きみの楽しい思い出がきみをいつまでも守りますように
遠野閃
序章
1
ちょっと背伸びをして入った高校は進学校で、親は教師か公務員って人が多い。参観日とか、教室のうしろにずらっと並んで、みんなで山月記の授業を受けた。あとで感想を聞くと、理系クラスなのにねえ、と叔母は言っていた。七は真面目な顔をして、火星にて三千年の歴史を誇る競技「チャー」について話していたけれど、あれはまったくの嘘だった。チャーの師範代なんて、本当のところ、この世に一人もいないのだ。
学校は、一年を通して様々な行事がある。四月は餅投げ、五月は海辺まで歩いていく遠足、六月は演劇鑑賞会があって、七月の定期考査の後には四泊三日で自然学習がある。泊まり込みの行事は格別に楽しくて、私は隙があればすぐに七の班のテーブルへと行った。開け放した窓からは、ひっきりなしにカメムシが訪れる。船を模った建物の窓は丸くて、その構造上網戸をつけることができないそうだ。七は、ウニを受精させるのが他の誰よりも上手で、顕微鏡を覗きこみ細胞分裂していく様を描きとめる横顔は傷ひとつなく美しかった。私は七と目が合ってしまう前に、耳元に口を寄せる。話したいことがあるわけではないのに。
「七、眠っている?」
「起きているよ」
「入学してから、なにもかもが楽しくて、まるで、ずっと夢の中にいるみたいだと思うの」
「ふうん」
交代、と言って、七の班の男子が戻ってくる。七は、また五時にと言って、席を立つ。
2
七から、久しぶりに連絡が来た。私は化粧っ気がないことを後ろめたく思いながら、けれども、薄い色のリップを塗るだけにとどめた。普段は女性を求められない環境を有難く思っているのに、けれども、他の友人たちとのずれていく時間を目の当たりにすると、どうしても歯がゆくなる。
「きみって、変わらないね」
会うなり、七はすぐに笑いながら言った。七の華やかな目元に気後れしたのも一瞬、私は嬉しさでいっぱいになる。
「そういう部署にいるから」
エレベータに乗って、七は少し迷った後に百三十五階を押した。緊急時通報用ボタンがぼんやりと緑色に光っている。六十階をすぎたあたりで外に出たようで、遠く、彗星が駆けていくのが見える。私は物珍しくて、しばらくは窓の外を眺めていた。七は、長い瞬きを繰り返す。ラピス・ラズリの色をした蝶が、羽ばたく前のように。
お酒は?と聞かれて私は首を振り、ジンジャエールを頼む。七が頼んだサングリアの底には苺がたくさん沈んでいた。かき混ぜることなく口をつける。
「きみさ、一番楽しかったことってなに?」
「どうしたの」
「さいきん物忘れが多くてね。いや、忘れてしまうこと自体は、いいと思っているよ。けれども、どうしても焦燥感が消えなくて。それで、忘れてしまった物事を、違う角度から覚え直したいって、思って。それで」
「それで、今日は誘ってくれたんだ」
言葉を引き継ぐと、七は、はにかみながら頷く。仕草は変わっていないのに、七の内側がどうなっているのかがわからないことを、私は寂しいと思う。
3
四月。入学式の後の餅撒きで、一番おおきな餅を顔で受けた。飛んで行った眼鏡の先が、七のきれいな爪先だった。
「どうぞ。きみ、幸先がいいね」
「ごめん、ありがとう」
ちり、と。火花が散るように触れた指先。七は末端冷え性で、年中冷たい指先をしていると知るのに、時間はかからなかったのに。それでも、最初に触れたとき、七の指先は熱を帯びていたように思うのだ。
「あの、あなたは」
「あとで。ほら、来るよ」
わ、と。歓声。校舎の二階から、華やかにまた、餅が撒かれる。緑のブレザーの袖からのぞく手が、千々に揺れる。その若々しい草原へと、花のように、雪のように、何度も何度も、餅が撒かれる。私は七から受け取った眼鏡をかけて、なるべく、たくさん餅を拾おうとする。この餅撒きはただの行事ではなく、ここで餅に愛されるほど、優秀な観測員になれると、うわさがあるのだ。
