ブラック企業撲滅教で葬式をやった俺が生き返る話

hibana

第1話 手遅れな話

 駅の改札を通って、ぼんやりと電光掲示板を見る。次の電車はちょうど五分後。改札を通る前に、コンビニに寄って何か食い物を買えばよかったと俺は思う。

 今日はいつもより早く帰れたと思ったが、それでも駅構内に人の姿はまばらだった。


 せめて何か飲み物でも買おうかなと思いながら俺は、ホームに降りる階段の前に立っている。思考が行動に追いついていない。

 家には確か、カップ麺と栄養補助食品がある。カップ麵を作ることは途方もなく面倒なことに思えたし、栄養補助食品は冷たくて口にする気にならない。結局何も食べずに寝るかもしれないな、と思いながら俺は階段を降りる一歩を踏み出す。


 瞬間、世界から色がなくなった。


 変だな、と思う。音もよく聴こえない。

 色が消えたので俺は世界の遠近感を見失い、咄嗟に手すりを握ろうとした右手も空ぶった。足を踏み外し、階段が目前へと迫ったときにようやく『ヤバい』と思うことができた。どこかに掴まりたいと視線を彷徨わせたとき、何本かの手が俺を掴もうとしているのが見えた。

 俺はその手を掴まなかった。

 その人たちを巻き添えに落ちていなかったことだけは、本当に良かった。


 次に気づいた時、俺は俺の――――浦田広軌うらたこうきの葬式を遠くから見ていた。


 遺影が大学卒業の時の自分であることに気づいて、俺は思わず苦笑する。

 両親は泣いていて、妹がすわりの悪そうな顔をしていた。


 俺はどうしてまだここにいるのだろう。成仏できていないのか? 俺もまだ三十過ぎたところだし、心残りならいくらかある。それならどうすれば成仏できるのか。


 するとどこかから声が聞こえてきた。


「浦田さん? 浦田さんですかー?」


 まさか俺に声をかけているとは思わずその声を無視していると、肩を叩かれる。俺が飛び上がると、そこには恰幅のいい男性が立っていた。立派な髭を撫でながら「浦田さんですよねー?」と再度言ってくる。俺は戸惑いながら、ゆっくり頷いた。


「俺のことが、見えているんですか……?」


 突然男は両手を広げ、こう言った。

「こちらブラック企業撲滅教です! おめでとうございます、浦田さんを記念すべき一人目の救済すべき魂として歓迎いたします!」

 俺はたじろぎ、そしてうんざりした。


「あの……宗教とかはちょっと」

「死んだのに宗教を忌避してどうするんです」

「いや、変な宗教はちょっと。うち、確か仏教なんで」

「いえいえ、ご両親は我がブラック企業撲滅教に改宗なされましたよ。あなたの葬儀もブラック企業撲滅教流のものになっておりますし、そのために私はあなたを迎えに来たわけですので」


 そんなわけ、と思いながら振り向く。確かに一度も坊さんの姿を見ていないし、あとなんか妙に全員着てる服がカラフルな気がする。「黒い服着ちゃダメなんですよ、うちの教えでね」と男がニコニコした。

「え……つまりなんですか? うちの両親、俺が死んだショックでそんな変な宗教にハマったってことですか?」

「そうですよ」

「うっわ、マジかよ。いたたまれなさすぎる。俺のせいか……」

 男は笑ったまま「それでね、浦田さん」と話を続けた。


「うちの教義でよそと違う、一番大事なものがありましてね」

「まず名前がおかしいと思いますけどね」

「死んだ後なんですよ。死んだ後、うちの教えだと有給休暇の取得が義務付けられています」

「はぁ?」

「あなたがこれまで取得できなかった全有給休暇の取得です。浦田さんの場合、十年で……すごい。一度も有給を使っていないですね。150日です。浦田さんには150日の有給取得が義務付けられます」

「言っている意味がよくわからないんですが」

「それから支給されなかった残業代が……360万円ですね。これも支給いたします。ああ心配しないでください、浦田さんが勤めていた会社の社長からもらっておきます」

「いや、だから……何を言っているかわからなくて」

「ご注意いただきたいのは、支給するお金は有給消化とともに消失します。誰かに遺すということはできません。そのため、なるべく使い切るようにしてください」


 だから、と俺が言おうとすると男は俺の発言を遮った。髭を触りながら「では、余生を楽しんで」と俺の背中を押した。

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