不可能なことなんてないんだよ(蓋魔の瓶夫:①初期原稿)

酒とゾンビ/蒸留ロメロ

第1話

「不可能なことなんてないんだよ」


 友心ゆみの声だと、開多はすぐにわかった。ここはどこだろうか。木陰であることは分かっている。樹にもたれながら一三歳の背丈が見上げた。天辺までは見えないが、山の樹々ほど高くはない。葉っぱの間から日が差し込んで目にしみた。視界に写るのはそれだけで、他は霞んでいる。

 蒸すような暑さ。


「空に浮かぶお城とか、喋る木とか人と意思疎通するドラゴンだっているんだから」


 ふうん、と鼻で相づちを打つ。

 友心が〈浮遊城〉という分厚い本に魅了されていることを開多はよく知っていた。そんなものは虚構に過ぎない。それは友心が一番よく分かっているはずだ。


「耳絶ちがないんじゃどうにもならないよ」

「べそばっかかいてると、咀嚼卿に食べられちゃうよ」

「かもね」

「教典って知ってる?」

「さあ」

「お話を書くとね、不思議な現象が起きるんだって。耳絶ちって、それと同じじゃない?」

「……どうだろう。あんまりそういうこと言わないほうがいいよ」

「なんで?」


 友心が振り返った。日差しが反射して夕日色の光沢を帯びた長い黒髪の毛先が、風に流され開多の鼻先をかすめた。甘い、いい匂いがした。

 途端に友心の顔が、姿が、空間が歪んでいく。ああ、しまった。興奮したからだ……。


「村の大人がうるさいから。友心は余所から来たから知らないだろうけど」


 と言ってすぐ、そうだった、友心は余所からあの村へやってきたんだ、と思い出した。


「あいつら蓋ノ守を信じてるから」


 喉元にゆっくり重みがあらわれた。絞まる。息が詰まっていく。

 真っ暗だった。背中に感じていたココの樹の幹の感触も、日光もなくなっていた。夜だ。湿った土の香りがする。肌寒いのに、木々がざわめいたり落ち葉や小枝の上から土を踏みしめる音がすると、体がかゆくなる。服の下に虫が入り込んだような気がしてくる。夜の山中。


「懐胎券をこんな子に使ってしまったとは。もっと早く気づくべきだった。もったいない」


 こめかみを指で強くこすりながら父親は言った。

 開多は樹の太い枝に吊されていた。縄の先端に作られた輪が、喉元を絞め上げている。食い込む縄の感触。息ができない。口の端からあぶくがこぼれ、頬を伝って流れ落ちた。眼球が斜め上へ向かって裏返りそうだ。

 足下で両親が見上げている。


「今度は耳絶ちがあるといいわね」


 母親がそう言ってから、父親の声が、


「どうせなら配分率の多い子がいい」

「そうね」


 侵されるように狭まっていく視界。その先に、友心の姿を見つけた。向かいの木で首を吊っている。白目を剥いていて、すでに眼球が裏返ったあとのようだった。友心、と呼んだつもりが開多は声が出なかった。

 今ならまだ助けられる。


 友心、友心、友心……。


 手を伸ばすように、何度も頭の中で叫んだ。



   ※



 ダックリバーの地下には墓地が広がっている。日の光が差さず、頼りは松明の灯りのみ。

 湿った岩壁に囲まれた空洞で、開多は手押し車にもたれかかりながらいつの間にか夢の中にいた。

 ゆっくりと開いた片目から、涙がこぼれ落ちる。頬を伝いえらに沿って流れおちていった。

 二〇年間、毎日同じ夢を見続けている。友心が慰めてくれたあと、目の前で首を吊って死んでいる夢だ。眠るのが怖いから睡眠不足で意図せず眠ってしまう。

 地下墓地全体に漂う精子のような生臭さで目を覚ますと、


「なんかこうやって作業してっと、俺たち四大英雄みたいだよな」


 会話が聞こえた。微かに反響している。


「こんな薄汚ねぇ英雄様がどこにおられるんだよ。二人死んで四人になっただけだろ。見ろ。一人は寝てっぞ」

「おい瓶夫、暇なら見張りでもしてろ。寝てんじゃねぇ」


 痰のからんだ声に怒鳴られた。

 衛生環境が悪いから痰がからみやすい。開多は「すみません」と首をやや傾けた。

 煤に塗れたような顔の黒い男が三人。ヘルデと呼ばれる全長が七メートルから九メートルほどある、頭が山羊の巨人を囲んで解体作業に勤しんでいる。地下墓地にのみ巣くう獣だ。首から下は人のものと相違ない。

