蒼穹カルテージ
汐田ますみ
蒼い空
其の日は咽返る様な蒼い空だった。
窓席を維持して早3年。陽気な温風が窓席の保持者、"蒼槍もずく"を夢心地へ誘う。黒板に書かれた自習の2文字が教室を温和な人声で満たし、3月の空気を取り込む。
「よーっす!もずく!起きてっかー」
「今起こされた……」
「もずくー!どこ高行くんだっけかー」
「
「俺も俺も。何だよ一緒ならそう言えって。今度こそ毎日来るだろ」
「細胞次第だ」
青みがかった黒髪を揺らしたのは窓辺の風に非ず。正面から覗き込むように現れた友人の爽やかな気風だ。生まれ付いての茶髪が似合う彼は程良くモテ、運動も勉強もそこそこ出来、まっこと羨ましい限り。
「ところで、卒業前にクラスの奴等とどっか行こうと思うんだけどお前も来るか?」
「何時だよ」
「帰りから」
「行動力お化けか」
「気が向いてる内に決めようぜ行動!で、どうする?」
「俺は……そうだなぁ」
もずくとは近所関係で、昔から話し掛けるのが好きなようだ。友人の距離感に心地良さを抱くもずくは上体を起こし背伸びすると、彼の問い掛けに真面目に答えるのだった。
―――――― ―――
ある中学校から見える景色は爽快であるのに、全力疾走する"彼女"の周りは濃霧が走り、世界から彼女だけを切り離していく。
「はぁ、ハァ……、大丈夫だって、効いてるから。痛かろう痛かろう」
都市開発を逃れた森峠から公道へ抜け出した彼女は泥だらけの顔を巨木に向ける。否。巨木を板チョコのようにパッキリへし折る"怪物"に向けていた。血だらけの右腕を抑える左腕すら血だらけで、怪物に血肉を貪られたのは言うまでもない状況下だが、彼女はフッと優しく微笑む。
「痛いの痛いの飛んでいけ」
愛ある言葉を掛け、上空に幾つもの刃物を揃える。怪物を囲うように放たれた刃は雲を切り濃霧を斬り、怪物に迫った―――。
――― ――――――
峠を飛び降り、一層傷を増す彼女は薄れゆく意識の中で何処か地上を歩く。
「くそったれのバケモンが、…!」
(マズイ マズイ マズイ!!血が止まらない!薬も切れた、薬師に連絡、もダメだ、"カブレ"が尋常じゃない……!!)
自身の呼吸が自身を苦しめる。真っ赤に染まった指の隙間から始まり、見え隠れする素肌がジワリ変色する。毒物でも飲み込んだような濃紫は痣となり彼女の細胞を踏破していく。
「それに、取り逃がしたとバレたらどんな小言を言われるか……ヤツを、仕留めなくては……。ん?」
一歩踏み出す度、脳機能の停止が近付く。空の薬瓶を力なく握る彼女が、不意に見せたのは純粋なまでの驚愕の顔。眼前よりダラダラと歩く男に"濃紫"を視た。
眼前の男、蒼槍もずくは止まらない。異常事態を絵に描いた彼女の姿を、まるで認知していないかのような仕草で数分前の教室を思い起こす。
『用事なら仕方無い。また次も誘うぜ』
「おう。用事だ。悪いな。良い奴なのにな」
行動力オバケの友人の誘いを断って、帰路を目指すもずくが右腕に巻かれた包帯を触る。労るように、恨むように肘まで袖を捲くり溜息を付く。
