日本近海デバイスと伝説の老いらくフォン

猫小路葵

日本近海デバイスと伝説の老いらくフォン

「ばあちゃん! それ洗っちゃったの!?」


 孫の周人しゅうとが祖母の喜代子きよこに向かって悲痛な叫びを上げた。

 洗濯機から手カゴへと、喜代子は皺のある手で洗濯物を移している最中だった。喜代子の手には濡れた手拭い。周人の手拭いだ。眠りこける周人の枕元に投げ出されていた手拭いを、喜代子が気を利かせて洗濯したのである。

 起きてすぐ「あれ? 俺の手拭いがない」と言った周人に、喜代子は「ここにあるよ」と知らせた。周人はすっ飛んできたと思ったら、涙目になって冒頭の台詞を叫んだというわけだった。


「ばあちゃん、これは手拭いだけど手拭いじゃないんだ……こないだ出たばっかりのTENUGUIなんだよ……」


 最新型万能デバイス、TENUGUI。純国産のスマートフォンとして開発され、今や世界中で人気を博している。

 持ち歩く際にはコンパクトに折りたたむことができ、広げればタブレットになる。頭に巻けばVR。もちろんハンカチ代わりになるし、万が一怪我をしたときには止血帯にもなるという優れものだ。


 しかし、いくら優れものでも、洗濯機でブン回されることまでは想定していない。優しく手洗い程度は十分可能だが、洗濯槽で激しく揉み洗いされ、猛烈な遠心力で脱水されるという試練までは想定外だ。哀れTENUGUI、すべての機能はお釈迦しゃかとなり、周人の手の中でただの手拭いとなり果てていた。

 喜代子はしょんぼりして、周人に謝った。


「ごめんよ、周人……ばあちゃん余計なことしちゃったねぇ……」


 それを聞いた周人は、慌てて顔を横に振った。


「ごめん、違うんだ。ばあちゃんは悪くないよ。取り乱してごめんね。パッと見普通の手拭いだもん、わかんなくて当然だし、ちゃんと言っとかなかった俺の責任。俺こそごめんね、ばあちゃん」


 周人が喜代子の手をとると、水仕事をしていた喜代子の手はひやりと冷たかった。喜代子は「ばあちゃん弁償するよ」と言ったが、周人は頑として断った。祖母にそこまで言わせてしまい、胸が痛んだ。

 周人はとりあえず、今から携帯電話を買いに行くことにした。復元できるデータがないか聞いた上で、いずれにしても新しいデバイスに買い替えなければいけない。

 すると喜代子が言った。


「周人、ばあちゃんもついて行っちゃだめかい?」


 周人は、そういえば祖母は最近そういう場所から縁遠くなっていると気づかされた。周人は祖母の手を握って言った。


「いいよ。せっかくだからばあちゃんも一緒に見に行こうか。大きい店だから、色んな物が売ってて、きっと楽しいよ」


 周人は、洗濯カゴを持ち上げて言った。


「これは俺が干してくるね。ばあちゃんは出掛ける用意してきな」


 孫にそう言われ、喜代子は久しぶりにお化粧をするべく、いそいそと自室に向かった。廊下を行きながら、喜代子は楽しそうに言った。


「年寄りの社会見学だねぇ」




 周人は喜代子を連れて、いつもの家電量販店にやってきた。


「なんとまあ、大きなお店だねえ。奥まで見えないよ」

「はぐれないように手繋ごう、ばあちゃん」


 喜代子と並んで入店すると、法被はっぴを着た店員が早速声を掛けてきた。周人が事情を話すと、それではこちらへとテーブルに案内された。

 店員は周人から湿った手拭いを受け取ると、言った。


「では、復元できるデータがあるかどうか確認いたします。その間に別のスタッフからいくつか新機種をご案内いたしますね」


 喜代子は周人の隣に座り、賑やかな店内を珍しそうに見回していた。心なしか喜代子の目が輝いている。喜代子は普段、自宅と近所の小型スーパーの往復ばかりだ。これからもちょくちょく、いろんな所にばあちゃんを連れてこようと周人は思った。


