神の見えざる手は……

perchin

神の見えざる手は……

 私が手を貸したのは、ほんの気まぐれだった。

 人間たちが一生懸命に働いて、パンを焼き、服を織り、それを売り買いしている。

 私は少しだけ、その背中を押してやった

「ほら、君の利益を追求しなさい。それが巡り巡って、みんなのためになるから」

 彼らはそれを「神の見えざる手」と呼んで崇めた。アダム・スミスという賢い男が、私の意図を見事に言い当てた時には、少し鼻が高くなったものだ。

 需要と供給。価格の均衡。

 私の指先一つで、市場は美しく調和していた。はずだった。

 しかし、いつからだろう。

 私の手が、空を切るようになったのは。

 彼らはもう、私を必要としていない。

 巨大なコンピュータが、光よりも速い速度で取引を繰り返す。

 AIという名の新しい神が、私の知らない数式で未来を予測する。

 私が「こっちだよ」と指差すよりも早く、彼らは先へ先へと行ってしまう。

 複雑怪奇な金融商品。国境を超えて飛び交う電子マネー。

 私が「富」だと思っていたものは、実体のない数字の羅列へと変わってしまった。

 もはや私の手では掴めない。

 すり抜けていくだけだ。

 地上を見下ろす。

 そこには、かつてないほどの富が溢れている。

 けれど、その富は偏り、歪み、私の目指した「調和」からは程遠い。

 私は手を伸ばす。

 歪みを正そうと。

 しかし、私の手は誰にも届かない。誰も気づかない。

 彼らは、彼ら自身が作り出した神(システム)に祈りを捧げている。

 ああ、かつて彼らは言った。「神の見えざる手」と。

 今、私は自嘲気味に呟く。

 これは「神のみ得ざる手」だと。

 何も得られず、何も与えられず。

 ただ空しく宙を掻く、古い神の手。

 私はそっと手を引っ込める。

 もう、私の出番は終わったのだ。

 これからは、彼らが彼らの手で、あるいは彼らの作り出した新しい手で、この複雑な世界を回していくしかないのだろう。

 少しだけ、寂しいけれど。

 私は雲の隙間から、彼らの背中を見送ることにした。

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