第5話 『魔法陣の使い方』

「世間で我々をなんと呼んでいるか、知らないのか? 金魚の糞ならぬ、需要の糞尿ニーズレスと呼ばれている。定職にもつかず、日銭で好き勝手やっているくだらない連中だとな。蓋ノ国の人口は約七四〇〇万人。労働者の数が約三〇〇〇万人。うち一万と三千人ほどが潜りだと言われている。国外の者も参加しているから定かではないが。潜りの死亡者数、行方不明者の数が年間約二〇〇〇人。ここでは日用品か何かを使い捨てるように人が死んでいく。我々は運がいい。ここの探索は蓋ノ騎士ですら嫌がる。潜りはそれを好き好んでやりたがる。連中にとって都合がいいことこの上ない。だから潜りのみ立ち入りが黙認されている。持ちつ持たれつだ。潜りの行動を制限しても、連中が損をするだけだ。だが今回のような事故がまた起きれば、国も潜りを取り締まらざるを得なくなるだろう。彼らにもメンツがある。潜りたちはそれを恐れている。天井を破壊して大扉を封鎖する、なんてことができるのはイカルガさんのフルバーストくらいのものだ。彼女さえ排除できればその心配はない。熱線魔ねっせんまを引退させたいのは、国でもギルドでもない。潜りだ」


 信じていたものが崩れ落ちていく。初めから、誰も〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉など、イカルガなど認めていなかった。彼女を英雄だと認めていなかった。すべて勘違いだった。今にして思えばそれは当然のことであったのだと、ハルタは思い違いをしていたことに気付く。

 誰でも挑戦できる。資格はいらない。年齢制限もない。そういう場所にはクズが集まりやすい。よって秩序もない。


 地下墓地を治外法権のような場所だと考える潜りもいるくらいだ──駆け出しの頃、ハルタは誰かにそんな話を聞いたことがあった。今になってそれを思い出す。


 潜りがどれほど野蛮か、そのうち分かるだろう──。


 顔が思い出せないが、声だけが脳内再生された。

 地響きのような音がした。下っ腹へ直接響くような轟音に、ハルタの思考が止まる。地面が大きく揺れた。

 天井にひびが入った。直後、崩れ落ちる天井。

 離れろ。

 潜りが叫んでいる。避難していく。ハルタと湯葉丸も潜りに混ざり、避難し始める。

 ハルタは振り返った。空間の中心から砂煙が追いかけてくる。腕で顔と目を守った。

 避難する潜りたちの足音が次第に止む。そのときには、ハルタも湯葉丸も立ち止まっていた。

 煙の中心に、崩れた天井が瓦礫となってあるはずだ。だがそこに、潜りたちは瓦礫以外の何かの気配を感じ取っていた。煙が晴れていく。

 そもそも何故、天井が崩れた?──。

 すぐにその答えが返ってきた。

 奇声がした。心臓を鷲掴みするかのようなその動物鳴き声に、潜りたちは縮み上がる。


「ヘルデだ!──」


 潜りの一人が叫んだ。周囲へ知らせた。直後、その潜りの頭上に何かが振ってきた。

 ぐしゃり──。圧死。振り下ろされた角材。建材だ。と同時に、その一振りによって舞っていた残りの砂煙が辺りへ散る。

 そこに、ヘルデの巨大な図体が現れていた。

 ヘルデは角材を武器にする。ヘルデルタと同じだが、その太さ、長さは、体の大きさに比例する。

 また奇声が襲った。空間が震える。潜りたちはとっさに耳を塞ぐが、全身がびりびりと痺れ、一瞬にしてその威圧に呑まれた。足のみならず、体全体が数秒止まる。


「ハルタ、止まるな。逃げるぞ!」


 湯葉丸はハルタの背中へ叫んだ。


「どこへ逃げるというのかね?」


 ヘクターの声だった。

 ハルタの体が地面へ沈む。後ろから首根っこを鷲掴みされ、地面へ押しつけられた。

 助けようとした湯葉丸の体が突然、腹ばいに地面へ沈んだ。傍でラキィ・マリアスが茜色の楯を構えていた。


「戦え!」


 ヘクターは逃げる潜りたちへ叫んだ。


「お前たち、潜りだろ! ヘルデごときに臆してどうする!」


 潜りたちの足が止まった。やがてちらほらUターンしていく者の姿があった。


「君のような都合の悪い者を、生かす理由はほとんどない。私以外の者にだって、君を殺す理由はある」


 後頭部の辺りでヘクターの声がした。

 誰に拘束されているのかハルタは気づく。いつの間に傍まで移動したのか。ヘルデから逃げるため、かなり走ったつもりだった。一度手合わせしてはいるが、あの巨体からこの移動速度は想定できなかった。