 一人は手頃な小型ナイフで皮を剥ぎ、一人は牛の腸から作ったチューブをヘルデの体内へ差し込み、流れでてくる赤黒い血をロートで受けてガラス瓶へ集めている。最後の一人は首元に鋸を当て、山羊の頭を切り落とそうとしていた。


「よくこんなところで寝れるな。まだその辺りにいるかもしれねぇってのに」

「いかれてやがんのさ。何度も潜ればいかれてくる」


 頭を切断しおえると、


「何でこんな生きもんがこんなところにいんだろうな」


 額の汗を作業着の袖で拭いながら男は言った。

 血液採取中の男が、


「なんでもいい。こいつがいるからオレらは食える」

「なんでヘルデがここにいるかだと?」


 皮を剥ぐ男が怪しげに語り始めた。


「そりゃ俺らがここにいる理由と同じさ」

「同じ?」

「潜りってことか?」

「ちげえよ、こいつも人間ってことだ。元は、な」

「まさか」

「身の丈に合わねぇもんに溺れたのさ。その成れの果てがこれだ」


 二人は真顔になり、黙り込み、互いに顔を見合った。血液採取の男が振り向いて、


「嘘だろ?」

「年寄りの戯れ言だ」


 一々真に受けるなよ、というように皮を剥ぐ男は鼻息をもらす。


「びびらせんなよ。何度こいつの頭をスープにしたと思ってんだ」

「瓶夫、荷台を持って来い。気づけよ」


 開多は手押し車の正面にまわり、後ろ向きにハンドルを持つと曳いた。

 接地面に鉄が巻かれた木造の車輪が、何かを踏みつけて荷台が傾く。人を踏んづけていた。さっき死んだ同行者の一人だ。ヘルデが振り回す角材に殴り殺された。もう一人死んだはずだと辺りをなんの気なく見渡すが、この暗がりでは見つけることはできなかった。三人の傍へ手押し車を止める。


「忘れるところだった」


 そう言って皮を剥ぐ男が、ヘルデの股間周りに刃を入れ、大きく深くくりぬいた。


「よくそんなとこいじれんな」


 と血液採取の男が気持ち悪がった。


「何してんだ?」

「追加注文があったんだ。精嚢せいのうが欲しいんだと」

「なんだそれ」

「精子が貯蔵される袋みてぇなもんだ」

「精子って、ヘルデの?」

「取れた……」


 男は血を採取する方の瓶ほど大きくはない、ガラス瓶に入れ、しっかりとコルクで蓋をした。


「ほらよ」


 と開多に手渡した。


「交通費だと思ってとっとけ」


 ありがとうございます。そう言って開多はオーバーホールの内ポケットにしまった。


「地上へ戻ったらまた人員を探さねぇとな。この数じゃきつい」

「あいつら、配分率低かったんだろうな」


 大瓶を荷台に載せながらそう言うと、皮を剥ぐ男が、


「風圧が足りてなかった。あれじゃ娘一人押さえつけらんねぇ」


 採取したものをすべて積み終えると、荷台の側面をぱんぱんと叩く音がした。それを合図に開多は手押し車を曳き始めた。

 手押し車はすぐに止まった。

 進行方向の暗闇から、土を踏みしめる靴音が近づいてくる。松明が二つ灯るのが見えると、そこにベージュ色のコートを来た人影が二つ現れた。厳密には色まで見えたわけではないが、開多はそれがベージュ色であることを知っていた。

 一人は三〇代後半から四〇代前半と自分よりも年は食っているだろうが、開多には若く見えた。もう一人は口周りに白い髭を生やしている。髪も白い。皺が目立つ。六〇代か七〇代以上だろうか。年老いている。

