シークレッタブル・エトランゼ

黎瀬のばら

第1話



 私は今日、知らない人に会う。


 芸能人の結婚だなんだと何らかの発表をしたとのニュース記事を見て初めて、今日が大安なのだと知った。数ヶ月かけてだらだらと伸ばされただらしない髪の毛が床を穢してゆき、たった今まで自分の一部だったそれらはハサミを入れたその瞬間から塵になる。そもそもこれらは切られるよりもっと前から不要物だったのかもしれない。すぐ後ろでは美容師がせっせと仕上げの作業に入っていて、シャ、シャ、といういかにもという音が耳元で騒ぐ。



 予約の時点で"静かに過ごしたい"に印をした所以からか、担当の美容師は必要なこと以外なにも話しかけては来なくて助かった。今日このあと予定があるかとの問いにさえキレの悪い反応しか出来ない私を見兼ね、もはや必要最低限さえ問うてはこなくなった。予定は、ある。だが口に出すことができない。だとすればこれは類いとしてやましいことなのだろうか?

 


 男に代わって髪を乾かしに来た若い女のアシスタントは配慮という配慮がないのか、そもそもそれが配慮なのか分からないが、ここぞとばかりに話しかけてきた。季節はいつが好きですか、冬がお好きなんですね、とうとう、って感じですか、あ、「冬冬とうとう」とかけてみたんですけどどうですか、えへへ、この世の中、絶対冬は来るんですよ、すごいと思いませんか。自分の中身が厨二のままでも春は来て、強制的に夏になって、秋が来て――あ、でも最近は秋短いですよね勘弁して欲しいですよ。まあそのあと確実に冬が来るって知ってるから何もかもぶつくさ言いつつやり過ごせちゃうのかもしれませんね。そうなるって分かってて過ぎてくのってなんでしたっけ、あの――リンゴみたいな、なんでしたっけ、あの、ほら、あれですよ。



 ここまでアシスタントの女は一息で続けて、鏡越しの私に解答を急かした。本当は話の途中で分かっていたが、幾分か考えたフリをして、「……アルゴリズムじゃないですか?」とひとこと返すと満足そうにそうそう、そうだ、それだ、物知りですね。それそれ。と呟いてへらっと笑った。その隙にドライヤーで飛ばされてきた髪の毛のクズが頬に飛んできて、反射で目を瞑った。女は特に気にする素振りもなく話を続ける。



 分かっていても分からないフリをした方が良くて、知っていても知識は乏しいフリをしたほうがよくて、そこそこ不自由ない生活であっても不幸なフリをしていた方が愛される。愛想とはそういうことだ。



 アシスタントの担当部分を終えて元の美容師に引き渡され、一度二度髪を触られ、まるで空気を飲み込むがごとく膨らんでいくそれらをぼうっと眺めていると、最後に一言「ん、いいね」とだけ呟いて鏡越しに私と瞳を合わされた。私は愛想笑いを返した。


 美容院を出てスマホを見ても特に重要な通知はなかった。一時間後に待ち合わせをしている相手からも何の連絡も入っておらず、こんなものなのか、と思う。




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シークレッタブル・エトランゼ 黎瀬のばら @nobarakurase

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