隣にいる理由

せるな

隣にいる理由


 「長い間、お世話になりました」


 今日、この家からまた一人、旅立っていく。それは嬉しいことではあるのだが同時に少しだけ寂しさも感じてしまう。

 いつの時だって、別れは避けられないものだ。


 「長い間って……ほんの数か月でしょ? そんなに気にしないで」

 「いえ、私にとってこの数か月は新たな道を歩むきっかけになりました。ロコお嬢様と出会っていなかったら……きっと私は今も路地裏でひっそりと生きていたことでしょう」

 「ちょ、ちょっと……頭を上げてよ……。ねぇ、マナアも何か言ってよ」


 目の前の少女が深々と頭を下げる。それに対してお嬢様は困ったようにこちらに助けを求めるのも、久しぶりのことだ。


 「いいではないですか、お嬢様。実際に貴女の行いは感謝されて当然のことなのですから。いつも言っているではないですか」

 「私は人として当然のことをしているだけよ。だから感謝されるのは何か違う気がして……」

 「でも、ロコお嬢様のおかげで私は救われ、変わることができました。だから言わせてください」


 ありがとうございました!


 少女は上げたばかりの頭を再度、深く下げる。お嬢様は観念したように困った笑顔を見せて少女の頭を優しくなでた。

 それは主従の関係というよりも母娘のように見えた。


 「では、そろそろ……」

 「そうね、長く引き留めてるのも悪いし……」


 少女は名残惜しそうにドアノブに手をかける。まだ話足りないという顔はお嬢様も一緒だ。

 ガチャッ、とドアが勢いよく開かれる。このままだとより別れがつらくなると思ったのだろう。その勢いのまま、足を踏み出した──その時。


 「私は! あなたのこれからをずっと応援してるから!」

 「私も、応援してますよ」


 お嬢様が叫ぶように最後の言葉を背中に投げかける。それに続いて私も彼女へ言葉を送る。

 一瞬、止まった足はそのまま押されるように一歩、また一歩と前へ進んでゆく。だんだんと小さくなっていく姿を、少しずつドアが隠していく。


 「行っちゃったね」

 「そうですね。……寂しいですか?」

 「それは、少しだけね。でも嬉しくもあるからちょっと複雑」


 お嬢様は家なき子を家に招き入れ、独り立ちまで面倒を見ている。

 一緒に笑って、時には泣いて。そうやってボロボロになった心と体を癒して、また日の当たる世界に戻る手助けをしてきた。

 家族がいなくなるのは寂しい、でも無事に一人で歩いて行けるようになって嬉しい。だから複雑なのだろう。お嬢様のそんな表情も久しぶりだった。

 そんな私もお嬢様に救われた人の一人だ。

 ある時は新たな人を迎え、ある時は送り出す。お嬢様の隣でそうやって過ごすうちに、いつの間にか結構な日が経っていた。


 私はこのままでいいのだろうか?


 そんな疑問が頭の中に浮かぶ。

 本当は隣にいなくてもいいんじゃないのだろうか。

私がここにいられるのはお嬢様の優しさに甘えてるだけなんじゃないか?


 「ねぇ、マナア」

 「……」

 「マナア?」

 「……あ、はい」


 突然の呼びかけに反射的に姿勢を正す。お嬢様は閉まったドアをずっと見ながら独り言のように話し始めた。


 「最近、街の治安も良くなってきているみたいなの。だからこの家を訪ねてくる人も結構減ってくると思う。いつか、この家を後ろめたい理由で訪ねてくる人がいなくなれば嬉しいけど……きっと無理よね」

 「それは……そうですね」


 光あるところに影あり。人身売買されかけた身としてはこういった暗い話がなくなることはないと思っている。

 今日、旅立った彼女もそうだ。家族に捨てられ、家を追い出され、お嬢様のこの家にやってきた。

 街の治安が良くなっているのであればこういったことも少なくなるのだろう。でも無くなるわけじゃない。悪い人というのはいなくなったと思ってもいつの間にか現れたりするものだ。


 「でも、私はそういった子たちの最後の光になりたい。それが私の夢。お父様の協力がないとできないけど……いつか、私一人でもできるようになりたい! 今日、改めてそう思ったわ」

 「それは素晴らしいですね。私も応援します」

 「ありがとう! ところで……マナアの夢は?」


 夢? 私の?

 お嬢様が私の顔を覗き込む。口が動かない。頭の中が真っ白になる。

 お嬢様に救われた時、一生この人について行くと心に誓った。それではないのか?

 心の中の私が言う。

 それは本当にやりたいことなのか? 夢というのは自分のやりたいことだろう?

 心の中でもう一人の私が言う。

 私の夢って何……?


