真っ白い棺の中で、私は貴女と夢を見る

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第1話 真っ白い棺の中で、私は貴女と夢を見る.1

 何もないはずの空中で、宝石が踊っている。


 昔、家族と一緒に観た映画の中で目にした光景を思い出すそのきらめきは、風に乗り、帯状の軌跡を残しながら青々とした夏の山を舞い上がっていた。


 当時、10歳そこらだった私たちはその現象を前に、誰もが足を止めて天を仰いだ。


 「おい、なんだよ、あれ」


 私の従兄弟であり、子どもたちの中ではガキ大将的存在だった大西順蔵が指先でそのきらめきを追う。それに呼応するかのように、5、6人いたメンバーがわいわいと騒いだ。


 きらめきの正体が、雪なのか、ビームなのかとか言い合っているうちに、順蔵が、「だったら、追いかけようぜ」とはやし立てた。


 一見して危険なものとは思えなかったからだろう。誰もがその提案に乗った。もしかすると、順蔵に逆らえなかった者もいるのかもしれないが。


 私は最後まで動き出せずにいた。不安だったとか、怖かったとかじゃない。単に、順蔵の後を追いかけるのが嫌だったのだ。


 当時から、私は大西順蔵という人間の傍若無人ぶりを嫌悪していた。


 腕っぷしが強いわけでもなく、頭も良くない彼が偉そうにできているのは、ただ、大西家がこの桑葉村で昔から幅を利かせてきた大家だからに過ぎない。


 私はこの土地も忌々しく思っていた。いや、というよりも、よそ者を嫌い、習わしなんかを大事にして、本質を見ようともしない村人たちのことが憎かった。


 あんなことさえ起きなければ、こんな場所で暮らす必要もなかったのに。


 あれから今に至るまで、呪いのように繰り返して考えてきたことは、やはり、現実の前では無力だった。実際、その日も私は順蔵の苛立たしげな言葉に逆らえなかった。蹴られたり、突き飛ばされたりするのはもう嫌だったからだ。


 「おい、時雨!なにノロノロしてんだ。ばかっ!」


 順蔵に罵られながら、私――大西時雨はみんなの後を追った。きらめきの正体は気にならないでもなかったが、順蔵と一緒というのが嫌で気乗りしなかった。


 きらめきを追い、山の斜面を駆け上がる一同。すぐに足元の悪い桑林に入った。


 桑葉村は大きな山の中腹に位置する町だった。住人は決して多くはないが、山を超えた麓に国内でも有数の温泉地があるため、大通りの交通量は少なくない。


 「なんだろうな、あれ!」


 「分かんないけど…新発見なんじゃない!?」


 「だったら、俺の名前をつけてやるぞ!」


 始めは珍しい現象に心奪われて、子どもたちは大声を上げていた。だが、白くきらめく帯状の軌跡が、徐々に森の深奥に流れ込むのを追いかけているうちに、風向きが変わる。


 「ねぇ、あっちは…」


 子どもたちの一人が不安げに呟いて足を止めたため、一同、足並みが緩やかになった。


 「おい、行かねぇのかよ」


 順蔵が責めるように言えば、足を止めた者とは別の者が気まずそうにこう告げる。


 「じゅ、順蔵君。あっちはよくないよ。桑葉神社だもん」


 桑葉神社――大人たちが立ち入りを禁止している神社だった。理由はよく分からない。入ってはいけない理由について大人たちは、それぞれ思いつきで言っているみたいに別々のものを口にしたからだ。


 周辺をぐるりと覆う桑の林に消毒液がたくさんついていて体に悪いとか。


 野蚕がいて、それを体につけて帰って来るかもしれないからとか。


 桑葉神社には恐ろしい守り神がいて、その神様を怒らせてしまうから…とか。


 中には矛盾し合う話もあって、どれもこれも嘘ばかりなのは大きくなれば分かった。でも、幼い当時はやはり空恐ろしいもので、私も含めて、桑葉神社は足を踏み入れたくない場所であった。


 だが、順蔵は違った。怖がっていると思われることのほうを心配していた。


 順蔵はほとんど無理やり仲間たちを白いきらめきの帯の先へと連れて行こうとした。しかし、そのうちみんなして、「気持ちが悪くなってきた」、「お腹が痛い」なんて言い出したため、結果として順蔵に逆らう形になった。


