train

うさぎさん⭐︎


train



 電車に乗って通学しながら、俺は時々思う。

 ━━みんな、何を思っているのだろう……?


   ※ ※  ※




 寝坊した。完璧に遅刻だ。今から行っても、二時間目に間に合うかも、わからない。親は共働きだ。俺が起きると、両方とも、いつももういない。サボろうかと、思った。でも、俺はここんとこずっとサボっていたし。あんまり行かないと、母さんが泣くから。俺は着たくもないダサい学ランに袖を通す。


 先公に呼び出しを食らうだろう。気が重い。きっとまた言われる。

「進学が危ない」
 宝くじ売場に目が行く。金でも当てて、どこかに行きたい。

「三億円。この売り場から出ました!」どこの売り場にもそう書いてある気がする。━━嘘くさい。
 俺は高校に入ってから初めて知った。ファーストフードショップは、朝はメニューが少ないこと。平日だというのに、俺みたいなヤツが、平気な顔して街をぶらついてること。別にそんなことに目を留めない大人たち。忙しそうに働く人々を嘲笑って、ゲーセンなんかに行く、冷めた━━嫌な俺。久しぶりに登校した俺を見る、いつまでたってもなじめない、クラスメートたちの目。何日も行かないと、俺の机は、物置やゴミ捨てになること。などなどなど……。別に知りたくなかった。
 俺は灰色の空の下、ほとんど無意識に溜め息をついて。駅前で一度立ち止まって。けど、結局、定期を入れて、自動改札を通り抜けて。重い鞄を脇に抱えて。駅の薄汚れた床を見ながら、ホームに向かう。ホームの反対側を、俺とは逆方向へ向かう電車が走っていく。あれに乗りたかった。そうしたら、あんな学校行かなくて済むのに。
 全然人がいなかった。いつもなら、頭痛くなるほど学生とかで溢れてるホーム。俺はちょっと笑った。椅子に座って、何本か電車を見送った。どうせ、遅刻だ。何時目に登校したって、変わらないだろう? どうせ、行っても、寝てるだけだ。母さんは、それでも行けば喜ぶ。勉強なんかなんもしてないのに、なんもがんばっちゃいないのに。連続して行けば「がんばってるね」なんて笑う。俺は、申し訳なさと、ばからしさと、いらだちで、溜め息にも似た嗤いを洩らす。
『どうして学校に行かないの』


『前はあんなにいい子だったのに』


『おまえ、進学危ないぞ」


『いいから、行けばいいだろう‼︎』


『お子さん、精神病院に入れたほうがいいんじゃありません?』


 俺は、立ち上がって、売店へ行った。ケースから缶コーヒーを取り出す。隣の若い店員と話し込んでて、ほとんど俺を無視したおばさんが、一時(いっとき)だけ、お愛想笑いを浮かべて言う。


「百十円です」


 自販機のより、少し安かった。ちょっと得した気になる。でも、こんなの最初から買わなきゃ、損も得もないのに。


 ホームに立つ。足の先に、黄色い、盲人用の通路。こんな線路に近いとこ、目の不自由な人に歩かせようなんて、日本はどうかしてる。ホームの中央とかは、人がいたり物があったりして、目の不自由な人が歩くと逆に危ないから?そんなん、優先順位が違うだろ?
 アナウンスがあって、電車が来た。俺は、そのなかに入る。俺の他に、人が一人いるだけの、車両。なんだか、ひどく無意味な気がする。俺はその人から離れたシートに座って、惚けたように窓の外を流れる景色を眺めた。
 最近できた、七階建ての、電化製品専門店。派手な看板。スピーカーから流れる、騒音。人混み。そんなものから、遠ざかる。


 しばらくして、ふと目をやると━━、人が━━ソイツが、俺を見ていた。しかも、スケッチブック取り出して、なんか、俺見て、なんか描いてるっ‼︎
 俺は極カソイツを無視することにした。だいたい、最初から俺は、コイツは無視したかったんだ。
 ━━ヤツが、星海(せいかい)高校の制服を着てるから。


 俺の、真っ黒な学ランと違って、ヤロウが着てるのは、灰色の、詰め標だけど、俺みたいに金色のボタンが五つも六つもついてない━━カッコイイ制服(ヤツ)なのだ。


 ……だって、俺は、この制服に憧れていた。


 電車が揺れる。音を立てる。俺は、鞄を自分の脇のシートに乗せたまま、一口も飲んでいない缶コーヒーを握って、足元を見つめた。そのまま目を閉じて眠りたかったんだけど、俺は、スケッチブック持ってまだこっち見てなんか描いてる変なヤツが気になって、夢の国に行きそこねた。
 だいたい、星海は、方向が、全っ然、逆だろ⁈  サボリかよ⁈ 星海受かっといて、サボんじゃねーよっ‼︎