 「ふふっ、焦らなくてもいいの。でも、夢が見つかったら教えてね? マナアのことも応援したいんだから」


 お嬢様は固まったままの私の肩を優しく叩くとそのままリビングに戻っていく。

 その後ろ姿を私は目で追うことしかできなかった。




 その日は一日中、自分の夢について考えていた。

 あの時思ったことは私の夢なのだろうか? それともただの忠誠心なのだろうか。でもずっと一緒にいたいという気持ちがあるのは間違いない。


 「はぁ……難しく考えすぎてるのかな」


 部屋の中でため息を一つ。ベッドに寝転ぶと自然と瞼が落ちてくる。珍しくずっと考え事してたからだろうか。

 寝て起きたら少しは頭がすっきりしてるだろうか。

 襲ってくる睡魔に逆らうことなくゆっくりと目を閉じた。


 『ほら、安心して? 私は悪い人なんかじゃないよ』

 『あなたは物なんかじゃないんだから』

 『私は好きだよ。マナアのこと』


 どれくらい寝てただろうか。壁にかかった時計を見るとそれほど時間は経ってないように見える。それにしても懐かしい記憶だ。あれはまだここにきてすぐの頃の……。

 遠い記憶に手を伸ばそうとした時、ある異変に気付く。

 いつの間にか布団が掛けられている。そしてどこからか小さく寝息が聞こえる。

 まさかと思って横を向くと予想通り、お嬢様が小さな寝息を立てて寝ていた。

 お嬢様! と呼びかけそうになり慌てて口を押さえる。なぜここで寝ているかわからないがともかく寝ているところを起こすわけにはいかない。

 お嬢様を起こさないようにそっと布団から抜けて、自室を後にした。

 リビングでコップに水を汲んで一口飲む。なんとなく頭がすっきりした気がする。一口、また一口と時間を空けて少しずつ飲んでいく。


 「何やってるんだろ……私……」


 なんで部屋から出てきたのか自分でもわからなくなっていた。なにか理由があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

