男性の九割が軟弱化した貞操逆転の現代日本。唯一ウイルスの影響を受けない旧人類の俺が、ダンジョンで絶体絶命の女性警護官を助けたら、国家予算レベルの求婚が殺到した
旅する書斎(☆ほしい)
第1話
意識が浮上した瞬間、背中から伝わる冷ややかな感触で現実に引き戻された。
瞼を開けると、そこには鉛色の空が低く垂れ込めている。
湿ったコンクリートの匂い。遠くで響く都市の喧騒。
俺はゆっくりと上半身を起こし、首を回した。
ゴキリ、と小気味よい音が鳴る。
「……なるほど。どうやら生きているらしい」
自分の掌を握りしめ、開く。
指先一つひとつに、奔流のような力が満ちているのが分かる。
血管の中を流れるのはただの血液ではない。爆発的なエネルギーそのものだ。
記憶にある「人間」の肉体とは明らかに違う。
視界が異常にクリアだ。路地裏に散らばる砂粒の数さえ数えられそうなほど、色彩と輪郭が鮮明に飛び込んでくる。
俺は立ち上がり、自身の服装を確認した。
糊の効いた白いシャツに、紺色のスラックス。
何の変哲もない、ただの清潔な服装だ。
だが、この肉体が発する熱量は、布越しでも周囲の空気を揺らしている気がする。
ウイルス。パンデミック。そして人類の変質。
頭の奥底にある知識が、今の状況を冷静に分析していく。
俺だけが、あの絶望的なウイルスを無効化した「旧人類」の生き残りというわけか。
「まずは、情報の収集だな」
独り言を呟き、路地裏の出口へと足を向ける。
一歩踏み出すたびに、地面を蹴る反動がダイレクトに腰へと伝わる。
軽く歩いているつもりなのに、身体が羽根のように軽い。
路地を抜けると、そこには見たこともない「現代日本」が広がっていた。
「……これは、予想以上だな」
大通りに出た俺は、行き交う人々の姿に目を細めた。
空には巨大なホログラム広告が浮かび、見たこともない流線型の車両が音もなく滑っていく。
だが、そんなテクノロジーの進歩よりも、もっと根本的な「常識」が覆っていた。
俺の目の前を、身長180センチはあろうかという長身の女性が、肩で風を切って歩いてくる。
彼女の腕には、鋼鉄のような筋肉が浮き出ていた。
スーツの上からでも分かる鍛え上げられた肉体。腰には警棒のようなものを帯刀している。
そして、彼女の隣を歩く「男性」の姿に、俺は絶句した。
「ねえ、レイコさん。喉が渇いちゃったよぉ」
「ごめんね、カズくん。すぐにカフェに入りましょうね。疲れたでしょう?」
「うん……もう歩けないよ。抱っこして」
「ふふ、甘えん坊さんなんだから」
男性はフリルのついたパステルカラーの服を着て、女性の腕にしがみついている。
その肌は陶磁器のように白く、腕は折れそうなほど細い。
身長も女性より頭一つ分低い。
街を見渡せば、どこも同じような光景だった。
重い荷物を軽々と持ち運ぶ女性たち。
日傘を差され、宝石のように扱われる男性たち。
男女の生物的な強さが、完全に逆転している。
これが、ウイルスの爪痕か。
男性ホルモンが激減し、男が「守られるべき愛玩動物」と化した世界。
俺はシャツの襟をただし、その異様な光景の中へと足を踏み入れた。
周囲の視線が、痛いほどに突き刺さる。
俺が歩道を歩くたびに、すれ違う女性たちが足を止め、大きく目を見開くのだ。
「ちょ、ちょっと……今の見た?」
「嘘でしょ……あの肩幅、あの背中……」
「護衛もつけずに一人で歩いてるわ。どこの財閥の御曹司かしら」
「あんなに逞しい男性、テレビでも見たことない……」
ざわめきが波紋のように広がっていく。
俺は極力自然体で歩こうとするが、どうやら俺の存在自体が、この世界では「異常事態」らしい。
