たばこ

夜雨

第1話 ヤニクラ

「女が煙草吸うのってほとんど男の影響らしいよ」

誰かが言ったこの言葉に。

馬鹿だな。そんなことを思った。


コンビニの前で、男女2人組が煙草を吸っているのを横目に通り過ぎる。

煙の匂いが鼻につく。


だいたい、あの煙の何が美味しいんだ。臭いし周りの人に迷惑だし何がいいのか全く分からない。

なんで男の影響で煙草を始めるんだ。

彼のことが好きだから?彼と同じでありたいから?

そんな理由のために煙草を始めるのだろうか。

分からない。


私は煙草が嫌いだ。それには、理由がある。

“前”の父親が吸っていたからだ。

私の父親はいない。正確には、私の心の中ではもう存在すらしていない。

私と妹は父親が違う。

今は、妹の方の父親と一緒に住んでいる。

昔から両親は喧嘩ばかりだった。その度に私は妹の耳を塞ぎ、何も出来ず、終わるのだけを待っていた。止める訳でもなく、妹に聞こえぬよう歌を歌うのにただただ必死だった。


だから煙草は嫌いだ。

吸っている人が嫌いとは言いたくない。

けれど、理解はできない。したくない。

父親と同じになってしまいそうで。


それなのに、彼は煙草を吸っていた。

それだけで苦手意識はあった。どうせろくな人間じゃないだろう。

そんな偏見が彼を知ることを邪魔した。


でも、そんな偏見を根本から覆すように彼は本当に優しかった。心の底からそう思った。

例えそれが違う意味での優しさでも私は嬉しかった。



編入してきた私は、不安で胸がいっぱいだった。大学には友達も知り合いもいない。このままやっていけるのだろうか。

緊張しいの私にとって環境が変わることは大きなストレスだった。大学での不安ものしかかる中、新しいアルバイト先に足を運んだ。そこそこ時給がよく、何より歩いて10分という近さにひかれ、応募した。

面接に行くとラーメン屋ということもあり、活気があった。いちばん驚いたのは働いている人がみんな可愛かったことだ。ここは顔採用なのだろうか。私はここに混じっていいのだろうか。そんなどうでもいいことを考えていると、長髪の男の人がのそのそ出てきた。


「初めまして。12時に面接予定の○○です。よろしくお願いします。」

「あーあー○○ちゃんね。店長の○○です。よろしくね。じゃああそこの席で面接しよっか」

顔に似合わずフレンドリーな人だった。


「週何日ぐらいで入れる?」

「4、5日くらい入れます」

「お正月とかお盆とかは?」

「入れます」

どこのバイト先でも聞かれるであろう決まり文句みたいな質問を何個かされ、その場であっさり採用となった。


数日後、オリエンテーションを含め初出勤の日が来た。相変わらず緊張していて、ご飯は喉を通らない。気道を塞がれているみたいで、上手く息ができない。そんな中でも、自転車を漕いだ。

