名もなき救いの手

ゆる弥

第1話 灰

 空を見上げると、晴天で日差しがあったけぇ。こんな日は農作業に最適だな。女房が作ってくれた握り飯とお新香は最高だ。今日は、やる気が出てしょうがねぇや。


「いってらっしゃい! 稼いでおいで!」


 わしが見初めた可愛らしい背格好の女房だ。背はちいせえが、出てるところは出てるいい女だ。この女とやんちゃな五歳と二歳のせがれの為に稼がなきゃなんねぇ。


「あいよ! 行ってくらぁ!」


 意気揚々と木造の平屋を出る。ここはわしが立てた城だ。今は家族四人で幸せに暮らしてんだ。江戸の街でも中々いい立地だと思うわ。


 人より体の大きなわしは農作業に向いてんだ。体を動かすのも得意だし、重いものを持つのも得意だから。


 汗を流して稼ぐのは気持ちがいい。今は、田んぼに水を張って稲を植え終えたところだ。ここから実を大きくするためにいらない雑草を取るんだ。それが仕事だ。


 汗が田んぼの水へ雫となって落ちていく。波紋の広がって行く水。その波紋は収まることがない。ずっと波打っている。何かが変だな。


 腰を持ち上げて周りを見る。何が起きてる?

 少し離れたところにいる隣のモンも首を傾げて周りをキョロキョロ見ている。


「なんだぁ?」


「わからねぇ!」


 聞いてみるが、わからないんだと。

 一瞬、静寂が訪れた。

 何も聞こえない静寂。


 キーンと耳が鳴る。

 次の瞬間。

 凄まじい轟音が響き渡った。


 空は赤くなり、煙のような物が見えている。何が起きたのかわからなかった。とにかく、なにかが変だった。どうしていいかとオロオロしていると、隣のモンが「逃げんぞ!」と声を上げた。


 一緒に家のある方へと逃げていく。

 その煙は、次の日も、次の日も出続けた。

 それがもたらしたのは灰だった。


「あんた。これ、米大丈夫なの?」


「こりゃあ。ダメかもしんねぇな。なんせ、日が出てねぇ」


 ずっと灰が飛んでいることで、日の光まで断絶していたのだ。こうなっては、米など育つわけがなかった。それはわかっていたけど、何もすることができない。


 何をすればいいのかさえ分からなかった。


「あんた。家にいたってしょうがないよ! 食い物は大してないんだからね!」


 そんなこと言われても、今ある銭でどうにかするしかねぇ。まだ数日は大丈夫だと思う。去年の米を売った金がある。ただ、食べ物があるか?


「わぁってらぁ。ちょっと、街の様子見て来る」


「たのむよ!」


 街は人が右往左往していて、食べ物を探している人であふれていた。野菜も米も高騰し、いつもの三倍の値段になっていた。野菜なんていつもは6文なのに、18文になっていやがった。


 一応、和算やってるからよぉ。じゃないと農家もできんわ。


 今買わないともっと高くなるかもな。


「これくれや。あと、たくあんも」


「あいよ。50文ね」


 買い物して帰れば女房も静かになるだろう。

 しかし、このまま灰ふりが続けば大変なことになるぞ。

 まず、年貢は収められねぇ。

 となれば、金が手に入らなくなる。


 まずいぞ。

 食料が尽きたら、食うもんがなくなるじゃねぇか。


「おぉ、太吉じゃねぇか」


「なんだ。喜助か」


「なんだじゃねぇよ。この灰どうにかしてくれよ!」


 喜助はわしの昔なじみの仲間だ。こいつんとこは野菜を作って生計を立てている。灰の影響を受けている一人だ。


「わしにはどうにもできん。ずっと家にいたら女房からどやされたわ」


「ハッハッハッ! わしと一緒じゃのぉ……はぁ。どうするかのぉ」


 喜助は空を見ながらため息を吐く。それにつられるように灰色の空を眺めて、自分ではどうしようもない絶望にまたため息を吐く。


「ホントによぉ。食い物がなくなったら終わりじゃ」


 一体、この灰ふりはいつなくなるんだ。

 このままじゃあ、江戸が終わる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る