第5話 荒野の試練(意志の確立)

 街道の先に立ち塞がったのは、空を突くような絶壁だった。


 かつて「豊穣ほうじょうの門」と呼ばれたその場所は、不協和ディスコードの浸食によって変質し、巨大な黒い岩の塊へと姿を変えていた。岩肌からは不快な低周波が絶えず溢れ出し、人々の歩みを物理的な「重圧」として押し止めている。


 絶壁のふもとにある街、ガレリア。


 そこに住む人々は、行き止まりとなった世界で膝をつき、ただ石化の霧が自分たちを飲み込むのを待っていた。


「ここで行き止まりか。物理的な障壁だけじゃない。この街には『前へ進もうとする振動』がまるでない」


 ナギは大剣の柄を握り、絶壁を見上げた。彼女の言葉通り、街に漂う空気は泥のように重く、絶望という名の沈黙がすべてを支配していた。


「……僕が、やってみる」


 カイが前に出た。だが、その足はわずかに震えていた。


 今までの調律は、目の前の悲劇を鎮めるための「祈り」に近かった。しかし、この絶壁を越えるには、自分自身の内側から湧き出る「意志」を力に変えなければならない。


「カイ、無理はするな。お前の手は、まだ癒えきっていない」


「大丈夫だ、ナギ。後ろに……君がいてくれるから」


 カイは初めて、手袋を脱ぐ際に躊躇しなかった。

 彼は荒野の砂塵の中に立ち、絶壁を見据えた。背後では、絶望した街の人々が虚ろな目で少年を見ている。


 カイは深く、熱い呼吸を繰り返した。


 右手の拳を強く握り込み、天に向かって親指を突き出す。それは単なる構えではなく、自分の魂を一本の矢にするための儀式だった。


「手は呼吸している。後に向かって――信を」


 左手を背後へ回し、腰の後ろでしっかりと掌を開く。背後を守るナギの存在、彼女が自分に託してくれた信頼の重さを、左手の掌で「重力」として受け止める。その瞬間、ナギとカイの意識が一本の線で繋がったような感覚が走った。


「そして……前に向かって、意志を!」


 進軍の型:【道標みちしるべ


 カイは握りしめた右の掌を、絶壁の最深部に向けて一気に突き出した。

 掌が空を切った瞬間、空気の壁が爆音と共に砕け散った。カイの指先から、眩いほどの純白の光が一本の鋭いレールのようになって伸びていく。


 ドクン。


 心臓の鼓動が一度、世界を静止させた。

 突き出された光の筋は、巨大な岩壁を貫き、不協和のノイズを切り裂きながら、遥か彼方の地平まで続く「道」を描き出した。


「おお……っ!」


 街の人々の間から、地鳴りのような歓声が上がった。


 絶壁に穿たれた光のトンネル。そこからは、石化の霧を吹き飛ばすような、清冽な風が吹き抜けてきた。


 カイの右の掌は真っ赤に充血し、煙を上げている。だが、彼はその手を下ろさなかった。


 後ろに回した左手でナギの「信」を受け取り、それを右手の「意志」へと変換して放つ。循環は、自分の中だけで完結するものではなく、他者との繋がりの中でこそ完成するのだと、彼は理解した。


「見たか、ナギ。道は……作れるんだ」


 カイが振り返ると、ナギは驚愕の表情を浮かべた後、ふっと不敵な笑みを漏らした。


「……ああ。お前が道を作るなら、私はその道を汚す不純物を斬るだけだ」


 石のように固まっていた街の人々が、一人、また一人と立ち上がり、光の道へと歩み始めた。


 カイの両手は、単に「癒す手」から、未来を「拓く手」へと進化した。

 共鳴の塔への旅は、今、確かな目的を持った進軍へと変わったのだ。

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