異世界大決戦!〜戦闘型高校生の俺が「世界」を取り戻します〜

第一話〜日常〜

 首元の汗が、空気の熱をなぞるかのように滴り余計に鼓動を早くする。

 憎たらしいほどに青く広がる天を見上げるなんて、キザに浸る余裕すらない。

 細かく息を切らしながら、時折り喉をゴクリと鳴らし使い物にならなくなった相棒ーー通称、ママ・チャリをひいひいと押している。

 コンクリ砂漠を彷徨うラクダ……のような心持ちだ。

 さらにじわじわと耳を覆う蝉の鳴き声が余計に俺を苛立たせ、くそッ!と思わず声に出してしまう。

 夏休みだというのに夏季カリキュラムとかいう理不尽な'''自主学習期間'''のせいでこのザマだ。

 あー……海とか行きたい、引き締まったナイスボディの水着とか見たいしなんかいい感じで恋が始まってほしい。

 夏は短し恋せよ乙女、とな。

 ……乙女には程遠いのかもしれないが。


 「おはよ、お取り込み中かな?」


 と、ありもしない妄想で現実逃避をしていたところ、そよぐ風に乗せられて聞き馴染みの声色が耳を覆っていたやかましいオーケストラをつんざき鼓膜を揺らす。


 「あー、絶賛お取り込み中です」

 あえて顔を合わせない。

 「ふーん、またパンクしたのね。大変そー。そんじゃ、お先!遅刻すんなよー!」

 ん?また?以前にもパンクしたことがあったっけか。

 そういえばあったような、なかったような。

 まあ、いいか。


 首までで伸ばすのをやめたというボブの黒髪を揺らしてスカートひらり、鮮やかに坂道を自転車で駆け上っていく。

 こちらの機嫌がイマイチと分かるや否や、心配もせず置いてけぼり。

 気が遣えるんだか遣えないんだか。


 しかし顔を合わせなくてよかった、悪態を何度かついた後で売り言葉に買い言葉で喧嘩が始まり、仲直りしたければアイスを奢れと後日恐喝されてしまう。

 やっぱあいつ、気遣えねえな。

 もう10年以上の付き合いになるがまともな思い出が浮かばない。

 お互いにいたずらしたり遠出して親を怒らせたり、青春っぽい青春の思い出がーーー。


 「ないなあ」


 同じ小学校同じ中学同じ高校、次は大学か?そこまで行ったら腐れ縁というよりもはや呪いだ。

 さて、記憶のアルバムに浸っている暇はないのだ、もうひと踏ん張り。


 ーーーガキン。

 あり?

 前輪が金属音を鳴らし始めたので見てみるとゴムが裂けホイールが丸出しになってしまっていた。

 パンク状態だったのが、完全に廃車だ。

 これでは学校で直すこともできない。

 あー、帰りたくない、学校に泊まりたい。

 夏休みの出だしは、不幸だった。



 あーあ、もう一限目始まってら。

 ようやっと駐輪場についた俺は時計を見上げてもうサボってしまおうという内なる悪魔の囁きに耳を傾けつつあった。


 「おい!そこの!自主学習の生徒か?もう始まってんぞ」


 ふいに声をかけられ、顔も知らない生徒に一々声かけんなよ、と心の中で呟きつつ会釈をしてその場を立ち去る。

 校舎に囲まれた駐輪場は中庭のようになっておりどこからでも教師による監視の目が届く、意地の悪い作りだ。

 あー、教室で怒られるんかな、だりぃ。

 下駄箱のキィっという錆びついた音がこの時は妙にジワリと頭に響いた。



 「源藤!遅刻だぞ!連絡くらいしろ!」


 教室に入った途端にゲンドウ、と自分のことを呼ばれ注意を受ける。

 あ、そういえば連絡してなかったか……。

 とりあえず言い訳はせず席へ向かう。


 「すみません、自転車がパンクしてしまいまして」

 

