そのハッピーエンドは、私の嘘でできている。〜嘘つきな私を、眩しすぎるヒーローが「現実」へと連れ出すまで〜
佐久間みん
第1話 再会と提案
――放課後、人もまばらとなった図書室の一角。
自主学習用スペースとなっているテーブルの1つに教科書や参考書。
隣り合って座る男女。
さらさらとノートにペンをはしらせるわけでもなく、参考書を読みながら重要事項にマークを入れるでもなく、ただ隣り合って座り、2人だけの時間を楽しむ。
『「ねえ……」
女の手が、男の腕に柔らかく触れる。その指先に、男は一瞬だけ照れたような、けれど愛おしげな視線を落とした。夕暮れの大学の図書室を照らす光は、まるで二人を祝福するスポットライトのようで――』
「……よし。ここ、最高にエモい」
私は独りごちて、ふう、と深く息を吐き出した。
6月も終わりに近づき、まとわりつくような湿気が、少しずつ夏の気配に焼き尽くされようとしている。キャンパスの舗装路から立ち上る熱気が、視界をわずかに歪ませていた。
「……もうすぐ夏か」
独り言をこぼしながら、大学二年生になってもなお、この情けない趣味を手放せずにいる自分に嫌気がさしていた。
午後一の講義を終えて、空き時間に賑わう学食や研究棟の喧騒を避け、私はいつものように薄暗い図書館の隅へと逃げ込む。
画面の中にだけ存在する、理想の誰か。現実では決して口にできない、醜くて、あまりにも切実な欲望を言葉に変えて、行間を埋めていく。
一年前の入学式、期待に胸を膨らませた新入生の一人だった私は、もういない。周囲が就活や恋や、そんな『まともな現実』に着実に歩を進める中で、私だけが、過去の傷に蓋をしたまま、ひとりぼっちで虚構の城を築き続けている。いい年をして、物語の世界に縋らなければ息もできないなんて。
そんな自分を客観視するたびに、胸の奥に冷たい泥が溜まっていくような心地がした。
学生がちらほらと座る自習スペースの一角で見かけた2人をイメージして、カタカタと乾いたタイピング音を響かせる。私は今日もキャンパスで見かけた「絵になる二人」をモデルに、物語を紡いでいた。
私の趣味は、身近な恋愛事情をサンプリングして、自分を主人公に投影した妄想小説を書くこと。もう中学生の頃から続けている、いわゆる夢女子というやつだ。
画面の中の「私」は、相手の男性から真っ直ぐな愛を注がれ、自信に満ちた笑顔を浮かべている。
けれど、ふと指を止め、ディスプレイに映り込んだ自分の顔を見て、心臓がチクリと痛む。
ボサボサの髪。ビンの底みたいに厚いレンズの眼鏡。目の前で繰り広げられる恋愛模様を気配を消してただ遠くの席から盗み見ることしかできない、卑屈なほどに「奥手」な私。
「……何、やってるんだろう」
頭の中で完璧なハッピーエンドを綴れば綴るほど、現実の私との距離が浮き彫りになっていく。
妄想の中の男性が甘く囁くたびに、私の心は温まるどころか、冷たい虚しさに浸食されていった。
私は逃げるようにエンターキーを叩き、書きかけのファイルを閉じる。
「まーた、むなしい妄想書いてますね」
電源を落としたPCの画面を見つめて溜息を1つついたところで、友人が同じようなため息をわざとらしくついた。
「お疲れ様。補習は終わったの?」
「補習じゃない。ちょっと提出物が遅れただけ」
「ちゃんと出してきたよ」と屈託なく笑うのは、大学で仲良くなった友人の栞。
いろんな意味でハキハキとした物言いが気持ちよく、自然と一緒にすごすようになったのだが……そのせいで、この変態じみた趣味を知られてしまった。幸いなことは、彼女が誰彼かまわずそれを吹聴するような人ではないということだ。
「今度のモデルは?」
「栞が来る少し前にすぐそこのスペースで繰り広げられた、名もなきカップルのイチャイチャ。わたしゃ完全に背景でしたよ」
「うわっ……きつい」
「よいサンプルがとれた。と感謝してます。ほら、早く帰ろう」
「そういえば聞いた?福岡先生の研究室について」
大学のキャンパスを出て、近所のコンビニで買い食いをしようと立ち寄った時、栞が話し始めた。