「君の戦い方を見ていたよ。甘ったれた戦い方だ。確か、前パーティーのリーダーに教わったと言っていたね。リーダーの苦労が窺える」


 潜りたちの悲鳴がぽつぽつ聞こえる中、


「君はヘルデを殺せない」


 ハルタの目が丸く見開く。核心をつかれたように。


「君のリーダーは、君にヘルデの相手をさせるつもりがなかったようだ。君の見解はさておき、片手持ちできる軽いサーベルに、相手との距離に詰まった際の鎧通し。そもそも、その半曲剣自体が、対象との距離が近すぎた際の、不都合な距離感においての対応がしやすい武器だ。すべて考えられている。だがどれにおいてもヘルデを想定していない。あれはヘルデルタのみを想定した戦い方だ。だから君は、そのときは弓矢を使うのだろ?」


 ハルタの体から力が抜けていく。

 理解していたことから、自分が知らなかったハーレーの考えまで、すべてがヘクターの軽快な口調によって暴かれた。

 知らなかったわけではない。ハルタはこれまで、知らないふりをしていた。期待されていないことは分かっていたし、ハーレーが何故自分にこの剣を持たせたのかも、うすうすは気づいていた。


「潜りたちがヘルデを相手にしている際、君は必ず援護にまわる。弓矢で彼らを癒していたな。私は呆れたよ。弓矢すら武器として使おうとしないのか、とね。究極のヘタレだ。ダサすぎる。なんて他人任せで、恥知らずなんだ」


 ヘクターが急にハルタの拘束を解いた。


「ハルタくん、私と賭けをしないか」


 ヘクターが提案する。

 ハルタはすぐに起き上がろうとはしない。言葉を返す気力もなかった。すべてが思い上がりだったことを、思い知らされたのだ。


熱線魔ねっせんまのことは諦めなさい。自分が必要な存在であることを証明しろ。私や他の潜りたちに対して。あのヘルデを一人で殺せたら、湯葉丸くんを助けてやろう」


「や、やめてください!」


 湯葉丸の声だった。


「ハルタには魔力がないんです!」


 風圧に押さえつけられながら、声を振り絞った。


「知っている」


 と答えたヘクターの言葉に、湯葉丸は絶句した。

 何故、クランのサブマスターが、知名度そこそこの、パーティーの荷物持ちであるハルタの特性について知っているのか。

 すべての人類が魔力を有して生まれる中、稀に魔力を持たずして生まれる者がいる。ハルタに魔力がないことは、〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉内で守秘されてきた。パーティー外では自分しか知らないものだと、湯葉丸は思っていた。

 まさかサブマスターだけでなく、潜りたちも知っているのだろうか。そんなはずはない。

 湯葉丸には分からなかった。


「か、関係ないでしょ、湯葉丸は!」


 ハルタは焦りを見せる。


「君たちがギルドの決定を覆そうと企んでいることは、最初から分かっていた。湯葉丸くんを巻き込んだのは、ハルタくん──君だ」


 ヘクターは即答する。


「イカルガが一歩でもここへ入るだけで、俺たちはみんな死刑だ……そんなのおかしいじゃないですか。めちゃくちゃじゃないですか……」


「潜りは常に法を犯している。ここにいる全員、そもそもここで見つかれば即刻死刑だ。蓋ノ騎士団にとっては、それは取り締まらないのではなく、数が多すぎて対応しきれないだけだとそう言える方がマシだ。彼らが体裁を保てなくなったらどうする。我々もそこに甘んじているというのに」


「あなたは死刑になってないでしょ」


「見つかれば、と言ったはずだ。ガキじゃないんだ。そろそろ受け入れろ、その辺りのことも。揚げ足を取っても意味はない。バカを露呈し、自分の評価を下げているだけだと気付け。皆まで言わせるな。彼女の処分取り消しも、軽減もありえない。これは全体の総意であり、決定だ。要するに、ケジメだよ」


