第3話 ミノタウロスの頭は、ただの踏み台です

「……はぁ、はぁ……っ、動け、ない……」


地下100階層、ボス部屋。

私の視界は、毒の影響で紫色のノイズが走っていた。

Sランク探索者、天王寺凛。

「剣姫」なんて呼ばれて調子に乗っていた末路がこれだ。


目の前には、見上げるような巨躯。

深層の守護者、キング・ミノタウロス。

その周囲には、数十体のミノタウロス・ジェネラルが親衛隊のように控えている。


私のパーティは壊滅した。

仲間を逃がすために殿(しんがり)を務めたが、それももう限界だ。

猛毒が全身を麻痺させ、指一本動かせない。


『:凛ちゃん逃げて!!!』

『:だめだ、囲まれてる』

『:救援は!? 誰か近くにいないのか!?』

『:無理だろ、100階層だぞ……到達するだけで三日はかかる』

『:嘘だろ……配信終了してくれ、見たくない』


視界の隅に浮かぶホログラムコメントが、滝のように流れていく。

同接数は50万人を超えていた。

私の死に様を見届けるための、残酷な数字。


(ああ、私……ここで死ぬんだ)


死への恐怖よりも、諦めが先に立つ。

数分前、錯乱状態で『D-Eats』なんてふざけたアプリで救援依頼を出してしまった。

来るわけがない。

あと一分。いや、数秒で、あの巨大な戦斧が振り下ろされる。


キング・ミノタウロスが、ゆっくりと斧を振り上げた。

死刑執行の合図だ。


「……ごめん、みんな」


私は目を閉じた。

その時だった。


『上から来るぞッ!!!』


コメント欄の誰かが叫んだ。

上?

ここは地下100階層の洞窟だ。空なんてあるわけがない。


ヒュンッ――!!!


風を切る音。

いや、もっと鋭い、空間そのものを切り裂くような高周波。


目を開けた私は、信じられない光景を目にした。


天井だ。

遥か上空、鍾乳洞の天井を、"青い流星"が走っていた。


重力を無視して天井を疾走し、そこから真っ逆さまにダイブする人影。

その影は、あろうことかミノタウロスの群れのど真ん中へ飛び込んだ。


「グルゥゥゥァァァッ!?」


突然の侵入者に、ミノタウロスたちが反応する。

四方八方から突き出される槍、斧、そして剛腕。

触れれば即死の暴力の嵐。


だが、その人影は止まらない。

止まるどころか、加速した。


(え……?)


突き出された槍の切っ先を、足場にして跳んだ。

振り回された斧の側面を蹴って、さらに加速した。

まるで、最初からそこに足場があることを知っていたかのように。

暴力の渦を、ただの「アスレチックコース」として扱っている。


『:は????』

『:えっ、今踏んだよな? 槍踏んだよな?』

『:物理演算バグってて草』

『:速すぎて見えねえええええ!』

『:なんだあいつ!?』


視界の端で、小さなドローンがその姿を追いかけているのが見えた。

人影は、キング・ミノタウロスの懐へ飛び込む。

ボスが激昂し、私を両断するはずだった巨大な戦斧を、その羽虫のような侵入者へ向ける。


「ガァァァァァァァッ!!」


轟音と共に振り抜かれる一撃。

直撃すれば岩盤すら粉砕する破壊力。

空中にいる彼に、避ける術はない――はずだった。


――【慣性制御】・ベクトル偏向。


彼は空中で、ありえない挙動を見せた。

物理法則を無視して「真横」にスライドしたのだ。

斧の軌道から、紙一重。

ほんの数ミリ、鼻先を死が掠めていく。

彼は表情一つ変えず、通り過ぎざまにボスの太い腕を蹴りつけた。


ドンッ!


衝撃を利用して、さらに加速。

青い残像が、私の目の前で収束する。


ダンっ。


驚くほど軽い音を立てて、彼は私の目の前に着地した。

黒いパーカーに、カーゴパンツ。

背中には「D-Eats」と書かれた四角いリュック。

どこにでもいそうな、普通の青年。


周囲では、彼の動きを目で追うことすらできなかったミノタウロスたちが、まだ何もない空間を攻撃している。

彼だけが、ここにある「静寂」だった。


「――お待たせしました」


彼はリュックから、小瓶を取り出した。

最高級のエリクサーだ。

戦場のど真ん中とは思えない、事務的で平坦な声。


「ご注文の特級解毒ポーションです。容器の破損なし、中身の変質なし。確認をお願いします」


「へ……?」


思考が追いつかない。

助けに来てくれたヒーロー? いや、店員?

呆然とする私に、彼は「早く」とばかりに小瓶を押し付けた。


「あの、あなたは……」


「D-Eats配達員のアビス・ランナーです。……チッ、包囲が狭まってきたな」


彼は舌打ちをすると、周囲を見回した。

ようやく異変に気づいたキング・ミノタウロスが、憤怒の形相でこちらを睨み、斧を振り上げている。


「あ、危ない!」


私が叫ぶより早く、彼は懐から端末を取り出した。


「すいません、ここ(・・・)に受領サインを。指でいいんで」


「い、今!?」


「急いでください。次の配達があるんで」


ボスの殺気が膨れ上がる。

なのに、彼はスマホの画面を私に向けて微動だにしない。

この人は狂っている。

私は震える指で、言われるがままに画面をなぞった。


『受領完了』


ピロン、と間の抜けた電子音が響く。


「まいど。……よし、行くぞポチ」


『了解、マスター』


彼は私の前から姿を消した。

次の瞬間、ドォォォォン!と、私のすぐ横にボスの斧が叩きつけられる。

だが、彼はもうそこにはいない。


「グルァッ!?」


ボスが悲鳴を上げた。

見上げると、振り下ろされたボスの斧の「柄」を駆け上がり、その巨大な牛の頭の上に、彼が立っていた。


「足場感謝(あざっ)す」


トンッ。


彼はボスの角をスプリングボードにして、高々と跳躍した。

その高さは、遥か頭上の通気口まで届くほど。

重力など存在しないかのような、美しい放物線。


「じゃ、評価(★)よろしく」


言い残し、彼は通気口の闇へと消えていった。

後に残されたのは、私と、状況を理解できずに立ち尽くすモンスターの群れ。

そして、彼が置いていったポーションだけ。


私は震える手でポーションを飲み干した。

体が熱くなり、力が戻ってくる。


『:……』

『:……』

『:ポカーン』

『:今の何?』

『:夢?』

『:いや、履歴残ってる……「配達完了」って出てるぞ』

『:ボスを……踏み台にしやがった……』

『:あいつ、攻撃一回もしなかったぞ!?』

『:逃げ足の神かよwww』


コメント欄が、爆発的な勢いで流れ始めた。

私は、彼が消えた天井の穴を見つめながら、呟いた。


「……何なのよ、あれ」


これが、後に「最速の運び屋」として世界中を騒がせることになる男と、私の出会いだった。


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