コップを片付けて部屋に戻ろうとした時、壁にかかったカレンダーが目に入る。

 特に予定など書かれているわけではないのになぜか気になってしまう。


 「そういえば、もう五年になるんだね……」


 カレンダーをなんとなく見つめて気づいたこと。それはこの家にいる長さだった。

 同時に今日ずっと考えていたことがまた再び、頭に浮かんでくる。

 お嬢様と一緒にいたい。

 この気持ちは一体なんなのだろう。

 人を疑い、信じず、全てが敵だと思っていたあの時からここまで変えてくれたのはお嬢様だ。

 お嬢様に救われた。だから、恩返しがしたい。なにもおかしくはない。

 でもこれをただの忠誠心と認めたくない自分がいる。

 すっきりした気分も、次第にまた曇っていく。考えるのはもうやめてまた眠りについたほうがよさそうだ。

 コップに少し残った水を雑に流してから自室へ向かう。なるべく音を立てないようにゆっくりと。


 来る時と同じようにゆっくりとドアを開ける。お嬢様は相変わらず可愛らしい寝息を立てている。

 静かにベッドの上に腰掛ける。よく考えたらこんな風にお嬢様の寝顔を見たことはないかも。

 少しだけ口元が緩んでいる。いい夢でも見てるのだろうか。

 ……そこに私はいるのかな。もし、居ないのなら……。


 「私は、ここにいますよ……」


 まるで願うかのように言葉を漏らす。

 人差し指が柔らかいほっぺたに沈んでいく。指を離すと同時にゆっくりとお嬢様の目が開く。


 「ん……あぁ、マナア。……ごめんね、あなたのベッドで寝ちゃってたみたい……ふわぁ……」

 「いえいえ、私も寝てたみたいですし、お嬢様が布団をかけてくださったのですよね?」

 「そうそう、マナアが起きるまで待ってようと思ったのだけど……いつの間にか、ね」

 「すみません、お眠り中のところ。なにか用があるのかと思いまして……」


 私はなにをしたんだ。なにを言っているんだ。

 なぜ、お嬢様を起こした。平然と嘘を言っているんだ。

 今までの私からは、考えられない行為だ。自分のした事なのに他人が勝手にやったかのようなこの感覚は……。




 「先にお風呂に入っていいよ。ほら、私の髪長いでしょ? だから時間かかるし先に洗っちゃうから」

 「……やっぱり二人は狭いのでは?」


私の言葉を遮るようにシャワーから勢いよくお湯が出る。洗い終わるまで待つしかなさそうだ。

 また、懐かしい記憶が浮かんでくる。

ご飯を食べない、お風呂にも入らなかった私を引きずって無理やりお風呂に入らせたんだよね。

そのあとはご飯を食べて、寝て、起きて……ってやっていくうちにお嬢様に心を開いていたんだ。

なのに隣にいるお嬢様を見ることができない。

この気持ちは……何だろう。


シャワーの音が止まる。湯船から立ち上がりお嬢様と入れ替わろうとする。

 が、お嬢様は湯船に入ろうとしない。


 「マナアの髪、洗わせて?」

 「そんな、子供じゃないんですから……」


 断ろうとお嬢様のほうを向くと不思議と口が動かなくなっていく。

 目を奪われた。

 さっきまで言おうとしていたことが真っ白になっていく。

 このまま見てはいけないような、なぜかそんな気までしてきた。


 「……どうぞ」

 「ありがとう。それじゃあ失礼しまーす」


 動かなくなった口から何とか言葉を絞るとゆっくりと顔を戻す。

 頭に温かいお湯がかかり始め、お嬢様の手が優しく、髪の間を抜けていく。

 このままお嬢様に身を委ねたい。

油断したら倒れそうな体を何とか支える。こんなことは初めてだ。

 しばらく、シャワーの音だけが耳に届いていた。やたらと大きく聞こえているような気がした。


 また、シャワーの音が止まる。お嬢様ほど髪は長くないはずなのに長い間、洗ってもらっていた感じがする。


 「ありがとうございました。体は自分で洗いますので……」

 「いえいえ、こちらこそありがとね」


 お嬢様が湯船に入ったのを横目で確認してからゆっくりと体を洗い始める。いつもなら手早く済ませるものなのに、他人の体を洗っているみたいに丁寧に洗っていた。

 お嬢様に体を洗ってもらっていたらどうなっていただろう。

 不意にそんな考えが頭によぎる。慌てて頭を振る。なんでこんなことを思ったんだ?


 「ん? どうしたの?」

 「……え? いや、なにも……私はこれで終わったので」


 慌ててシャワーを止める。それと同時にお嬢様が湯船から立ち上がる。

 お嬢様と入れ替わらなければ。それしか頭になかった。

 だからだろうか、足が滑ってバランスを崩した。

 危ない。

 そう思って何かにつかまろうとした時にやわらかいものに触れた。

 なにか温かいものに抱きついている。それがお嬢様だと気づくのに数秒かかった。


 「っと、大丈夫? 慌てて立つと危ないよ」

 「すみません、助かりました」


 すぐにお嬢様から離れる。お嬢様が湯船から出て、私が入る。

 もう、お嬢様のいるところすら見ることができなくなっていた。

 わざとではないとはいえ、お嬢様に……抱きついてしまった。

 お嬢様に触れていたところの感触がお湯に浸かっても残っている。

 鼓動が早くなっている。一体いつから早くなっていたのだろう。

 はやく服を着たいと思った。なぜかこの空間から出たいと思っていた。

 もう、なんで思ったのか考える余裕もない。


 「お嬢様、私は少し早いですが先に出ますね。お嬢様はゆっくりお湯に浸かってください」

 「あ、うん。わかったよ」


 今日、初めてお嬢様と目が合った。湯船から出て脱衣所に向かう。

 お風呂場のドアを閉めて服を取ろうとした時に頬から滴が落ちた。




 リビングに戻って小さな明かりをつける。続けてハーブティーの準備をする。

 お風呂上がりにハーブティーを飲むようになったのもお嬢様がよくそうしていたから。

 最初は用意される側だったけど今ではすっかり用意する側になっている。

 淡々と準備を進める。なにか作業をしているときはいろんなことをあまり考えずにいられるから楽だった。

 とはいえ準備にそう時間がかかるわけでもなく、あっという間に終わってしまう。

 手持ち無沙汰になった私はお風呂場のほうを見ながらお嬢様を待っていた。


 「マナア、いつもありがとね」

 「いえ、私も習慣になりましたし大したことではありませんよ」


 お嬢様のカップに温かいハーブティーを注いでいくと、湯気と共にラベンダーの香りがリビングに広がっていく。

 きっちり二人分入れたのを確認して自分の席に戻る。

 特に何かを話すわけでもなく、二人でゆっくりとハーブティーを味わう。

 いつもならこの時間も好きだった。でも今は……何か違う。


 「やっぱり、一人いなくなると……寂しいね」


 ポツリと、お嬢様がつぶやいた。反射的にそっちを見る。

 部屋を暗くしているからだろうか。お嬢様が少し遠くに感じた。

 それ以降、お互いに何か言うことはなかった。

 ハーブティーがなくなり、カップも冷え切ったころ。お嬢様はおもむろに立ち上がった。


 「それじゃあ、私は寝るから。おやすみ、マナア」


 手を小さく振ってリビングを出ようとするお嬢様。気づいた時には言葉がこぼれていた。


 「はい、おやすみなさいませ。──ロコお嬢様」


 リビングのドアが閉まる。少し暗い部屋に私だけが残った。

 薄くなったラベンダーの香りが鼻に届いた。




 自室に戻ってベッドに倒れこむ。このまま目を閉じればすぐに寝れそうだ。

 なんとなく、隣を見る。少し前まで隣で寝ていたお嬢様はいない。

 まだ温もりが残っているような、そんな気がして手を伸ばす。

 でもそんなものは残っているはずもなくて冷たいシーツの感触しか手に伝わらない。


 「おやすみ」


 布団をかぶって目を閉じる。一人分のスペースが空いている気がするけどよくわからない。

 また、いつも通りに起きればいいんだ。

 そう、いつもみたいに。


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