北新地心中あるいは曽根崎転生

円藤リリカ

第1話 序

 梅田の雑踏が湿度を帯びる晩だった。

 北新地の派手なネオンの透き間を、華奢な夜の蝶たちが飛び交っている。それは恋情か欲望か、皆が何かを抱えて、あちらへ、こちらへ、風に吹かれて舞っているようだった。


「……徳田やん。」

 雑居ビルの角で、初美は思わず声を尖らせた。

オフ仕様で大雑把に髪をまとめてはいるが、くっきりした顔立ちに潤んだ眼を湛えた、アヤメの花のようにしなやかな立ち姿は、店のトップキャスト“初美”の気迫そのままだった。

「お、おう……初美。」

 徳田 衛は一瞬目を逸らした。

 手入れの行き届いたスーツを着こなし、顔もシュッとしているのに、どこか性根が弱そうなところが透けて見える。これでも若くして町工場で課長に登用されている辣腕と評判だ。そしてこの北新地で、恋にどっぷりおぼれている。


 「ちょっと痩せたんやないか?」

「ハァ?痩せたん誰のせいやと思うとるねん。最近どないしてたん。全然店来ぉへんし、LINEも既読スルーやし。あんた死んだんか思うたわ!」

 言葉は荒っぽいが、初美は必死に涙を抑えながら徳田を案じる言葉を吐露した。

 泣きたいのは徳田も同じだった。

 「生きとるって。せやけどお前に気苦労かけとなかって、わざと連絡せんかった。このとこ俺、金の工面やら何やらかんやらで駆けずり回ってん。……ほんでも死ぬかと思たわ。」

 そう言ってついた溜息は、路地の排気口に吸い込まれていきそうだった。

 「生きてんなら生きてる言えや。ウチ、放っておかれるのイヤやねん。てかなんや、そないに大変やのに、なんで、なんで、ウチに言うてくれへんのや!」

 ついに初美は泣き出してしまった。トップキャストとはいえ、21歳、恋人とのすれ違いに感情が込み上げても無理はない。


 徳田はしばらく黙って、息を整えて言った。

 「泣かんといてや。隠してた訳やないけど、言うても埒が明かんことやってん。……実はな、叔父のとこの会社、継げいわれて。そのために叔父の娘と……その、結婚の話になっとってん。」

 初美の眉が跳ねる。

「は? なんやそれ。いつ決まったん。」

「決まったいうか、勝手に進んでて……結納金まで渡されとった。しかも母親が受け取っとってしもっとって……。」

「受け取っとるて! あんたそれ既成事実やん。」

「せや……せやから取り戻そう思ってたんや。結納金返したら縁談も無かったことにできるやろって。ほんでも縁談断ったら、叔父は俺を会社に置いとかれんやろ。そないなったら、どないして逢うねん、お前と逢われんと……俺は。」

 徳田は打ちひしがれて涙ぐんだ。

 

 初美は舌打ちした。

「そら取り返しに行かんと死ぬほど面倒なるやつやん。で、なんでうちに黙っとくねん?」

 徳田は言いにくそうに鼻の頭を掻いた。

「叔父に返すつもりやった金な……九鬼に貸してしもてん。」

「ハァア!? なんでやねん!」

「九鬼が泣きついてきてな、“これ返したら絶対倍にして返すから”って……ほんまアホや思うやろ。分かっとる。」

 自分の愚かさをわかっている声ほど弱々しいものはない。


 「で、返してもらえたん?」

 「それが音沙汰なしや。叔父には返金催促されるし、工面しようといろいろやったけど全部コケてな……せやから会われへんかった。ほんまごめん。」

 

 初美は徳田を見据えてしばらく黙った。

 そうしていると通りの向こうから、クラブミュージックみたいな笑い声が近づいてきた。

「おいおい、徳田サーン? なんでお前が新地で初美ちゃんと会議してんのん?」

 サングラスに派手なセットアップ、いかにもな輩といった風情の九鬼 平次が現れた。徳田の旧くからの友人ということで、何度か連れだって店に訪れたことがあるが、下品な飲み方で初美は辟易としていた。

 後ろには柄の悪い仲間が二人。やはり何をして稼いでるのか定かではない、ギラギラとした危うい雰囲気を纏っている。


 徳田は息を飲んだ。

「九鬼、お前……金、返してくれへんか。あれ俺の結納金なんや。叔父に返さなアカンねん。」

 九鬼は鼻で笑う。

「はぁ? 何言うてんのん徳ちゃん。結納金? 嘘つくなや、そんな話初めて聞いたで。なぁ~~みんな?」

 後ろの二人も合わせてヘラヘラする。

「嘘ちゃうわ。返せって言うてるだけやろ!」

 九鬼は急に声色変えた。

「詐欺みたいなこと言わんといてくれへん?人聞き悪いわ。」

徳田が食い下がった瞬間――

九鬼の仲間が肩を掴み、壁へ押しつけた。

衝撃で徳田の口から短い息が漏れる。


「何すんねんやめんかいアホ!」

 初美が割って入ろうとするが、九鬼が手を広げて遮った。

「初美ちゃんは関係あらへんやろ。店戻り~や。危なっかしいわ。」

 騒ぎを聞きつけて、黒服が二人走ってきた。胸元の名札には“Club TENNMA”。

「初美さん、こっちへ。巻き込まれたら店が困りますんで。」

 腕を取られる形で、初美は無理矢理引きずり連れていかれた。

 涙で一杯になった視線だけが徳田に刺さった。

 

 徳田は荒い呼吸をしながら、九鬼らに囲まれていた。

 ネオンが滲んで、街は明るいのに陰は深かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

北新地心中あるいは曽根崎転生 円藤リリカ @mezamasiririri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