「お待たせしました」


 先ほどとは別の店員が、恭しくビロード張りのトレーを運んできた。その上に載っているのは、いくつかの「新機種」だ。

 近づくにつれ、潮騒を閉じ込めたような芳しい磯の香りが漂ってきた。


「こちら、今期の一番人気で、アジ型となっております」


 鯵が一匹、スタイリッシュな白い化粧箱に入って運ばれてきた。

 店員が、まるで老舗割烹の主人のような手つきで箱を差し出した。箱の隅には、「長崎県産・特選」の金印が誇らしげに輝いていた。長崎は鯵の漁獲量第一位を誇る。その圧倒的物量。正真正銘、純国産のスマート鯵だった。

 店員は、慎重に鯵を箱から取り出した。周人はふと、壁に貼られたポスターに目を留めた。そこには、短い一文が筆文字で記されていた。


『本物を、手のひらに』


 かつて売り場の棚を埋め尽くしていた、無機質で平坦なプラスチック製の海外ブランド品は、売り場の端に移動している。代わって店の入り口正面に並んでいるのは、こうした生命の力強さを宿した「純国産」のガジェットたちだ。店員は誇らしげに、周人の前に鯵を置いた。


「かつての『メイド・イン・ジャパン』が、ようやく戻ってまいりました」


 店員の指先が、鯵の側面に走る「ぜいご」の鋭い造形を愛おしそうになぞる。その目は、単なる在庫を扱っている者のそれではなく、一つの芸術作品を愛でる職人のようだった。

 周人も頷いた。


「同感です。前回TENUGUIを選んだ理由も、その……血の通った感じに惹かれたからでした」

「左様でございますか。それは素晴らしい選択をされましたね。こちらの鯵もTENUGUIに引けを取らない、たしかな品質となっています。おすすめですよ」


 周人は鯵を手に取ってみた。掌に吸い付くような、ひんやりした皮肌のリアリティ。確かな重量感が、中に詰まった高度な回路の密度を物語っている。


「開くとタブレットになりまして、8Kの透過型になっています」


 店員は周人から鯵を預かると、慣れた手つきで鯵の腹に指先を添えた。パカッという乾いた音とともに、美しい「開き」が展開される。紛うことなき鯵の開き。そこには曇り一つないディスプレイが、繊細な血管のような回路を透かして鎮座していた。


「目玉がレンズになっていまして、アウトカメラは最大で二億画素です。インカメラは一億ですが、肉眼ではもはやまったく気にならないレベルですね。何なら海の向こうまで撮影できそうな気さえしますよ」


 大洋を泳いできた野生の目は、カメラレンズとなって尚、遥か水平線の彼方まで見晴るかしている。鯵の澄んだ目を見つめ、周人はうっすら感動を覚えた。


「そして、最大の魅力がこちらです」


 店員は商品パンフレットのページをめくり、言った。


「もし世界的な食糧難が来ても、鯵があれば安心です。こちらは天然成分一〇〇%の有機回路ですので、いざという時は焼いて食べられます。ちなみに、タブレットに特化した『ホッケ』もあるんですが、ご家族が多い方だと、シェアすることを前提に、ダブル使いをされる方も多いですね」

「ホッケも国産ですか?」

「もちろん。北海道産です」


 ダブル使いもいいな……と周人は考えた。ホッケはばあちゃんの好物だ。もしもの場合、たとえひと時でもばあちゃんを喜ばせることができるだろう。

 周人が頭の中であれこれ考えていると、喜代子が売り場を指差して尋ねた。


「ねぇ、周人。あれは何だろう?」


 周人と店員が、喜代子の指差す方を見た。様々な機種が並んだ陳列台。その一つに細いチェーンで繋がれ、細身の魚が空中に浮かぶ形で並んでいた。店員が、二人に笑顔を向けて答えた。


「あちらは、コバンザメ型ハンズフリー・フォンです」

「ああ、コバンザメ。意外と大きいな」

「『はんずふりー』って?」

 尋ねた喜代子に周人が答えた。

「手を使わなくても電話ができるんだよ」

「へぇ……」


 わかったような、わかっていないような喜代子に、店員は微笑んで続けた。


「はい。所有者と同期することで、所有者の耳元に吸い付いてくれます。紛失や盗難の心配もありませんし、何よりこの吸着力が生み出す『絶対に落ちない』という安心感が、受験生やビジネスマンに受けているんですよ」


 その説明を聞いた周人と喜代子は、目を見合わせて感心した。


「そうか、落ちない……なるほどなぁ」

「うまいこと言うもんだねぇ」

「本来、食用として出回ることはまれな魚なんですが、あえてそこをデバイス化したのがメーカーのこだわりでして。地方の鮮魚市場でしか見かけないような『知る人ぞ知る存在』だからこそ、ニッチで通な国産ブランドとして、今、最も熱い視線を浴びているんです」

