供物、そして祝福の君へー人類の電池が一人の少女に戻るまでー
佐糖はらみ
第1話 理不尽な世界
【和暦/緯新26年 瑞白町(みずしろまち)】
遠く、煙が立ち昇っていた。積雪で白かったはずの山が大きく削り取られて、黒い山肌が露出していた。遠くの田畑が、民家が、町全体が、油を撒かれたみたいに燃えている。
この町に恵みをもたらす雪の粒が、地面にたどり着くころには黒い水になり、燻っている小さな火の中に、しゅわしゅわ音を立てて消えていく。小さな火はゆらゆら揺れて、地面に倒れる人型の何かを照らしていた。はじめはマネキンか何かだと思ったが、口元から舌がだらりと垂れ下がっているのが見えたので、それが死体だと気づいた。
みんないなくなってしまった。当たり前に続いていた日常は、突然崩壊した。
俺は走った。逃げなければと思った。どこに逃げればいいかなんて見当もつかなかったけれど、こんなに恐ろしい場所にはいられなかった。
これはきっと夢だ。だってたまたま修学旅行に出かけた町で、本当だったら今頃みんなで夕飯を食べていて。明日は生まれて初めてスキーをするはずだった。
初めて親元を離れて外泊する日で、本当に楽しみにしていて、なのに、こんな、こんな。
町が燃える直前。大きな生き物を見た。まるでゲームや映画の世界に出てくる怪獣のように、全身に炎をまとった、巨大な生き物。その怪獣が触れた木々や民家から次々に炎が吹き上がって、あっという間に燃え広がった。
東京で帰りを待っている母親の顔が浮かんだ。気を付けて行っておいで、怪我しないようにね、そう優しく送り出してくれた母親。大好きな、かあさん。
「!」
ぬかるみで足が滑って、俺は地面に倒れこんだ。咄嗟に手が出たため頭からの激突は避けられたけれど、手のひらと膝に激痛が走る。必死に立ち上がろうとするけれど、脚が震えて震えて、なかなか立ち上がれない。
地面に這いつくばったまま、燃える街を見上げる。遠くにあの怪獣が見えた。今までみたどんな生き物よりも大きくて、非現実的で、街を燃やしながらどこかへ向かって歩いていく。地震の前のような地響きは、あの怪獣の唸り声だ。
ひゅー、喉が鳴る。息が苦しい。視界の端からちりちりと暗闇が迫る。ああ、火事のときは口をハンカチで塞ぐんだった。逃げるのに必死で、小学校で習ったことがうまく思い出せなかった。習ったことをすぐに覚えることだけは得意だった脳みそが、凍り付いたように動かなくなって、どうにもならない。
ひゅ、ひゅ、息が上手くできない。喉が焼けたみたいに痛かった。
ここで死ぬんだな、そう思った。
意識を失う直前まで、俺は怪獣から目を離さなかった。
——俺はそのあと奇跡的に、救助活動にあたった軍人に救助されたという。目が覚めると軍の病院にいた。鉄道も道路も破壊し尽くされたのに、東京にいたはずの母が目の前で泣いていた。母は俺を強く抱きしめて、何度も何度も俺の名前を呼んだ。ゼン、よかった、ゼン。そう声を上げて泣いた。
あの日のことは、有史以来初めて、超大型モンスターが日本に上陸した大災害として記録された。今では一般的に『瑞白大災害』と呼ばれている。
【和暦/緯新30年 国立エネルギー総合大学】
学生食堂は、まばらに席が埋まっていた。一限の授業にもまだ余裕があるようなこの時間だ。おそらく朝まで実験をしていた工学部の院生か、徹夜で実習のレポートを書いていた医学部の学生か、早朝から訓練に励む環境防衛学部の士官候補生たちだろう。
かくいう俺も、先ほど実験を終えてようやく食事にありつける、しがない大学院生だ。
学生たちは皆、各々スマホを眺めたり、参考書を開いたりしている。食堂の中央に置かれたテレビを見ている人は、誰もいない。テレビからは、バイオリンとピアノの涼やかな音色とともに、女性の声でナレーションが流れている。
『かつて、火は文明の象徴でした。そして今、火は未来への光に進化します』