「おい」


 俺は、頭に来て、席を立ち、早歩きする。ソイツの前に立つ。揺れたので、カッコ悪く、吊り革にしがみつく。


「おい、おまえ」
 

 ヤツが大学ノートくらいの大きさのスケッチブックから顔を上げ、俺を見た。
 ━━奇妙な既視感がした。
 

 ヤツは、アホなくらい前髪が長くて、顔上げてるくせに、全然目が見えない。俺はいらだつ。ヤツの左耳で、金のリングピアスが光っていた。俺はピアスなんかつけたこともない。ヤツは、右手にスケブ。左手に、鈴筆。━━左利きか? 俺は右手に吊り革。左手に職と缶コーヒー。右利きだ。ヤツと俺は、体型が似ていた。情けないことに、あんま、背が高くない。筋肉だって、あんまなさそう。


「なに描いてんだおまえ⁈」


 口端(くちは)を上げて、ヤツは笑んだ。


「心が知りたくて」


「ココロ?」


 わけわからん。俺は、ヤツからスケブを取り上げようとする。が、ヤツは胸にスケブを抱え込んで、背を向け、それを見せようともしてくれない。


「僕は、絵がへただから」
 俺だって、へただよ。俺は吊り革から手を離し、シートの上に転がってた、ヤツの鞄を人質(?)にした。


「これで、どうだっ!」


 なんか、アホっぽい、俺……。


「━━悪党ですね」


「うっせえよ。鞄惜しけりゃ見せろっての」


「…………。ハイ」


 ヤツは心底嫌そうに、スケブをよこした。……うまいじゃねぇか。細(こま)やかな、滑るような描写。黄色っぽい紙に、鉛筆で、俺の顔が描かれていた。ひどくつまらなそうな顔をしてる、俺。
 俺は荷物をその辺に放ると、ヤツの隣に腰を下ろして、スケブをめくった。


 女の顔や、男の顔。じいさんやガキや━━、いろんな人の顔が、描かれていた。みんな、俺と似た、つまらなそうな顔をしている……。


「おまえ、星海のヤツだろ? なにしてんだよ、こんなとこで」


「あなたは、雲霧(くもぎり)高校の方ですね。そっちこそ、遅刻ですか?」


 ……ム……、ヤなヤツだな。


「まぁ、いろいろあんだよ」


「僕だって、いろいろありましてね」


「なぁ━━ココロって、なんだよ?」


「僕は……人の……誰かの……の、心が知りたくて」


「え?」


 最後の、聞き取れなかった。


 ヤツは、俺からスケブを取り返すと、また、なにやら描き始めた。━━俺だった。
「ちょ、やめろよ! なに、勝手にまた人のこと描いてんだよ⁈ おまえ、ほんっとにヘンなヤ━━」


「ところで、この電車、止まってません?」


「━━え?」


 俺は辺りを見回した。景色、動いてない。ってか、ここ、トンネルの中。━━うわぁ⁈ マジで、電車止まってる⁈
「な、なんだよ⁈ 事故かよ⁈  アナウンスとか入んないのかよ⁈」
 俺は右往左往したあげく、両隣の車両に移ろうと試みるが、なぜか、両方とも戸が開(あ)かない。しかも、今になって気づいたけど、隣の車両。誰も、両方とも……人影ね~じゃねぇか。


「おーい! どうなってんだよ⁈」


 待てど、暮らせど、状況に変化無し。


「ちょっ⁈ 誰か⁈  ━━なんなんだよ⁈」


 止まったままの電車の窓を片っ端から開けようとするが、どれもこれも━━なぜか開(あ)かない‼︎  非常ドアも開(ひら)かないいし、消化器、今は意味ないし!
「ち、ちくしょー! ぶち壊すか、窓⁈」


「━━やめといたほうがいいですよ。……無駄です」


 今まで悠然と座ったまま、なんか描きながら黙ってたヤツが、口を開いた。


「な、なに言ってんだよ⁈  ってか、おまえ、絵え描いてないで、手伝えよっ!」
「この電車には、最初から僕とあなたしか、乗ってません」


「はぁ⁈ ゆりかもめじゃあるまいし、な訳、あるか!」


「助けは来ませんよ」


 ヤツは妙に確信のこもった声で言い切った。


「……どういうことだよ?」


「━━迷ってるんですね」


 スケブから目を離して、ヤツは俺を見た。


「だから、電車が止まったんです」


「…………」


 俺は、消化器を持ち上げると、窓に向かって振り下ろした。……ガラス、割れない。


「迷ってるんでしょう?」


 ヤツは、また、鉛筆を走らせる。
 俺の目の前の窓に、俺が映った。でも、【今の俺】じゃない! 中学のブレザー着てた俺。それが、窓に━━薄暗かった電車の窓中がいきなり明るくなって、そこに、中学の時の俺の姿が浮かんでる!


