春と少女と終末と
遠野閃
第1話
テレビのニュースで
昨日
あなたが帰ってきたことを知る
知らない遠くの星から
春を連れて
あなたは帰ってきたのだという
カーテンを開ければ
そこにはもう世界はなく
けれども
死の痕跡もなく
置いてけぼりの日常と生活と
ただ無垢な春が満ちている
*
午前七時二十三分と五十九秒。
今日もそれはやって来る。
先生が私の名前を呼ぶ。先生の骨ばった長い指が、半透明に青い空の一点を指す。私は額につけていたゴーグルをおろして、伸びた前髪を払う。また、先生が私の名前を呼ぶ。私は静かに引き金を引く。鈍い衝撃がお腹を伝う。青い空から沁みだすように、標的――――ペルセポネがぼたぼたと節操もなく地面に落ちていく。何を吸い込んだらそんな色になるのか、透き通るようにきれいな淡い桃色をしたペルセポネは、でも、撃たれた瞬間ぼうっと燃えるようにして、途端に汚く赤茶けた色になる。
衝撃。
引き金を引く。いち、に、さん。
衝撃。悲鳴。
引き金を引く。いち、に、さん。と、また一定の間隔を空けて、引き金を引く。引き金を引く。引き金を引く。繰り返し、繰り返し、私の指は慣れた手つきで同じことをする。その度に、染みが拡がっていき、ぎいぎいと耳障りな音を立てて、ペルセポネは、ぼたぼたぼたぼた、惨めに地面に落ちていく。
先生が名前を呼ぶ。もういい、と。先生が言う。私は引き金を引く。先生がまた名前を呼ぶ。私は引き金を引く。先生が何か言う。私は引き金を引く。私は。私は、それでも、私の指は引き金を放さない。撃つのをやめない。
衝撃。
悲鳴。衝撃。悲鳴。
衝撃。悲鳴。衝撃。悲鳴。衝撃。
悲鳴。衝撃。悲鳴。衝撃。悲鳴、悲鳴……………、
叫ぶように名前を呼ばれる。先生の指が私の指を絡めて、熱い金属の塊から無理やりに引き剥がされる。ばたばたと人の気配がして、いくつもの腕が私に向けて無造作に伸びてくる。先生が、もっと丁寧に、と言うのが遠くの方で聞こえる。でも、顔の見えない腕の群れは、力加減もないまま私の身体を組み伏せていく。
「あ…………、」
思わず漏れた声は誰にも届かない。
それでも。
乱雑に拘束されていく中で、ペルセポネが一際きれいに、きれいに光を放って空の割れ目を塞いでいくのを、私は霞んでいく視界の端で見た。
*“*”*
先生の眉間に、いくつもの皺が刻まれている。私のせい、と言えば、先生は不機嫌に、ああ、と言う。
「お願いだから」
先生が右手を伸ばす。私はされるがままで、先生の指は愛おしそうに私の頬をなぞる。
「今日みたいなのはやめてくれ」
乾燥してかさついた指に一瞬力がこもる。私は伏し目がちにしていた視線をあげて、先生の方を見る。まっすぐと、先生の薄く灰色がかった瞳に焦点を合わせる。
「なにを?」
先生の眉間に、また一つ皺が刻まれる。苦労性な先生はいつも知らないうちに眉間の皺が増えるから、実際の歳よりもいくつも上に見えてしまう。本当は、私と六つしか変わりはしないのに。
「ペルセポネに心を開くな、魅了されるな、…………あれは、惹かれてはいけないものなのだから」
「どうして?」
「………………精神を保てなくなる」
さきに先生がついと視線を逸らす。私は露わになった先生の項をぼんやりと眺める。
「あれは、生き物じゃない」
でも、と言おうとしたけれど、とっさに遮られる。
「いや、違うか。あれは僕たちと同じ生き物じゃないんだよ」
先生が顔をあげる。眼鏡の奥の瞳に揺らぎはなく、私は少し怖気づいてしまう。それでも、目を逸らさずに言葉を紡ぎ出す。
「でも、先生。ペルセポネにはいのちがあるの」
瞳が揺れる。先生の瞳に映った私の影も不安定に揺らいでいく。私は途端に悲しい気持ちになって、そんな気持ちを払拭してしまうために言葉を続ける。
「先生、大丈夫だよ。私はちゃんと知らないままだよ。無垢なままだよ」
矢継ぎ早に重ねた言葉が、冷たい床に空虚に反射する。先生の左手がゆっくりと伸びてきて、私の顔を両手で包み込む。そうして、先生のもとに引き寄せられた。
「ねえ、」
先生が哀願するように名前を呼ぶ。その声に、私は痛いくらいに胸が締め付けられる。
「お願いだから、わかって?」
諭すように、そのまま優しく抱きしめられる。それを、私は腕に力をこめて、煙草の匂いのする先生の白衣から身体を離す。
先生が咄嗟に私から顔を逸らそうとする。けれども、先生がそうしたように、私は先生の顔を両手で優しく包み込んで逃がさない。私の手の中で、先生は何かを考えるように長い瞬きをする。
「…………、」
先生がまだ何か言おうとする。けれども、私はそれを最後まで聞かないで、先生の荒れた薄い唇に、やさしく、触れるだけのキスをした。
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