ドアマット令嬢が救われるまで
久遠れん
ドアマット令嬢が救われるまで
(お母さま、どうしてわたしを置いて死んでしまったのですか)
埃の積もった地下室でクロディーヌはぽろぽろと涙をこぼす。
半年前に、彼女を生んだ実母がこの世を去った。
それから三か月後、父親は後妻を迎えたのだが、それから全てが可笑しくなったのだ。
継母となった女性、イヴォンヌは彼女より五歳年上の義姉を連れてきた。
そして、二人揃ってクロディーヌの持ち物を全て取り上げて、彼女を迫害した。
ドレスも髪飾りを始めとするアクセサリーに自室さえ、全てを取り上げられてしまったのだ。
代わりに押し付けられたのは使用人よりみずぼらしいろくに洗濯もされていない服を一着。着替えなどない。
実母が「ここからは庭園がよく見えるわ」と穏やかに微笑んで用意してくれた自室は義姉のものになった。
寝るのは埃の積もった物置となっていた半地下の部屋。
辛うじて小さな窓はあるが、鉄格子がはめられた狭い部屋に押し込められた。
彼女の境遇に異議を唱えてくれたのは勉強を見てくれていた家庭教師だけだった。
彼は解雇され、屋敷にクロディーヌの味方はいなくなった。
そう、父親であるトニーさえも彼女の味方にはなってくれなかったのだ。
トニーが再婚して二か月がたつ頃には、すっかりクロディーヌはやせ細り、やつれ果てていた。
最初こそ使用人たちの中には彼女を不憫に思って、食事すら用意されないからと食べ物を分けてくれる心優しい者たちもいたが、彼女らは見つかったものから女主人になった継母のイヴォンヌによって首になった。
働き口を失うことを恐れた使用人たちは、少しずつクロディーヌから距離をとった。
彼女が虐げられていても見て見ぬふりをする。
怒鳴られていても、蹴られていても、殴られていても。誰も助けてはくれない。
イヴォンヌは楽しげに彼女を言葉で詰り、義姉のネリーは笑いながら彼女に暴行を加えた。
体中あざだらけだ。
父親であるはずのトニーは見て見ぬふりを貫いているから、二人の虐待はエスカレートする一方だった。
(おなかが、すいた。それだけだったの)
ある日、空腹に耐えかねたクロディーヌは夜半にこっそりと厨房に忍び込んだ。
とはいえ、半年前まで蝶よ花よと大切に育てられた貴族の令嬢であった彼女は、料理の一つも知らない。
そのまま食べられそうなものを探して、置いてあった果実にかじりついた。
母の好物だったオレンジ色の果物は、久々に感じる味のある食事で夢中になって食べていたから、人の気配に気づかなかったのだ。
クロディーヌの盗み食いに気づいたのはイヴォンヌが雇い入れたメイドのマーヤで、それが彼女にとっての不運であった。
マーヤは嬉々としてイヴォンヌに報告した。
クロディーヌの粗相を報告すれば報酬が上乗せされる。いつの間にか出来上がっていた暗黙のルールに喜んで飛びついたのだ。
(さむい。さむすぎる)
盗み食いをした罰として、彼女は着の身着のままで雪の降る外に放り出されることとなった。
どんなに泣いて謝っても許されることはなく、屋敷の中には入れてもらえない。
温かな明かりが窓の向こうに見えるのに、そこに彼女の居場所はないのだ。
かじ噛む指先を握りしめて、クロディーヌは今日こそ『死』を意識せざるを得ない。
叩きだされた裏口にしばらく座り込んでいたが、どうせ死ぬならば、大好きな母の傍で死にたいと思った。
(おかあさまの、おはか)
一応の体裁を整えるため、クロディーヌの実母には立派な墓が用意されている。
イヴォンヌが後妻としてくるまでは、二日に一度会いに行っていたから場所は覚えていた。
よろよろと歩き出す。目指すのは貴族専用の墓地。
いつも馬車で向かっていたから、徒歩でどれだけかかるかわからない。だが、どのみち限界だった。
(もうたえられない。おかあさあまのところに)
こんな目に合うのであれば、一緒に連れていってほしかった。
涙も凍るような寒さの中、彼女はふらつく足で歩きだす。
▽▲▽▲▽
幼馴染が死んだ、と連絡を受けたのは、ブルーノが辺境から戻った次の日のことだった。
彼の幼馴染の女性は、強く美しい人だった。
心を寄せていたけれど、伯爵令嬢の彼女は侯爵家に嫁ぐことになって、伯爵令息ではあったが三男のブルーノの出る幕などなかった。
彼が愛した女性の死を知った時には、葬式から三ヵ月が立っていた。
残された忘れ形見の子どもが気になって、何度も侯爵家に出向いたが全て門前払いを食らっていた。
(魔法省の役人になれば、少しは融通が利くかと思っていたんだが)
夜の墓地で彼は舞い散る雪を気にすることもせず、一人酒を飲んでいた。
目の前にある立派な墓標は、ついぞ彼が手に入れられなかった女性の名が刻まれている。
幼い頃彼女が好きだといっていた花を供え、酒を少しずつ煽る。
ここ最近のブルーノの日課だった。
結婚後、人妻になった彼女に会うことは禁じられていた。
彼らの仲の良さを知る侯爵が良い顔をしないから、と彼女の両親にもブルーノの両親にも固く止められていたのだ。
「後妻ねぇ……」
彼女の夫だったトニー侯爵が後添えを迎えた話は聞いている。
一緒に連れ子の少女も迎え入れられたらしい。
忘れ形見の少女が複雑な状況に置かれているのは想像に難くない。
