『僕の鬱が、この街を更地にするまで。~クビになった底辺社員の絶望は、世界を動かす最強のエネルギーだった~』
ヴィオラ
第1話: 世界が僕を削るなら、僕も世界を削り取る。――背後に現れた「透明な穴」
「君の熱意は、今のうちのスピード感には合わないんだよ」
新橋のオフィス街。窓の外では灰色の雲が重く垂れこめ、今にも泣き出しそうな空が広がっている。
部長の吐き出した言葉は、暖房の効きすぎた室内でやけに白々しく響いた。デスクの上に置かれた解雇通知書。その白い紙切れ一枚で、僕のこれまでの数ヶ月が全否定される。
三十回目の転職。そして、三十回目の挫折。
僕はただ、真面目に働こうとしていただけだ。指示された通りに書類を作り、誰よりも早く出社し、誰よりも遅く残業をした。けれど、効率と数字を優先するこの街にとって、僕の「丁寧さ」は単なるノイズでしかなかったらしい。
「……申し訳ありませんでした」
謝る必要なんてないはずなのに、言葉が勝手に口を突いて出た。
私物を詰め込んだ段ボールは、驚くほど軽い。僕の人生の重みなんて、この程度のものだったのか。
エレベーターを降り、自動ドアが開いた瞬間、都会の冷たい風が容赦なく僕の薄い背広を叩いた。
歩道を行き交う人々は、誰も僕を見ない。
高級なスーツに身を包み、最新のスマートフォンを操作しながら、僕という「異物」を避けて流れていく。彼らにとって、僕は背景の一部に過ぎない。あるいは、すり減って捨てられた、ただの消耗品だ。
駅へ向かう足取りが重い。
地下鉄のホームに立てば、吸い込まれるように線路に飛び込んでしまうかもしれない。そんな恐怖が足元から這い上がってくる。
「……消えたいな。いっそ、この街ごと」
ポツリと漏らした言葉が、冷たいアスファルトに吸い込まれていく。
その時だった。
背中の中央、肩甲骨の間あたりが、妙に熱い。
心臓を素手で掴み上げられたような、激しい動悸と吐き気が襲う。僕はたまらず、路地裏のゴミ捨て場の横に膝をついた。
「が……っ、は……!」
視界が歪む。アスファルトの黒が、ドロリと溶け出したように見えた。
僕の影から、真っ黒なインクのようなものが溢れ出している。それは不定形の塊となり、僕の背後でゆっくりと鎌首をもたげた。
それは、「怪獣」だった。
体長は二メートルを超え、全身が透明なゼリーのように歪んで光を屈折させている。だが、その内側には、僕がこれまでの人生で溜め込んできたドロドロとした「絶望」が、黒い血管のように脈打っていた。
怪獣が口と思わしき裂け目を開く。そこには歯などなく、ただ無限に深い「虚無」が広がっている。
怪獣が咆哮を上げた。
鼓膜を揺らすような音ではない。脳の髄を直接かき回すような、不快な振動。
その瞬間、近くにあった鉄製の非常階段が、目に見えない力でグニャリと飴細工のように曲がった。重厚な金属音が路地裏に響き渡り、ゴミ捨て場のカラスたちが一斉に飛び立つ。
『サ……ト……シ……』
頭の中に、自分の声に似た、しかし地獄の底から響くようなノイズが流れる。
怪獣の大きな、空洞のような目が僕を見つめていた。
恐怖はなかった。
あったのは、震えるほどに純粋な一体感だ。
この化物は、僕だ。
僕が押し殺してきた怒りであり、深夜に一人で流した涙であり、世界に対する呪いだ。
僕はゆっくりと立ち上がり、自分を追い出したオフィスビルを見上げた。
整然と並んだ窓の向こうで、まだ人々が「スピード感」とやらを追い求めている。
世界が僕を削り、使い捨てようとするのなら。
僕もこの世界を、根こそぎ削り取ってやればいい。
「……やれ。全部、壊していいぞ」
透明な怪獣が、僕の意志に呼応して、鋭い爪をアスファルトに突き立てた。
新橋の街が、一瞬だけ静まり返った。
(第2話へ続く)
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