『空腹の神と人形劇団――少女は英雄を人形にする――』

エートス記録官

第1話 ロスト・エンドに降臨する

見渡す限りの赤茶けた荒野。

戦乱で捨てられた辺境の宿場町――ロスト・エンドに、影が落ちた。


最初に気づいたのは、見張り台の自警団だった。

次に気づいたのは、井戸端の老人。

最後に気づいたのは、祈るしか術のない子どもたち。


空が、重い。


雲が裂ける前触れのように、風が止み、砂が舞い上がった。

そして、町全体に影が差した。


「……来るぞ」


槍が構えられ、弓が引かれる。

ロスト・エンドに残っていたのは、戦いに慣れた者ばかりだ。

だからこそ、彼らは知っている。


空から落ちる影は、たいてい災厄だ。


 


その災厄を、カオリは呼んだ。


彼女は風に煽られる髪を押さえ、古びた魔導書を掲げる。

ページの端は擦り切れ、墨は滲み、しかし文字だけは妙に鮮やかだった。


「……それは、星を食らい、夜を運ぶ器。

来たれ、我らが家路――」


カオリの瞳が細まる。


「――サモン・アイトーン!」


 


空が裂けた。


音が遅れてやって来る。

雷のような轟音と共に、雲を突き抜けて巨大な鷲が降り立つ。


翼が広がる。

町の半分の空が、羽で塞がれた。


アイトーン。

神話の獣――ではある。

だが、崇めるには近すぎるし、怖がるには慣れすぎている。


その背には、巨大な天蓋と舞台装置、豪華な居住区。

城塞のような意匠が、無理やり“乗せられて”いた。


住民たちは怯え、祈り、武器を構える。

だがその中に、ほんの数人、目を見開いた者がいた。


「……劇団だ」


「嘘だろ……こんな辺境に……?」


 


アイトーンが地を踏みしめる。

砂が波のようにうねり、外壁が軋んだ。


そして、上から低い声が落ちてくる。


「……カオリ。ここか」


「そうよ。ここ」


「……飯はあるか。砂埃の味には飽きた」


町の全員が固まった。

今、神話の獣が、真顔で飯の話をした。


カオリが額に青筋を立てる。


「ちょっと! 空気読みなさいよアイトーン!

公演前なんだから!」


「……腹は待てぬ」


「待て!」


 


その時だった。


砂埃の中から、タキシード姿の男が音もなく現れた。

姿勢はまっすぐ。

手には工具鞄。

顔には、表情がない。


リュクス。

人形使い。

そして、この一座の“設計者”。


彼は住民たちに向かって、丁寧に一礼した。


「……失礼。無間一座とお見受けする」


槍が向けられる。

自警団の隊長らしい男が、一歩前に出た。


「悪いが、あいにく今は観劇の気分じゃない」


男の声は低く、乾いていた。


「北の魔獣領から『首狩り鳥(デビル・ビーク)』の群れが南下してきてる。

今日明日にも、この町は消える」


住民たちがざわめく。

その言葉だけで、絶望は充分だった。


 


リュクスは、工具鞄を提げたまま、淡々と返した。


「それは好都合だ」


隊長が眉をひそめる。


「……何?」


リュクスは、まるで舞台照明の話をするように言った。


「絶望こそが最高の照明。

死の恐怖に震える貴方たちの眼球に、我らが『至宝』を焼き付けて差し上げましょう」


自警団が「狂っている」という顔をした。

住民が「助けてくれるのか?」という顔をした。

そしてカオリは「まあ、いつものことね」という顔をした。


 


外壁が、崩れた。


町の北。

砂煙の向こうから、黒い影が押し寄せる。


首狩り鳥――デビル・ビーク。

刃のような嘴。

群れで獲物を裂く魔獣。


逃げ惑う人々。

叫び声。

足音。

泣き声。


その中心に、リュクスが立つ。


「――準備」


彼が指先を軽く動かす。


不可視の糸が空気を切った。

人形を操るための魔糸だ。


 


