前編 オレは勇者セリオス!

 浅い微睡みの中で男は唄を聴いていた。童謡のようだが、その歌詞はどこか不穏だ。


  やーみがおまえを呼んでいるー

  おまえのつーみを呼んでいるー

  ふーかくふかくへ招いてるー

  やーみの底へと招いてるー

  からだは砕けて塵となりー

  とがの箱へとおしこまれー

  あわれな獣となりはてるー

  あわれな獣となりはてるー


 声の出所はハッキリとしないが、不思議なことに意識がハッキリするにつれて、その声は遠ざかっていった。

 あるいは夢だったのかもしれない。

 そんなことを考えながら、男はうっすらと目を開けるが何も見えてこない。

 微かに漂うかび臭さから、迷宮を連想した彼は、明かりを求めて手を伸ばした。愛用のカバンの中に非常用の魔宝石が入っているはずだ。光量の乏しい粗悪品だが、ひとまずそれがあれば松明を取り出して火を点けられる。

 しかし、伸ばした手はすぐに冷たい石の感触に阻まれた。

 男は天井の極端な低さに慌てながら、手を這わして周囲を確認するが、左右にも壁があり、ろくに身動きができない。

 真っ先に連想したのは石棺だ。

 一瞬で眠気も吹き飛び、暗闇の中で青ざめるが、すぐに重たい石がこすれ合う音を響かせながら、石棺の蓋が開き始める。

 眩い光が差し込み、反射的に顔を背けたあと、恐る恐る瞼を開き直せば目に飛び込んできたのは一面の星空だ。

 正体不明の感傷が込み上げて涙がこぼれる。

 ゆっくりと身を起こして涙をぬぐい――そこで男は再び凍りついた。


「な、なんじゃこりゃ……」


 そこにあるのは間違いなく自分の腕のはずだが、おかしなことにそれは人間のものではなく、毛むくじゃらな獣の腕になっていた。

 さらに言えば声もおかしかった気がするが、まずは全身を確認するのが先だ。

 立ち上がって見下ろせばそこにあるのはやはり獣染みた身体だ。

 二本足で立ててはいるが背は低く、せいぜい大人の腰くらいまでの身長しかない。

 いったい何が起きているのかとひたすら混乱するが、そこでようやく男は自分がどこの誰かも分からなくなっているという事実に気がついた。

 それでも霞のかかった記憶の中から、なんとか断片を拾い集めて、それを口にしてみる。


「オレは超イケメン美男子で、戦えば敵なしのスーパー勇者。女の子にはモテモテで町や村には必ず現地妻が存在する……」


 男は満足して得意げな笑みを浮かべるが、それも長続きせずに自分の頭を両手で抱えた。


「うぅぅ……違うっす。これは記憶ではなくて願望っす」


 ツッコミを入れてくれる相方がいないことに寂しさなど感じつつ、ぼんやりと辺りを見回せば、そこにはいくつもの石棺が並んでいる。

 不思議なことに人影はない。てっきり石棺を明けてくれた者が待っていると思ったのだが、どうやらそれは魔法か何かで独りでに動いたようだ。

 とりあえず周囲を観察してみると、そこは森の中にある墓地のようだった。


「墓の中からこんばんは~」


 などとつぶやきつつ、短い手足を動かして這い出ると、今度は石棺の蓋がひとりでに閉まる。

 薄気味悪さを感じながら、いちおう押してみるが、石棺の蓋はビクともしない。

 とりあえずよじ登ってフタの上であぐらを組むと、思考を放棄してぼーっとした。

 この事態について考えるべきことはいくらでもありそうだったが、ここまで異常事態がひどいと考えたところで答えが出ないことは分かりきっている。

 ならば、ひとまずここは待つべきだ。そうすればそのうち誰かがやって来て、いろいろと教えてくれるだろう。それがお約束というものだ。

 決めつけてしばらく待っていると、墓地の入り口の方で金属の門が開く音が響いた。

 そちらを向いて確認してみれば、案の定こちらに向かって歩いてくる人影が見える。

 メイド服を着た美しい女性――いや、少女のようだ。

 髪は短めで首の辺りまでしかないが、実に女性らしい体つきをしている。なんといってもバストが大きく、男は自分が置かれた状況も忘れて、食い入るような目でそれを見つめた。

