姉の手

見鳥望/greed green

「私、姉に殺されるかもしれません」


 文美さんは言いながら自分の両手を広げてみせた。

 彼女はまだ高校二年のうら若き乙女で、その掌は枯れて皺が刻まれていく事への恐怖など微塵も感じさせない瑞々しいものだった。


「復讐ですよ、きっと」


 怪談を生業としている私のもとへはある程度実績ができて以降、ありがたい事に何も言わずとも向こうから話が集まってくるようになった。文美さんもそんな中の一人で、DMを通して連絡があった。


 彼女の話はこうだ。

 高校に入った頃から妙に寝苦しくなり、寝起きも途端に悪くなった。酸欠のようでまるで脳に酸素が回っていない。どうもおかしいと思って鏡を見てゾッとした。


 自分の首元にしっかりと掌の跡が残っていた。

 一瞬、一緒に暮らしている母の仕業かと勘ぐったが、まるで自分で自分の首を締めるかのように残った跡と優しい母に限ってそんな事はあり得ない。つまり、自分で自分を殺そうとしたということになる。


 ーー姉だ。


 思考はすぐに一つの可能性へと辿り着いた。

 私が昔殺した姉が、復讐しようとしているのだと。







「どうやって殺したんですか?」

「直球ですね」


 文美さんは普通に笑ったが、私は笑えなかった。目の前にいる人間が人殺しであれば怪談どころではない。怪談蒐集をしていると倫理観の薄いモラルを失った人間は少なくない。怪談という人の不幸、悲劇をネタにするようなものを扱っている以上ある程度我慢や許容は必要だが、それでも何の悪びれもなく過去の自身の悪行を怪談という傘で隠せるとでも思っているのか自慢げに笑顔で語って来たりする。彼女ももしその類だとすれば話はここまでだ。


「私、本当は双子だったらしいんです」


 彼女の話がこの時点でなんとなく見えた。


「バニシングツインですか」

「さすが会堂さんですね」


 ーー当たりか。


 バニシングツイン。双子の内一方が忽然と子宮内で消失する現象。文美さんは母親から昔姉に纏わる話を聞いたそうだ。まだ解明されていない現象だがその要因を知る必要まではない。問題は彼女がこの現象を自分の罪と解釈しており怪談へと昇華しようとしている所だ。


「殺人事件としては立証できないでしょうね」

「別に日常生活に何の不満やストレスもない。自殺する気なんてさらさらないのに自分で自分の首を締めるなんてイカれてます。だとしたらこれは私の意思なんかじゃない」

「だから姉の意思だと?」

「誰だって殺されたら恨みを残すでしょう」


 それがお互い無意識下の加害者と被害者という関係であったとしても成立するのだろうか。生存本能という意識よりも根底にある強い意思が勝るとでも言うのだろうか。文美さんの言葉はどこか歪だが腹が立つほど正論にも思えた。


「とりあえず寝ている自分を一度録画してみてはどうですか?」

「私の話信用できないですか?」

「逆なら信用できます?」


 文美さんは私の言葉を無礼と受け取ったのか不満そうな顔を見せたが、私からすればその反応こそ失礼そのものだ。怪談を聞く者が怪談話ならなんでも頭ごなしに受け入れ信じると思っているなら大間違いだ。







『私の怪談、信用してくれますか?』


 後日彼女から動画が送られてきた。少し離れた位置にある机の上にでもスマホを乗せてそこから撮影しているのだろうか。暗い自室の中ベッドに眠る彼女の姿がうっすらと見えた。メッセージに添えられたおそらく問題の箇所と思える時間まで動画をスキップしてみる。


 仰向けで寝ている文美さんの両手がばっと前に倣えのように伸ばされたかと思えば、そのまま自分の首をぐっと締め始めた。しばらくその状態が続くと両手が離れ彼女の荒い息が漏れる。かと思えば呼吸が落ち着いた頃にまた首を絞め始める。その繰り返しが数分続いていた。

 

『また何かあれば連絡しますね』


 一方的な彼女のメッセージに私は何も返信しなかった。

 

 ーー創りだな。

 特に落胆はなかった。様々な理由、往々にしてろくでもない理由だが何かを用いて注目を集めたいと思う人間は少なくない。偏見ではなくデータとして若者にその傾向は多い。


 私の怪談、信用してくれますか?

