職業シリーズⅢ『箱の中の絶対音感 ―内閣情報調査室・別室・カラオケ採点係―』
ジェミ川
第1話 【国家機密は「ラ」の音と共に】
1. 2030年の「清潔な」ディストピア
西暦2030年。東京。
街は、めまいがするほど清潔になった。
あらゆる街頭に高性能AIカメラが設置され、市民の行動スコアは常に監視されている。歩きタバコはもちろん、不機嫌な表情で歩くことすら「治安悪化リスク」としてマイナス評価される時代だ。
もちろん放屁は厳罰の対象だ。
エンターテインメントはAIによって最適化された。 個人のバイタルデータに基づき、脳が最も快感を感じる映像と音楽が、スマートグラスに自動配信される。
「ハズレ」のない世界。すべらない娯楽。
人々は、予測可能な幸福の中で、飼い慣らされた羊のように生きていた。
だが、人間はそこまで綺麗な生き物じゃない。
言いたいことも言えないPOISON(毒)は、腹の底に溜まる。 その毒を吐き出すための、都市に残された最後の「聖域(サンクチュアリ)」
それが『カラオケボックス』だ。
数年前の『赤坂議員宿舎・盗撮流出事件』を機に、政治家たちが保身のために法律をねじ曲げ、カラオケボックス内の監視カメラは全廃された。
表向きは『国民のプライバシー保護』
だが実態は、上級国民たちのための『治外法権エリア』の確保だ。
カラオケボックスは個室ごとに区分登記され、治外法権化された「密室の異空間」の提供である。
政治家の密談、企業の裏取引や猥談、秘密の情事、そして、ただ本音で吠え、泣き叫びたいだけの庶民の逃げ場。 そこは、清潔なAI社会の排泄口であり、人間が人間らしく在れる唯一の場所だった。
そして俺、K林(48歳)は今、その「排泄口」の底に潜んでいる。
「……暑い」
俺がいるのは、六本木の高級カラオケ店『バベル』のVIPルーム、その壁に埋め込まれた最新鋭カラオケ機種『Hyper-DAM Z』の、さらに奥。
配線と基盤がひしめく、畳半畳ほどの「裏空間」だ。
肩書きは、内閣情報調査室・高度データサイエンティスト。
国家公務員一種、極秘任務担当。
だが、やっていることは「盗み聞き」と「手動採点」だ。
2. 負け犬たちのエリート
俺の目の前には、薄暗いモニターと、無数のスイッチが並んだコンソールがある。
モニターにはマジックミラー越しにVIPルームの様子が映し出されている。 今日の客は、与党の幹事長と、大手ゼネコンの会長だ。 テーブルには高級ブランデーと、分厚い封筒。 密談の内容は、この部屋のマイクが拾い、俺のヘッドセットへと流れてくる。
そして同時に、俺の手元にあるキーボードで、国家のデータベースへとリアルタイムで記録される。
『……例の湾岸開発の件ですがね、先生』 『ああ、分かっているよ。あそこはAI特区にする。君の会社に任せるよ』
重要な汚職の証拠だ。 だが、俺の今の最優先任務はそれではない。
幹事長がマイクを握った。 曲は、矢沢の『時間よ止まれ』。
「……音程、フラット気味。リズム、もたり気味。ビブラート、ちりめん」
俺は冷静に分析する。
最新AIの自動採点システムが画面の端に予測スコア『58点』を弾き出した。 もしこのまま『58点』なんて数字をモニターに出せば、幹事長の機嫌は損なわれ、ゼネコン会長との商談も空気が悪くなるだろう。
日本のGDPに影響が出るかもしれない。
俺は、AIの回路を切り、手動モードのレバーを引いた。
ここからが、俺たち「採点員(スコアラー)」の仕事だ。
我々は特殊技能集団である。
採用条件は三つ。
一つ、45歳以上であること。
二つ、人生において拭いきれない「哀しみ」や「挫折」を知っていること。
三つ、社会的な「成功者」でないこと。
なぜか? AIには「音程」は分かっても、「情念」が分からないからだ。
成功者には「敗北者の美学と哲学」が理解できないからだ。
罵声を浴び、汚水を全身で浴びた経験のある中年だけが、酔っ払いの歌声に乗った「魂の叫び」を聞き取ることができる。
幹事長の歌は下手だ。
だが、その声には、派閥争いで磨り減った男の哀愁と、一時の安らぎを求める切実さが滲んでいた。 俺は目を閉じ、その「波長」に同調する。
(……あんたも、大変なんだな。国を背負うってのは、そんなに重いか)
俺は、コンソールの『こぶし』ボタンを連打し『加点』ダイヤルを回した。 さらに、サビの「罪なやつさ」の部分に合わせて、『熱唱!』のエフェクト演出を画面に飛ばす。
俺の指先一つで、部屋のバイブスをコントロールする。これが俺の能力だ。
曲が終わる。 モニターに表示された点数は『92点』。
「おお! 92点! まだまだ現役だな、私も!」
幹事長が満面の笑みで会長の肩を叩く。
「いやあ、素晴らしい歌でしたよ永ちゃん!いえ、先生!!