「━━な、なんなんだよ、コレ⁈」


「過去の記憶」


 ヤツの言葉と共に映像が━━たくさんの窓に移ったたくさんの━━昔の俺が、動き出す。


 同時に、電車が逆走しだした。トンネルを抜け、空の下に出る。空はまだ少し曇っていたが、雲間から、光がこぼれだす。




 俺はまっすぐ前を向いて歩いていた。中学。廊下。朝。━━後ろから、羽村(はむら)と失部(やべ)が走ってくる。いきなり二人で、俺を羽交い締めにする。俺も、羽村も矢部も、みんな、笑っている。
 教室。授業中。空を見る振りをして━━俺は、中山(なかやま)を見つめていた。長い髪。二重の目。ピンクの唇。俺なんかに気づかず、黒板の英文をノートに写している。俺は、胸の鼓動を加えるのに必死で。先生の声なんか、素通りしてて。━━好きだったんだ。本気で、好きだったんだ。

「や、やめろ!なんだよコレ⁈ やめてくれっ!」


 俺が叫んでも、映像は途切れない。



 中山が、転校した。突然だった。昨日まではなんもなかったのに、次の日登校したらもう━━あいつの席は空っぽだった。先生が何か言う。イエノツゴウデ、キュウナコト━━!。


 矢部と羽村の志望校が決まった。俺だけ、決まらない━━。奴らは、ちゃんと勉強して。俺はどうしたらいいか、わからなくて!━━。


 見つけた。


 風に木々がそよいでいた。ここだと思った。ここが、俺の行きたい学校だと思った。自然が優しくて。校風が、気に入って。見学したときの、先生方の態度が良くて。生徒たちが生き生きして見えて。パンフレットを何度も何度も読んで。想像した。あの灰色の制服を着てる、自分。俺も、あんなふうに、先輩たちに混じって、輝いてた。親に話したら、二人とも喜んでくれた。協力してくれた。俺は勉強して勉強して━━でも……

「星海に、受からなかったんだね……」


 ヤツが言う。また、電車が止まった。曇り空の町。昔の映像が、やっと、消えた……。
 俺の声は、震えていた。


「な、なんなんだよ、おまえ……」


 そうだ。俺は、星海に落ちたんだ。それで、雲霧なんて、三流校へ行くことになって。頭、悪いヤツばっかで。俺も、その一員で。毎朝、電車下りて、何十分も歩かないといけなくて。田舎で。今まで聞いたこともないような地名で。先生は態度悪くて。中学の時は、あんなに校則で縛られてたのに、いきなし、旅任主義で、ついてけなくて、周りと合わなくて。合わせたくなくて━━。


「だからって、おまえとなんの関係があんだよ⁈」


「……君は、それで、今が、嫌になってしまった。考えるようになった。思い出すようになった。過去のこと。楽しかった日々。もう、戻らないきらめき。もしも、あの時……ああだったら。こうしていれば……」


 電車がまた、逆走し始める。



 窓に、中学生だった自分が現れる。
 失部たちと笑って別れて、俺は、歩きだす。公園に来た。ベンチに座って、ずっと待っていた。やがて、息を切らした中山がやってくる。長い髪が、舞っていた。
 俺は言う。
『好きだ』━━。
 中山が恥ずかしそうに頷く。見上げると、青空で太陽が輝いている。
 俺は矢部たちに言う。星海に行く。矢部たちは驚いて、笑って、みんなで、勉強して━━。
 そして。俺は、あの灰色の制服を着る。
 母さんと父さんが嬉しそうに頷く。俺も笑う。転校した中山からの手紙を、鞄に入れる。

 電車が止まる。


「これが、君の、望んでいること━━だね?」


「そうだ。俺は、こんなふうに、なりたかった……」
「だろうね。でも、もしも、そうなっていたとしても━━、幸せは、長く続くとは━━、限らないんだよ……?」
 

電車が動き出した。今度は、ちゃんと進行方向へ。前へ......。
 星海の制服を着た俺のヴィジョンが、もう一度、窓に浮かんだ。




 星海の勉強は難しくて。俺は、自分の部屋で、溜め息をつく。鞄から、中山の手紙を出して、読み返す。それで、元気を取り戻して、参考書に目を戻す。
 受験のとき、あんなに応援してくれた父さん母さん。でも、星海に受かったら、それが当たり前になって。赤点を取って、母さんがそんなんじゃ恥ずかしいという。父さんは、自分はそんなんじゃなかったって嘆く。俺は勉強して勉強して━━でも、父さんや母さんがうざったくて。