 そのまま近づいてくるバストに生唾を飲んでいると、いつの間にか目の前で立ち止まっていたバストがポツリとつぶやく。


「またひとつ、罪人つみびとの魂が落ちてきたようですね」

「え……?」


 ようやく胸元から目元に視線を移すとメイド少女は理想的なまでのやさしい笑みを浮かべていた。そのまま自分の胸元に手を添えようにして自己紹介を始める。


「はじめまして。わたしはアイナ。アイナ・ダークサンと申します。魔王メアリー様にお仕えする魔族の女です」

「魔族……」


 驚きに目を見開く。なにせ生前は魔族と戦っていた勇者なのだ。思わず身構えかけるが、男はなんとか自制した。右も左も分からないこの状況で自分から敵意を見せるのはどう考えても愚策である。

 もっとも目の前の少女は角もなければ尻尾も生えておらず、男の知る魔族とはずいぶんと印象が異なるようだ。それでもこんな異常な状況で現れたことが、彼女が常人でないことの証に思えた。

 一方のアイナは男の心情を知ってか知らずか、ひたすら自然体で語りかけてくる。


「ここは罪科ざいかその。生前に深すぎる罪を犯した人間の魂が、死後に落ちてきて魔族に生まれ変わる場所です」

「死後に……魔族に……生まれ変わる……」


 茫然とつぶやく。


(つまり俺は死んだってことっすか……!)


 ショックではあったが、立ち直りは早かった。

 だいたい石棺などに入れられていたことを考えれば察しがつくというものだ。

 元より心の強さには自信がある。この世の中タフでなければ生きてはいけないのだ。


「大丈夫ですか?」

「何がっすか?」

「いえ、かれこれ三十分は呆然としておられましたから……」

「…………」


 どうやらショックのあまり、どこかで意識が飛んでいたようだ。


「いやいや、大丈夫っすよ。ちょっと処理落ちしていたみたいっすけど打たれ強いのがオレの押し売りポイントっす」

「それを言うならセールスポイントでは……」

「まあ、そうとも言うっすけど……なんにしても皮肉な話っすね。よりによってこのオレが魔族だなんて……」


 相手が魔族であるなら、これを告げるのはやや危険かも知れないが、男はあえてニヒルな笑みを浮かべて告げて見せた。


「実はオレ、魔族と戦っていたんすよ」

「ええ、存じています」


 アイナは軽くうなずいた。


「ですが、それは我々ダークサンの魔族ではありません。それどころか、この大魔界の存在ですらない、ただのはぐれ者たちです」

「はぐれ者……?」


 大魔界、はぐれ者……言っている意味が分からない……と思ったのも束の間、男は自分がその意味を理解していることに気がついた。

 戸惑いながらもその知識を反芻してみる。

 この世に人間界と呼ばれる世界はそれこそ星の数ほど存在するが、本当の意味での魔界は、このダークサンを含む三十二の領土のみだ。そこに暮らす魔族は基本的に人間の世界には干渉しない。人間の世界に来てまで悪事を働く者は、そのほとんどが政争に敗れるか犯罪を犯した逃亡者だった。


「……な、なんで、オレがこんな事を知ってるっすか?」

「魔族に生まれ変わったときに、ここでの暮らしがしやすいように少しばかり知識が付加されているのですよ」

「ま、魔法っすか?」

「そんな感じですね」

「そ、そうなんすか……すごいっすね。人間の世界でそれ使えれば受験生は大喜びっすね」


 言いながら、受験生って言葉も付加されたものであることに気づく。はたしてそれが魔族に必要な知識かどうか甚だ疑問であることすら分かってしまうのも知識が増やされた結果だった。