さあ、もう一杯!」
部屋の空気が緩んだ。商談成立だ。
俺は汗を拭い、ぬるくなったマックスコーヒーを啜った。 国家の安泰は、俺の「忖度採点」によって守られたのだ。
3. 成功者は入室禁止
俺、K林は、かつてミュージシャンだった。 20代の頃、メジャーデビューの話もあったが、事務所のトラブルで立ち消えになり方向性の違いでバンドは解散、借金を背負い、妻には逃げられた。
その後、機材運び、デリヘルの運転手、スナックの雇われ店長……底辺を這いつくばって生きてきた。
45歳の時、ハローワークの裏口で、黒いスーツの男に声をかけられた。
「いいツラ構えだ。十分に負けてきた顔だ。国家のために、その『耳』を使わないか?」
それがこの仕事の始まりだった。 俺たち採点員の間では、ある格言がある。
『光を知る者に、影の採点はできない』
順風満帆な人生を送ってきたエリートには、歌声の裏にある「泣き」が聞こえない。
彼らは音程のズレを「ミス」と判断する。
だが俺たちは、そのズレを「個性」と捉える。
だからこそ、俺たちは選ばれた。
社会のレールから外れた俺たちこそが、この密室の支配者なのだ。
4. 異常検知
その時、俺のインカムに緊急アラートが入った。 『パターン青。305号室にて異常発生。K林、ただちに回線をつなげ』 上司である「司令(マスター)」の声だ。
305号室。 そこは、個人的に登記されたプライベートルームだ。
所有者は、今をときめく新興不動産会社の若きCEO、20代の億万長者だ。
本来なら、俺のような「負け犬」が最も忌み嫌う人種だ。
モニターを切り替える。 305号室には、そのCEOが一人で座っていた。
取り巻きも、美女もいない。 テーブルには、手付かずのシャンパン。
彼は、マイクを握りしめ、震えていた。
『……選曲を確認。中島みゆきの『ファイト!』です』
俺は眉をひそめた。 成功の頂点にいる若者が、なぜこの曲を?
イントロが流れる。 彼が歌い出した瞬間、俺の全身に鳥肌が立った。
下手だ。絶望的に下手だ。もはや原曲がわからない。
だが、その声は、泣いていた。 嗚咽混じりの、悲痛な叫び。
『ファイト! 闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう――』
AIの予測スコアは『20点』。 「公害」として処理されそうなレベルだ。
ジャイアンよりひどい。
だが、俺の「耳」は違うものを捉えていた。
彼の歌声の裏にある、強烈な孤独。裏切り。罪悪感。誰にも言えない重圧。
ネットニュースでは「時代の寵児」ともてはやされる彼の、仮面の下の素顔が、そこにあった。
(……お前、そこで何があった?)
俺はコンソールのレバーを握りしめた。
俺の仕事は、国家のためのデータ収集だ。
彼の歌から、インサイダー情報やスキャンダルの種を拾うのが任務だ。
だが、今の俺は「採点員」だ。
この孤独な若者に、どんな点数をつけるべきか。
AIなら、冷酷に『20点』を出してコメントに「二度と歌わないほうがいい」というメッセージを発し、彼をさらに追い詰めるだろう。
だが、俺はK林。人生の敗北者。
敗北者だけが、溺れかけた者に藁を投げることができる。
「……見せてやるよ。おじさんの『仕事』ってやつを」
俺は、マイクの入力を調整し、彼のか細い声に、極上のリバーブ(残響)をかけた。 そして、採点基準のパラメータを書き換える。 『音程』重視から、『情熱』重視へ。 『テクニック』重視から、『ソウル』重視へ。
俺の指先が、キーボードを叩く。 狭く、暑苦しい機械の裏側で、俺は彼と共に歌うように、システムを操作した。 これはただのカラオケじゃない。 魂のセッションだ。
曲が終わる。 静寂の中、モニターに数字が表示される。
果たして、俺が弾き出した点数は――。
(続く)
次の更新予定
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