 学校では。友だちは……一応、いた。ストレスがたまったといって、俺たちは、気晴らしをする。ターゲット。気の弱いヤツ。誰でもいいから、面倒のないヤツを見つけて、寄ってたかってそいつを嘲笑う。蹴飛ばす。殴る。
金を巻き上げる。クラスのヤツらは、誰もそんな俺たちとは目を合わせようとしない。先公? 見て見ない振りするだけさ。アハハハハ、最高だぜ!
……ホントウニ?
 だけど、ある日突然、それは変わる。俺は、何か、別にどうってことないことを言っただけのはずだ。確かに、勉強やら、家のことで、俺の態度は刺々しかったかもしれない。でも━━、渇いた嗤い。獣じみた眼。魔物の牙。それらは、ターゲットは━━俺に、奴らの牙は、俺に向かってきた! 昨日まで俺らでいじめてたヤツも、何もなかったような顔して、奴らと徒党を組む。毒々しい剣(つるぎ)が、俺の胸に━━心に、突き刺さる。俺の心は、呻き、血を流す。戻なんか、もう出ない……。
 誰も、助けなんか、来ない。期待しちゃ、いけない……。


 そうだ。俺だって、同じことしてた。俺が部外者だったら、きっと同じように、見ない振りしてた。次の、俺の代わりの生け贄が決まったら、俺もまた、奴らと一緒になって、ソイツを傷つける━━。
 でも、そうされるのが、こんな死にそうなくらい辛いなんて、わかってなかったんだ━━。考えないようにしてたんだ。誰かの、相手の、気持ち、なんて……。
 成績が急激に落ちた。父さんと母さんが何度も怒鳴る。俺は、そこらにあったもん全部、親に投げつける。肩で激しく息をする。ウルサイウルサイウルサイ━━‼︎ てめーらに、なにがわかるよ⁈ 勉強なんかっ、どうでもいいじゃねーかっ‼︎  それどころとじゃねーんだよ、俺、今……。
 学校。もう、行きたくない。行っても、俺、俺じゃなくなる。奴らのおもちゃ。羽をむしられた鳥。踏みつぶされた虫。そんなの、俺じゃない━━! 奴らに実際、無理やり━━猫を殺すところも、見せつけられた……。モウイヤダ。思い出したくない。俺はなにも、知らない━━っ‼︎
 

 鞄。手紙。中山。中山。中山。


 俺は全然、手紙を書いていなかった。時々、中山が書いてきて。それも、ここんとこ、なくなって。━━書けなかった。こんな俺、中山に知って欲しくなかった。電話も。ピッチに入ったメールにも。全然、なんも、応えられなくて……。


『好きだよ』


『何してるの?』


『逢いたい』


 俺は、電車に乗った。星海の、薄汚れた制服着たまま。ただ通り過ぎてく景色。電車乗った奴らも、世界も、みんな、全部真っ暗で。俺と同じだと思った。


 ━━絵が描きたい。


 ふと、思い出した。


 子供のころ、俺は本当は、絵描きになりたかった…....。
 

でも、そんなの、もう信じられない。未来(さき)なんて、なんもわからない。
 


 中山の家。俺は、手紙の住所を頼りに、中山の家の前に来て。佇んで。ただ、待っていた。


『好きだよ』


 その言葉に、すがりたかった。


「中山……!」


 俺は、そう言おうとした。……はずだ。


 言えなかった。


 中山の隣りに、誰かがいた。俺は怯える小動物のように、その場から、隠れて。電柱かなんかの陰で。わけもわからず。息を殺して。子感が━━嫌な予感が……


 男だった。中山の肩抱いて。訳知り顔で。
 

 俺は、見た。


 ソイツガ、ナカヤマニ、キス、シタ━━。


 中山は、照れたように笑って。すごい、嬉しそうで。


 ウラギラレタ━━。




 電車が、大きく揺らいで、止まった。
 車窓に浮かんだヴィジョンは、すべて、音も立てずに、消えた━━。
 また、あの暗いトンネルの中に戻ってきた。
 俺の頬は、涙に濡れていた。俺は、くぐもった声を出した。


「こんなん、ちがう……っ‼︎」


 こんなの、俺が描(えが)いた、なりたかった俺じゃない!


