第2話


吐き出された白い息が、濛々と空気中に漂う。私はそれをぼんやりと眺める。二月の朝は寒い。手袋をしていても、指が悴んでいくのがわかる。

「ねえ、」

指示もなく暇なのか、隣にいる糸遊に名前を呼ばれる。横を向けば、嬉しそうな笑みを返された。

「今日さ、このまま終わらないかな。何もないなら後片付けは簡単でいいし、報告書も軽いし、早く終わるでしょう? そうしたらさ、久しぶりに外に行こうよ」

「いいよ。そういえば、この前言ってたもんね」

「よかった」

「次のおやすみまで待つと三日後の木曜日だし。あ、行ってみたい喫茶店があるんだけど、どうかな?」

「何がおいしいの?」

「パンケー……」

「外出許可、でないよ。きっと」

途中で会話を遮られる。糸遊から目線を外してあたりを見渡せば、野分が少し離れた場所からこちらを見ていた。

「いま、待機中でしょう? お喋りの時間ではないよ」

単調な声なのに、まっすぐと射貫くような野分の視線に威圧される。

「ちゃんと集中して」

私と糸遊は罰の悪い顔を数秒見合わせる。野分はそれ以上は何も言わないで、ふいっとまた視線を前に戻した。


しばらくして、指揮官が標的の座標を告げた。私は手袋を脱ぎ、イヤーマフを耳につける。そうして、氷のように冷たい引き金に指をかける。

空が裂けて、ペルセポネがやって来る。

淡い桃色の光が空を侵食する。あんなに寒かったのに、一気に気温が上昇するような気がする。頬が紅潮するのがわかる。体温の戻った指先に力が入る。

衝撃。

しっかりと、狙いを定めて引き金を引く。ペルセポネが金属を引っ掻いたような、そんな耳障りな悲鳴を発する。それでも構わず私は引き金を引く。

衝撃。悲鳴。

空から溢れ出るペルセポネに、鈍く光る銃弾がのめりこんで、爆ぜる。煌々と眩い光を放って、ペルセポネが死んでいく。ひっきりなしに誰かの弾がペルセポネのいのちを削っていく。その度に、ペルセポネはきれいに、きれいに爆ぜる。

視界の隅に野分の姿が見えた。彼女の細い指も、何度も引き金を引く。みんな、心をどこかに忘れてきたみたいに。ただただ同じ動作を繰り返している。



木曜日は生憎の雨だった。

結局、あの日は通常通りの時間に終わったので外出許可は下りなかった。そのため、予定通りのおやすみである木曜日まで外出は先延ばしになっていた。

錦糸のように細い線を描いて降る雨の中を、私と糸遊はビニール傘を差して歩く。喫茶店は寮から少し離れた通りにあり、着くころにはお互い髪の毛がしっとりと湿っていた。


パンケーキを楽しみにしていたのに、メニューを開いて色とりどりのケーキの写真を見ると心が簡単に揺らいでしまう。けれどもメニューから顔をあげて見れば、それは糸遊も同じようだった。

さんざん迷ったあげく、私は当初の予定通り苺のパンケーキを、糸遊は最後まで林檎のタルトと迷っていたがガトーショコラを頼んだ。

「雨、降るの久しぶりだね」

待っている間やることもなく、ぼんやりと窓の外を眺めていた糸遊が言う。私は、そうだね、と返す。

「今日はおやすみでよかった。雨の中何時間も待機するの、つらいから」

「うん。寒いし、凍える」

晴れていても寒いのに、と付け足す。早く暖かくなればいいとも思わないけれども、指が悴まないくらいには気温が上がってほしい。糸遊がまた窓の方を向く。頬づえをついた手から、湿気でいつもよりもひどい癖毛が零れ落ちる。

五分程して、パンケーキとガトーショコラがそれぞれ上品なお皿に載せられてやってきた。糸遊がうれしそうな顔をする。

「あ、」

「なに?」

「このガトーショコラの粉砂糖、蝶々だよ!」

反対からなので気づかなかったけれども、言われてみれば黒いケーキの表面には粉砂糖で蝶々が描かれていた。食べるのがもったいなくなるね、と言うと、ほんとに、と糸遊は少し困った表情をする。

「もちふわ……!」

ひとくち食べて、思わず感嘆が漏れる。パンケーキはふわふわで、ナイフできるともちもちと絡みついてくる。深紅の苺ジャムに絡めて食べると、微かに甘酸っぱくておいしかった。

「ひとくちあげるよ」

はい、と糸遊がフォークに刺さったガトーショコラを差し出す。私は、ありがとう、と言って食べる。ガトーショコラも思っていたより甘すぎず、控えめな味でおいしいかった。

「はい、パンケーキもおいしいよ」

私もナイフで小さく切ったパンケーキをフォークで刺し、苺ジャムと生クリームをつけて差し出す。糸遊はうれしそうに、大きな口を開けて食べる。

「あ、ほんとだ! もちふわ!」

幸福そうな表情を浮かべて咀嚼する糸遊の口の端に、赤いジャムが少しついていた。私はそっと指を伸ばして、糸遊の口元を拭ってやる。

「ありがとう。何かついてた?」

「うん、ジャムがちょっと」

こどもだね、と言うと、違うよ、と反論される。拗ねたように糸遊が視線をガトーショコラの方に落としたので、私は気づかれないように、親指についたジャムを舐める。糸遊がガトーショコラから顔をあげる。その黒い瞳には、何もなかったかのようにパンケーキの続きを食べる私が映っていた。