冬の寒さも和らいできた3月のことだった。


お店に着き、オリエンテーションを受け、早速仕事をすることになった。

「分からないことがあったらこいつに聞いて」

店長はそう言って事務所に戻って行った。


「初めまして!○○です!よろしくね」

「○○です。よろしくお願いします。」

「何年生?緊張してる?」

「3年生です」

「え、同い年じゃん、全然敬語じゃなくていいよ」

「はい!あうん」

「気使わなくていいからね!分からないことがあったらなんでも聞いて!」

第一印象は優しい人。だった。

沢山話しかけてくれるフレンドリーな人。

これが、彼との出会いだった。


「じゃああのお客さん接客してみよっか。」

「はい」

「いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます。1名様ですか?空いてる席どうぞ。」

接客業は慣れていたため、接客に対しては不安はなかった。

「すごいじゃん。食券見せてみ。」

彼は私の手元を覗き込んだ。

近い。

こういうのに慣れてないわけではないが、急に来るとどきどきしてしまう。

「完璧だよ。対応も良かったし。接客業してたの?」

「前のバイト先でも接客業だったので。」

「そうなんだ。だからかー。あ、敬語いらないって言ったじゃん!」

「あ、ごめんなさ、ごめん。」

「まだ慣れないか笑」

彼のおかげで次第に緊張は溶けていった。


あと30分で帰れると言うところで

「店長ー行ってきていいっすか。」

彼は手で煙草を吸う仕草をした。

私は、思わず視線を逸らした。

それだけで、距離を置きたくなる自分がいた。


「戻りますー。」

彼は父と同じ匂いを纏わせて近づいてきた。

私は、心の中で必死に父と彼が重なってしまうのを抑えた。

「…煙草吸ってるんですか?」

「うん、嫌い?」

「嫌いっていうか、苦手です。あと何がいいのかわかんない…」

「まあそうだよね、知らない方がいいよ笑」

彼は笑った。

その仕草が何故か父の存在を消してくれた。


彼がいる日は少しだけ呼吸が楽だった。

その日は彼と上がりの時間が一緒だったため、家まで送ってくれることになった。

「お願いします。」

「全然いいよ、いつでも頼って」

彼は車に乗るやいなや煙草に火をつけた。

「あごめん、吸ってもいい?」

「どうぞどうぞ大丈夫ですよ」

「ありがと臭くてごめんね」

臭くて嫌な煙草。それなのに、煙草を片手に運転する彼を見ずにはいられなかった。


嫌悪と安心が、同じ匂いで混ざっていった。

夏のはじまりを告げる、6月の涼しい夜だった。


新しい生活にも慣れてきて、やっと全員の顔と名前が一致してきたところで宅飲みに誘われた。

「○○ちゃん、今日俺ん家で○○と飲むんだけど来る?」

彼がいる。そう思ってしまった。

仲良くなりたい。それだけだと、自分に言い聞かせるように思った。

「行きたいです。仲良くなりたい。」

「わかった!じゃあ俺がバイト終わったら○○に連絡するから迎えに来てもらいな」


家で待っていると彼からLINEが来た

「○○ちゃん今日一緒に飲むよね?今から迎えに行くよ」

「ありがとう。待ってるね。」

画面を閉じても、胸のざわつきは消えなかった。

行かなければよかった、と思うほどではない。

ただ行きたい、と言い切れるほどでもなかった。


何を着ていいか分からず、迷いに迷った。

たかが大学生の宅飲みだと、自分に言い聞かせ、いつも通りの服を選んだ。

スマホが震えた。

「着いたよ」


車内はほんのり煙草の匂いがした。

緊張を隠すように流れる景色をただぼーっと見ていた。

「緊張してる?」

「ちょっと」

彼はこれ以上は聞かず流れる音楽を口ずさんでいた。

「あ、」

車から流れてきたのは私の好きなバンドの曲。

「あー○○ちゃん好きって言ってたから流してみた。」

そういうと歌詞を見ながら不器用に歌っていた。

私は何も言えず、ただ小さく頷いた。



「お邪魔します。」

入った瞬間、煙草の匂い、柔軟剤だろうか、少し甘い匂いがした。

「○○ちゃんいらっしゃい」

「B久しぶりー!」

「今日の朝も会っただろ。えっと…同じのでいい?」

彼は、Bとコントのようなやりとりをしながら、慣れたように座り出した。

私だけが立ったままだった。

Bから差し出されたのは、琥珀色の綺麗な液体だった。

私は、ウイスキーを飲むのが初めてだった。

「うん…大丈夫…」

慣れてないと思われたくなくて強がった。

3人で乾杯をし1口飲んだ。

アルコールの味しかしなかった。

彼の視線がグラスに向いた気がした。


それからは3人で飲みゲーをした。

ルーレットを回し、出た目を進んでそのマスの質問に答える。いかにも大学生らしい質問内容だったが、彼のことが気になってそれどころじゃなかった。

