第8話 砂の国の救世主

 夜泣きのひどい赤子を抱いて、私は屋上で夜風を浴びていた。砂交じりの風の中には遠く離れた森の果実のような香りが溶け込んでいるような気がする。息子は愛らしく、狂おしいほどにかわいい。だがそればかりではない。私は疲れてしまったのだろうと思う。だが、砂の海に浮かぶ大きく白い月と流れる雲を見つめる間だけは、確かに心がほどけていくのが分かった。

 泣き疲れた息子は次第に眠りに落ちていく。この子もまた、私と同じように夜風が好きだった。それにしても今夜は月が一段と強く輝いているようだ。砂漠を照らす月の光は、まるで砂の海が本当の水の海であるかのように演出する。私はただぼんやりと砂煙が立つ街の入口を眺めた。すると三人の衛兵のほかに、何か人影のようなものがいる気がした。


「あれは...」


 目を凝らしてその方を見つめてみると、人影は二つあり、一人はよく見た姿かたちをしている。


「まさか...姫様...!?」


 自分の目を信じられなかった。何度もこすり、目を見開いてその御姿を確認した。少しずつこちらに近づいてきている。街の入口では衛兵たちが戸惑い、うち一人が姫様らしき人物に駆け寄るのが見えた。一瞬立ち止まって会話をしたかと思うと、全速力で街の中心に向かって走って戻ってきた。衛兵たちは転がり落ちた兜もお構いなしに、宮殿の方向へ走っていく。私の家は街の中央の大通りに面しており、屋上や窓辺にいればそこを通る人たちの会話が聞き取れるくらいの距離にあった。そして今まさに聞こえてきたのはこの言葉だった。


「姫様だ!! 姫様がお戻りに!」

「あぁ、これは大変なことだ! 急ごう!!」


 バタバタと大慌てで走る三人の衛兵はあっという間に見えないところまで行ってしまった。再び入口に目をやると、姫様ともう一人の誰かがゆっくりと通りを歩いていた。この距離なら確実に見える。痩せてぐったりしているようだが、間違いなく姫様だ。隣を歩く人はいったい誰だろうか。重厚で高級そうな装備品を身に着けているため、もしかすると名のある傭兵なのかもしれない。


「あ、あの...!」


 思わず私は二人に声をかけてしまった。姫様と傭兵はこちらを見上げる。


「姫様...おかえりなさい...!」


 姫様は力なく微笑んでいるようだった。傭兵の表情は兜に隠れて窺えない。向き直った二人はまた一歩ずつ、宮殿に向かって進み始めた。

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