その時、前方からカツカツとヒールの音を響かせ、一人の女性が立ちはだかった。
黒のパンツスーツを着こなした、切れ長の目が印象的なキャリアウーマン風の美女だ。
彼女は俺の顔を至近距離で覗き込み、信じられないものを見るように息を呑んだ。
「あなた、どうしてこんな所を一人で歩いているの?」
彼女の声には、迷子を心配するような響きが含まれている。
「ただの散歩ですよ。天気もいいですから」
俺は柔らかい笑みを浮かべて答えた。
その瞬間、彼女の頬が一気に朱色に染まる。
「っ……!?」
彼女はよろめくように一歩後退し、胸元を押さえた。
「な、なんて低い声……。それに、この威圧感……」
「道を空けていただけますか? 少し急いでいるので」
「ま、待ちなさい! 法律を知らないの!? 男性保護法違反よ! SPはどこ? 許可証は?」
彼女は慌てて俺の袖を掴もうとする。
だが、俺はその手を紙一重で躱し、流れるような動作で彼女の横をすり抜けた。
「え……?」
彼女の手が空を切り、呆然とした声が背後から聞こえる。
「捕まえられなかった……? 私が……?」
「ご心配なく。自分の身くらい、自分で守れますから」
俺は振り返らずに手を振り、雑踏の中へと姿を消した。
背後では、彼女がその場に崩れ落ちている気配がした。
「あんな……あんな素敵な生き物が、実在するなんて……」
熱っぽい呟きを耳に入れつつ、俺はため息をついた。
どうやらこの世界で生きていくのは、想像以上に骨が折れそうだ。
腹の虫が鳴った。
旧人類の肉体は燃費が悪いらしい。
ふと見ると、路地の角に焼きたての香りを漂わせるベーカリーがあった。
「あそこでいいか」
店に入ると、香ばしい小麦の香りが鼻腔をくすぐる。
「いらっしゃいま――せっ……!?」
カウンターにいた店員の女性が、トングを取り落とした。
ガチャン、と硬質な音が店内に響く。
彼女は口を半開きにし、俺の全身を舐めるように凝視している。
「お客様……だ、男性……の方、ですよね?」
「ええ。パンを一つ頂けますか」
俺は彼女の反応を無視し、陳列棚からメロンパンを一つ手に取った。
トレーに乗せようとして、ふと気づく。
この世界の男性は、トングさえ重くて持てないのではないか?
試しに、俺はトレーとトングを片手で軽々と操ってみせた。
「ひっ……!」
店員が短い悲鳴を上げる。
「か、片手で……! あんな重い業務用トレーを……!」
「お会計をお願いします」
俺はレジの前に立ち、小銭入れを取り出した。
店員の手は震えており、レジのボタンを上手く押せていない。
「あ、あの……お代は結構です! いえ、むしろ払わせてください!」
「そういうわけにはいきません。百円ですね」
俺は硬貨を一枚、カウンターに置いた。
「あ……ありがとうございますぅ……」
彼女は蕩けたような表情で、俺が触れた百円玉を両手で包み込んだ。
「お、お名前を……せめてお名前を……!」
「また来ます。ごちそうさま」
俺はパンを受け取り、逃げるように店を出た。
店内の奥から、「家宝にしますぅぅ!」という絶叫が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにする。
パンを齧りながら、俺は近くの公園へと足を運んだ。
緑豊かな広大な敷地。
中央には巨大な噴水があり、水しぶきが日の光を浴びて輝いている。
平和な午後の一コマ――に見えるが、その空気はどこか張り詰めていた。
「気合いを入れなさい! 魔物は待ってくれないのよ!」
「はいっ!」
広場の一角で、数十人の女性たちが軍事訓練を行っていたのだ。
