第六章 噂

 朝のホームルームの時間が始まり、大塚教諭が出席をとる。大塚教諭の胴間声が、教室内へと響く。大塚教諭は、熊のような大柄な体格をしており、声もそれに相応しく、野太かった。聞いた話では、パートナーも同じように大柄な男性らしいので、似た者同士で結婚したということなのだろう。


 出席の確認が終わると、来週に控えている文化祭の話に移る。


 文化祭では、このクラスはプラネタリウムをやる予定だった。プラネタリウムといっても、アミューズメントパークや宇宙科学館のように、スケジュールを決めて解説や講演を行うのではなく、予め録音した解説をスピーカーから流しつつ、プラネタリウムのほうは常時展開させるといった、いわゆる展示物の一つとして作成されていた。場所は教室であるため、そのほうが勝手が利くとの大塚教諭の判断が元だった。


 文化祭においては、三年生が出店などの本格的な出し物の出展を行い、一年生、二年生は教室での展示が主だった。


 中には、出店や劇を行う下級生クラスもあったが、それは極少数に留まっている。やはり、上級生が仕切っているため、先陣切っての行動は、及び腰になりがちなのだろう。


 また、下級生はこれから先も文化祭を経験するので、今無理に出展して時間を潰すより、展示物で難を逃れ、自分たちも文化祭を楽しもうという願望の生徒が多い事実もあった。


 僕のクラスは、後者にあたる。おそらく、今年の文化祭は、それなりに出店や劇を見て回れるはずだ。少なくとも、僕が一年の時は、出展の準備と管理(やったのは子供だましのようなお化け屋敷)のせいで、時間が取れず文化祭に興じることができなかった。今回は、楽しめそうで、少しワクワクしている。


 ホームルームは終わりを迎え、そのまま授業に突入する。一時限目は、大塚教諭が担当する世界史の授業だった。





 世界史の授業が始まって、少し時間が経った。内容は世界史Bのローマ帝国の開国と繁栄について触れている。ローマ帝国は現代では考えられないほど異性愛が一つのステータスとして捉えられていた国らしい。


 大塚教諭は、黒板に解説を書きながら、説明を行う。


 イタリア半島から南下してきたラテン人の一派によって都市国家が建設され、これがローマとなる。当初は貴族による共和制を布いていたが、その不平等さに平民から不満が勃発、平民の権利を守る護民官や平民会が設けられた。


 貴族が支配する時代でも、平民の主張はある程度受け入れられたらしい。それも、平民が基盤となっている重装歩兵部隊の存在が大きかったようだ。


 その重装歩兵部隊の活躍もあり、ローマは次第に他国を支配、繁栄を極めていった(重装歩兵部隊は異性愛者で占められていたらしい)。


 その辺りまで説明を終えた大塚教諭は、ふと思い出したかのように、豆知識を披露する。


 「ローマ帝国では、異性愛が一般的だったとされています。五代目皇帝のネロは、男性でありながら、女性と結婚した記録も残っています」


 教室のいくつかの場所で、えーっという侮蔑と好奇の声が上がる。


 大塚教諭は、生徒から豊富なリアクションを貰えたことが嬉しかったらしく、ローマ時代の異性愛傾向について、饒舌に話し始めた。


 「当時のローマは他国と比べて文明が発達していたことでも有名です。上下水道なんかも完備されていました。そのため、今で言うところの大衆浴場も存在し、市民に親しまれていました。そこで、発展したのが、異性愛だったのです。当時は混浴が当たり前だったので、男女共に同じ浴槽に入り、そこで男女による性行為が行われていたらしいのです。今で言うハッテン場ですね」


 大塚教諭は、羆のような強面の顔を歪ませながら、肩をすくめた。


 クラスメイトたちの中から「ありえない」「キモイ」「男女でそんなこと」といった言葉が漏れ聞こえる。


 大塚教諭は続けた。


 「これは古代ローマに限ったことではないのですが、近代以前は今のように人工授精の技術が発達していたわけではないので、子供が欲しい場合、異性との性交を行わなければなりませんでした。今では考えられませんね。私は現在、子供が二人いますが、もしもローマ帝国時代に生まれていたら、浴場で女性と小作りをしなければならなかったかもしれません。こればかりは、現代に生まれたことを感謝しています」