 ハルタは、ビョークの言葉を思い出した。ケジメ──数日前、ハーレーが解散を告げたとき、彼も同じことを言っていた。

 ビョークは分かっていたんだろう。頭のいい奴だ。だからイカルガの処分もすぐに受け入れた。俺とは理解力が違う。抵抗するだけ無駄だと分かっていたんだ。誰も手を貸さない。どころか各所へ反発を招く。自分の立場を悪くして、今以上に状況を悪くするだけだ、と。

 ハルタは遅すぎたことを痛感した。


「闇で〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉に懸賞金が出ている」


 鼓動が増す。


「だが私なら取り消すことができる。今日の君の失言と一緒にな」


 ハルタはヘクターの言葉を素直に信じることができた。懸賞金が出ていたのなら辻褄が合う。だから潜りに命を狙われたのだ。

 湯葉丸はどこかのクランが差し向けたのだと言ったが、事実は単純で、懸賞金欲しさに潜り全体が〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉の殺害を目論んでいたのである。


「取り消すって、どうやって」


「方法は問題ではない。信じるも疑うも君の自由だ」


「だからあのヘルデと戦えって、そういうことですか?」


「察しがいい」


 懸賞金が撤回されなければ、ハルタを含め、ハーレー、ビョーク、イカルガの四人は今後を命を狙われ続けることになる。

 そして、湯葉丸の命。

 ヘクターによって、すべての命が握られていた。


「すべての噂は、思惑によって人為的に流れるものだ。意図して流すなんてことは簡単だ。〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉は熱線魔ねっせんまを諦め、新たな道へ進むことを決めた──そういう筋書きを流布しておこう」


「なんで、俺にそこまでするんですか」


「なんでって……まあ、同業者だからなぁ」


「理由になってない」


「単に潜りの未来を案じているだけだ。有能な人材は確保しておきたい。〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉は近年稀に見る逸材だった。だが臆病者はいらない。だが、あれほどのパーティーだ。君にも何かしらあるのだろうと、私はその一点でのみ君に期待している。それだけのことだ。深い意味はない。期待は安い。タダだからな。他人に期待する人間は大抵クズだ。自分では何もしない。私がクズで良かったな」


 腕を使ってゆっくりと上体を起こし、ハルタは立ち上がった。

 湯葉丸が「ハルタ」と、その背中に呼びかける。心配そうに。ハルタは振り向かない。


「俺が勝てば、湯葉丸は助かるんですか」


「約束しよう」


 ハルタはサーベルを抜いた。

 一歩、また一歩とその場を離れ、戦闘の渦中へと近づいていく。入っていく。逃げ惑う潜りたちとすれ違いながら。


「ハルタ!」


 湯葉丸が叫んだ。待て、とでも言うように。

 ハルタは振り返らない。


「潜りは、一人でヘルデを倒せて初めて一人前といわれる。あれに負けるようでは生きている価値はない」


 ハルタの姿に、周囲の潜りたちがざわつく。様子を見ている。アイコンタクトを取り合い、殺すかどうか仲間同士で相談している者までいた。


「手を出すな、彼にやらせる」


 ヘクターが浮遊し高台へ移動していく。風を纏い、ラキィ・マリアスも同じく浮遊する。湯葉丸を風で浮かせて共に移動した。

 置き去りにされた潜りたちが、来た道を戻り退避していく。

 頭上を影が通った。ハルタは反射的に見上げた。影を目で追おうとして振り返った。

 退避していく潜りたちの行く手を遮るように、ヘルデが着地した。地面が揺れる。


「飛び越えたのか、この距離を」


 ヘルデにも個体差があり、能力が異なる。これほどの跳躍力を備えたヘルデを、ハルタは見たことがなかった。

 イカルガならどう対処するだろうか。

 箒で掃くように、ヘルデは角材を振り回した。避けきれなかった潜りたちが、軽々と飛ばされていく。悲鳴が上がった。壁や天井に勢いよく打ち付けられ、潰れたり、破裂したりした。