 「ビビリどもめ!」


 口汚く罵った順蔵は、自分もなんだかんだ恐ろしかったのか、イエスもノーもはっきりしない私を伴って桑葉神社の敷地内に足を踏み入れた。


 桑葉神社は形容し難い空気で満ちていた。


 生い茂る桑の葉で屋根のほとんどを覆われた社、蛇のようにうねり、絡まり合って境内を犯す蔦。酸化した血液のように赤黒く錆びた鳥居。


 荘厳さか、あるいは不穏さで、重く苦しい雰囲気が桑葉神社一帯に広がっていた。


 「おい、見ろよ」


 順蔵が指差す先を見上げる。そこには、桑の葉に覆われた社の屋根に留まる、白いきらめきの帯があった。


 雪の粒が光を反射して瞬いているようなその光景は、私のブリキみたいな心さえ揺さぶったのだから、順蔵が興奮したのは無理もなかった。


 「あのビビりどもじゃ、こんな近くで見られなかったぜ。おい、もっと寄って見ようぜ…」


 だが、次の瞬間には、順蔵は境内の灯篭に足をつまずかせて倒れていた。


 「順蔵君?」


 私は彼の名前を呼びながら、倒れた体に近寄った。


 「うぅ…」


 ただ転倒しただけと思ったが、どうやら違うらしかった。順蔵の顔は酷く青冷めていて、今にも気を失いそうだったし、口の端からは涎が垂れていた。


 「どうしたの、順蔵君」


 体を揺さぶっても反応がない。目は虚ろで焦点が定まっていなかったが、ぼんやりと社の上を仰ぎ見ているのは分かった。


 吸い寄せられるように視線を上へと向ける。


 そのとき、私は見た気がするのだ。


 白く、大きな翅を持った巨大な生き物の姿を。


 淡雪のように白く、繊細な体毛に覆われたその生き物は、ふさふさした体毛やら純白の触覚やら、真っ黒の複眼やらを持っていたことから考えるに、きっと、蛾か何かの昆虫の類だったのだろう。


 先ほどから、『だろう』とか、『気がする』とか言っているのには理由がある。私は、その巨大な白い蛾を目の当たりにした直後の記憶がまるっとそのまま抜け落ちているのだ。


 体調不良を訴えて桑葉神社に足を踏み入れなかったメンバーが、どれだけ待っても戻らない私たちを心配し、大人を呼んで来てくれたおかげで大事には至らなかった。


 だが、その後、不思議なことに白いきらめきの帯を追った子どもたち全員が体調を崩すことになった。


 桑葉神社までついてこなかった子どもたちは、数日間、嘔吐や下痢といった症状に苦しめられたが、彼らはまだマシなほうだ。その日の深夜に目を冷ました順蔵なんかは、二週間近く、酷い嘔吐下痢に悩まされ、体格が棒きれみたいになってしまうほどの災難に見舞われた。叔父や叔母は、順蔵が本当に死ぬのではないかと苦心したものだった。


 一方、私だけ何故かみんなとは違う症状に悩まされることとなった。


 意識が混濁するほどの高熱、夢現も定かではない中で見る幻覚、幻聴。


 ずっと、誰かが私に語りかけていた。


 ずっと、誰かの影が私を覗き込んでいた。


 視界の隅で一日中ちらつき続ける白いきらめきが見えなくなったのは、実に一ヶ月以上経ってのことであった。



 


 珍しく、事故の夢以外のものを見ていた気がする。


 むくりと身を起こした私は、必死に夢のことを思い出そうとしていたが…それは叶わず、霧の向こうに消えた。


 いつも見る夢の中では、私は、父が運転する車の後部座席に乗っている。正面の運転席に父が、助手席に母がいて、その日の天気の話をしていた。克明に思い出せる内容だが、それに意味なんてない。どうせ数十秒後には、車は反対車線からはみ出してきた対向車を避けるために急ハンドルを切り、山の斜面を滑落してしまうのだから。


 父も母も即死だった。ぼんやりとした視界の中で、パンパンに膨れ上がったエアバッグが餅みたいだったことを覚えている。


 ボンネットから迫ってくる火の手から逃れるべく、私は現実感なく四肢を動かし、車のドアを開けて、車外に出る。それから二人を助けなければ、と考えている間に髪の毛や肉の焼ける臭いがして、灼炎に目を閉じたところでこの夢も覚めるのだ。


 (…ずっと、同じドラマを観ているような気分…)


 額に浮いた寝汗の粒を手の甲で拭った私は、一つため息を漏らしてから敷布団を片付けた。


 元々は納戸だったらしい、四畳半の長方形の部屋が私の居場所だった。


 長辺の部分がやたらと長いせいで、まるで棺桶みたいな形をしている部屋だったが、文句はなかった。あの面倒な親戚たちと顔を合わせずに済むというなら、それ以上は望まない。


 直に16歳となる私の髪や背丈は、桑葉神社の一件があった時期と比べて、それはもう本当に大きく伸びていた。


 身を起こし、ぴかぴかに磨き上げたガラスを鏡にして髪を整え始める。


 (今日は桑林の枯れ葉集めがあるから…学校は間に合わないだろうな)


 叔母と叔父から命じられたその日の予定を反芻する。別に学校に行きたいわけではなかったが、桑林の枯れ葉集めは終わりがなかなか見えない、辛い作業だったせいか、ガラスに映った私の眉間には皺が刻まれている。