 もしかしたら自分が死ぬかもしれないという危機感が少しでもあればこんな言葉は出てこないだろう。どうにかして私にネタとして拾ってもらい承認欲求を満たしたいだけの行為。そうとしか思えなかった。







「わざわざすみません。文美の母の芳江です」


 どうもと私はぎこちなく頭を下げ返す。あの日文美さんの怪談を聞いた喫茶店と同じ場所を指定されたのはわざとなのか、それとも想い出を辿る為に必要な事なのかは分からない。


『突然すみません。**文美の母親の芳江と申します。生前娘とやり取りをされていたようなので、ご迷惑かもしれませんが少しでもお話を聞かせてもらえないかと思いご連絡させていただきました。御返信いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします』


 文美さんのメッセージを最後に受けてから一か月後、突然彼女の母と名乗る人物から文美さんと同じアカウントでメッセージが送られてきた。いかにも怪しいと思いながら、ここから本当の怪談に繋がるか、はたまた別の意味でネタになるかもという下心と警戒心を秤にかけた結果彼女に会う事にした。


「失礼ですが、本当に文美さんのお母様でいらっしゃるのですか?」


 四十代半ばぐらいだろうか。ほっそりとした普通の主婦といった所だが、確かに文美さんの母と言われても納得がいく面影があった。ただそれだけで信用できるわけではもちろんない。


「そうですよね」


 そんな私の思いを見透かしたかのように鞄の中からごそごそと何かを取り出し机に広げた。


「私と娘です」


 並べられたのは写真だった。年代はバラバラだが私と会った時の文美さんと同じぐらいの年齢の彼女と芳江さんが並んでいる写真もあった。


「見やすいようにデータからプリンターで出し直したんですよ」


 どうでもいい事を言いながら芳江さんは微笑んだ。この時点で既に違和感があったが、次に彼女は少し大きな冊子のようなものを取り出した。


「これだけでは合成と思われるかもしれませんので」


【一期一会 2024 ■■中学】


 彼女が取り出したのは卒業アルバムだった。パラパラと手慣れた手つきでページをめくりクラス写真に映る一人の女生徒を指差した。


「これが文美です」


 少しあどけないが笑顔で映る彼女の顔は間違いなく文美さんだった。さすがに卒業アルバムまで偽装するのは難しいだろう。彼女が文美さんの母親である事は間違いないようだ。


「そしてこれが姉の栄美です」


 流れるようにパラっとページをめくり、芳江さんは別の女生徒を指差した。そこに映っているのは文美さんとそっくりの顔をした女の子だった。よく見ればほくろの位置や顔立ちに違いはあったが、その顔は文美さんと瓜二つだった。


 私が感じた違和感の正体はあっさりと解明された。

 彼女が最初に広げたいくつもの写真。その全てに文美さんと同じ顔をしたもう一人の女の子が映っていたからだ。


 混乱まではしなくても多少の困惑はあった。

 文美さんの話では彼女の姉はバニシングツインにより消失しているはずだ。しかしその姉は当たり前のように文美さんと別のクラスに存在していた。


「残念ながら去年事故で亡くなりましたが」

「事故、ですか?」


 本当の混乱はすぐに訪れた。バニシングツインではないが、姉の死自体は嘘ではなかったという事になる。


「怪談をされているんですよね?」

「え? あ、はい」

「私も文美も怪談が昔から好きでしてね。栄美は全くでしたが」

「そうですか」

「娘とはどんな話をされたんでしょうか?」


 決して攻めたり何かを問いただしたいといった口調ではなかったが、それでも文美さんの話をそのまま正直に伝えて良いものか少し悩んだ。ただ嘘をついたりごまかしたりするにも間が持ちそうになく、結局私はそのまま文美さんの話をしてしまった。


「お粗末な怪談ですね」


 芳江さんの表情は不機嫌そうに曇った。しかし思っていたものとは別の方向に不快感を向けられているようだった。


「こんな動画が何の証拠になるのか。そうまでして怪談を創りたかったんでしょうかね」

「……さあ、どうなんでしょうか」

「バニシングツインだなんてらしいものまで持ち出して。自分で殺しておいて何を言ってるんだか」


 思わず、「え?」と声が漏れた。


「今、なんと?」

「あの子が本当は栄美を殺したんですよ」

「いや、でもそれは事故だって」

「証拠がありませんでしたし、見つかりもしなかったですから。でもあなたの話を聞いて確信しました。やっぱりあれは文美がやったんですよ」


 彼女の話では高校も同じだったので通学も毎日一緒だったそうだ。その日栄美さんは通学途中の駅の階段で足を踏み外し、打ち所が悪く亡くなってしまったそうだ。


「仲良しだと思ってたんですけどね。娘の本当の腹の内までは親でも見通せなかったみたいです。栄美が死んでも悲しむ事なく笑顔で過ごしてたんですもの。それどころか、栄美が死んで生活費が浮いたでしょ? 良い事じゃないって」


 私は今一体何を聞かされているんだろうか。

 

“どうやって殺したんですか?”