焼き鯖定食、ご飯大盛、450円。学生向けの食堂らしく、盛りがよくて値段が安い。焼き鯖の香ばしいにおいが食欲を誘う。加えて昨日は実験データの出力を必死に記録していたため、夕食を食べ損ねている。
『日本が生んだ究極の国産エネルギー、HET。二酸化炭素排出量は、完全なゼロ。有害な物質も、一切出しません』
こんな時間からしっかりした食事を出してくれる。やはり学生食堂は神である。今の俺には、自炊する時間もなければ外食する金だってない。
『人類が長年夢見た、限界のない豊かさ。自然を壊すのではなく、自然と共生する。あなたと、あなたの子供たちの未来を照らす、持続可能なクリーンエネルギーです』
実験のデータ測定は、一旦は落ち着いた。とりあえず3時間ほど仮眠して、ああそうだ、今日は授業に出る日だ。そのあとはデータを教授に確認してもらわないといけない。
「ゼンやん、おはよう」
今日の予定を脳内でざっくりと組み立てていると、後ろから声をかけられた。振り返ると友人のカサマツが、機械でできた手をひらりと振っていた。
「おはようカサマツ。朝からトレーニング?頑張るね」
「そうそう。肘のパーツ新しくしたから、早よ慣れなあかんし。ゼンは?研究なん?」
カサマツは環境防衛学部の学生だ。士官候補生として、陸・海・空の軍事に加え、モンスターの制圧まで広く勉強している。
「うん、実験。どうしても実験機器に一日張り付いてないといけないから。さっき終わったとこ」
「ひえー、えぐいな。一日座りっぱなしなんや」
「カサマツのところみたいに、一日動きっぱなしよりは楽だよ、きっと」
「適材適所やの」
カサマツは機械の身体に脳を移植する治療を受けている。実用化されてまだ数年の技術だが、一部の難病を抱える人にとっては画期的な治療法だった。とはいえ、体をコントロールしてまっすぐ歩くだけでも相当なリハビリが必要だと聞くのに、カサマツは機械の身体を自在に操り、走り、飛び、銃火器を扱う訓練までこなしている。
「てかそれ鯖?めっちゃうまそうやん」
「あげないよ。俺もう食費全然残ってないもん」
「食われへんって!」
身体の機械化をした人は食事を必要としない。機械化を果たした人からは食事を楽しみたいという要望も聞かれているそうなので、そこは技術の進展を待つところだ。
「というかカサマツは何してるの、こんなところで。食堂に用事なんてある?」
「いや、待ち合わせをしてて——あ、あの子や」
カサマツは遠くに座っている女子学生に、手のひらを振った。女子学生はカサマツに気づくと、ぱたぱたと小走りで近づいてくる。
「おはよう、マリノ」
「おはよう。これ、頼まれてた左手の調整終わったから」
大学近くの雑貨屋の紙袋に、機械の左手首から先が入っている。マリノと呼ばれた女子学生はそれをカサマツに手渡すと、スマホを手に取って支払いアプリを開く。
「材料費が高くついちゃった。やっぱり手ってパーツ多いから」
「せやんなあ…まあ、よそに頼むより全然安いし」
カサマツは慣れた手つきでスマホで金額を入力する。マリノは「はい、確かに」と画面を見ながらうなずいた。
「やっぱり最初に言った通り、親指の第一関節が歪んでたよ。このあたりは手の中でも一番精密なところだからね、無理するとすぐに壊れるから。これに懲りたら、ちゃんと耐荷重守ってね」
「いやぁ……気いつけてはいるんやけどな。どうしても利き手じゃない方は忘れがちっていうか……」
「そんな機械化あるある知らないから。いいから守ってよね」
「うす…」
普段調子のよい男であるカサマツは、このマリノという女性には弱いようだった。機械化のことは詳しくは知らないが、やはりいろいろデリケートらしい。マリノの言うことはただただ正論に聞こえた。
そしてマリノのぱっちりとした目が、俺に向けられる。ウエーブがかった茶色の髪に、長く上向きの睫毛。今どきの女子大生を体現した瞳を向けられて、一瞬で居たたまれなくなってしまう。
「ごめんなさい、話し中だったよね」