 胸元の丸い楯の国章を確認する以前に、そのベージュ色のコートを見れば、何者であるのかはすぐに理解することができた。


「蓋ノ騎士……」


 と荷台の後ろから、首を切断する男の観念したような絶句が、吐息のようにきこえた。


「状況を理解してもらえたようでなによりだ」


 若い方の騎士がそう言って、荷台の側面へ回った。白髪の騎士は反対側へ。後ろの三人はびくともしない。白髪の騎士が、荷台の麻布を引っぺがした。積み荷が露わになる。


「一、二、三……八リットル大瓶が五本」


 傍で横たわっている皮膚と首の無いヘルデを目視し、


「あのサイズでこれだけ採れたのか。手慣れとるな」

「それほどでは……」


 血液採取の男の真っ黒な顔が苦笑いした。


「チューブにガラスロート、道具も揃っている。皮の剥ぎ方、首の切断面も綺麗だ。お前ら、これまでに何回潜った?」


 不気味なほどに黙っていた皮を剥ぐ男が口を開いて、


「とんでもねぇです。何度も潜るようなところじゃありませんよ、はい。地下墓地の獣と言っても、皮は牛や鹿と同じようなもんですから」

楯蓋たてぶたを出せ」

 若い騎士が冷ややかな声で告げた。「ありませんです、はい」


 開多を含め、潜りたちは一見して手ぶらだった。


「護符にして隠し持ってるんじゃないだろうな」

「意地の悪いこと言わんでください。そんな金、うちらにはありませんよ。ご存じでしょ?」

「お前、楯蓋を出せ」

 若い騎士の眼光が開多へ向く。

「そいつは何も持ってねぇですよ。耳絶ちが無いんだ」

「無い?」

「探すだけ無駄ですぜ」

「……お前、蓋魔ふたまの瓶夫か」


 暗い目つきで、やや首を傾け開多は頷いた。


「こいつをご存じなんですか。騎士団の方にまで噂がいってるとは、世間は狭いですな」

「巡回組の間で噂になっているだけだ」

「どうですか、お二方。少し話をしやせんか」


 大瓶一本で手を打たないか、と皮を剥ぐ男が蓋ノ騎士の買収を試みている中、開多にはこの状況に対する現実感がなかった。

 夢のことを思い出していた。夢から覚めてしばらくは、自分のような者さえ生まれていなければ、友心は死なずに済んだのではないか、と自己嫌悪に陥る。それから、そんなことを考えても仕方がない、といつものルーティーンに入っていく。布団から出て、気落ちした状態のまま次に眠るまでの時間を始めていく。友心を忘れることはないが、顔を洗ったり朝食をとったりしていれば、そのうち考えなくなった。

 だがここは地下墓地だ。いつものルーティーンは試せない。

 同僚の試みた買収が失敗に終わり、大瓶など戦利品のすべてが没収され生活費を失うと、夢の残り香は薄まっていた。


「荷台ごと連れていく。このまま地上まで運べ」


 くすねるつもりか、俺たちが命がけで手に入れたものを。開多は口の中から歯ぎしりが漏れそうになった。だが瓶夫になにができる。リスクを取り、命がけで潜りはしているが、ヘルデを殺したのはこの三人だ。自分はおこぼれを貰っているに過ぎない。戦えない。

 地下墓地の地形は複雑に見えて単純だ。地下に大昔、文明があったらしい痕跡がある。その付近の地面は平らで、曳くのが楽だ。坑道へ出ると移動が厳しくなる。土と礫がむき出しで、地面は凸凹。移動はほとんどが坑道だ。荷台の大瓶が衝撃で割れないように運びながら、ヘルデにも注意しなければならない。これが一人二役では務まらないため、瓶夫のような手押し車を曳くだけの役割が必要となる。

 血液採取の男がべそをかきながら、


「頼むよぉ旦那。見逃してくれ。あそこがどういう場所か知ってんだろ。前に会った獄吏は、顔から酢の臭いがした。鼻に塗ってんだとよ。下が臭ぇから。牢の床は湖水と尿で湿ってるらしい。きっと俺ぁ、同じ牢の男に犯される。そんで病気になって、臭気を肺にため込みながら苦しんで死んでくんだ」