私たちの大学は、学部によっては資格取得ために3年生から現地実習に出向いたりすることが多い。そのため研究室の加入や卒業論文の提出が必須ではない。それでも希望するならば2年の後半から教授たちの研究室に入り研究や卒業論文作成に向けて活動することができるカリキュラムになっている。
「福岡先生の研究室……何かあったの?」
「実里、希望出してたよね?」
「まぁ、やってみたい研究テーマがあったから希望申請を出すときに相談したら、福岡先生から直で「そのテーマならウチにおいで」って言われたんで、希望出したよ」
私は取りたい資格や希望する職種の都合で3年から現地実習に行く回数が増えてしまうので、正直どこかの研究室に所属している場合ではないだが、1年からお世話になっている先輩からの勧めや、個人的に興味がある研究テーマもあったため、自分の進路とは全く関係がなかった分野の研究室に希望を出していた。
「船山も希望出したらしい」
「え、船山さんも……」
「しかも、黒坂先輩狙いって噂だよ」
船山さんは、同じ学年同じ学部に所属する……女子のリーダー格に近い学生。
入学時に学部の中で友人を作れずにポツンとしていた私に声をかけてくれ、しばらくの間は一緒に活動してたことがあるのだが、どうにも性格が合わずに疎遠となった。
「うわぁ~、マジか」
「黒坂先輩、本当に人気だよね。てか、一緒の研究室に入ったところで、半年くらいしか活動できないじゃん」
黒坂先輩とは、私たちの2つ上の先輩。件の福岡先生の研究室に在籍しているのだが……大学1のイケメンと噂されるほどの顔面で有名。顔がいいだけでなく男女や年齢関係なく話しかけてくれる気安さがどこかの芸能人だろうか。というレベルで大変な人気をお持ちの先輩だ。多くの女性ファンがいて、聞くところによればファンクラブまであるとかないとか。私も入学式の在校生代表挨拶や新入生歓迎イベントのときに見たことがあり、「うわ、あんな顔面の暴力みたいな人本当に実在するんだ。今度の小説の相手役モデルにしたい」という感想を抱いたくらいだ。
「私、船山さん苦手なんだよな……変ないちゃもん、つけられないといいんだけど」
「発表って夏休み前だよね?決まったら教えてよ、感想」
「それ、どっちの意味?」
「決まってんじゃん。船山の方」
「嫌なフラグ建てないで」
なんて話をしてから1か月ほど経った頃。世間は7月となり、大学キャンパス内は眼前に迫った期末試験への準備と、夏休みへの期待でもちきりとなった。
「実里、夏休みは帰省すんの?」
「いやバイト三昧」
アパートから自転車で10分ほどの距離にあるコンビニエンスストアと、大学斡旋の学会イベントスタッフのアルバイト。勉学に時間を取られない夏休みは、とにかくたくさんシフト入れてお金を稼ぐことが、今年の夏休みの目標だ。
「寂しいやつだな。せめて遊びに行けよ」
「来年から実習増えてシフト減らさなきゃだから、今のうちに蓄えておきたいの」
教科書類をロッカーに入れ、昼休みのために学食へ移動していると、何やら掲示板の前が騒がしい。
行き交う人達の話し声や、教室で見慣れた顔がちらほらあることから察するに、どうやら研究室の決定通知が張り出されているようだ。
「見ていく?」
「そうする」
個人情報保護的な理由のため、張り出されたのは各自の学籍番号のみ。私の番号は……。
「よかった、第一希望通り福岡先生だ」
「おめおめ」
「昼終わったら挨拶だけ行ってこようかな。来年から研究スタートだと大変だし、できるなら早めに始めたい」
「いいんじゃない?もしかしたら黒坂先輩に会えるかもよ」
「期待してないよ」
昼食を終え、バイトへ行くという栞を見送った私は、その足で教授たちの研究室がある棟へと向かった。
福岡先生の研究室は棟の2階。西側の奥にあり、私に研究室を勧めてくれた1つ上の先輩の話では、現在3年はその先輩と男の人が1人。4年は黒坂先輩のみらしい。
「失礼します。2年の佐倉です……研究室の希望が通ったので挨拶に来ました」
部屋は奥に教授のデスクがあり、両壁には資料が保管されている棚や、小型冷蔵庫と食器が洗える程度の流しがある。中央奥には来客用のテーブルとソファ。手前側にはおそらく学生のスペースなのだろう、テーブルとパイプ椅子がいくつか並べられていた。