 溜息まじりに男がつぶやく。


「それにしてもオレはどうして死んだんすかね……?」


 腕を組んで考えているうちに自然と記憶の断片が浮かび上がってくる。


「あっ! 思い出したっす!」


 生前、最期に聞いた声が彼の脳裏にこだましていた。


『あばよ、勇者セリオス。先に地獄で待ってな』


 それを思い出した瞬間、男は震える小さな手で自分の頭を抱えるようにして叫んだ。


「なんてこった! オレは勇者だったのに、魔王のところに辿り着けもせずに、仲間の裏切りに遭って殺されてしまったんす!」


 最後に見たのは薬を漏られて動けなくなった聖女の姿だ。

 あろうことか裸で縛り上げられている。それもかなりマニアックな縛り方で思い出しただけでも鼻血が出そうだ。

 しかし、それは事実ではない。本当はちゃんと服を着ていたはずだが、とりあえず男の頭の中に浮かんだビジョンはスケベ度が大幅にアップしている。


「くそっ、オレは彼女を守ってやることもできずに、それどころか今頃彼女はあの男にあんなことやこんなことを――」


 自分を裏切った男のスケベ面を思い浮かべて男は地団駄を踏んだ。


「う、うぅぅぅ……オレは……オレはなんて情けない勇者なんだ……これがオレの罪……勇者でアリながら聖女を守れなかった罰を受けて、オレは魔族になっちまったのか!」


 ショックを受けてガックリとうなだれる彼に、アイナがそっと声をかけようとするが、それより早く男はバネのように顔を上げて拳を握りしめた。


「これはもう〝仲間に裏切られて死んだ勇者のオレが魔族に生まれ変わったら最強で裏切り者にザマァする〟運命としか思えない!」


 力説する男にアイナはやや気の毒そうな顔を向ける。


「あのですね……」

「勇者セリオスっす!」

「セリオスさん?」

「オレの名前っす!」

「いえ、違いますけど」

「え……?」


 肝心のところを否定されて、男はやや間の抜けた顔になった。


「何やら勘違いをなされているようですが、あなたは勇者セリオスさんではなく、彼を裏切った戦士ゴウですよ」

「え……?」


 許容しかねる言葉を聞いた気がして、男は目を瞬かせる。


「あなたは仲間の食事に薬を盛って身体の自由を奪った後、手にした剣でひとりずつ惨殺していきました」

「…………」

「それも、聖女を自分の欲望の捌け口にするためという、卑俗な動機によって」

「…………」

「あなたの目的は残るひとり、勇者セリオを殺害すれば叶うはずでしたが、その前に我々の仲間が弓矢によって、あなたの頭を吹き飛ばしたのです」

「…………」


 突きつけられた残酷な真実を受け入れるためには、それなりの時間が必要だった。

 正直に言えば受け入れたくはなかったが、自然と理解が追いついてきて、彼はガタガタと震え始めた。嫌な汗が噴き出して顔面が蒼白になっている。


「ア、アイナさん……」

「はい?」

「一生に一度のお願いっす」

「なんでしょう?」

「現実をねじ曲げてオレがセリオスってことにして下さい」

「えーと……すみません。そんな能力はたぶん誰にもないです」

「無理は承知っす! でもそこをなんとか!」


 なりふり構わず土下座して懇願するが、それで道理が覆るわけもない。


「そう言われましても無理なものは無理なんです。どんなに足掻いたところで過去は変えられませんし、自分をやめることもできません」

「人間はやめられるのに!?」

「そういうものです」

「うぅぅ……所業無情・・・・っす……あんまりにも情けない」

「そうですね。何か間違っていそうで間違っていないような不思議な響きですが」


 温かみのある笑顔で同意されて、裏切り者の戦士ゴウはガックリとうなだれた。

 情けない気持ちでいっぱいだったが、一度思い出し始めると、どんどん記憶が甦り、自分が戦士ゴウであるという事実から目を背けることができなくなる。


「オレはなんてアホなんだ……」


 墓地の石畳に頭突きを繰り返しながら呻く。今はかなりの石頭になっているらしく、石が砕けても傷を負うことはないが衝撃だけはそれなりに伝わってくる。


「勇者には友情を感じていて、聖女のやさしさにはいつも癒やされていたのに、なんつう情けないことを……もういっそ、死んで償うしか……」

「すでに死んでいますよ」

「…………」


 言われてようやく思い出した。


「そう言えばオレを殺した人って誰なんすか……?」

「うちのコルテーゼです」

「コル……テージ?」

「コルテーゼですよ」

「コテルーザ?」

「コルテーゼです」

「なんか、覚えにくい名前っすね」

「そうですか?」

「はい……で、その人もここにいるんですか?」

「ええ、城に行けば会えますよ」


 正直会いたくなかったが、アイナが先導するように歩き出したため、ゴウとしてはついていくしかなかった。

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