彼の番。出た目の数字は6。質問内容は

「経験人数は何人?」

聞きたくなかった。

それなのに、目線は勝手に彼の方へ向いていた。何故かは分からない。

ただ、聞いておきたかった。


「7人くらいかな」

7人、多くも少なくもないと思った。

今どき、大学生なら2桁台なんて珍しくもないだろう。

そう考えれば、少ない方なのかもしれない。

そう考えなければ、落ち着かなかった。


「○○ちゃんは?何人なの?」

急に聞かれて心臓がはねた。

「えー俺も聞きたい。何人?」


「……3人、かな」

咄嗟に嘘をついてしまった。初めてだと思われたくない。2人に置いていかれたくない。そう思った。


グラスを持つ手が少しだけ震えた。

それを見透かすように彼と視線があった。

「意外と多いんだね。」

私はその言葉をどう受け取ればいいのか分からなかった。


気づけば1ゲームが終わり、グラスの中身も減っていた。もうひとゲームするか全員が探りあっていた

ところ、

「一旦タバコ吸わね?」

彼が言った。

「いこいこ。」

Bはそう言ってベランダの窓を開けた。

「○○ちゃんは吸わないんだよね?俺ら吸ってくるから待っててね。」

「私も一緒に行く」

吸いたかった訳じゃない。ただ、その空間に私も行きたかった。

彼は1本くわえ、ライターを手で囲みながら火をつける。”同じ”動作なのにこうも違って見えるのか。私が見つめていると

「1本吸ってみる?」

彼が差し出してきた。

「これはタール高すぎるよ。俺の前吸ってたやつあるからそれ吸いな。」

Bが部屋に戻り黒い箱から1本を取り出す。


触れたら、もう、戻れない気がした。

それでも、触れずにはいられなかった。

彼と同じ煙草の味を知りたかった。


「くわえて。んで火つけるからそん時吸って。」

彼は私の口元でライターに火をつけた。

言われた通り、息を吸った。

次の瞬間、喉の奥が焼けるように痛んで思わず前かがみになった。


「無理しなくていいのに」

彼は煙を吐きながら、少しだけ笑った。

その姿はどこか大人っぽくて、ほんの少し遠い存在に思えた。


何回か挑戦してみたら、意外と吸えるようになった。

その代わり、頭の中がぐるぐると回り始めた。

だめだ、立ってられない。

「戻るか」

彼はそう言って煙草の火を消した。

私も部屋に戻ろうと踏み出した瞬間、足元が抜ける感覚がして、思わずよろけた


「大丈夫?」

気がつくと彼は私の腕を掴んでいた。

返事をしようとしたのに声がうまく出ず、小さく頷いた。


「無理だね。」

そう言うと彼は壁側まで連れていった。

「やっぱ初めてはヤニクラしちゃうか。」

「しかもお酒入ってたら尚更だよね。」

「俺も最初はやばかったなー、ヤニクラ」

彼とBは初めて煙草を吸った時のことを話していた。

言葉だけが、頭の上を通り過ぎていく。

私はどうしたらいいのか分からなかった。

たばこの匂いと触れた感触が、残っているせいだ。


家に帰ってからもあの出来事が頭から離れない。

もっと知りたい。

もっと話したい。

会いたい。


そんなことばかりを考えていた。


次の日、バイト先に行くといつも通りの彼がいた。

あの日の大人っぽさはない。

それが、妙に悲しかった。

「おはよ!○○ちゃん」

「おはよう」

「あ!もう完全に敬語抜けてるじゃん。良かった飲み誘って。」

彼は笑いながらそう言った。

「うん、ありがとねこの前は」

「全然だよ!また飲もう。」

“また飲もう”

次があるんだ。一緒に飲んでいいんだ。

そう思った。


色んな思考が頭をうずまきながら、着替えを済ませ仕事場に向かった。

「え、この前帰ったあと吐いたの?どんだけ飲んだんだよ…」

「やばいよね。そんな飲んだ覚えはなかったけどなー。」

彼が女の先輩と話している。相当仲がいいのだろう。タメ口で話していた。

なんだろう。なんでこんなに悲しくなるんだろう。

確かめたかった。この気持ちの理由を。


バイト終わり、自転車を漕ぎながらどう誘うか迷いに迷っていた。

直接言う勇気はない。でも、はやく知りたい。

家に着いた頃にはもう彼に文章を送っていた。


「今度は2人で飲まない?」


送った瞬間後悔した。なんか誘っているみたいじゃんか。これで変な印象つけられたらどうしよう。ぶつぶつとひとりで考えているとスマホがなった。

震える手で開くと

彼の名前が表示されていた。


「じゃあ今日飲む?バイト終わり俺ん家で。」


やった。そう思うと同時に”今日”という文字が一気に体中の熱を集めた。

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たばこ 夜雨 @yau__

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