(今のは確かに霧が掛かって……面白い男だ。少年、協力してもらうぞ)
泥と血を雑に拭う彼女は、もずくを視た。彼の右腕を覆う濃紫霧を確かに視て、ニヒルに笑みを作る。
「悪寒っ!?…………あれ、誰も居ない?」
瞬間的に感知した悪寒がもずくを振り向かせた。然し狭い交通路には誰一人として彼を見てはいなかった。泥も血も、人も何もかも彼には視えていなかった。
―――
感じた違和感を放っておくから酷くなる。
「ただいま、って誰も居ないか」
傾陽射し込む一軒家に乾いた声が響く。閑散とした住宅街に一足分の足跡が忍び潜むも、もずくは普段と変わりなく自室に直行する。温かな西陽も、自分の周辺だけ冷えた空気を寄越して知らんぷりする。
「いつつ……、今日はやけに痒、痛い。……あぁ、血が出てたんか……道理で痒痛い訳だ」
右腕の包帯を少しばかり、苦痛に歪めた顔で解く。曝された皮膚は、小指の付け根から肘まで爛れた様な青紫色の疵が、酷い有様だった。3月の空気に当てられ乾燥した皮膚は皮脂を失くし、血が滲んでおり実に痒痛い。
「今日は調子良いと思ったんだけどなぁ」
丁寧に血を拭い、出しっぱなしの軟膏を塗りたくる。処方薬を使い切るのは何度目だろう。無論、保湿も忘れてはならない。特に乾燥場は戦場だ。左足、左肩と同様の疵痕を慣れた手付きで処置し、右腕に負担が掛からぬ程度に伸びをする。良くなれ、治れと願っていた過去もあった。
「……」
小腹が空いたもずくは冷蔵庫の中身を漁りに自室を閉めたのだが、窓辺に影あり。先程の彼女も時を同じくして応急処置し、もずくを視ていた。彼の未だ、視える濃紫の霧を切なく、けれども大胆に視ていた。
そうして確信めいた表情で笑うのだからこの先が怖い。茜色に染まる空が、彼女の気配を曖昧に消していく。
「…………?」
夜。深夜、真夜中だ。金縛りとまでは行かずとも何やら重々しい重量感を感じたもずくは真夜中、目を開けた。薄っすらと感じる気配は石のように動かず腹の上。
(…………は?)
「ふんふんふーん」
月明かりが腹の上に輪郭を作る。肉肉しい太腿に挟まれた自分の体、右腕の包帯を解き謎の液体を塗布し、満足げな女性が其処には居た。
「悪くなーれ悪くなーれ」
耳を疑う。慈愛に満ちた声音で祈るものだから逆に力が抜けて、瞼を閉じるのだった。
(何だサキュバスか。……俺を自由にしてくれ)
其の日は気持ちの良い夢を見れた、気がした。
――――――
―――
「いや有り得ないだろ!!!!」
翌日。朝焼けの空に素っ頓狂な声が響く。烏が驚いて唾を吐いた。いや、そんな事より寝覚めが良いのか悪いのか、意味不明な状況を越えたもずくは昨晩のサキュバスにツッコミを入れるのだが、悲しいかな。烏が唾を吐くだけだ。
折角の休日。二度寝を決めたいが頭が冴えてしまっては仕方無い。霧濃い四角い窓とは大違いの冴えた脳内に蘇る屈辱の台詞。微妙に腹立たしいサキュバスを脳内から追い出し扉を開け、
目を見張る。
「……は?な、…なんか、霧が濃い」
戸締まりはしたはずだが、朝はやけに霧が濃い。室内を埋め尽くしてしまう程の霧が異常を告げる。
(ーーーっ火事!?)