そして、二体の“役者”が前に出た。


ミサキとリン。


彼女たちの瞳には、感情がない。

だが所作は、世界で最も優雅だった。


血と砂の中でも、彼女たちは瞬きをしない。

敵を見ない。

観客を見ない。


ただ、リュクスの指先だけを見ていた。


 


「第十三番。演目名――『断頭台のワルツ』」


リュクスの声が、静かに落ちる。


「……開演です」


 


魔糸が弾かれる。


ミサキが踊るように跳ね、首狩り鳥の群れへ滑り込む。

剣閃は白い線となり、首が落ち、黒い影が崩れた。


リンが杖を振る。

魔力の奔流が走り、血飛沫と砂埃が混ざり合い、幻想的な紅い霧を作る。


惨劇は、いつの間にか“舞台”になっていた。


観客――住民たちは、逃げることを忘れていた。

恐怖で固まっているのか、

美しさに固まっているのか、

もう彼ら自身にも分からない。


ただ、瞬きが減っていく。


 


デビル・ビークの最後の一羽が落ちた瞬間、

リュクスの指先が止まった。


ミサキとリンは、同時に一礼した。

誰に向けてかは分からない。


そして、戦闘は終わった。


 


魔獣の死骸が転がる中、ミサキの左腕の関節が鈍い音を立てて外れた。


「……少し、無理をさせましたね。ミサキ様」


リュクスはアイトーンの背へ戻り、無言で工具を取る。

彼の手つきは優しい。

だが、その優しさは人間に向けるものではない。


隣でトンが、破壊された魔獣の甲殻を燃料として解体しながら無愛想に言った。


「リュクス。駆動系に砂が噛んでる。次はオーバーホールだ」


「……了解」


会話が短い。

無駄がない。

この世界で一番“現実”を生きているのは、たぶんトンだった。


 


「ふふ、ピッコ! 今回の入り(チップ)はどうだった?」


カオリが明るく訊ねる。

血の匂いのする夜なのに、彼女は平然としている。


タキシードのまま舞台袖に立っていたピッコが、空中で金貨を弄んだ。


「最悪。町民の数が少なすぎる。

ま、アイトーンの『前菜』くらいにはなるかな」


「前菜って言うな!」


カオリが怒鳴る。


アイトーンは大きな舌を出し、用意された魔獣の肉を咀嚼した。

骨が砕ける音がする。


「……足りない」


全員が一瞬、黙る。


「次は、もっと脂の乗った事件がある場所に行け」


「事件を食欲で選ぶな!」


「……腹は正直だ」


 


翌朝。


魔獣の脅威が去り、半分壊れた町が残った。

住民たちは救われた……はずだ。


だが彼らの顔には、喜びよりも別のものが残っていた。


あの日見た“美しすぎる惨劇”の毒。

それが、目の奥に沈殿している。


世界は何も変わらない。

戦火も、飢えも、残酷な構造も。


ただ、一座が通り過ぎた後にだけ、消えない毒が残る。


 


リュクスはメンテナンスを終えて眠るミサキとリンの傍らで、

カオリが淹れたコーヒーを口にする。


苦い。

だが、その苦さは安定していた。


「……さて、カオリ。次の『舞台』はどこですか?」


カオリは肩をすくめた。


「アイトーンに聞いて。お腹が空いた方に飛ぶみたいだから」


「……合理的ですね」


 


アイトーンが翼を畳み、地を蹴る。

背上の舞台装置が、わずかに軋む。


それをトンが黙って締め直し、

ピッコが町に向けて軽く帽子を振り、

カオリが魔導書を抱え直し、

リュクスが工具鞄を肩に掛けた。


空を運ぶ獣は、次の空腹へ向かって歩き出す。


舞台は、旅の中にしか存在しない。


そして旅は、無間に続く。

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