「日の差さねえ真っ暗闇の奥でな」


 不気味ににやついた若い騎士の顔が、松明に照らされた。


「みんな同じさ」


 と皮を剥ぐ男が悟ったような顔つきで、


「入ったら二度と日は拝めねえ。リバーゲート監獄あそこは赤子すら重罪人にする」


 淡々と言った。

 地上へ出ると一行は目を瞑り、シャワーを浴びるように空を見上げた。 これが人生最後の空だろうか。開多の中には何の感動もなかった。

 早く行け、と若い騎士が急かす。荷台の後方を振り返り、見納めか、と地下墓地への入口を見つめた。正方形の石畳が敷き詰められた先に、狭く小さな坂道が、カーブを描き地下へと続いている。手押し車一台分の幅しかない。辺りには、苔の生えた古い円柱や石壁が崩れ落ちている。かつてここは屋根があり、地下への入口は屋内に面していただろうことが想像できた。今ではすべて野ざらしだ。

 騎士というだけで偉そうにする若い男に命令され、苛立ちを潜めながら、開多は手押し車を曳き始めた。

 路地へ出るには十段ほどの短い階段を下りるしかない。潜り三人が荷台の横と後ろへまわり、開多は前についた。顔を真っ赤にして先端を持ち上げながら、荷台を浮かして階段を後ろ向きに下りていく。傾いてるぞ、と若い騎士の声がした。

 勝手も知らずに……。

 開多は力を緩めた。荷台から手を離した。途端、手押し車の先端が階段へ落ちた。おい、と他の三人が焦る。重さに耐えきれず三人も手を離してしまった。がたん、と音を立て階段に落ちた手押し車が、階段をすべり落ちていく。

 開多は荷台に飛び乗った。さっと剥がした麻布を、間抜けな顔で驚いている若い騎士へ投げつけた。


「こいつ」


 上手いこと絡みついた布は騎士の顔面に張り付いた。剥がそうと体をくねらせている。その様に、口角の片方だけ笑みを浮かべながら、ついでに山羊の頭も投げつけた。


「貴様」


 と暴れ、足が絡まったのか布の中で騎士が尻餅をつく。

 八リットル大瓶を素早く両手で一つ取り、楯蓋たてぶたを構えようとしている白髪の騎士へ投げつけた。

 楯蓋は、直径約六〇センチの、曲面が茜色をした円形の楯だ。曲面中央に国章が刻まれている。縁が曲面側にやや反り返った特殊な形状をしている。

 瓶が楯の角に当たって割れ、べっとりとした液体が、騎士の頭から胴体までを赤黒く染めた。白い髭の先から血が滴り落ちている。辺りに鼻を突く鉄臭さが広がった。


「受け取れ」


 開多は呆然としている潜りたちへ八リットル大瓶を一つずつ投げ渡した。慌てた顔で足下を踊らせながら、潜りたちはなんとか瓶を受け取る。最後の一瓶は開多のものだ。毛皮は惜しいが仕方ない。


「走れ」


 荷台から飛び降りた。潜りたちが路地へ駆け出て行く。右と左、別々の方向へ散らばった。


「止まれぇ」


 若い騎士が声を張り上げた。

 突風が吹いた。通行人たちが急な強風に煽られ足を止め、女性などが揺れる髪の毛を手で押さえている。

 潜りたちの悲鳴が聞こえ、開多は足を止め振り返った。五階まである集合住宅の四階の高さに、潜り三人の姿があった。打ち上げられたように固まって浮いている。それぞれ腕に大事そうに八リットル大瓶を抱えている。あの高さから落ちたら、骨を折るだけでは済まないだろう。そう思ってすぐ、さらに目を疑った。白髪の騎士が、彼らの真上に浮いていた。

 雷が落ちたような、耳をつんざく音がした。突風が吹く。白髪の騎士と三人の、直下の路地が陥没している。白髪の騎士が三人へ楯蓋をかざしながら落ちていく。三人が密着し合い、楯蓋の内側へ引きずり込まれるようにして。

 濁声の悲鳴が止むと、ステーキカバーのような反り返った楯蓋が、路地のタイルにめり込んでいた。取っ手を白髪の騎士が握りしめている。

 オーバーホールを風が煽ると、開多ははっと我に返り、路地を駆けていった。


「くそ、外したか」


 若い騎士が、脱いだ麻布を路地へ投げ捨てる。


「何してる、早く追え」

「すみません」


 スタートを出遅れたスポーツ選手のような忙しなさ。若い騎士は、楯蓋を構えると上空へのろのろと飛び上がり、路地を真っすぐに飛行していった。

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