第3話 最初の一歩(ナギとの出会い)

 村を出て三日。カイを待ち受けていたのは、かつて街道と呼ばれていた無残な石の残骸だった。

不協和ディスコード」の浸食は、村の外ではより深刻だった。灰色の霧が地面を這い、触れるものすべてから音と色彩を奪い去っている。


「……あそこか」


 街道の先、崩れかけた宿場町の跡で、火花が散っていた。


 金属が激しくぶつかり合う音。だが、その音はどこか歪んでいる。まるで割れた鐘を叩いているような、不快な響きだ。


 カイが駆けつけると、そこには一人の女騎士が孤軍奮闘していた。


 重厚な鎧を纏い、身の丈ほどもある大剣を振るう彼女――ナギは、霧の中から次々と湧き出す「石の魔物」たちに包囲されていた。魔物たちはかつて人間だったのか、あるいは獣だったのか。今やその表面はひび割れた岩肌に覆われ、ただ破壊の振動だけを撒き散らしている。


「くっ……キリがないな!」


 ナギが剣を突き出すが、魔物の身体に触れた瞬間、彼女の剣から鮮やかな鋼の輝きが失われ、鈍い灰色が侵食し始める。武器の「意志」が、不協和に飲み込まれようとしていた。


「おい、逃げろ! ここはもう、まともな人間が居ていい場所じゃない!」


 ナギがカイの姿に気づき、叫ぶ。だが、カイは逃げなかった。いや、逃げられなかった。


 彼の剥き出しの掌が、ナギの悲鳴、魔物たちの耳障りなノイズ、そして震える大地の「痛み」を、鋭利な刃物のように受信していたからだ。


「……止めなきゃ」


 カイは震える一歩を踏み出した。頭の中に、老師レンの最期の詠唱えいしょうがリフレインする。


 彼は深く息を吸い込んだ。肺が冷たい霧で満たされる。それを熱に変え、意識を両の掌へと集中させた。


「手は……呼吸している……」


 カイは右手を天高く掲げた。指先をわずかに反らせ、空中に漂う希薄な光を掴み取るように。


 同時に、左手を地面と水平に、凪いだ海を撫でるように滑らせる。


「天に向かって――愛を。地に向かって――安らぎを!」


 基礎の型:【黎明れいめい


 カイの掌から、爆発的な金色の粒子が溢れ出した。


 それは単なる光ではなかった。それは「正しい振動」の奔流だ。


 金色の波紋が地面を走り、ナギを包囲していた魔物たちの足元を浚う。不快なノイズを撒き散らしていた魔物たちは、そのやさしい光の膜に触れた瞬間、嘘のように動きを止めた。


 ドクン。


 世界からすべての雑音が消え、カイの心臓の鼓動だけが、純粋な音として空間を支配した。


 光の粒子が触れるたび、石化していた草花が本来の色を取り戻し、ナギの剣に纏わりついていた灰色の汚れが、乾いた砂のように崩れ落ちていく。


「な……んだ、これは……」


 ナギは剣を構えたまま、呆然と立ち尽くした。


 彼女の目の前に広がるのは、地獄のような戦場ではない。朝露に濡れた草原のような、静謐で、どこか懐かしい「安らぎ」の領域だった。


 カイの手から放たれる残像が、空中に金色の文字を刻んでいる。


 彼は息を吐き出し、ゆっくりと手を下ろした。指先は赤く火照り、全身から汗が噴き出している。


「……君、怪我は?」


 カイが弱々しく問いかける。


 ナギは、その華奢な少年が持つ「異質すぎる力」と、手袋をしていない剥き出しの両手を交互に見た。


「お前……何者だ? 魔法じゃない。今の動き、まるで世界を弾いているみたいだったぞ」


 カイは答えず、ただ自分の掌を見つめた。


 万物と出会い、呼吸を合わせる。老師が言った言葉の意味が、実戦の緊張の中で、ようやくひとつの「意志」として彼の内に定着しようとしていた。


「僕は、カイ。ただの……調律師だ」


 二人の出会い。それは、止まっていた世界の歴史が、再び静かに動き出した瞬間だった。

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