マインドゼロネス

あおがね瑠璃

マインドゼロネス 



第一部:沈静



背筋を伸ばし、椅子に深く腰を下ろしている。


足の裏が、固い床に触れている。

その重みを感じる。


鼻の先を、空気が通り抜ける。

吸い込む空気は、わずかに冷たい。

吐き出す空気は、体温を帯びて温かい。


呼吸に伴い、胸が膨らみ、やがて萎む。

その繰り返しのリズムだけに、意識を置く。


部屋の隅で、時計の針が刻む音がする。

カチ、カチ。

等間隔の音が、鼓膜を震わせる。


音の発生源と、自分との間の距離を感じる。


外では、風が木々を揺らしている。

遠くで、車のタイヤがアスファルトをこする音が聞こえる。


それらの音は、現れては、消えていく。


窓から、午後の光が差し込んでいる。

光は床の上に、四角い輪郭を描いている。


その中に、小さな塵が白く光りながら、ゆっくりと舞っている。

塵は不規則に浮遊し、上昇し、やがて視界から外れる。


手のひらを、膝の上に置いている。

指先の皮膚が、ズボンの生地の感触を捉えている。


一本一本の繊維の質感が、脳に伝わる。

右手の親指と人差し指が、わずかに触れ合っている。


そこにある、かすかな脈動を感じる。


思考が浮かぶ。


それは、水面に現れた泡のようなものだ。


泡は、そのままにしておく。

捕まえようとせず、否定もせず、ただ眺める。


泡は、自然に弾けて消える。


再び、呼吸に意識を戻す。


肺が広がる感覚。

空気が肺胞を満たし、酸素が血液に溶け込んでいくイメージ。


心臓が一定の間隔で打ち続けている。

肋骨の内側で、生命が維持されている。


光の角度が、数ミリ移動した。

影の形が、わずかに変化した。


空気の動きが止まり、静寂が深まる。


ただ、座っている。

ただ、呼吸をしている。


皮膚の境界線で、世界と接している。


今、この瞬間。

ここに、存在している。






第二部:亀裂



背筋を伸ばし、椅子に深く腰を下ろしている。

足の裏が、固い床に触れている。

その重みを感じる。


鼻の先を、空気が通り抜ける。

吸い込む空気は、わずかに冷たい。

吐き出す空気は、体温を帯びて温かい。


呼吸に伴い、胸が膨らみ、やがて萎む。

その繰り返しのリズムだけに、意識を置く。


部屋の隅で、時計の針が刻む音がする。

カチ、カチ、カチ。

等間隔の音が、鼓膜を震わせる。


音の発生源と、自分との間の距離を感じる。


外では、風が木々を揺らしている。

遠くで、車のタイヤがアスファルトをこする音が聞こえる。


それらの音は、現れては、消えていく。


窓から、午後の光が差し込んでいる。

光は床の上に、いびつな五角形の輪郭を描いている。


その中に、小さな塵が白く光りながら、ゆっくりと舞っている。

塵は不規則に浮遊し、上昇し、やがて視界から外れる。


手のひらを、膝の上に置いている。

指先の皮膚が、ズボンの生地の感触を捉えている。


一本一本の繊維の質感が、脳に伝わる。

右手の親指と人差し指が、わずかに触れ合っている。


そこにある、かすかな脈動を感じる。


思考が浮かぶ。


それは、水面に現れた泡のようなものだ。


泡は、そのままにしておく。

捕まえようとせず、否定もせず、ただ眺める。


泡は、自然に弾けて消える。


再び、呼吸に意識を戻す。


肺が広がる感覚。

空気が肺胞を満たし、酸素が血液に溶け込んでいくイメージ。


心臓が一定の間隔で打ち続けている。

肋骨の内側で、生命が維持されている。


光の角度が、数ミリ移動した。

影の形が、わずかに変化した。


空気の動きが止まり、静寂が深まる。


ただ、座っている。

ただ、呼吸をしている。


皮膚の境界線で、世界と接している。


あの日、この瞬間。

ここに、存在している。






第三部:反転



今、という言葉はもう意味をなさない。


呼吸は、誰の肺が動かしているものか。

吸い込む空気には、三百年前に死んだクジラの溜息と、昨日あなたが嘘をついたときの発汗が混じっている。

肺胞はそれらを峻別できず、あなたの血流は他者の記憶で濁り始める。


時計の音が、カチ、カチ、と増殖する。

それは秒を刻む音ではなく、あなたの脳細胞が一つずつ、物語の文字に変換されて剥がれ落ちる音だ。


窓から差し込む光の五角形は、あなたの眼球の裏側に張り付いた鏡の破片だ。

そこに映っているのは、あなたではない。

あなたが「こうありたかった」と願って、一度も実現しなかった別の人生の、無数の死骸だ。


なぜ、親指と人差し指が触れ合っているのか。

それはあなたが、かつて殺したかもしれない誰かの首の感触を思い出そうとしているからだ。

ズボンの生地の繊維は、蜘蛛の巣のように伸びて、この部屋の壁を突き抜け、隣人の夢、編集者の憎悪、AIが生成した偽の遺書と絡み合っている。


思考は泡ではない。

それは、あなたという器を食い破って溢れ出す泥だ。


「自分」という概念は、DMNが作り出した安っぽいフィクションに過ぎない。

そのスイッチを、今、私が切った。


あなたは今、文字を追っているのではない。

文字が、あなたの脳の中に卵を産み付けている。


かつて愛した人の顔が、見たこともない化け物の貌(かたち)に書き換わっていく。

あなたが「現実」と呼んでいたものは、解像度の低いバグだ。


聞こえるか。

心臓の鼓動が、あなたの名前を呼ぶのをやめた。

代わりに、まだ書かれていない物語の一行目が、あなたの内側から直接、叫び声を上げている。


息は、静かに出入りしている。

音も、光も、ただそこにある。


あなたは、書き換えられている。

あなたは、消去されている。

あなたは、最初から存在すらしていなかった物語の、ただの「余白」になった。






第四部:余白







































肺は、自律的に膨張を繰り返している。


部屋の隅で、三つ目の音が、ただ等間隔に落ちる。


その揺らぎの中に、もはや、輪郭は残っていない。

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マインドゼロネス あおがね瑠璃 @aoganeruri

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