ガス漏れかと血相を変えて廊下を走り出したもずくだが、キッチンも風呂場も何処も彼処も異常は見受けられず得体の知れない霧煙ばかりが色濃く彼を不気味に思わせる。
「何なんだ昨日から……、っまさか隣が!」
なけなしの思考を振り回し行き着いた結論が、もずくを外へと飛び立たせる。救急車の赤白サイレンも近隣住民の喧騒も聞こえないが今は確かめる他無いだろう。
「うわっ、何なんだこの霧!……つーか火事なんか起こってねぇじゃん……本当に何なん、……痒痛、……!」
―――刹那。けたたましい轟音が蒼槍家を破壊した。
「ハァ、はぁっーー!?!」
否。轟音が破壊したのでは無い。破壊音が轟音だっただけだ。然し、振り向くのが遅かったもずくにとっては轟音が破壊したと表現した方が正しいのかも知れない。
兎にも角にも、絶句。叫声の後は流石に顎が疲れる。などと、無にも等しい思考回路を回した彼は諦め切れない様子で蒼槍家に近寄る。あぁ、制服が宙を舞ってる。
「何か、―――居」
霧は収まるどころか益々濃くなるばかり。腑抜けた阿呆面が、表札を拾い上げた途端にガサゴソと不快な音が聴覚を誂う。虫でも寄って来たかと覗いた双眸は"ソレ"と目を合わせていた。
(……、虫じゃない、なん、何だコレ)
「……、悪魔」
《ドッッッッグ》
「犬?」
《ドッッッッッッッ》
「気に、障っ……りました?」
1LDKはありそうなサイズ感の黒物体が此方を向いた。充血した眼に、顔と胴体と手足が引っ付いただけの黒物体は生物だ。裂けた口蓋に詰まったコンクリート、今し方ガジャリと噛み砕いた赤い牙は数秒後、己を喰らうのだろう。
急転直下な展開に、ヘタレたもずくは動けない。動け、動けない、動け、動けない、動け、動け、動け!
動けない。
「―――っ!」
「〈滞空刃〉!!……………………無事か少年」
突き飛ばされたと理解した時には既に、一連が流れた。視線が空を向いた。然し視界は"彼女"を視ていた。狼狽える視覚が数秒前を再生したのは恐らく、パニックを治める為だ。
突如、女性の叫び声と共に空中に出現した無数の刃が半壊した屋根ごと化け物を突き刺し黙らせた。そして同時刻、化け物の攻撃から自分を守る為に突き飛ばし、何故か馬乗りしている。
「サキュバス」
「誰がサキュバスだ!?」
戸惑う記憶が導き出したのは昨晩のテンション。茜色の髪に若干白曇りする瞳、夜に溶けた傷痕。よくよく見れば傷だらけではないか。
「お礼くらい言ってみせろ」
「昨日の夜中、何してたんだよ」
「!それは、だな…………」
驚天動地な世界線にひっくり返ったサンダルが頭を小突いて、もずくは口を開いた。此処で正気を失ったら底無し沼の様に何処までも気が触れる事間違いない。
肉肉しい太腿が腰を締める度、いじらしく目を泳がせた彼女は何度目かの瞬きの後、体を強張らせた。
「っその話はまた今度だ!今は奴を討たねば命など失せるぞ」
「はぁ?たった今倒して……」
「っ避けろ」
「うっーー?!」
いやに慌てた様子で濃霧に刃先を合わせる彼女に上体を起こしたばかりのもずくは軽く呼吸するが、直後に地が振れる。震撼する大地は恐れているのだ。黒生物が己に牙を突き立てる瞬間を。そう、倒されてなどいない。
吐く、風の流れがもずくの体を擦り抜けたが最後、再び轟音が響いた。
「い、てて……俺、生きて?」
「……嗚呼。生きてるぞ。良い具合に熟成されているがな」
「!」
(頭から血が流れてらぁ……道理で視界が赤いワケ)
