第5話 『魔法陣の使い方』
「世間で我々をなんと呼んでいるか、知らないのか? 金魚の糞ならぬ、
信じていたものが崩れ落ちていく。初めから、誰も〈
誰でも挑戦できる。資格はいらない。年齢制限もない。そういう場所にはクズが集まりやすい。よって秩序もない。
地下墓地を治外法権のような場所だと考える潜りもいるくらいだ──駆け出しの頃、ハルタは誰かにそんな話を聞いたことがあった。今になってそれを思い出す。
潜りがどれほど野蛮か、そのうち分かるだろう──。
顔が思い出せないが、声だけが脳内再生された。
地響きのような音がした。下っ腹へ直接響くような轟音に、ハルタの思考が止まる。地面が大きく揺れた。
天井にひびが入った。直後、崩れ落ちる天井。
離れろ。
潜りが叫んでいる。避難していく。ハルタと湯葉丸も潜りに混ざり、避難し始める。
ハルタは振り返った。空間の中心から砂煙が追いかけてくる。腕で顔と目を守った。
避難する潜りたちの足音が次第に止む。そのときには、ハルタも湯葉丸も立ち止まっていた。
煙の中心に、崩れた天井が瓦礫となってあるはずだ。だがそこに、潜りたちは瓦礫以外の何かの気配を感じ取っていた。煙が晴れていく。
そもそも何故、天井が崩れた?──。
すぐにその答えが返ってきた。
奇声がした。心臓を鷲掴みするかのようなその動物鳴き声に、潜りたちは縮み上がる。
「ヘルデだ!──」
潜りの一人が叫んだ。周囲へ知らせた。直後、その潜りの頭上に何かが振ってきた。
ぐしゃり──。圧死。振り下ろされた角材。建材だ。と同時に、その一振りによって舞っていた残りの砂煙が辺りへ散る。
そこに、ヘルデの巨大な図体が現れていた。
ヘルデは角材を武器にする。ヘルデルタと同じだが、その太さ、長さは、体の大きさに比例する。
また奇声が襲った。空間が震える。潜りたちはとっさに耳を塞ぐが、全身がびりびりと痺れ、一瞬にしてその威圧に呑まれた。足のみならず、体全体が数秒止まる。
「ハルタ、止まるな。逃げるぞ!」
湯葉丸はハルタの背中へ叫んだ。
「どこへ逃げるというのかね?」
ヘクターの声だった。
ハルタの体が地面へ沈む。後ろから首根っこを鷲掴みされ、地面へ押しつけられた。
助けようとした湯葉丸の体が突然、腹ばいに地面へ沈んだ。傍でラキィ・マリアスが茜色の楯を構えていた。
「戦え!」
ヘクターは逃げる潜りたちへ叫んだ。
「お前たち、潜りだろ! ヘルデごときに臆してどうする!」
潜りたちの足が止まった。やがてちらほらUターンしていく者の姿があった。
「君のような都合の悪い者を、生かす理由はほとんどない。私以外の者にだって、君を殺す理由はある」
後頭部の辺りでヘクターの声がした。
誰に拘束されているのかハルタは気づく。いつの間に傍まで移動したのか。ヘルデから逃げるため、かなり走ったつもりだった。一度手合わせしてはいるが、あの巨体からこの移動速度は想定できなかった。
「君の戦い方を見ていたよ。甘ったれた戦い方だ。確か、前パーティーのリーダーに教わったと言っていたね。リーダーの苦労が窺える」
潜りたちの悲鳴がぽつぽつ聞こえる中、
「君はヘルデを殺せない」
ハルタの目が丸く見開く。核心をつかれたように。
「君のリーダーは、君にヘルデの相手をさせるつもりがなかったようだ。君の見解はさておき、片手持ちできる軽いサーベルに、相手との距離に詰まった際の鎧通し。そもそも、その半曲剣自体が、対象との距離が近すぎた際の、不都合な距離感においての対応がしやすい武器だ。すべて考えられている。だがどれにおいてもヘルデを想定していない。あれはヘルデルタのみを想定した戦い方だ。だから君は、そのときは弓矢を使うのだろ?」
ハルタの体から力が抜けていく。
理解していたことから、自分が知らなかったハーレーの考えまで、すべてがヘクターの軽快な口調によって暴かれた。
知らなかったわけではない。ハルタはこれまで、知らないふりをしていた。期待されていないことは分かっていたし、ハーレーが何故自分にこの剣を持たせたのかも、うすうすは気づいていた。
「潜りたちがヘルデを相手にしている際、君は必ず援護にまわる。弓矢で彼らを癒していたな。私は呆れたよ。弓矢すら武器として使おうとしないのか、とね。究極のヘタレだ。ダサすぎる。なんて他人任せで、恥知らずなんだ」
ヘクターが急にハルタの拘束を解いた。
