第2話:0点の愚策と因果の糸

 Ⅰ. 愚策士の介入


 振り返ると、指揮所の入り口に一人の男が寄りかかっていた。 軍服の上着は肩に引っ掛けただけ。シャツのボタンは掛け違えられ、裾はズボンからはみ出している。 手入れされていない漆黒の髪はボサボサで、長く伸びた前髪の隙間から、眠たげな闇色(あんしょく)の瞳が覗いていた。 身長は私より頭一つ分高いが、ひどい猫背のせいで、どこか頼りない枯れ木のように見える。


 アクシオン。 階級を持たず、「特別顧問」という曖昧な肩書きで軍部に寄生する男。 魔力はほぼゼロ、剣技も素人以下。軍議には遅刻し、上官にはタメ口。戦場を散歩するようにふらつくだけの変人。 人は彼を侮蔑を込めて呼ぶ。『愚策士』と。


「アクシオン……貴様、牢屋で寝ていたんじゃなかったのか」


 魔導具を置き、彼を睨みつける。私の完璧な軍装とは対照的なその薄汚い姿を見るだけで、偏頭痛がしてくる。


「ベッドが硬くてね。それに、君がまた眉間に深い皺を寄せて、世界が終わるような顔をしている気配がしたからさ」


 アクシオンはへらへらと笑いながら歩み寄ってきた。長い手足を持て余すように指揮卓に肘をつき、どこから拾ってきたのか、かじりかけのリンゴを弄んでいる。 そして地図上の血の染みを見て、わざとらしく肩をすくめた。


「で? 君の完璧な頭脳が導き出した答えは『東区画の焼き討ち』かい? 芸がないなあ。焦げ臭いのは朝のパンだけで十分だよ」


「……貴様に何が分かる!」


 私は激昂し、机を叩いた。


「敵は一千の竜だぞ! 対空兵器なしでどう防げと言うんだ! 貴様のその減らず口で竜が落ちるとでも言うのか!」


 怒声が狭い室内に反響する。だがアクシオンは柳のようにそれを受け流し、窓の外――北の鐘楼を指差した。


「あるよ」


 彼は即答した。


「あの鐘楼の鐘をさ。敵が突っ込んでくる瞬間に、全力で乱打しなよ」


 時が止まったような錯覚。 私は耳を疑った。


「は……? 正気か?」


「大真面目さ。君の優秀な魔法部隊で、鐘をゴーン! とね。鼓膜が破れるくらいの大音量で頼むよ」


 Ⅱ. 論理 vs 狂気


「ふざけるな! 夜襲において静寂は守備側の最大の武器だ! 鐘など鳴らせば『司令部はここだ』と教えるようなものではないか! それは挑発ですらない、ただの自殺行為だ!」


 私は早口でまくし立てた。論理的に考えれば0点、いやマイナスだ。一年生の士官候補生でも即座に却下する愚策。


「うん、常識で考えればね」


 アクシオンは平然と言ってのけた。 そしてリンゴをコトリと置き、私の目を真っ直ぐに見つめた。 前髪の奥の瞳。そこには普段の淀んだ色はなく、私には見えない確信めいた冷徹な光が宿っていた。深淵を覗き込むような、底知れぬ狂気の色。


「でも、ロキアス。君の『論理』で、今まで何人を救えた?」


 その言葉は、冷たい刃となって私の胸を抉った。 言葉に詰まる私を置いて、アクシオンは窓際で独り言のように呟き始めた。


「風向きは北北西、風速は強め。上空の気流は安定しており音の伝達効率は最高だ。湿度は低く空気は澄んでいる。……そして、敵の竜騎士団は統率が取れすぎている密集陣形」


 彼は虚空に見えない線を引くように、細長い指を走らせる。まるで空中に浮かぶ楽譜を読んでいるかのように。


「すべての因果は整っている。僕には見えるんだよ。蝶の羽ばたきが嵐を呼ぶ道筋がね。あの鐘は盤面をひっくり返すスイッチだ。君が『汚い』と切り捨てた鳥も、錆びついた鐘も、すべてが勝利のためのピースなんだ」


 論理の欠片もない、妄想のような言葉。 だが私は知っている。かつて彼が「嘘の狼煙」ひとつで数千の命を救ったことを。 彼の目には、一見無関係な事象が繋がり巨大な結果を生む「因果律」が見えているのだ。私にはノイズにしか見えないものが、彼には必然のメロディとして聞こえている。


「信じてくれないかな。君のその石頭を、一度だけ砕いてさ」


 アクシオンが私の肩に置いた手は、驚くほど細く、熱がなく、頼りなかった。だがそこから伝わるのは揺るぎない自信だった。


 歯ぎしりをする。 論理を取るか、狂気を取るか。東区画を焼けば軍は残るが、私の心は死ぬ。 アクシオンの策は論理的に破綻しているが、もしかしたら――この「0点の愚策」こそが唯一の活路なのかもしれない。


 深く息を吸い、閉じていた目を開く。


「……失敗したら、貴様を斬るぞ。私の手で、確実にだ」


「はいはい、怖い怖い」


 アクシオンはニヤリと笑った。悪戯を企む子供のようであり、同時にすべてを見透かした悪魔のような微笑み。


 私は震える声で命令を変更した。


「……東区画への放火を中止。魔法部隊は北の鐘楼へ移動せよ。目標は、鐘だ。全力の風魔法で叩く準備をしろ」


 部下たちの困惑を、私は一喝してねじ伏せた。


「命令だ! 急げ!」


 Ⅲ. 嵐の前の静寂


 作戦準備は異様な緊張感の中で進められた。 魔法兵たちは鐘楼を取り囲み、詠唱待機に入る。梁の上では数千羽の閃光鳥たちが、自らの運命も知らずに眠り続けている。


 刻一刻と死の足音が近づく。 雲を裂き、黒竜の群れが急降下を開始した。 先頭を行くのは歴戦の竜騎士団長だろう。彼らは風切り音の中でも連携を取れるよう、特殊な「高周波の笛」で命令を伝達しているという。 高周波による通信は通常の手段では妨害不可能とされており、それが彼らの鉄壁の連携を支えている。だからこそ、私を含め誰もその「声」を止めようなどとは考えもしなかった。


 一糸乱れぬ隊列は、さながら巨大な黒い矢となって我が軍の心臓部へ突き刺さろうとしていた。


「距離、一千! 八百! ……五百!」


 観測兵の悲鳴のような報告。 心臓が早鐘を打ち、喉が干上がる。本当にこれでいいのか? 敵に位置を知らせるだけではないのか? 隣のアクシオンは、手すりにもたれて退屈そうに空を眺めている。まるで退屈な芝居の結末を知っている観客のように。


 その横顔を見た瞬間、迷いが消えた。 こいつは微塵も疑っていない。自分の描いた絵図が現実になることを。


「……距離三百! 今だッ! 鳴らせぇぇぇッ!!」


 私が剣を振り下ろすと同時に、魔法兵たちが一斉に魔法を解き放った。


「放てぇぇ!!」


 数十の風の刃が、鐘の内部、巨大な舌(ぜつ)を目掛けて殺到する。


 賽は投げられた。あとは因果の女神がどちらに微笑むかだ。

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