何回か提出物の関係で入ったことはあったが、ここまでまじまじと見たことはなかった。意外と狭いな。
「あれ、佐倉さん」
突然後ろから声をかけられた。振り返ると、同じ学部の阿崎陽人くんがいた。
「阿崎くんもここの希望出してたんだ」
「2個上の……黒坂先輩が知り合いで、その縁で紹介してもらった。佐倉さんも?」
「1つ上の先輩から紹介されて」
阿崎君は同じ学部の中でも目立つタイプの男子だ。同じ眼鏡族なのに野暮ったくならないデザインが清潔感を出している。服装だってワイシャツとベストがほとんどなのにスタイリッシュな着こなしっぽくみえて、全体的に気張らない優等生という感じにまとまっている。実際、入試成績は上位だったのだから間違いなく優等生なのだろう。
「これからよろしくね」
「こちらこそ。これからは同じ研究室なわけだし、あとで連絡先教えてもらってもいいかな?」
「そうだね。いろいろ伝言とかも有るかもだし」「なら、私とも連絡先を交換しよう!」
甲高く、廊下全体に響き渡るような声……。
(ま、まさか……)
「阿崎くんじゃん。そっちは実里?これからよろしくね」
お前もか……。
2人で危惧していたことが起こってしまった。栞さん、あなたの建てた立派なフラグはしっかり回収されましたよ。
阿崎君の後ろからひょっこり顔を出したのは、噂の船山さん。女子にしては少し高めの身長をヒールの靴でさらに底上げし、派手とまではいかないがカジュアルな装いが、私のイメージするThe女子大生。という感じで、ここだけの話、何度か小説の中で着用する服装の参考にさせてもらっています。
だが、それとこれとは話が別。正直苦手な部類に入る人と同じ研究室になってしまうとは……。受け入れがたい現実に、今夜の晩御飯は心の平穏を保つためにちょっと良いものを食べよう。と静かに誓ったのであった。
衝撃大きな研究室発表から数日。期末試験も終えた大学は夏休みを迎えた。
今日はその初日。早速週5で入れたバイトは夕方からのシフトなので、私は大学に来ていた。
あの後、挨拶に行った私たちへ教授から今後の流れを含めたガイダンスがあり、それぞれが研究に向けた準備を始めることとなった。正式な所属は夏休み明けの9月からなのだが、時間があれば研究室にいてもよい。私物を多少ならば持ち込んでもよい。と言われたので、さっそく夏休みの課題消化と研究準備、可能ならば趣味の小説づくりのため、エアコンが効いた研究室へ顔を出すことにした。
「失礼します……」
まだ加入から数日しか経っていないためすこし緊張で指先を震わせながら、私は研究室のドアを押し開ける。
教授は不在のようだったが、手前の学生用スペースで熱心に分厚い専門書を捲っている人物が見えた。
「あ、佐倉さん? いらっしゃい」
顔を上げたのは、阿崎くんだった。今日も彼は整った顔立ちに柔らかな笑みを浮かべ、手招きする。
「夏休み初日なのに早起きで偉いね」「船山さんはバイトだから今日はお休みだって」とまるでLINEのメッセージでも読み上げるかのように淡々と告げているだけなのに、その清潔感あふれる佇まいがものすごく絵になって、おもわず見惚れそうになったその時だった。閉じたはずの背後のドアが、勢いよく開いた。
「ハルー!エマージェンシー!あの先生の〆切やっぱり昨日だったわ!レポート助け……あ、先客?」
心臓が、跳ねた。
聞き間違えるはずのない、突き抜けるような明るいトーン。 振り返ると、そこにはパーカーのフードを跳ねさせた男子学生……佐野湊くんが、驚いたように目を丸くして立っていた。
「……佐倉、実里?」
突然フルネームで名前を呼ばれた。
彼とは高校では同じクラスだったが、そこまで仲は良くない。そもそもクラスの中心に立ってイベント事を率先して回すタイプの彼と、端っこで傍観者に徹する私とでは住む世界が違う。だから、まさか名前を憶えてもらえていたなんて思ってなかった。
「湊、知り合い?学部違ったよね?」
阿崎くんが不思議そうに眉を寄せる。
「知り合いっていうか、高校、同じクラスだったんだよ!え、マジで? 実里もこの研究室なの!?ハルと一緒とか世間狭すぎだろ!」
湊くんは、私の隣にずいっと距離を詰めてきた。高校の時から思っていたが、人気者の彼らしい、パーソナルスペースを軽々と飛び越えてくる無邪気な熱量に、私は思わず一歩後ずさった。