他愛もないことを喋りながら食べていると私も糸遊もあっという間に食べ終わった。それでも、手持無沙汰にストローや紙ナプキンを弄りながらお喋りを続ける。その合間に、規則的な時間間隔でウエイターさんがお冷のお代わりを入れてくれる。四度目のお冷のお代わりが来る頃には少し店内が混み始めてきていたので、そろそろ席を立つことにした。



映画館は、平日はレイトショーしかやっていない。モバイル端末の画面で時間を確認すれば、開場までまだ四時間ほど時間があった。どうしようか、と聞くと、糸遊が新しい靴が欲しいと言うので、ショッピングモールの方へと出て靴屋を見て回る。糸遊は気になったものを履いてみては、鏡の前で試しに何歩か歩いてみていた。

「ねえ、これどうかな」

パステルグリーンのラインが入ったスニーカーを履いて鏡を見ていた糸遊がこちらを振り返る。私は、いいと思うよ、と返す。

「うん、靴紐じゃなくて、マジックテープが三つってところがかわいい!」

糸遊が微妙な顔をしたので慌てて具体的な感想も付け足すと、そう! と嬉しそうに返される。

「やっぱりそこだよね! それにマジックテープなら紐もほどけなくて安全だし、履くときに結ばなくていいから楽!」

はしゃぐようにして糸遊が言葉を並べる。糸遊の、こういう突き抜けて明るいところが好きだった。

「でも、今履いている靴と比べてちょっと大きいのかも」

「それならもう一つ小さいサイズのも出してもらう?」

「うん、そうする」

暇そうに棚の掃除をしていた店員さんに声をかけて、もう一つサイズの小さいものを探してきてもらう。暫くして、かわいいロゴの入った茶色の箱を抱えた店員さんが戻ってきた。薄い包装紙の中から、糸遊が履いているものと同じスニーカーが出てくる。糸遊は丁寧に試し履きしていた靴を脱ぐと、箱の中から新しい靴を出して履き替える。最後にとんとん、とつま先を整えて立ち上がり、さっきと同じようにして鏡の前を歩く。

「どう?」

「こっちのほうが丁度いいかな」

「じゃあ、それにするの?」

「うん」

糸遊がまた丁寧に靴を脱いで箱に戻す。自分の靴に履き替え終えたころを見計らって、お会計はあちらですので、と店員さんがレジへと誘導する。

「ここで待ってて」

「わかったよ」

店員さんの背中を追いかけてぱたぱたと糸遊が駆けていく。私はさっきまで糸遊が座っていた椅子に腰を下ろして、パーカーのポケットからモバイル端末を取り出す。インターネットを開いてみれば、正午のペルセポネによる侵攻の速報が検索欄の上に出ていた。



映画館にはあまりひとけがなかった。窓口に座る不愛想なおばさんに声をかけ、チケットを二枚買う。微かに埃っぽい場内に入ると、人が疎らに五人ほど座っているだけだった。暗くてよく見えないが、ぼんやりとした人影は背丈も年齢もばらばらのように感じられる。

「どこに座る?」

「後ろの方がいいよ」

指定席制ではないので、私と糸遊も後ろの方に適当に座る。なんとなく、どちらも無言のまま映画が始まるのを待つ。座ってしばらくすると後ろの方のライトも暗くなり、静かに映画は始まっていった。



・。・.・。*#+*

   ・。・。・。*%*+

           ・。・。・。+#

       宇宙から謎の飛行船の到来まるい灰色の

       飛行物体が、空を覆う金属なのか鉱石な

       のか何でできているのかわからない不気

       味テレビに映る真面目なアナウンサーが

       逃げないで下さい、と言う日常を続けて

       ください、と他局のアナウンサーも言う

       駅前では人がたくさんいて逃げろ、と言

       う偉い人が大丈夫と言うその後ろ見えな

       いところで偉い人の部下たちが大丈夫じ

       ゃない、と頭を抱えるこうげきする?

       敵意があるのかどうか意思疎通ができな

       いので我々にはわからないのにでもわか

       らないから、さ、


「あのさ、」

                 こうげきす、る?

                はんたいはんたい!

                  はなしあって!

                  こういてきに!


「なに」


                さんせいさんせい!

                     ころせ!

              こうげきされるまえに!


「ごめんね、――――」


       はんたい! さんせい! はんたい! 

       さんせい! はんたい! さんせい! 

       はんたい! さんせい! さんせい! 


「…………え、なに。聞こえない」


       はんたい! さんせい! さんせい! 

       さんせい! さんせい! さんせい!

            こうげきしろ! ころせ!



「さよなら」


 

 閃光。悲鳴。黒煙。歓喜。


 閃光。沈黙。


 暗転。

   *#+*・。・.・。

        *%*+・。・。・。

                  +#%・。・。・。



映画が終わり、低いノイズのような音がして後ろの方から徐々に明かりがついていく。

隣の席に、糸遊の姿はない。

座席の下に、履き古した靴が揃えて置いてあるだけだった。私は立ち上がる。屈んで、靴をそのまま鞄に入れる。


外に出ると、幾重にも重なる水滴の向こう、微かに薄桃色の光が見えた。

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