良く晴れた春の天気のもと、あちこちで、きゃあきゃあと歓声がわく。みんな、一心不乱に手を伸ばして、餅を受け止める。拾う。流れ星のように、幸せが運ばれてくるのだと信じている。
ゆるやかに動くひとのなかで、気が付けば、七のすがたは見えなくなっていた。
「きみ、きみ、さっきの」
ずっしりと重くなったトートバックを抱えて校舎へと戻る途中、後ろから声をかけられた。振り返ると、さきほど眼鏡を拾ってくれた七がいた。
「どう、たくさん餅はとれた?」
「おかげさまで。あの、名前を聞いてもいい? 私、三中から来ていて、この学校に知り合いがあまりいなくて」
「みくら七。私はエスカレータ組。よろしく」
はにかむように笑って、七はトートバッグを下げていない方の手を差し出す。きれいな手。傷ひとつない、きれいな七の手は、きっと、もう記憶の中にしかない。私は、惜しげもなく、その手を握り返す。
「ありがとう。あの、私はちはや久々利。よろしくね」
ああ、と。七がすこし目を見開く。そして、トートバッグから、淡い青色の餅を一つ取り出し、私のトートバッグのなかへと入れた。
「え?」
「あれ、知らなかったか。餅撒きでもらった餅はね、好きな人に渡すといいって、ジンクスがある」
「そうなの? 私が聞いたのは、餅撒きでたくさん餅をとれると、それだけ強く愛される素質があるから、いい観測員になれるって、こと、だけど…」
自信がなくて、最後はほとんど声にできなかった。頬が熱い。やっぱり、三中から来ている私は、情報に疎くて、いやになる。顔を上げられないままでいると、ふいに、朗らかな笑い声が降ってきた。
「あはは、そっか。そういうジンクスもあるのか。知らなった。じゃあ、きみはきっと、優秀な観測員になれるだろうね」
七が、私の良く膨らんだトートバッグを指して言う。それでもうつむいたままの私に、構わずに話す。
「よければ、きみの餅もひとつ私にもらえないかな?」
「え……」
「一番大きな餅を受け取ったとき、きみに視線が吸い寄せられたんだ。理屈じゃないんだけど、ともだちになりたいって、思ったよ」
どう、と。問われても、答えはひとつしかない。私だって、眼鏡を追って七の顔を見たとき、あまりの美しさに、心を奪われたのだ。私は、一番大きな餅を掴んで、七のトートバッグに入れる。押し込む。七が、私以外の誰からも、餅をもらってほしくなかった。
4
「あった、あった。きみがくれた大きな餅、あまりにも立派で、いまでも本棚に飾っているよ」
ひとつ、ひとつ、学生時代のことを思い出しながら、やはり最初は餅撒きの話をしたかった。七は私の話を聞くと、楽しそうに笑った。
「え、食べなかったの?」
「うん」
「そうなんだ。私、うれしくて、七にもらった餅は一番に食べてしまった」
また、七が笑う。
「きみらしいね」
「七も、食べてくれてよかったのに」
追加で頼んでいた、バケットが届く。まだ熱の残るバケットをひとつ掴んで、アヒージョに浸して食べる。七は、さっきからなにも食べていない。けれども私は、そのことに言及しない。自然を装って、一人分の食事を注文し、テーブルの中央に置かれた食事をすこし自分の方へ寄せて、空になった皿を七の方へやる。
「そういえば、」
「うん?」
「あのとき、七は私のこと、どうしてあんなに急いで追いかけてきたの? 結局同じクラスだったのだから、教室に帰ってからでも、話す機会はあったのに」
指先に、油が付く。私は店員に、新しいおしぼりを頼む。ついでに、空になったグラスの代わりを聞かれて、また、ジンジャエールを頼む。
「そんなこと、きみは知っていると思っていたけど」