「ハルタくん、私と賭けをしないか」
ヘクターが提案する。
ハルタはすぐに起き上がろうとはしない。言葉を返す気力もなかった。すべてが思い上がりだったことを、思い知らされたのだ。
「
「や、やめてください!」
湯葉丸の声だった。
「ハルタには魔力がないんです!」
風圧に押さえつけられながら、声を振り絞った。
「知っている」
と答えたヘクターの言葉に、湯葉丸は絶句した。
何故、クランのサブマスターが、知名度そこそこの、パーティーの荷物持ちであるハルタの特性について知っているのか。
すべての人類が魔力を有して生まれる中、稀に魔力を持たずして生まれる者がいる。ハルタに魔力がないことは、〈
まさかサブマスターだけでなく、潜りたちも知っているのだろうか。そんなはずはない。
湯葉丸には分からなかった。
「か、関係ないでしょ、湯葉丸は!」
ハルタは焦りを見せる。
「君たちがギルドの決定を覆そうと企んでいることは、最初から分かっていた。湯葉丸くんを巻き込んだのは、ハルタくん──君だ」
ヘクターは即答する。
「イカルガが一歩でもここへ入るだけで、俺たちはみんな死刑だ……そんなのおかしいじゃないですか。めちゃくちゃじゃないですか……」
「潜りは常に法を犯している。ここにいる全員、そもそもここで見つかれば即刻死刑だ。蓋ノ騎士団にとっては、それは取り締まらないのではなく、数が多すぎて対応しきれないだけだとそう言える方がマシだ。彼らが体裁を保てなくなったらどうする。我々もそこに甘んじているというのに」
「あなたは死刑になってないでしょ」
「見つかれば、と言ったはずだ。ガキじゃないんだ。そろそろ受け入れろ、その辺りのことも。揚げ足を取っても意味はない。バカを露呈し、自分の評価を下げているだけだと気付け。皆まで言わせるな。彼女の処分取り消しも、軽減もありえない。これは全体の総意であり、決定だ。要するに、ケジメだよ」
ハルタは、ビョークの言葉を思い出した。ケジメ──数日前、ハーレーが解散を告げたとき、彼も同じことを言っていた。
ビョークは分かっていたんだろう。頭のいい奴だ。だからイカルガの処分もすぐに受け入れた。俺とは理解力が違う。抵抗するだけ無駄だと分かっていたんだ。誰も手を貸さない。どころか各所へ反発を招く。自分の立場を悪くして、今以上に状況を悪くするだけだ、と。
ハルタは遅すぎたことを痛感した。
「闇で〈蒼炎の
鼓動が増す。
「だが私なら取り消すことができる。今日の君の失言と一緒にな」
ハルタはヘクターの言葉を素直に信じることができた。懸賞金が出ていたのなら辻褄が合う。だから潜りに命を狙われたのだ。
湯葉丸はどこかのクランが差し向けたのだと言ったが、事実は単純で、懸賞金欲しさに潜り全体が〈
「取り消すって、どうやって」
「方法は問題ではない。信じるも疑うも君の自由だ」
「だからあのヘルデと戦えって、そういうことですか?」
「察しがいい」
懸賞金が撤回されなければ、ハルタを含め、ハーレー、ビョーク、イカルガの四人は今後を命を狙われ続けることになる。
そして、湯葉丸の命。
ヘクターによって、すべての命が握られていた。
「すべての噂は、思惑によって人為的に流れるものだ。意図して流すなんてことは簡単だ。〈
「なんで、俺にそこまでするんですか」
「なんでって……まあ、同業者だからなぁ」
「理由になってない」
「単に潜りの未来を案じているだけだ。有能な人材は確保しておきたい。〈
腕を使ってゆっくりと上体を起こし、ハルタは立ち上がった。
湯葉丸が「ハルタ」と、その背中に呼びかける。心配そうに。ハルタは振り向かない。
「俺が勝てば、湯葉丸は助かるんですか」
「約束しよう」
ハルタはサーベルを抜いた。
一歩、また一歩とその場を離れ、戦闘の渦中へと近づいていく。入っていく。逃げ惑う潜りたちとすれ違いながら。
「ハルタ!」
湯葉丸が叫んだ。待て、とでも言うように。
ハルタは振り返らない。
「潜りは、一人でヘルデを倒せて初めて一人前といわれる。あれに負けるようでは生きている価値はない」
ハルタの姿に、周囲の潜りたちがざわつく。様子を見ている。アイコンタクトを取り合い、殺すかどうか仲間同士で相談している者までいた。
「手を出すな、彼にやらせる」
ヘクターが浮遊し高台へ移動していく。風を纏い、ラキィ・マリアスも同じく浮遊する。湯葉丸を風で浮かせて共に移動した。