“直球ですね”


 あの時、彼女は本当は何を思っていたんだろう。そしてどんなつもりであの怪談を話したのだろう。芳江さんの話が本当であれば、文美さんは姉を殺しておいてそれを自分の怪談に利用しようとした事になる。そうであれば確かに彼女の言う通り文美さんは狂っていると言えるだろう。


「そりゃ栄美も怒るでしょうね。因果応報、自業自得だったんだと思います」

「……あの、失礼かとは思いますが、文美さんはどうして亡くなられたんですか?」

「首吊りです」


 用意していた質問への答えのように即答だった。


「確かにあの子は自分で自分の首を締めていたみたいです。かなり強く締めたのかしっかりと跡が残っていたみたいですから。でもそれだけではさすがに死ねないですよね。結局ドアノブに紐を引っかけて死んだみたいです」


 淀みのない回答。まるで練習でもしたかのようにすらすらとした口調に急に生理的な嫌悪感を覚えた。


「そうですか……」


 何も言う気が起きなかった。さっさとこの場から立ち去りたい。もしくは帰ってくれと強く願った。


「会堂さん、でしたっけ?」


 もう話す事はない。十分だ。そんな私の気持ちを無視してなおも芳江さんは話しかけてきた。


「この話、してくださっても大丈夫ですよ」

「……は?」

「怪談をされてるんでしょ? どうか娘達の為にもしてやってください」

「いや、でも……」

「いいんですよ。母親の私が許可します。そんなに怪談になりたければなればいい。怪談として自分の愚かな罪を晒されればいい。そう思いませんか?」


 やめてくれ。もう喋るな。しかし彼女はそこからしばらく同じような話を繰り返した。ただ私は何も言えず彼女が止まる事を待つしかなかった。 


「私の話、信用してもらえますよね?」


 正常な判断とは別に私はただただ頷いた。終わってくれという思いだけで首と頭を動かした。ようやく満足したのかそこで話は終わり彼女は席を後にした。店のお代は当然のように私が全て払わされた。







 真相や真意は突き詰めれば辿り着けたかもしれない。だが私にそんな気力は一切残されていなかった。単純に彼女達に二度と関わりたくないと思った。

 もちろんこの話は一切どこにも披露していない。そうすれば彼女達に加担した仲間のようで嫌だったから。


“私も文美も怪談が昔から好きでしてね。栄美は全くでしたが”


 怪談を語りたがる者の中にはろくでもない人間も存在する。彼女達はその類の人間だったのかもしれない。文美さんだけではなく、芳江さんの話も決して信用できるものではない。


“確かにあの子は自分で自分の首を締めていたみたいです。かなり強く締めたのかしっかりと跡が残っていたみたいですから”


 証言が一致していたのは自分で自分の首を締めたという点。だからといって真実とは限らない。辿れば分かるかもしれないが、そこまで追うつもりもない。


 文美さん、栄美さん。

 この二人が死んでいるのは事実だった。時期も芳江さんが話した通りだった。



 文美さんからもらった動画を見返した。自分で自分の首を締める演技をしているだけだと思っていたくだらないフェイク動画。


『死ね……死ね……死ね』


 彼女が首を締めている場面、イヤホンをつけ音量を上げて初めて女性の声が入っている事に気が付いた。囁くような、だが強い念の籠った殺意に満ちた声。

 位置的に撮影されたスマホのすぐ傍で吹き込まれているようだった。位置関係的にベッドにいる文美さんのものではない。


”私、姉に殺されるかもしれません”


 いくらでもこれぐらいの編集は可能だろう。だがもし全てが本当だったとしたら。

 文美さんの首を締めた手が、文美さんを殺そうとした手が、本当に栄美さんのものだったとしたら。


“誰だって殺されたら恨みを残すでしょう”

 

 何が本当なのか。何を本当とするのか。


“私の話、信用してもらえますよね?”


 その手が向く次の矛先がどこなのか、私には分かる気がした。

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