「どうして、こんなん、見せんだよ? なぁ、どうして、こんなん、俺に見せんだよ━━‼︎」


 ヤツは、立ち上がり、俺の前まで歩いてきた。ヤツの手にはスケッチブック。星海の制服。金のピアス。長すぎる、前髪━━。ヤツと俺は、身長が一緒だった。


「未来のことなんて、誰にもわからないだろう?」
 

 ソイツは言った。どこか、寂しい声だった。


「━━なぁ、直樹(なおき)」


 それは、俺の名前だった。


「過去のことや、もしものことを考えるのは、想像するのは、悪いことじゃない。
 でも、過去ばかり振り返っていたら、今をおろそかにしていたら、未来は来ないかもしれないよ」


 そいつは、ふいに前髪を掻き上げた。


「⁈ 俺━━っ⁈」


 俺だった。そいつは、俺と同じ顔をしてた。


「先のことなんて、だれにもわからない。
 ━━なあ、直樹。お互い、がんばろうな」


 ヤツの笑顔は、壊れそうで━━脆(もろ)くて、でもどこかカ強くて。


 その言葉と共に、電車は、駅に着いた。いつのまにか、電車はまた走り出していたらしい。見慣れた、ちっぽけな駅が、窓の外に見えた。


 ドアが開いた。


 俺はたぶん一度だけ、振り返った。寂しそうに笑う、アイツの両手の中のスケッチブック━━。そこに、俺が……あいつが……


 笑ってた。


 気づくと俺は、ホームに立っていた。

 何度も来たくないと思った、あのホームだ。電車の姿はもうない。


『心が知りたくて』


 あいつの声が、胸に響く。


 だれの?


『なぁ━━ココロって、なんだよ?』


『僕は.....人の……誰かの……の、心が知りたくて』


 だれの?
 誰かの? 人の? あいつの……俺の……ココロ……?


 見上げると、空はいつのまにか、青く、晴れ渡っていた。雀(すずめ)が楽しげに鳴く。


 ━━絵を描いていた、もうひとりの俺。
 そいつはどこか、俺とは違くて。俺は右利きだし。ヤツは、左利きだし。俺は、絵なんて……そんな、興味なくて。でも━━、
 あいつの絵を描いてみようか……?
 ピアスして、目を髪の下に隠してたあいつ。
 それとも、もっと、別のことをしようか……?
 俺とは違くて。でも、似てて、同じようなとこも、たぶんきっとあって。
 あいつは、夢なんかじゃなかった。幻なんかじゃなかった。

 ……と、思う。たぶんどっかで、今も生きてる。━━直構。あいつも、そんな名前なのかもしれない。


 俺は頭(かぶり)を振った。
 鞄を脇に抱えて。相変わらず、意味もなく缶コーヒー持ったままで。
 だけど、顔を上げて。まっすぐ、前見て。歩きだす。
 

 ガムなんか張りついてて、黒い染みがある階段を昇って。駅員さんに、定期見せて。


 ふと、訊いてみる。


「さっきの電車、止まったり、逆走したりして━━ませんでした━━?」


「はあ⁈」


 疑わしそうな、駅員さんの顔。危ないヤツ……。ぜってぇ、そう思われた。


 俺はおかしくて、弾けるように笑い出した。


 見えないんだ。なかったんだ。他の人にとっては。さっきのことは。


 ━━あいつは、いたのに。
 いるのに……。


 いたかも、しれないのに。


 青空の下に出る。太陽の光が木の下で、斑(ふ)模様に踊ってて。道行く人が少しはいて。田舎で、そんなに栄えてるわけじゃないけど、音がして。なんか、いろんな音がして。景色があって。━━電車の中より、ずっと明るくて。


 俺は、目を細める。


 缶コーヒーを一口飲む。苦い。無理しないで、今度はもっと甘いのを買おう。


 広い道。畑。ビルなんかない、懐かしい気さえする人家。そっちへ向かう。この道を越えていけば、あの、高校がある。クラスメートは久々に登校した自分を見て、何か囁き交わすかもしれない。先生は、また、同じことを言うだろう。勉強にも、今じゃもう、相当努力しないとついていけない。親とも、この先、何度もケンカするかもしれない。
 

 自分は……、何をやれるかもわからないし。


 自分の心なんて、よくわからないし。


 缶コーヒーの残りを一気に飲み干して。道端の空き缶入れに突っ込んで。


 俺は、青空を見上げる。


 雲が風に流れていた。陽光が眩しく、温かい。


「がんばろーや」


 鞄を抱え直して、地を蹴るようにして駆け出した。

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train うさぎさん⭐︎ @usagisantoka

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