの、新しい経済圏の門出に」
「乾杯。……ふふ、素敵な景色。橘くん、見て! ベイブリッジが真上にあるわ」
船は横浜を離れ、東京湾へと進路を取る。
視界を覆い尽くすのは、360度のパノラマ夜景。遠くに見える川崎の工場地帯の幻想的なオレンジ、そして徐々に近づいてくる東京の、冷たくも情熱的なビル群の光。
「凛さん。僕はこれまで、地上の最短ルートばかりを計算してきました。でも、こうして海から眺めると、僕たちが駆け抜けた街も、一つの巨大な生命体のように見えますね」
「そうね……。あの中で、橘くんのタクシーを拾ったあの日が、私の人生で一番の『当たり』だったんだなって、今なら自信を持って言えるわ」
凛が、遼の腕にそっと体を寄せた。
188センチの遼は、彼女が寒くないように、自分のジャケットを脱いでその肩にかけた。ジャケットに残る遼の体温と、微かなムスクの香りが凛を包み込む。
「……ねえ、橘くん。実は私、今日、内緒で持ってきたものがあるの」
凛がバッグから取り出したのは、一枚の小さな書類だった。
「……これは? 婚姻届……?」
「ううん。それだけじゃないわ。……ほら、ここを見て」
遼が目を凝らすと、そこには「新会社設立届」の文字があった。
「私がこれまでのキャリアで築いたネットワークと、橘くんの圧倒的な現場データと合理性を掛け合わせた、新しいモビリティ・コンサルティング会社。……代表取締役は、橘遼。副社長は、私」
遼は、絶句した。
合理的であるはずの彼の脳が、一瞬でオーバーヒートを起こす。
「凛さん……。これは、僕の人生に対する、最大級のレバレッジですね」
「そう。橘くんが『専属になる』って言ってくれたから、私もあんたの人生を丸ごと買い占めることにしたの。……文句、ある?」
凛が、上目遣いで遼を見つめる。その瞳には、夜景よりも強く、凛烈な愛の光が宿っていた。
遼は、込み上げてくる感情を抑えきれず、彼女を強く抱き寄せた。
潮の香り、エンジンの振動、凛の柔らかい体温。五感のすべてが「今、この瞬間、僕は世界で一番の幸福を手に入れた」と叫んでいる。
「……文句なんて、一文字もありません。僕の生涯年収、すべての時間を、貴女という最高のパートナーに捧げます」
船はレインボーブリッジを潜り、東京の核心部へと迫る。
目の前には、ライトアップされた東京タワーと、そびえ立つ摩天楼。
かつては「効率よく稼ぐための背景」でしかなかったその景色が、今は二人を祝福するステージに見えた。
「凛さん。……キスしても、いいですか? これは、契約の印ではなく、僕の心からの、非合理な欲望です」
「……計算、待ってあげないわよ?」
凛が目を閉じ、そっと唇を寄せる。
重なり合った瞬間に感じたのは、甘く、熱い、未来への予感。
東京湾の海上で、二人の影は一つに溶け合い、夜景の一部となった。
「……さあ、橘社長。次の目的地は?」
「決まっています。僕たちの家――そして、まだ誰も見たことのない、新しい勝ち組の頂上(ピーク)へ」
遼は、凛の手を握りしめたまま、輝く東京の街を見つめた。
実家暮らしのタクシー御曹司(仮)は、今、本物の「愛」という資本を手に入れ、誰よりも自由に、誰よりも速く、新しい時代の荒波へと漕ぎ出した。
二人の未来を乗せたクルーザーは、暁を待つ東京湾を、真っ直ぐに、そして最も美しいルートで進んでいく。
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**『初乗り、恋、そして経済。』―― エピローグ 完 ――**
『初乗り、恋、そして経済。—高身長すぎる22歳のタクシー御曹司(仮)は、実家で経済を回す—』 春秋花壇 @mai5000jp
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