「え、知らなかった。食べられるんですか」


 周人が驚くと、店員は誇らしげに頷いた。


「そうなんですよ。一般の食卓には並ばない『希少な旨味』をあえて耳元に纏う。その贅沢さが、このシリーズの持ち味ですね」


 周人は「なるほど……」と頷き、喜代子は「へえ~」と目を丸くした。


「ずいぶんハイカラなんだねぇ」

「ばあちゃんも次はあれにする? いや、でもばあちゃんには大きすぎるか」


 周人が聞くと、喜代子は「うーん」と少し考えて、


「そうだねぇ、でも……電話機はやっぱり、手で持って話す方が落ち着くよ」


 喜代子の素直な感想に、店員は「じつは私もです」と言って笑った。喜代子も「なんだ、そうなの?」と笑った。

 そのとき、喜代子の膝に置いたバッグの中で着信音が鳴った。


「あ、ごめんなさい。電話だ」


 喜代子はバッグを探り、「ちょっと失礼」と『位牌いはい』を取り出した。それを見た店員の動きが、劇的に止まった。


 黒に金の縁取り。しかし、ただの黒ではない。深淵を覗き込んでいるかのような、濡れたような質感の漆黒だ。縁取られた金は、現代のプリント技術では再現不可能な、繊細かつ力強い「沈金ちんきん」の技法で施されていた。

 店員が、かすかに声を震わせて尋ねた。


「……そちら、まさか、『加賀の匠』と称される葛城宗仙かつらぎそうせんの作品ですか?」


 喜代子は「さあ、どうだったかねぇ」と、位牌の側面にそっと指を滑らせた。漆の層の下から、呼吸をするように淡い光が浮かび上がった。


「もしもし――ああ、照代てるよさん?」


 喜代子が耳に当てたそのデバイスは、最先端の骨伝導技術が漆の振動板と完璧に同調しているのか、漏れる音一つない。店員は、陶酔した表情で位牌を見つめ、独り言のように言った。


「葛城氏の遺作となった、一〇八台限定の『供養通信』シリーズ……伝統の漆塗りと通信技術を完全に融合させた、伝説のモデルですよ」


 喜代子が使っているのは、操作が簡単な高齢者向けスマートフォン。ちまたでは『老いらくフォン』と通称される製品だ。通常の位牌と同様、「○○院○○○○居士」と、亡き祖父の戒名が彫られている。


「神道にのっとった『御札おふだ型』と同時発売された機種です。神道仕様も大変好評でしたね。御札は日本各地の社で授けられたもので、銅製の鈴のストラップが付属しました。鈴紐は、京都の工房で一つ一つ手作業で編まれたもので……」


 神道は日本固有の信仰だ。その歴史は縄文時代にまで遡る。お年寄りに限らず、一般向けにも発売されれば人気が出るのではないかと周人は思った。


「それに御札型は、電波の入りやすさにも定評がありました。やはり『魂のしろ』としての感度なんでしょうかね。八百万やおよろずの神々と同期するわけですから、電波障害なんて無縁ですよ」


 周人は想像してみた。悠久の時を超えて、この国に息づく信仰。その長い歴史が自分の手の中の最新デバイスに繋がっている――その尊さを、周人は噛みしめた。


「――そうなのよ、孫と買い物に来てて……そうなの。ごめんね、あとでこっちから掛けるから。うん。ごめんね。はぁ~い……」


 通話を終えた喜代子は、大切そうに位牌を両手で包み込んだ。


「葛城さんのことは知らないけど、おじいさんが死んだとき、息子がこれを勧めてくれてね。おじいさんの手紙や日記を読み込ませてあるから、たまにメールも届くんだよ。すごいよね」


 喜代子はそう言って、肩をすくめて笑った。


「何よりおじいさんといつも一緒で安心できるし、拝みたいときにすぐ拝めるからね」


 喜代子はそう言うと、商談中のテーブルに位牌を置いた。皺が刻まれた両手を合わせ、喜代子は目を瞑った。

 位牌は量販店のカジュアルな照明の中にあって尚、その存在感を否応なく周囲に放つ。周人と店員も思わず居住まいを正し、喜代子に倣って静かに手を合わせた。



 

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