「ご、ご無沙汰してます。……佐野くん」
「『くん』とかいらねーって! 高校の時も言ったじゃん。……お前さ、相変わらずだな。その、端っこの席に馴染もうとしてる感じ」
湊くんはケラケラと笑いながら、私の眼鏡の奥を覗き込もうとする。
「高校の時、お前がいつも教室の隅っこで何か書いてるの、俺、こっそり観察してたんだぜ?あ、今日もそのノート持ってんじゃん。まだ書き続けてんの?」
「な、何のことだか……」
過去を見透かされたような羞恥心に、顔が熱くなる。すると、隣で黙って聞いていた阿崎くんが、眼鏡の奥の瞳を少しだけ鋭くして口を開いた。
「へえ。湊って高校の頃から佐倉さんのこと、そんなに詳しく見てたんだ」
「おう、目が離せなかったんだよ。……あ、そうだ。せっかく再会したんだし、番号教えろよ。またお前の話、聞きたいし」
湊くんがポケットからスマホを差し出してくる。その真っ直ぐな瞳には、下心なんて微塵もなくて、ただ純粋な再会の喜びだけが詰まっていて。
「……い、いやぁ、それはリスクしかないよ。佐野くんは有名人なんだし、私みたいなのと連絡先なんて……」
「リスクって何だよ! 俺とお前だろ? ほら、いいから!」
冗談っぽく、それでも自分にそんな資格はありません。と言い切るつもりでさらに一歩後ずさるが、下がった分だけ湊くんは前に進んでくる。
これは交換するまで粘られる。と直感し、湊くんに押し切られる形でQRコードを読み取る。ポーン、と軽い通知音が鳴り、私のスマホの連絡先に『佐野 湊』という名前と、陽気なクマのスタンプが刻まれた。
「よろしくな、実里!これで毎日連絡じゃん、楽しみだわ!」
「……うるさい。動物園かよ、ここは」
私たちがいる入口付近からさらに奥、来客用に置かれた少し高そうなソファの方から、低く地響きのような声が響いて、三人の動きがピタリと止まった。
ゆっくりと立ち上がったのは、長い手足を持て余すようにしてソファに横たわっていた人。4年の黒坂蓮先輩だ。
寝癖ひとつない黒髪に、眠たげだが彫刻のように整った顔立ち。テレビで目にする国宝級芸能人を彷彿とさせる圧倒的な「華」と、寄せ付けないような寝起き不機嫌な冷たいオーラが室内に充満する。
「あ、黒坂先輩……。すみません、起こしちゃいましたか」
阿崎くんが苦笑いしながらフォローを入れるが、黒坂先輩は彼を見ることなく、真っ直ぐに私の方へ歩いてきた。
一歩、近づくたびに、空気の密度が濃くなる。彼は私の目の前で止まると、無言で私の手元……隠しきれなかったノートPCと、そこに挟まったままの創作ノートに視線を落とした。
「お前」
「は、はい……っ!」
「さっきから聞いてりゃ、リスクだの何だの……。自分の人生を他人の観客席から見てるような口ぶりだな」
心臓が、今日一番の速さで脈打った。湊くんの明るい追求とは違う、魂の奥を覗き込まれるような、逃げ場のない視線。
「えっと、先輩?起こしてすんません、俺が悪いんで、実里は……」
湊くんが割って入ろうとするが、黒坂先輩はそれを大きな手で制し、私だけを見つめたまま続けた。
「……いいよ、お前みたいなのは嫌いじゃない。外側から見てる奴にしか書けない『なにか』ってのもあるからな」
先輩がボソッと呟いたその一言に、私は指先が凍りつくのを感じた。小説のことなんて一言も言っていないのに、なぜ。
「……じゃあな。佐野、次はもっと静かに来い。阿崎、コーヒー淹れ直せ。冷めた」
先輩はそれだけ言うと、私の肩を掠めるようにして部屋を出て行った。残されたのは、嵐が去った後のような静寂と、なぜか私のことをさらに興味深げに見つめる湊くん、そして眼鏡の奥で思慮深く目を細める阿崎くん。
「……今の、何?先輩、佐倉さんに興味持ったの?珍しいね」
阿崎くんの声が、どこか楽しげで、でも少しだけ冷たく響いた。
私の「平和なモブ人生」というプロットは、たった数分の間に、三人の強烈な「主役」たちによって、粉々に破り捨てられてしまったようだった。
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