置き去りにされた潜りたちが、来た道を戻り退避していく。
頭上を影が通った。ハルタは反射的に見上げた。影を目で追おうとして振り返った。
退避していく潜りたちの行く手を遮るように、ヘルデが着地した。地面が揺れる。
「飛び越えたのか、この距離を」
ヘルデにも個体差があり、能力が異なる。これほどの跳躍力を備えたヘルデを、ハルタは見たことがなかった。
イカルガならどう対処するだろうか。
箒で掃くように、ヘルデは角材を振り回した。避けきれなかった潜りたちが、軽々と飛ばされていく。悲鳴が上がった。壁や天井に勢いよく打ち付けられ、潰れたり、破裂したりした。
「グリス! ログラインを連れて逃げろ!」
その渦中に二人の姿を見つけた。ヘルデとの距離が近い。二人のとこもヘクターに頼むべきだったと気付いたときは遅かった。
ハルタは二人へ向かって走り出した。
「ログライン、走れ!」
グリスが叫んですぐ、頭上を見上げた。角材が見えた。絶叫しながら、とっさに左方向へ飛び込んだ。直後、振り下ろされた角材が地面へめり込む。
ヘルデの攻撃は外れた。
避けたグリスを目視し、ヘルデは鼻息をもらす。悔しがるように。山羊の目が血走っている。さらに悔しがるように雄叫びを上げると、角材を持ち上げ振り下ろした。
グリスは俊敏だった。飛び込んでは立ち上がり、また飛び込む。そうやって回避した。
モグラ叩きのようだ。角材が地面に触れるたび足元が揺れ動く。地面が抉れて土が飛び散る。
「いける」
グリスの姿を見て、ハルタは笑みを浮かべた。
サーベルを納め、弓矢を取り出した。矢を放ち、ヘルデの気をこちらに向けようと考えた。
その隙に二人を逃がそう。
そう考えた、そのとき。
足元が揺れた。
べちょっ──。頬に何か飛び散った。拭うと手の甲に何か黒っぽいものがついた。土ではない。液体だった。
「え……」
ハルタは顔を上げた。ヘルデの角材が地面にめり込んでいる。
「……ん?」
グリスの姿が見当たらない。
傍で、ログラインが呆然と立ち尽くしているのが見えた。彼女の表情、唇が、何かを言いたそうに震えているのが分かった。
ログラインが叫び声を上げた。良く響く声だ。そのまま両膝から崩れ落ちた。肩を揺らしながら、震えて叫んだ。
ヘルデの持ち上げた角材の先端に、どろっとしたものがこびりついていた。近くにいた潜りたちの松明の灯りで色が見えて、ハルタはそれが人間の血と肉であることが分かった。
ハルタの手から弓と矢が落ちる。
言葉にならず、ハルタも呆然と立ち尽くす。
ヘルデが雄叫びを上げた。殺してやった。ヘルデがそう言っているかのように、ハルタには見えた。
俺のせいだ……。
ハルタはサーベルを抜いた。助走をつけるようにして、少しずつ進み始める。走った。
俺のせいだ。俺がさっさと動かなかったから……。
ヘルデに接近したハルタは、刃の裏側で角材を打ち上げようとした。無理だった。電気が走ったみたいに手が痺れたが、サーベルだけは落とすまいと耐えた。
足元を見下ろした「-」の形をした黒目と目が合う。
気付かれたがハルタの方が速かった。ヘルデが立て直す前に、素早く足元へ潜り込み、左足──くるぶしの辺りを斬りつけた。
「浅いっ」
初めて斬った。すぐに分かった。浅い、と。
ヘルデルタと同じ要領で斬ってしまったのだ。
風を切るような音が聞こえた。振り返る。角材が見えた。
「あ……」
身動きが取れなかった。ハルタは角材に薙ぎ払われ、高く宙を舞った。湯葉丸の声が聞こえた気がした。気のせいかもしれないと思った。
地面へ叩きつけられるように落ちたハルタは、ぐったりとなる。痛みで立つことができなかった。
動いていれば、グリスを救えただろうか。魔力もない自分に、今の一瞬で一体何ができただろうか。
痛み以上に、無力感によって立つことができなかった。
弓を構えて……あとは、イカルガに任せて、おけばいい……。
声が出なかった。ハルタは心の中で呪文のように呟いた。
過去の記憶が脳裏に過った。走馬灯のように──。
それぞれの背中に癒しの矢を射る。それで完璧だった。それでフォーメーションが成り立っていた。一カ月前までは。だからそれ以外のことは、必然的にする必要がなかったし、しようと思ったこともなかった。
良かったなぁ、あの頃は……。
いつからだ。いつから俺は、こうなった?