「いや、大丈夫です」
思わず目を逸らす。同年代の女性と話すのは苦手だ。自慢にもならないが、中高一貫の男子校から男だらけの工学部に進学した身であるので、母親と研究室の教授くらいしか、女性と話す機会がない。
「こいつはゼン。工学部の修士2年やけど、飛び級してるからオレらより年下やねん。普段は研究しかしてへんけど、ええ奴やから、会ったら仲良くしたって」
そんな俺に気づいていないのか、カサマツは勝手に俺の紹介を始める。無責任に仲良くとか言うなよ、社交辞令だとしても、女性と仲良くという未知のものを目の前にお出しされて、何も言えない。慌てて焼き鯖を、白米と一緒に口に入れる。
「私はマリノ。医学部の看護科だけど、機械化人間の看護に興味があって、機械化のことも勉強中なんだ。だから結構工学部の授業も取ってるの。もし会ったらよろしくね」
「ほ、ろしくお願いします」
機械化について勉強中というのはきっと、マリノの謙遜だろうと思った。工学部の必修科目で機械化人間学の授業は受けたが、理屈だけはなんとか理解したものの、実際に機械化人間のボディをいじるのは俺には無理だ。ほかの人であっても、少し習った程度では機械化人間の制御なんて到底できない。マリノは相当勉強して、かなりの実践を積んでいる。
なんとか絞りだした挨拶は、口の中に白米がまだあったせいで、変な発音になってしまった。
いたたまれない空間を割いたのは、カサマツのスマホの通知音だった。
「うえ!出勤だ!」
軍支給の個人端末。そこから緊急事態を思わせるアラームが響くと、カサマツは慣れた様子でそのスマホを開き、内容を読み込む。
「え、今から仕事?」
俺は思わず尋ねる。まだ朝食にも早いような時間帯だ。
「そう。狩場に大型出たらしいわ。この時間やし、人足りてへんねんな」
「うわあ、気を付けてね」
「おお、ありがとな」
カサマツは慌ただしく荷物をまとめて、食堂を飛び出していった。学生の身でありながら軍に所属し、狩場に湧いたモンスターを処理する。給与をもらいながら勉強をする、ある種の特待生だ。
マリノと残されて、率直に気まずい空気が流れる。女性とうまく話すことはできないが、気まずい沈黙に取り残されるのはもっと耐えられない。何か話そうと必死に話題を探すが、男子校のコミュニケーションを引きずったまま大人になってしまったので、何も話題がない。高校時代の鉄板のすべらない話はあるが、内容があまりにも男子校すぎる。
マリノのほうは顎に手をあてて、何かを思案しているようだった。
「ゼンくん、どう思う?」
「えっ?」
「HETのこと」
「…」
HET。高エネルギー体。人類のエネルギー問題を一挙に解決した救世主。
突如出現したモンスター。農地を荒らし時折人間のことも襲う厄介者だったが、体内に高エネルギー体と呼ばれる物質が発見された。今ではそれを利用して、地球上の9割の電力を賄っている。
「確かに、もうHETなしでは生きていけないんだろうけどさあ、」
そう言ったマリノの目は遠く、カサマツが出ていった食堂の扉を見つめていた。
学生の身でありながら戦いに身を投じていく、防衛学部の特待生たち。HETが開発されモンスターと戦う必要に迫られるまで、遠い国の出来事だと思われていた、命のやりとり。
「ま、言ってもしょうがないんだけどね。ごめんね」
パーツが壊れないように注意しながら戦っていると、以前カサマツは言っていた。それでも平和に生きる機械化人間に比べて、比べ物にならないほど消耗が激しく、交換頻度も高い。ほかの生徒たち、生身の人間たちだって、同じく危険な状況で戦っている。しかも人間は、怪我を負ったからといって、体を交換することはできない。
HETの登場で、この世界はよくなった。本当に?
この世界はいつだって、誰かの犠牲の上に成り立っているのだ。
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