男女の友情成立するか、という問と性別なんてなければジェンダーフリーじゃない?という考え方は地雷。

立方体恐怖症

第1話 男女の友情はあるか?なければ同性同士ならいいのか?

 みなさんは、男女間の友情はあると考えるだろうか。

 私は、観測されることが少ないが存在すると考えている。というのも、私の経験から、男女間の関係性は噂話で酷いことを言われて、外部から友情だと思われないからである。当人同士が友情だと思っていても、観測できなければ存在しないも同然だ。

 この世界が、同性のみになっても残るもの、それこそが友情なのだと信じている。


 小学生の時、いじめがあった。不特定多数を同時にいじめるタイプのもので、対象は男女の友達を持つ子供。私も含まれていた。ネットでもあまり聞かない酷い悪口で、内容が分からなくても性的なことを言われたと分かるものだった。仲良くしているだけで標的だったから、仲良くすることが憚られて、友達と学校で喋らないように決めたり、仲良くしないで欲しいと言われたこともあった。そのため、次第に異性と仲良くすることは、なくなっていった。

 男女の友情は存在しない、と考えられていたのだろうか。なぜそんないじめをするのか、嫉妬か?と思わないと受け入れられない。もしも前者なら、友情という、打算を越える打算、性的な打算ではなく、交換条件にできる、とかそういったものを、軽んじていることに他ならない。じゃあ、友情なしにどうやって社会でうまくやっていくのか、と問えば弱るだろう。友情という打算なしに生活はできないのだから。

 でも、中学生になっても高校生になっても、異性と仲がいい、というのは噂や陰口の対象だった。そもそも、男女間で友情が成立するかしないかではなく、男女間は仲良くしてはいけないのかもしれない。

 友達になりたい人とただ仲良くするだけではいけないのだなあと感じて、男女の性別なんかなくなればいいのに、と強く思った。


 でも、いっそ、人間が雌雄同体になれば、より楽しくない世界になるかもしれないのだ。ジェンダーフリーはそのままの意味になるかもしれないが、よりしがらみは増えるかもしれない。


 カタツムリは雌雄同体である。カタツムリは交尾をするとき、針を相手に刺して、寿命を短くさせる生態を持つ。これは相手を殺すということであり、メリットなんてないように思う。しかし実際は、精子をより保存させるホルモン剤のようなもので、相手が死んでしまうのは目的外、今現在の卵を利己的に使う行動なのだそう。今交尾した子供さえ生めたら、後はホルモン剤の影響で死んでも問題ないということ、後でよりも今に全てをかけるということだ。

 こうした「交尾を終えたらどうでもいい」という関係性では、社会性は育たない。実際、雌雄同体で社会性を持つ生物の例はほとんどない。

 つまり、もし、人間が雌雄同体だったら、友情はそもそもない。なぜなら雌雄同体だと社会性が進化することがなく、友愛を得ることもないからだ。

 人間の社会性が進化したのは、雌雄異体だったからだ。女性は産むが弱く、男性は産まず強いため、自然と自分の子供を守るために女性を守ることになる。この利己的な行動が、人間社会の原動力、優しさのはじまりだ。産めなくなった女性は、自分の遺伝子を残すために血縁者を守り育てる。こうして、血縁者は家族を優しさで守り、それが分業化され、受け継がれることで、社会というコミュニティを得た。

 友情もまた、その延長線上にある。友情は感情だが、同時に合理性でもある。これをすれば、いずれ助け合えるかもしれないという期待。冷たい損得ではなく、長期的な相互信頼であり、これは社会性を持つ動物に特有の仕組みだ。雌雄同体の動物はそもそも社会的ではないのに、友情が育まれるかと言われると疑問だ。


 こんな関係性を学んだうえで、人間を雌雄同体にしてみよう。これは生物学的にありえない変遷をたどるから、完全な妄想になる。雌雄異体と決めた生物が、雌雄同体になるのはありえない。だが、そうしないと、「友情を持ちうる遺伝子」と「雌雄同体」が混ざりあわないからだ。

 人間が雌雄異体として進化し、その過程で友愛や社会性を獲得した。その人間が、ある日突然、雌雄同体になったとしよう。

 ジェンダーフリーであり、家族は出会える人間の数から、今の世界よりも多いはずだ。ホルモン的に安定なのかどうかわからないが、平和なはずだ。

しかし、会話していたら、「だれよその泥棒猫!」と割り込まれることもあるだろう。そりゃそうだ、誰から見ても人間全てが繁殖競争相手になる。泥棒猫か繁殖相手しかいない大海の中である。男女というくくりがないから、たくさんの繁殖相手とライバルに囲まれる。

 そんななかで、友情はあるだろう。希望として、私たちは一般的な雌雄同体生物ではなく、雌雄を持つことで得られた社会性がある。友愛という感情システムは、すでに獲得している。しかし、雌雄異体から雌雄同体に変わると、友愛はあるのに、全員が潜在的な繁殖相手でありライバルである。

 「仲良くしたいのってわんちゃんをねらってるんだよね?」という言葉に晒される。産まないと決めている人としか仲良くなれないだろうし、それだって【産めない】わけじゃないから陰口の対象になり続ける。そして、こういう時、友情が成立しているか本人しか知らない。まわりは「狙っている」と決めつけるからだ。


 このように、男女の友情はあるが、存在を観測しづらい。そのうえ、男女のくくりをなくせば、もはや友愛は誰にも、成立する姿を見せてくれない。そうなると、世に広がる「男女の友情は成立するか」どころか「友情は成立するか」という問題になってしまう。性別は関係なかった。というよりむしろ、二分割してくれたことで、同性同士の友情に同性愛の疑いの目を向けないスケープゴートとしての役割を果たしていたのである。

 私たちは男女間のしがらみから友愛を得たのだ。いまさら、男女のしがらみだけなくて、友愛だけあるなんて状態にはなれないのである。

 しかし、しがらみがあって観測できないかもしれないが、友情は、ある。はずだ。だって、男女の友情が成立しないとなれば世界中同性になったら消えてしまうということだから。それって友情をばかにしているよね?

 友情という暖かみのある打算は、男女でも成立する。

 

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