 こうして半透明の私を観ていると、そのうち本当に消えてしまえばいいのにと詮無いことを考え始めてしまう。そんな都合の良い終わり、来るはずもないというのに。


 私はまた一つため息を吐くと、諦めて自分の部屋を出た。家の隅にある納戸だというのに、早々に順蔵と出くわしたのは不運としか言いようがないだろう。


 「…うっす」


 順蔵は今年で高校を卒業し、麓の専門学校に通い始めている。ぐんぐん伸びた背丈とは違い、成績や筋肉量は伸びず、ひょろひょろになってしまっている。まあ、傲慢さは輪をかけて悪化したが。


 私はぺこりと頭だけ下げて、彼の前を通り過ぎた。順蔵に頭を下げるのは嫌だったが、機嫌を損ねるのはもっと嫌だ。


 順蔵はそんな私に向かって、「ちっ」と舌打ちをしてみせた後、じっとその場に立っていた。


 彼が何をしているのか分かっていた。私を凝視しているのだ。もっと言うと、私という女の体を舐めるように…。


 不愉快さから眉をひそめ、叔母と叔父に挨拶してから道具を持って外に出た。二人とも返事をせず興味なさそうにテレビを観ていたが、内心、私の存在を意識から追い出そうとしているのは分かっていた。


 私は邪魔者だ。


 横柄だと家族を罵り、仲違いをして家を出て行った私の父を恨む叔父からすれば、この顔は見たくもないだろう。叔母からしても、可愛がっている一人息子よりも頭の出来がいい私は目障りらしかった。


 桑葉村を囲む山々から吹き込む風が、じゅくじゅくと膿んだこの心をぼかしてくれることを願いつつ、桑林へと向かう。


 小川を流れる水の音、耳のそばを通り過ぎていくミツバチの羽音、春を謳う花々の甘い香り、桜の花びらが陰影をくるくる入れ替えながら舞うその姿…。それらに集中しているうちに少し気が晴れた。


 桑林は学校とは反対方向だ。前はこんな時間に子どもが何を…と声をかけられることもあったが、今では大西の異分子である私をみんな見なかったふりする。


 近道するために斜面を登る。桑林から風に流されてやって来た桑葉の絨毯を歩いているうちに、ふと、昔のことを思い出した。


 小学生の頃…たしか五年くらい前に、私は順蔵たちと一緒に不思議な光景を追いかけて、桑葉神社に足を踏み入れたことがある。


 いや、不思議な光景、なんて言うと少し大げさだ。朝霧か夕霧か何かで普段とは違って見えた田舎の風景にはしゃぎ回っただけだと思う。記憶はその後の高熱のせいかおぼろげだった。


 (あの後は、本当に大変だった…。みんな、霧で体が濡れていたせいか、揃って風邪引いてしまって…特に私と順蔵君が酷かったんだ)


 私が曖昧な記憶を掘り返していた、まさにそのときだった。


 きらきらと輝く光の帯のようなものが、桑の木の間を通り抜けていった。


 「え…なに、今の」


 光の帯は、そのまま桑葉神社のほうへと流れていく。


 見たことのない現象。どうするべきか、大人に声をかける?


 いや、ダメだ。そんなことしても大西の厄介者である私に付き合う者なんていないし、そもそも、そんなことをしなければいけない理由もない。


 へぇ、っていう顔をして、枯葉拾いを始めればいいだけ。


 それだけなのに…私は背中を突き飛ばされたみたいに光の帯を追った。


 降り積った桑の枯葉が乾いた音を立てて粉々になっていくことなんて気にも留めず、ただ走る。


 いつか、同じものを追いかけた気がする。


 だから、追いかけている?


 違う。


 どちらかというと、呼ばれていた気がするからだ。


 誰に?


 分からない。でも、そうとしか説明できないくらい曇りなく、私は光の帯の後を追いかけた。


 帯は、桑葉神社の境内に流れ込んでいった。ほとんど誰も足を踏み入れないから、すっかり老朽化した社やら、鳥居やらが目立つ。灯篭も苔生していて、まるで遥か昔の時代にタイムスリップしたみたいだった。


 光の帯は、きらきらと尾を引いて社の側面――今、私が立っている場所の反対側へと消えた。


 歩調を緩めて社の側面にまわる。運動量以上に心臓が早鐘を打っていたが、角を越えた直後、より強烈に私の心臓は拍動した。


 縁側に腰かけ、だらりと両足を揃えて垂らす着物の女性。


 真っ白い布地には銀箔が散りばめられていて、女性の端正で艶やかな横顔に相応しかったのだが、それ以上に目を引くのは、さらさらと流れる白髪頭の上にピンと立った二つの角のようなものだった。


 いや、角じゃない。


 それが何なのかは、彼女がこちらを振り返ったことでハッキリと分かった。


 角のように見えたものの正体は、簪みたいに枝分かれした触角であった。


 「あら、おはよう。お嬢さん」


 女性が可憐に微笑んだ。


 ほとんどが黒く染まり、中心にぽつんと満月が浮かんだような瞳を眩しそうに細めて。

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2026年1月20日 20:00
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