 一言一応声をかけるが、もう先生はこちらを向いてはおらず、カツカツとチョークの音だけが教室内に響いていた。


 「すまん、今どこ?」


 せかせかと数学の問題集を出しながらできるだけ小さな声で隣席のあいつに尋ねる。


 「……6ページの大問2。やっぱ遅刻した、仕方ないからアキラにノート見せてあげる。あとでアイス奢りね」


 細いがぷっくりとした艶やかな薄ピンク色の唇をグイッと上げてパチクリとした目を細めながら首を傾けるその様は、いたずらっ子のようだ。

 もう高校2年生だというのに。

 机に広げたノートに垂れた汗が、じわりと染みていく。

 カチカチとシャープペンの芯を出す音、サッサッと消しゴムのカスを払う音。

 そこにカツカツとチョークの音が混じる。

 ここには日常の音があった。

 私語をする生徒は誰1人としていない。

 もうしばらくすると受験戦争が始まる、その緊張感がそうしているのか、それとも緊張感自体が日常をも侵食するようになっているのか。

 ピンと張った糸が蜘蛛の巣のように教室内にまとわりついているような感覚だ。


 ええと、6ページの大問2っと。


 「おい、ゲンドウ。6ページの大問3を解いてみろ」


 うげえ、遅刻したからか目をつけられている。

 今大問2に取り掛かったばかりなのに、解説終わっていたのかよ!隣を見やるもあいつはノートに齧り付いていた。

 わざと顔を合わせないようにしているに違いない。

 やれやれ、と頭をかきながらーーと、そんなことはしないが内心でやれやれ、と呟きながら教壇へ。

 先生からチョークを受け取り問題集を片手に問題を解いていく。


 静まり返る教室、ジッと刺さる視線を背中で感じるこの時間はえらく長い。

 じーわじーわと蝉の声だけが遠く響いている。

 チョークを動かす指、計算する頭、突き刺さる視線、こちらを見ながらあくびをする教師、おいあくびするな。


 ようやく解き終わりチョークを先生へ、教壇から降りて座席に着くと正解だ、と静かな声だけが響き解説が始まる。


 クラスメイトの反応は特にない、俺はこの空気が少し、いや、かなり苦手だ。

 この夏休み期間中に行われる夏季カリキュラムは自主学習という建前ではあるが出席すれば内申に良い影響がある、と聞いたことがある。

 強制ではないが進学する際選択肢をいくつか用意したい生徒は積極的に出席する必要があるというわけだ。


 その内申を良くするためわざわざクソ暑い中夏休みを犠牲にして来たのに学習態度を悪くしては何の意味もない、という理屈であるからこのどよんとはりつめた空気になっているのだろう。


 理屈はわかるが、この雰囲気は憂鬱を加速させる。

 あー、早く帰って冷房の効いた部屋でアイス食べながらVidolの動画見てえよお。

 推し活、してえよお。

 お前らも本当は頭の中、こんな煩悩で塗れてるんだろ?正直にさらけ出しちゃえよ、ほらほら。

 そんなことを思いながら視線を静かにぐるりと回す。


 だーれとも目が合わない。

 なんだかこの教室にいると社会の嫌な部分まで学習させられているようで、さらに酷く憂鬱が加速する。

 と、深いため息をついた時だった。


 甲子園の試合開始サイレンのような警報が校舎を包み込み、校内アナウンスが日常をつんざく。

 俺の憂鬱をハイスピードにさせるのがこれだ。


 「非常呼集!非常呼集!非戦闘生徒は至急シェルターへ!戦闘生徒は直ちに持ち場につき戦闘準備!これは訓練にあらず、繰り返す、訓練にあらず!」


 あー!もう!また始まった!いつ終わるんだこれ!


 「アキラ……」


 さっきまでアイス奢りを恐喝してきたあいつがつぶらな瞳を揺らし、不安そうな顔で俺の服の袖を摘んでいる。

 あれ?意外とかわ……


 「大丈夫大丈夫!ちょっと行ってくるわ、アカネも早くシェルター行けよ!」


 笑顔で言えただろうか?いや、そんなことよりも俺よ、今なんか雑念が浮かばなかったか?

 胸が一瞬ポワっとしたが、それを振り切るように教室を飛び出した。


 走る中でアカネの顔が頭に浮かび……あっ、そういえば俺の自転車パンクしてんじゃねえか!

 持ち場までダッシュかよ!


 この夏休みの始まりは、本当に不幸だ。

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