 大塚教諭の言葉に、教室中から笑い声が上がる。だが僕は、笑わなかった。


 そこで、一限目の終了を告げるチャイムが鳴り、世界史の授業は終わりを迎えた。


 休み時間に突入し、タクヤが僕の元へやってくる。


 タクヤは、大塚教諭の話に言及した。


 「大塚の話を聞いたけど、本当に俺らって、良い時代に生まれたよな。もしも昔なら結婚しても、子供を作る時、女とやらないといけないんだろ? ぞっとするよ」


 タクヤは、凍えるような仕草で、両腕を擦った。


 「それに、そうなると、両親も異性とやっていることになるから、親をまともな目で見れなくなるよ」


 タクヤの両親は、女性同士の『婦婦』だったことを僕は思い出す。前にタクヤの家へお邪魔した時に、顔を合わせた記憶があった。


 二人共、優しい素敵な両親だったと思う。ちなみに、タクヤには、県外で一人暮らししている大学生の兄が一人いるらしい。


 「そうだね」


 僕は、話を合わせるため、短く同意した。


 そこで、背後から声がかかる。


 「異性愛の話をしてんのか。タクヤ、お前、そっちの気があんのか?」


 いつの間にか、アキトがサヨコと共にそばに立っていた。


 タクヤは、しかめっ面で応じる。


 「馬鹿言うなよ。ちゃんと彼氏がいるのに、異性愛者なわけないだろ」


 アキトは、狐のような細い目を見開き、からかい混じりで言う。


 「わからないぞ。異性愛を誤魔化すために男と付き合っている可能性もありえるからな」


 アキトの発言に、僕はドキリとする。それと同時に、ユカリのほうを反射的に見てしまう。ユカリは、僕の視線に気づくことなく、友達と会話をしていた。


 「そんな可能性より、フリーの奴のほうが怪しいだろ。サヨコとか」


 タクヤは、サヨコに矛先を向けた。しかし、サヨコは、負けじと舌を出す。


 「残念でしたー。私、つい最近彼女ができたから。異性愛者なんかじゃないよ」


 「え? マジ? 相手は誰?」


 「言うわけないでしょ」


 三人のやりとりを眺めながら、僕は早く異性愛の話題から離れてくれないかと願う。あまりこの話題には加わりたくなかった。かといって、無理に話を変えるのも不自然に映るだろう。


 だが、僕の願望と反比例するかように、タクヤたちの異性愛ネタは、さらに深みを増していった。


 「そういえば異性愛で思い出したけど、二組にいる女子の話知ってる?」


 アキトは、声をひそめるようにして、そう言う。


 「二組? 何のことだ?」


 タクヤは、眉根を寄せた。


 「二組にいる金森美咲かなもり みさきって女子が、どうも異性愛者っぽいらしいぞ。噂で聞いた」


 アキトの言葉に、タクヤは目を丸くした。


 「マジで? そんな奴がいるのか」


 「あ、私も聞いたことがあるかも」


 サヨコが、人差し指を頬に付け、天井を眺める仕草をする。


 「男の人と手を繋いで歩いている姿を見た人がいるんだって。あと、公園でキスしているところも目撃されたらしいよ」


 「えーマジか……」


 タクヤの顔が、嫌悪の色に染まる。それを目にした僕の胸中に、不安と不快感が陰のように差す。


 タクヤのこの表情は、純粋に心から浮かび上がったものだ。自然に生まれた表情は、言葉よりも本音を物語る。本当に、異性愛に対し、拒否感があるのだろう。


 サヨコは肩をすくめ、注釈する。


 「まああくまでも噂だけど」


 口には出さなかったが、僕もその噂を聞いたことがあった。


 僕は、金森美咲のことについて、知っていることをいくつか脳裏に思い浮かべた。


 彼女は確か、バレー部に所属していたはずだ。スラリとしたスタイルの良い美人で、ストレートロングの艶やかな髪が特徴的な、大和撫子を思わせる女子だった。


 異性愛者というイメージで言えば、確かに男からモテそうな雰囲気はあった。だが、そのような理由でミサキを異性愛者扱いするのは偏見だろう。それはサヨコのように、噂だけで決め付けることと同義である。


 タクヤもアキトから、金森美咲の風貌について説明を受けていた。もしも、タクヤが金森美咲と邂逅することがあれば、すぐに彼女だと特定できるだろう。


 「なあ、ハヤトは金森についてどう思う?」


 説明を聞き終えたタクヤは、僕にそんな質問をした。


 僕は、タクヤの顔に目を向ける。タクヤは、好奇心と気遣いの中間のような表情を浮かべていた。探りを入れるというよりかは、黙ったままの僕が気になって、声をかけたようだ。


 「うーん、よくわかんないかな。噂は噂だし」


 「だけど、事実だったら怖いだろ。相手は異性愛者なんだ。告白されたらどうする? 俺なら嫌だわ」


 タクヤは、心底迷惑そうな口調でそう言う。


 タクヤの今の意見は、異性愛者に対し、同性愛者がよく抱く感情そのものだった。異性愛者が自分を好きになったら困る、といった危惧。


 だが、それはおごがましい思考だと思う。相手が異性愛者という理由だけで、自分に恋愛感情を抱くかもしれない――そう言っているのだ。


 同性全てが、自分を好きになると危惧する痛い奴と同じである。自惚れを通り越した、的外れな感覚だ。


 もちろんそんな意見を発するわけにもいかず、僕は言葉を濁した。


 「異性愛者だからといって、僕を好きになるとは思えないけど……告白されても断るかな」


 僕こそが異性愛者なのだが、同性愛と同じく、当然異性なら誰でもいいわけではない。ユカリという好きな人がいるのだ。告白されたからといって、意中の人以外と軽々しく付き合うほど軟派ではない。


 タクヤは、端整な顔を頷かせる。


 「そうだよな。ハヤトは俺と付き合っているし、異性には興味ないもんな」


 タクヤの言葉に、僕の心は鉛のように、ずしりと重くなる。


 やがて、授業の開始を告げるチャイムが鳴った。

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