「グリス! ログラインを連れて逃げろ!」


 その渦中に二人の姿を見つけた。ヘルデとの距離が近い。二人のとこもヘクターに頼むべきだったと気付いたときは遅かった。

 ハルタは二人へ向かって走り出した。


「ログライン、走れ!」


 グリスが叫んですぐ、頭上を見上げた。角材が見えた。絶叫しながら、とっさに左方向へ飛び込んだ。直後、振り下ろされた角材が地面へめり込む。

 ヘルデの攻撃は外れた。

 避けたグリスを目視し、ヘルデは鼻息をもらす。悔しがるように。山羊の目が血走っている。さらに悔しがるように雄叫びを上げると、角材を持ち上げ振り下ろした。

 グリスは俊敏だった。飛び込んでは立ち上がり、また飛び込む。そうやって回避した。

 モグラ叩きのようだ。角材が地面に触れるたび足元が揺れ動く。地面が抉れて土が飛び散る。


「いける」


 グリスの姿を見て、ハルタは笑みを浮かべた。

 サーベルを納め、弓矢を取り出した。矢を放ち、ヘルデの気をこちらに向けようと考えた。

 その隙に二人を逃がそう。

 そう考えた、そのとき。

 足元が揺れた。

 べちょっ──。頬に何か飛び散った。拭うと手の甲に何か黒っぽいものがついた。土ではない。液体だった。


「え……」


 ハルタは顔を上げた。ヘルデの角材が地面にめり込んでいる。


「……ん?」


 グリスの姿が見当たらない。

 傍で、ログラインが呆然と立ち尽くしているのが見えた。彼女の表情、唇が、何かを言いたそうに震えているのが分かった。

 ログラインが叫び声を上げた。良く響く声だ。そのまま両膝から崩れ落ちた。肩を揺らしながら、震えて叫んだ。

 ヘルデの持ち上げた角材の先端に、どろっとしたものがこびりついていた。近くにいた潜りたちの松明の灯りで色が見えて、ハルタはそれが人間の血と肉であることが分かった。

 ハルタの手から弓と矢が落ちる。

 言葉にならず、ハルタも呆然と立ち尽くす。

 ヘルデが雄叫びを上げた。殺してやった。ヘルデがそう言っているかのように、ハルタには見えた。

 俺のせいだ……。

 ハルタはサーベルを抜いた。助走をつけるようにして、少しずつ進み始める。走った。

 俺のせいだ。俺がさっさと動かなかったから……。

 ヘルデに接近したハルタは、刃の裏側で角材を打ち上げようとした。無理だった。電気が走ったみたいに手が痺れたが、サーベルだけは落とすまいと耐えた。

 足元を見下ろした「-」の形をした黒目と目が合う。

 気付かれたがハルタの方が速かった。ヘルデが立て直す前に、素早く足元へ潜り込み、左足──くるぶしの辺りを斬りつけた。


「浅いっ」


 初めて斬った。すぐに分かった。浅い、と。

 ヘルデルタと同じ要領で斬ってしまったのだ。

 風を切るような音が聞こえた。振り返る。角材が見えた。


「あ……」


 身動きが取れなかった。ハルタは角材に薙ぎ払われ、高く宙を舞った。湯葉丸の声が聞こえた気がした。気のせいかもしれないと思った。

 地面へ叩きつけられるように落ちたハルタは、ぐったりとなる。痛みで立つことができなかった。

 動いていれば、グリスを救えただろうか。魔力もない自分に、今の一瞬で一体何ができただろうか。

 痛み以上に、無力感によって立つことができなかった。


 弓を構えて……あとは、イカルガに任せて、おけばいい……。


 声が出なかった。ハルタは心の中で呪文のように呟いた。

 過去の記憶が脳裏に過った。走馬灯のように──。

 それぞれの背中に癒しの矢を射る。それで完璧だった。それでフォーメーションが成り立っていた。一カ月前までは。だからそれ以外のことは、必然的にする必要がなかったし、しようと思ったこともなかった。


 良かったなぁ、あの頃は……。

 いつからだ。いつから俺は、こうなった?