瞬間的に失っていた意識を取り戻し、朦朧とする頭で辺りを見渡す。霧濃いままに黒生物は殺意を向けていた。淀む視界の左側は赤に染まり、右側は茜に染まっていた。どうやら彼女に庇われたらしい。苦虫を噛み潰したような表情は、彼女の限界を暗に告げておりもずくの心境に黒陰が差す。
「生きろ。一旦退くぞ」
「逃げ伸びる保証は?」
「口の減らん男だ。この先に結界を構えた。其処まで捕まらなきゃ命が伸びるな」
手を引かれた。意外と力強い腕力に立たされたもずくは共に走り出す。
「おって、追って来てんぞ!?」
「生きたきゃ走れ!!」
無論、黒生物は獲物を逃さない。
「〈滞空刃〉!」
「結界とやらに付いたら、ちゃんと説明してくれんだろうな」
「結界が破られぬ限りは何でも答えるぞ。あっ見えてきたぞ!雪崩込め!!」
視界を塞ぐ血みどろを雑に拭って、首を傾ける。上空には滞空刃と呼ぶ刃物が浮かんでは黒生物に錨を
黒生物の腕らしき装甲が空を向いたその時、正面に構える結界が二人分の戸を開け放った。
《ドドドドッッッグ》
「「!」」
「そりゃあ」
「只では息が上がらんか」
間一髪、黒生物の大振りは結界に弾かれ戸は再び閉ざされた。奴に知能らしき様が無くて本当に良かったと安堵したのも束の間に、怒涛の打撃が結界を震えさす。
本能のままに連打する黒生物に畏怖の念を抱くもずくだが、結界に逃げ込んだ五秒後、結界外に置いてきた滞空刃が今度こそ黒生物を捕らえ、一時身動きを制限する。
「これで、少しは保つだろう……っ」
「教えてくれるんだろうな、全部」
「本来は一般人においそれと教えるものではないし、緘口令に背く事にもなる。だが、私はそれ以前に君に不都合を強いた。話すよ。話せるだけの事実を」
何の変哲も無い寂れた公園で、荒息が白く霧を作る。結界に閉じ籠もったからといって濃霧は収まるものでもないらしく、相変わらずだだっ広い空間を漂っていた。
仄かに乱れた吐息を、呑み込んで茜色の彼女はポツリポツリ正体を落としていく。
「私の名は"
彼女の名は
此度の被瘡は茜刃の想定を大きく超え、酷く肥大化し遅れを取った。被瘡の好物は人間の皮膚、更に大好物は皮膚の"カブレ"。消えた被瘡を捕らえるべく、もずくのカブレに目を付けたと続けて語る口調は、最も弱々しい声量であった。
「つまり、俺は……アイツをおびき寄せる為の撒き餌にされたってことか!?」
「君の右腕には霧が罹っていた。一般人には視えないカブレた証。遅かれ早かれ、君は被瘡に襲われていた。ならばいっそのこと、と……悪いとは思ってる。君を守れるだけの技量もなく巻き込んでしまった」
「組織の人間に助けを求めたら良いだろ」
「通信機を潰された。応援を待つ間に一般人の領地に被害が出たら面目も無い」
「最低な女だな」
「……言い返す言葉もないが此処らで口論してる場合じゃないぞ」
《!!ドックドッグ!!》
「!口論の原因側が言うなッ」
掻い摘んだ説明は理解こそすれど納得出来るものではなかった。自分は見ず知らずの組織の、無関係なタイミングで利用されたのだと判明し、思わず茜刃に食ってかかった。
正当な主張だ。右腕の痒みを誤魔化すように握り締めた拳が、降ってかかる被瘡の咆哮に怯えて曖昧に解かれる。
(結界、が、破られる……)
「うわっ、結界が破られた!!」
「此処は私が止め……っ」
「お前、傷口が開いて!?」
「自分で撒いた種だ。蒼槍もずく、君だけでも逃げたまえ。…。君を逃がす程度訳無い」
「あぁもう分かったよっ」
遂に結界破れたり。硝子散るように散乱とした光は濃霧に消え、被瘡が大好物にありつこうと舌を巻く。茜刃の所為で狙われるもずくはゴクリと唾を飲込むが、彼の前に立ったのは血を吐いた茜刃だった。