地下墓地へ潜り始めた初期の頃、ハルタはヘルデに殺されかけたことがあった。調子よく向かっていき、ヘルデの振り下ろした角材の餌食になりかけた。助けてくれたのはイカルガだった。だが彼女は重症を負い、しばらく入院することになった。ハルタは腕の骨を折るだけで済んだが、彼女の背中には、今もそのときの傷が残っている。
あの時からか。
しばらくしてハーレーと出会い、〈
ハーレーは人の育成が得意だった。彼から魔力の扱い方を学んだイカルガは、その後に頭角を現し始める。複数のヘルデを一人で相手にした。勝利した彼女を世間は
ハルタは人任せな人間になり腐っていた。とうに情熱や意欲は失われている。二人で地元を離れ、このダックリバーにやってきた時は、そうではなかった。何か夢を見ていた気がする。
頭を少し上げると、前方遠くにヘルデの尻が見えた。向きを変え、こちらへ振り向いた。
ハルタの目が見開いた。目の前にイカルガが立っていたからだ。
「……イカルガ?」
体を持ち上げようとして地面についた片手が震える。頭を上げ、前方へ目をやるとイカルガの姿は消えていた。幻覚だった。
高台から湯葉丸の声が聞こえる。「ハルタ」と叫んでいる。
ハルタはゆっくりと立ち上がった。
湯葉丸を助けてやりたかったが無理なようだ。
そう悟りながら、背負っていたリュックを下ろし、チャックを開けた。
中から釘とトンカチ、先端に重り──鉄球のついたロープを取り出した。護符も二枚取り出し、それを靴底に片方ずつ貼りつけた。
口に釘を数本咥え、左手に釘を数本持ち、右手にトンカチを持った。ロープを首へ通し、肩から斜めに背負うと、ヘルデに向かって歩み出した。酔っ払いのように足元がふらついている。
だが走り始めると、すぐトップスピードに入った。得意としている素早い足の運びで風を切っていく。
ヘルデの目の前まで来ると、地面に一つ釘を打った。その直後、両足の靴底が光り、加速する。それまで以上の速さでヘルデの周囲を左回りに一周した。
最初に釘を打った位置へ戻ってくると、ハルタの左手には、もう釘はなかった。口に咥えていた分もない。
両足の靴を脱いだ。急いで放り投げられた靴が空中で爆発する。火花と煙が散った。
ヘルデを円で囲むように、等間隔に釘が地面へ軽く打ち付けられていた。
ハルタは担いでいたロープを下ろす。先端の鉄球を利用し、カウボーイのように振り回した。そして十分に勢いがつくと投げた。
鉄球によって、ロープが釘の胴部を外側に沿って伸び、円を描くように外側を一周する。
戻ってきた鉄球をキャッチした瞬間、すべての釘が薄緑色に発光し、光の筋が上がった。拡大して筋同士が干渉し合い、やがて大きな円柱を形成し、ヘルデを閉じ込めた。
ヘルデが悲鳴を上げた。その場で片膝をつく。
「成功した……」
ハルタは愕然として震えた。間抜けな顔でヘルデを見上げた。慌ててサーベルを抜こうとする。が、鞘が空っぽだった。
遠くに転がっているサーベルを見つけた。角材で殴られた時に落としたらしい。
取りに行くかどうか悩んだ末、左手で腰の後ろにある鎧通しを選んだ。
「くそっ」
ハルタは何かを待っていた。片膝をつき、何かに苦しんでいるかのようなヘルデを睨みつけた。
しばらくすると薄緑色の発光が消える。円柱が消えた。ヘルデが頭からうつ伏せに倒れた。振動。
ハルタは上手く動かない足で近づき、ヘルデの首元を何度も刺した。鎧通しほどの小さな刃物を振り下ろす、というそれだけの作業で眩暈がする。もう体力は残されていなかった。
何度刺したか分からない。何度目かでばきっと音がした。刃が折れたのだ。癖で舌打ちが漏れたが、もう十分に深く刺したはずだ。ヘルデも動かない。
だが落ち着かない。不安が止まない。
ダメだ、もっと刺さないと。もっと深く刺さないと……。
サーベルを取りに行こうとヘルデへ背を向けた直後、頭に重みを感じた。
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