 地下墓地へ潜り始めた初期の頃、ハルタはヘルデに殺されかけたことがあった。調子よく向かっていき、ヘルデの振り下ろした角材の餌食になりかけた。助けてくれたのはイカルガだった。だが彼女は重症を負い、しばらく入院することになった。ハルタは腕の骨を折るだけで済んだが、彼女の背中には、今もそのときの傷が残っている。


 あの時からか。


 しばらくしてハーレーと出会い、〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉に入り、ビョークやフォソーラといった強者に出会った。

 ハーレーは人の育成が得意だった。彼から魔力の扱い方を学んだイカルガは、その後に頭角を現し始める。複数のヘルデを一人で相手にした。勝利した彼女を世間は熱線魔ねっせんまと呼んだ。

 ハルタは人任せな人間になり腐っていた。とうに情熱や意欲は失われている。二人で地元を離れ、このダックリバーにやってきた時は、そうではなかった。何か夢を見ていた気がする。

 頭を少し上げると、前方遠くにヘルデの尻が見えた。向きを変え、こちらへ振り向いた。

 ハルタの目が見開いた。目の前にイカルガが立っていたからだ。


「……イカルガ?」


 体を持ち上げようとして地面についた片手が震える。頭を上げ、前方へ目をやるとイカルガの姿は消えていた。幻覚だった。

 高台から湯葉丸の声が聞こえる。「ハルタ」と叫んでいる。

 ハルタはゆっくりと立ち上がった。

 湯葉丸を助けてやりたかったが無理なようだ。

 そう悟りながら、背負っていたリュックを下ろし、チャックを開けた。

 中から釘とトンカチ、先端に重り──鉄球のついたロープを取り出した。護符も二枚取り出し、それを靴底に片方ずつ貼りつけた。

 口に釘を数本咥え、左手に釘を数本持ち、右手にトンカチを持った。ロープを首へ通し、肩から斜めに背負うと、ヘルデに向かって歩み出した。酔っ払いのように足元がふらついている。

 だが走り始めると、すぐトップスピードに入った。得意としている素早い足の運びで風を切っていく。

 ヘルデの目の前まで来ると、地面に一つ釘を打った。その直後、両足の靴底が光り、加速する。それまで以上の速さでヘルデの周囲を左回りに一周した。

 最初に釘を打った位置へ戻ってくると、ハルタの左手には、もう釘はなかった。口に咥えていた分もない。

 両足の靴を脱いだ。急いで放り投げられた靴が空中で爆発する。火花と煙が散った。

 ヘルデを円で囲むように、等間隔に釘が地面へ軽く打ち付けられていた。

 ハルタは担いでいたロープを下ろす。先端の鉄球を利用し、カウボーイのように振り回した。そして十分に勢いがつくと投げた。

 鉄球によって、ロープが釘の胴部を外側に沿って伸び、円を描くように外側を一周する。

 戻ってきた鉄球をキャッチした瞬間、すべての釘が薄緑色に発光し、光の筋が上がった。拡大して筋同士が干渉し合い、やがて大きな円柱を形成し、ヘルデを閉じ込めた。

 ヘルデが悲鳴を上げた。その場で片膝をつく。


「成功した……」


 ハルタは愕然として震えた。間抜けな顔でヘルデを見上げた。慌ててサーベルを抜こうとする。が、鞘が空っぽだった。

 遠くに転がっているサーベルを見つけた。角材で殴られた時に落としたらしい。

 取りに行くかどうか悩んだ末、左手で腰の後ろにある鎧通しを選んだ。


「くそっ」


 ハルタは何かを待っていた。片膝をつき、何かに苦しんでいるかのようなヘルデを睨みつけた。

 しばらくすると薄緑色の発光が消える。円柱が消えた。ヘルデが頭からうつ伏せに倒れた。振動。

 ハルタは上手く動かない足で近づき、ヘルデの首元を何度も刺した。鎧通しほどの小さな刃物を振り下ろす、というそれだけの作業で眩暈がする。もう体力は残されていなかった。

 何度刺したか分からない。何度目かでばきっと音がした。刃が折れたのだ。癖で舌打ちが漏れたが、もう十分に深く刺したはずだ。ヘルデも動かない。

 だが落ち着かない。不安が止まない。

 ダメだ、もっと刺さないと。もっと深く刺さないと……。

 サーベルを取りに行こうとヘルデへ背を向けた直後、頭に重みを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る