聞き返そうとした私の口が開くより先に、七は、サングリアを飲む。頬に、指先に、額に、耳に、首に、暗い店内でもわかるような、傷がたくさんある。
5
楽しい思い出ほど、よく燃えるのだという。卒業を控えた三月、教壇に立つ先生の表情は、春の陽射しが眩しくて見えない。
「きみたちの、楽しい思い出はなんですか? この学生生活で、いくつ増えましたか? 楽しい思い出ほど、よく燃えます。惑星がきみたちの脳をのぞくとき、恐怖でいっぱいになるでしょう。しかし、楽しかったことを、思い出しなさい。きっと、きみたちを守ってくれます」
進学校は、親は教師か公務員って人が多い。大人になって、それから子供を学校へと入学させられるような職業は、中流都市の教師か公務員くらいしかないからだ。私の故郷・西日本第三中規模コロニーは、小学生のころにK1358星雲から来たガス惑星に焼かれた。父と母は、惑星に脳をのぞかれながら、いったい、何を思い出したのだろうか。
幼いころ、私は、父と母に愛されていた。ともだちに愛されていた。コロニーのみんなに愛されていた。楽しい思い出がたくさん、たくさんあった。私は、楽しかった思い出のすべてをK1358星雲の惑星に食べられて、無くして、生き残った。幼い私は、誰にも教えらていなかったから、恐怖から逃れたい一心で、すべてを手放してしまった。
七の訃報を聞いたのは、それから三か月後の春先だった。七の脳は穴だらけで、すかすかで、なんの思い出も残っていなかったのかもしれないと、参列した葬式で、彼女のあまり美しくはない同僚たちが話すのを聞いた。
出棺。火葬へと行く七の棺を見送って、私たちは昼食の用意された部屋へと行く。七の棺には、大きな赤色の餅が一緒に入れられていた。誰が入れたのかは知らない。
「あの、ちはやさん、でしょうか」
呼ばれて振り向くと、記憶にある顔の青年だった。たしか、七と同じ船に乗っていた観測員だ。名前までは知らない。七は、私に人を紹介しなかった。
「はい、ちはやです」
「ああ、やはり。遠くから見かけたことしかなく、自信がなかったもので」
みんな、着席していく。私と青年も、長い机の端、向かい合う席に座る。号令などはないけど、静かに手を合わせて、大きな弁当を開ける。
「七の脳を回収したのは、僕です」
熱が絡んだように、青年の語尾が上ずる。負けてたまるかという気持ちと、七の脳の最後の状態を聞けるのかという安堵が、ないまぜになる。返答できずにいる。けれども青年は構うことなく、続ける。
「七は、今回死ぬことはなかった」
唇を強く噛む。それは、お互いかもしれない。
「強い思い出を、七はまだ持っていた。それさえ手放せば、七は、今回も、次だって戻ってくることが十分に可能だった」
深い、沈黙。七が手放さなかった記憶を、私は知っている。
「あなたのせいです。七は、僕との思い出はすべて生きるために使ってくれた」
青年は、弁当を開けることもなく、席を立つ。彼も、私たちと同じ食事を食べないのだ、観測員なのだから。私にはなれなくて、七にはなれた、観測員。惑星を燃やしながら、人類の存続方法を探る、命がけの観測員。
さんざん惑星を燃やしてまわって、けれども七はとうとう勝ち逃げに成功した。やっぱり頭の出来が違うのだ。田舎から出てきて、訳も分からず、払わなくてもいいのに非公式な自治会費を払って、それから三十分間も話を聞いていた私とは。七からもらった大切な餅を一番に食べた私とは。両親との大切な思い出をすべて惑星に食わせて生き延びてしまった私とは。
七は、違う。私との思い出を手放すことなく、死んだのだ。私はそれが、どうしても、うれしかった。
きみの楽しい思い出がきみをいつまでも守りますように 遠野閃 @mem_itori
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