彼女たちは特殊繊維で作られた戦闘服に身を包み、身の丈ほどもある大剣や槍を振るっている。
汗が飛び散り、掛け声が重なる。
その動きは洗練されているとは言い難いが、気迫だけは凄まじい。
「もっと腰を落として! 男たちを守るのが私たちの使命でしょう!」
教官らしき女性の怒号が飛ぶ。
その中で、一際小柄な女性が目についた。
栗色のショートヘア。あどけなさの残る顔立ちだが、その瞳には燃えるような意志が宿っている。
彼女の名札には「水樹」と書かれていた。
「はあっ、はあっ、はあっ!」
水樹は、自分の背丈ほどある大盾を構え、必死に教官の攻撃を受け止めている。
膝が笑い、腕は限界を超えて震えているのが遠目にも分かった。
「水樹、もういいわ。休憩しなさい」
「い、いえ! まだやれます! 私が強くならないと……誰も守れませんから!」
彼女は歯を食いしばり、再び盾を構え直す。
その姿は痛々しく、同時に美しかった。
俺はベンチに腰を下ろし、彼女の姿を目で追った。
この世界の女性たちは、常に何かに脅え、強迫観念に駆られているように見える。
男を守らなければならない。強くあらねばならない。
その重圧が、彼女たちの肩に重くのしかかっている。
「……不自由な世界だな」
俺が最後のパンを飲み込んだ、その時だった。
ズズズズズズ……ッ。
地響き。
いや、そんな生易しいものではない。
公園の地面が、悲鳴を上げるように裂けたのだ。
「きゃああああああっ!」
「じ、地震!?」
噴水の水が爆発したように吹き上がり、地面の亀裂からどす黒い霧が噴出する。
空間が歪み、そこから異形の影が這い出してきた。
「ダンジョンブレイク!? こんな市街地で!?」
教官が血相を変えて叫ぶ。
亀裂から現れたのは、装甲車ほどもある巨大な蜘蛛だった。
鋼鉄の剛毛に覆われた八本の脚。ルビーのように赤く発光する複眼。
捕食者の臭いが、瞬く間に公園を支配する。
「キシャァァァァァァァッ!」
蜘蛛の咆哮が空気を震わせ、周囲のガラス窓を一斉に砕いた。
「逃げて! 一般市民を避難させて!」
「だ、だめよ! あんなの勝てるわけない!」
訓練生たちは武器を取り落とし、恐怖に顔を歪める。
公園にいた一般人――特に男性たちは、金切り声を上げてパニックに陥った。
「いやあああ! 怖いよぉぉぉ!」
「ママー! 助けてー!」
蜘蛛が長い脚を振り上げる。
その一撃で、石造りのベンチが飴細工のように粉砕された。
圧倒的な暴力。
誰もが死を予感し、絶望に足を止める中、たった一人だけが前に出た。
水樹だ。
「私が……時間を稼ぎます! みんなは逃げて!」
「水樹! 死ぬ気!?」
「誰かがやらなきゃ、みんな殺されます!」
彼女は大盾を構え、震える足で巨大な蜘蛛の前に立ちはだかった。
蜘蛛は、その小さな獲物を嘲笑うかのように、ゆっくりと鎌のような脚を持ち上げる。
「う……ぅぅ……」
水樹の目から涙が溢れる。
恐怖で動けないのだ。それでも、彼女は逃げなかった。
ヒュンッ!
風を切り裂く音と共に、死の一撃が振り下ろされる。
「あ……」
水樹が目を瞑った。
だが、その衝撃が彼女を襲うことはなかった。
俺はベンチから立ち上がると、一瞬で距離をゼロにした。
砂煙が舞う中、蜘蛛の剛脚を片手で受け止める。
ズンッ、と重い音が響いたが、俺の足は数ミリも沈まない。
「え……?」
目を開けた水樹が、呆然と俺の背中を見上げる。
俺は振り返りもせず、視線だけで彼女を制した。
「危ないですよ。下がっていてください」
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