責任や罪悪を感じているのか、フラフラな足取りで蒼白い血相でもずくを庇った。彼女では勝てない、だが、己に対抗策は無い。戦力外のもずくが踵を返す。
《ドドドックーーーー》
「滞空、……ごばっ?!」
(しまっ、……ーーっ)
視界が反転した。淀む視界で目にしたのは腹から血を流す自分の姿だった。焦点の合わぬ両目が腹の穴に刺さる被瘡の肉体の一部を見付けた。迫る被瘡の口蓋に、目を閉じた。
「いいいぃってぇーーっ!!!」
「!?」
筈だった。ガンと見開いた茜色の視界に映る蒼色。倒れた茜刃は彼の背中を見ていた。
「蒼槍もずく、私を助けた、のか?」
「悪いかよ!?良いだろっ!死にかけの面がムカついただけだ!!へへっ後でたっぷり治療代請求してやっから、生き延びろ!」
「!」
蒼槍もずくが其処に立っていた。一度は去る選択をした彼だったが、猛烈に沸き上がる苛立ち、と言う名の情緒が彼を突き立てた。
咄嗟に伸ばした右腕がぐしゃりと音を立てた。衝撃で飛び散る血飛沫が運悪く左の眼球に付着し視界が狭まったが格好は付いたようで。
「その怪我で生き延びられるのか」
「どっちもどっちだろっおりゃあ!りゃあ!うわっちょ、ちょちょ……急に動くなっ!」
既に痛みは無かった。鈍った痛覚を悪用し右腕を噛ませ続けるもずくは左拳で被瘡を殴ってみるが、見た目に反して硬い装甲が逆にもずくを傷めつける。ならばと砂煙を上げるが、涎を垂らした被瘡が距離を取った事で足蹴は空振りに終わった。
さほど褒められた運動神経ではない彼が精一杯、蹈鞴を踏みバランスを整える。そんな実直な攻撃を繰り返すもずくを見つめていた茜刃は次第に、ある一点を凝視していく。
「右腕は……、死んだな。利き手なのにな」
(?……違う濃霧が蒼槍の右腕から発生してる……まさか、被瘡化しかけて……!?)
「…。き、は」
(だとすれば不味い。もって数分の命か)
「おい!武器はねぇのかって訊いてるだろ」
「!あ、あぁ……使えるものは刃しか……」
「十分!くれ!武器がないと怖いんだよ!」
「……」
(一か八か賭けてみよう……)
感覚ごと潰された右腕を伝って侵蝕するカブレは上顎にまで到達していた。一般人の視界に映らないが故に気付きようも無い変質が茜刃の心拍数を上げる。全身にカブレが広がれば被瘡化したも同然。それでなくともカブレは人体に悪影響を及ぼす。
互いに後が無い傷具合、茜刃は一つの決断を下した。其れは、蒼槍もずくを治癒するものでは無かった。
「なに、して……ッ!」
「〈繃帯法・
「っ、なんだこれ」
「赫血は、自らの血で自らを保護する我が組織の能力の一端……おまけに一時的ではあるが身体機能を向上させてくれる効果もある、君にならば可能だと思った」
「感覚まで戻ってやがる」
「さぁ二人で、決着を付けようではないか」
仕込み刃を手渡す直前、錆び付いた切先に赤赤と血が流れる。茜刃がもずくの右腕を切り裂いたのだ。これには流石のもずくでも混乱を飛び越して怒り心頭露わにするが、とある変化に嚇怒を落ち着かせた。
切り裂いた右腕がまるで包帯にでも巻かれた様に白布に覆われた。"繃帯法・
体温の上昇と共に感じる確かな力に、自然と不安は消え去っていた。
「私が隙を作る。合図を送り次第、刃を叩け」
「嗚呼!!」
意味のない応急処置を終えた茜刃が飛び出す。被瘡の狙いは蒼槍だが滞空刃に残る彼の血が被瘡の本能を刺激し、茜刃に攻撃を加えた。
なまじ肥大であるが故の"離れた位置からの大振り"は見切った。砂煙と濃霧の揺らぎに身を沈め、一気に黒腕を駆け上り眼球に切り傷を入れる。
