静かに手が上がる

@study-v

静かに手が上がる

 フラッシュでの撮影は禁止。

 それが、ワールド・グランド・ポーカー・チャンピオンシップ――世界的なポーカー大会で、最初に告げられる注意事項だった。


 俺、エリック・コールマンは3回戦のフロアにいた。

 ここから先は周回制しゅうかいせいではなく、生き残り制となっていた。一定時間ごとにブラインド(参加するための賭け金)が上がり、チップを失った者から席を立つ。

 派手な勝負よりも静かな脱落が増え、展開も速くなる。


「3回戦後半、残り108名」


 アナウンスが流れた。

 俺は歩みを止める。


 21番テーブル。

 そこに、アイリス・ヴァレンタインが座っている。


 服装は地味だった。

 濃紺のうこんのジャケットに白いシャツ。

 髪は後ろでまとめ、指輪もつけていない。

 だが、姿勢がいい。椅子に深くもたれず、背筋を伸ばし、両手は必ず卓の上にある。

 彼女の最大の特徴は、その綺麗な指先だ。長い指先は見た目にも美しく、また動作も見惚みとれるものがある。


 ディーラーがカードを配る。

 アイリスはカードを一度だけ覗き、すぐに伏せた。時間にして一秒もない。

 そして彼女は、ディーラー側にカード滑らせた。


 "フォールド(勝負をせず、降りる)"


 迷いはない。

 彼女は無理をしない。3回戦では、それが何より重要だ。

 

 隣の男性プレイヤーが、小さく息を吐いた。


「冷静だな」

「冷静じゃないわ」


 アイリスが言う。


「残るために、必要なことをしてるだけ」


 残りのチップが少ない男が、すぐにオールイン(全額投入)した。

 別の二人がコール(同額に揃える)し、ショーダウン(手札をオープンする)。


 男は負け、席を立つ。

 椅子が引かれる音が、妙に大きく聞こえた。


「……また一人減った」


 誰かが呟く。

 アイリスはその音を聞いても、表情を変えない。

 ただ、チップを指先で整えただけだった。


 数ハンド(一回の勝負)後、彼女は小さなポット(勝利し、得たチップの山)を二つ取った。どちらも相手が途中で降りる形だ。

 派手さはない。

 だが、チップは少しずつ増えている。


 2枚の手札が配られる。


 「レイズ(賭け金を上がる)8000」


 今度はアイリスからだった。

 対面の男――年配で、落ち着いた雰囲気のプレイヤーもすぐにコールする。

 この卓では、彼が一番チップを持っている。


 フロップ(センターに表示される最初の3枚のカード)がめくられる。


Q♥・Q♠・7♦


 同じ数字が2枚並ぶ。

 役ができやすい盤面ばんめんだ。

 アイリスはテーブルを軽くノックする。


 "チェック(何も賭けず様子を見る)"


 アイリスは、まだ手札を見ていない。

 チップに触れ、人差し指と親指で一枚を軽く転がす。


 他の参加者もアイリスに続き、ノックが繰り返される。


 ターン(共通カードの4枚目)をめくる。


2♠


 アイリスは変わらず、チェック。

 すると男が、少し考えてからベット(賭け金の提示)する。


「20000」


 大きすぎない額。様子を見る打ち方だ。

 アイリスは、男の顔を一度だけ見た。


「……今のベット、きれい」

「そうか?」

「ええ。でも」


 彼女は、チップを揃える。


「少し、足りない」


 アイリスが静かに、チップを滑らす。


 "コール"


 ハンドは最終局面を迎えていた。


 リバー(共通カードの5枚目)。


7♠


 盤面に、もう一枚の7が落ちた。

 Qが二枚、7が二枚。

 数字が揃った瞬間、卓の空気が変わる。

 それは音ではなく、密度みつどだった。誰も喋らないのに、息の重さだけが伝わってくる。

 

 男が、深く息を吸った。


「……オールイン」


 声は落ち着いている。

 だが、指先がわずかに早い。

 チップが卓の中央へ滑り出る。その動きだけが、ここで生き残ろうとする意思を雄弁ゆうべんに語っていた。


 俺は、反射的にファインダーを覗いた。

 アイリスは、まだ動かない。


 視線は卓の中央。

 背筋は崩れず、肩も落ちない。

 ただ、両手がフェルトの上に置かれている。


 ――このあとだ。


 俺はシャッターに指をかけた。


 アイリスは、初めてカードを持ち上げた。

 一秒。それで十分だった。

 カードを伏せ、右手が、わずかに浮いた。

 肘が動くわけでもなく、肩が上がるわけでもない。

 指先だけが、フェルトから離れる。

 まるで、そこにあった沈黙をすくい上げるような動きだった。


 ゆっくりと、だが迷いなく。

 指は揃い、手のひらは半分だけ開く。

 力が入っていないのに、形は崩れない。

 静かに、手が上がる。


 その瞬間、俺はシャッターを切り忘れた。

 撮るべきだと分かっていた。

 だが、ファインダー越しに見えたその動きが、あまりにも完成していて、割り込めなかった。


「オールイン」


 チップが出される。

 音はほとんどしない。

 まるで、最初からそこに置かれる場所が決まっていたかのようだ。


 この行動に周囲がざわめきだす。

 生き残り制の三回戦で、ここまでチップを出すのは重い判断だ。

 周囲の多くが、息を呑んだ。


 ショーダウン。


 男がカードを開く。


「A♠と9♠。フラッシュだ」


 同じマークが5枚。

 強い役だ。ここまで残るプレイヤーなら、誰でも分かる。

 アイリスは、慌てない。

 カードを揃え、ゆっくりとめくる。


 ショーダウン。


Q♦・7♣︎


 盤面のQ2枚、手札のQ1枚。

 7も2枚ある。


「フルハウス(スリーカードとワンペア)」

 

 ディーラーがはっきりと告げる。

 一瞬の沈黙。

 それから、どよめきが広がった。

 男はカードを見つめ、静かに頷く。


「……きれいな手だ」

「ありがとう」


 アイリスはそう言って、ポットを受け取る。


「でも、勝ったのは最後の形だけじゃないの」


 彼女は、指先でチップを整える。


「降りる手、待つ手、出る手。それが揃ったから、ここに来ただけ」


 男は苦笑し、席を立った。脱落だ。

 俺は、ようやくシャッターを切った。

 下がったあとの、その手を。

 だが、分かっている。

 本当に撮りたかったのは、さっきの一瞬だ。


 静かに、手が上がった、あの形。

 シャッターはあの瞬間だけ、切れなかった。

 

 数分後、アナウンスが流れる。


「3回戦終了。通過者は準決勝へ進出します」


 アイリスは立ち上がり、椅子を戻す。

 動きは最後まで静かだった。


「次も撮るの?」


 通路へ向かう途中、彼女が俺に言った。


「もちろん」

「じゃあ、もう少し分かりやすい勝ち方がいいわね」


 冗談めかした声。

 だが、指先は相変わらず落ち着いている。

 俺はカメラを構え、最後にその手を撮った。


 カードを伏せる手。

 勝負を終えた手。


 派手な動きはない。

 ただ、止まるべきところで止まる。


 ――それが、彼女の強さだった。


 彼女の視線は、すでに次の卓へ向いている。

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