茜刃を仕留めようと伸ばした左手が目元に到達する頃には茜刃は地面に降り立ち、被瘡は自ら傷を増やした。一連の流れは実戦経験が積んだ者の到達地。上手く隙を突けるだろうかと、思案するもずくに反して思考は分裂する。
(待てよ。……この力、すげぇよな……何で自分で使わねぇんだ)
《ドドッググーーー!!》
「!」
「ゔーっアァ!?」
「茜刃!」
「なに、してる……隙が生まれてるぞ」
「ったく、死にかけの分際で!」
(決める―――)
クラウチングスタートのように深く身を沈める茜刃は動かない。正確には動けない、だ。赫血を頑なに使わない彼女に魔の手が迫る。、迫り切った。
風のように吹き飛ばされた身体が地面と衝突し、更なる被害を生む。咄嗟の心配は返って茜刃を苛立たせたらしい。何時の間にか地面から生えた鎖が被瘡を封じた。
赫血と同じだ。出し惜しみするには理由がある。少なくとも短い出会いでもずくが茜刃に感じた性格では、此のタイミングでしか発動出来なかったのだろう。
何はともあれ。隙が生まれた。
「うぉおおおーーーー!!!!!」
《ドッッッーーーーー!!!!!》
一撃必殺の刺突。先程の茜刃を模倣して被瘡の黒腕を駆け上ったもずくは直前でバランスを崩すも、勢いだけで威勢良く刃を突き刺した。
喉頭が悲鳴を上げるほどに叫ぶ。被瘡の目玉が苦し紛れギョロロ蠢き、濃紫の液体が溢れる。生物特有の血液がソレなのだろう。目玉に亀裂が走ったが最後、被瘡の大黒が切り裂かれた。
「―――倒した」
「―――!?」
被瘡の破滅と同時に濃霧は晴れ、足場を失ったもすぐを不格好に上を向いた。上空、約100km、彼方まで覆う蒼い蒼い空が其処には存在した。
雲さえ突き抜けた蒼空は、時と共に散乱し現刻の茜色に留まる。
濃霧が散る僅かな雲間に、茜刃の瞳は二度瞬いた。一度目は蒼槍もすぐの変化を視認した時。赫血の隙間から溢れた濃霧が、もすぐの右半身を黒紫に染めた時。二度目は其れらの変化が抹消された時。
本人は気付きもせず、地面に落ちて砂場の砂を吐き出していた。
「死ぬかと、思ったぁあー!もう駄目だ動けん」
「蒼槍もすぐ。……礼がしたい、手を取ってくれないか」
「治療代くれんのか」
「嗚呼。とびっきり腕の良い医者を紹介しよう」
濃紫の液体に砂利に、傷に、カブレに、一戦を終えたもすぐは既に失神しても可笑しくないほど弱っていたが、茜刃の一言に身体を痛めながら起き上がって、彼女を手を取った。
のが、運のツキだったと後にして思う。
「済まない」
「はっ!?うわっ!?なに!?」
血溜まりに伏せる姿に同情したのが、馬鹿だった。労いの握手にしては力が強いなどと疑問に思っていたら肉体が沈んでいる事に気付く。被瘡も大概だが、唐突な底無し沼現象にはギョッと慄くも時既に遅し。
逃げる手に一層握力が増して、遂に赤沼に呑み込まれた。
―――――― ――――――
―――
目を覚ましたと表現して良いものか、兎にも角にも視覚情報が開けた事で、ようやっと意識の主導権を奪い返した。
「ここは……」
「此処は……」
白い空間が広がっていた。青も、緑も、黒も在るのに白ばかりが目立ち、もすぐの視覚を錯覚させる。
「"カブレたヒーラー共の療地だ"」
蒼槍もすぐのカブレた日常が、蓋を開ける―――かも知れない。
――――――
―――
――――――
―――
蒼穹カルテージ 汐田ますみ @hosiutusi
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