一目見て、健やかな環境にいることを確認したいだけなのに、トニーはブルーノが伯爵家の三男だからと雑に扱って会わせてはくれない。
身分の差は致し方ない。
そのせいで彼は愛した人を諦めたのだから、骨の髄まで染みこんでいた。
ため息を一つ吐き出して、本格的に振り出した雪を見上げる。
夜空は厚い雲に覆われていて、星も月も見えない。だが、夜になれた目は暗闇でもある程度の判別がつく。
「そろそろ帰るかね」
ゆっくりと立ち上がった彼は「またくるぜ」と一言残して墓石に背を向けた。
残った酒を片手に墓地から出ようとした彼は、入り口の柵付近で雪に埋もれるように倒れている子供を見つけた。
「おい、大丈夫か」
ずいぶんと薄汚れた服を身に着けている。
雪の隙間から見える髪も洗髪ができていないのか、変にてかっていた。
孤児か、と内心でため息を吐き出して膝を折り、子供を抱き上げた彼は絶句する。
「クロディーヌ?!」
腕の中では写真で見たことがある愛した女性の忘れ形見が、真っ青な顔で震えていた。
▽▲▽▲▽
寒い。でも、温かい。冷たい、でも、暑い。
相反する感覚が交互に体を襲っている。頭が酷く痛む。
関節の節々も痛い。お腹もまた減りすぎて痛みを感じるが、これはもう慣れてしまった。
(おきないと)
起きて、廊下の掃除をしないといけない。
クロディーヌは掃除の仕方を教えられたことはないが、掃除の真似事をしていないと怒られるのだ。罵倒され、叩かれ、殴られ、蹴られてしまう。
まだ眠っていたいけれど、そうはいかない。
食事にありつかなければ。寝ていてはまた雑巾を絞った水を頭からかけられる。
意志の力で目を開くが、視界はやけにぼやけていた。
「……?」
徐々に焦点を結んだ視界に、半地下の天井の打ちっぱなしの木目ではなく、豪華な布が目に入る。
もう遠いと感じる記憶と同じならば、ベッドの天蓋だ。
「…………?」
理解が追い付かない。どういうことだろう。
夢を見ているのだろうか。ならば、母に会いたい。話をして、優しく抱きしめてもらいたい。
「お嬢様の目が覚めました! 旦那様!!」
ぼんやりと天蓋を見ていると、突然知らない男の声が響いた。頭が余計に痛む。
だが、それ以上に驚いて体を起こそうとした。けれど、熱を発している体は自由に動かない。
「クロディーヌ!!」
「?」
名前を呼ばれる。いったいいつぶりだろう。イヴォンヌとネリーがきてからは、名前を呼ばれた記憶がない。
視線を動かすと、彼女のことを一人の男性が覗き込む。精悍な顔立ちだが、年齢を感じさせる。
眉を寄せて、心底安心したというように、どこか泣きそうな表情をしていた。
「……どなたですか……?」
かすれた声で問いかける。
男性はそっとクロディーヌの手を握って、ゆっくりと自己紹介をした。
「俺はブルーノ・マルマイ。君の母君の――幼馴染だ」
「おさな、なじみ」
昔、聞いたことがある。
『お母様にはね、頼れるお兄様のような方がいたのよ』
そういって笑った母は、少し寂しそうだった。
遠くを見ながら幼いクロディーヌの頭を撫でた。
『生まれた時から傍にいたの。でも、もう会えないわ』
幼心に、母が泣きそうだと思ったのだ。
だから『クロディーヌがそばにいるわ!』と答えたと思う。
母は『そうね。私の宝物』といって彼女を抱きしめてくれた。
柔らかな母の体温を思い出し、クロディーヌの眦に涙が浮かぶ。
「お、かあ、さま……っ」
「……聞かせてほしい。どうして侯爵令嬢の君が、あんな格好であんな場所に倒れていたんだ」
静かな声音には怒りがこもっている。
けれど、自身に向けられたものではないと理解できたから、怖くはなかった。
握られている手を握り返す。
この手を離してはいけない、直感的にそう思った。
「た、たすけ、ください……!」
「ああ」
「わ、わたし。このままだと! ころされるわ!!」
やっと言えた。口に出せた。
助けてほしいと、このままは嫌だと、今の生活が続けば殺される、と。
悲鳴のように叫んだクロディーヌの言葉に、ブルーノと名乗った男性はどこまでも真剣に問いを重ねる。
「必ず俺が守る。だからいまは、ゆっくり休め。体調が戻ったら、詳しい話を聞く」
「まも、る?」
「ああ。君の母君に誓う」
「おかあ、さま」
誰より優しくて、誰より美しかった母。
その母に誓ってもらえるのは、女神への誓いの言葉より信用できる。
「寝なさい。傍にいるから」
「……うん」
そっと頭を撫でられる。
頭を撫でられるのも、ずいぶんと久しぶりだ。母が死んで以来、初めてかもしれない。
安心できる体温を手のひらから感じながら、そっとクロディーヌは目を閉じた。
次に目が覚めた時、ブルーノは約束通りクロディーヌの手を握っていてくれた。
そのことがなにより嬉しくて彼女が小さく笑うと、彼もまた笑いかけてくれた。
温かいお風呂に入れてもらい、温かくて胃に優しいパン粥を食べさせてもらった。
粗末な浮浪者のような服は寝ている間に着替えさせられていたけれど、また新品のパジャマを着せてもらって嬉しかった。
元気になったらドレスも用意してある、と優しく伝えられて、心が温かくなって涙が零れ落ちた。
涙が止まった頃に「なにがあったんだ」と問われた。
クロディーヌは継母と義姉がレオタール侯爵家にやってきてからの境遇を包み隠さず話した。
誇張はしなかったけれど、十分に悲惨な内容にブルーノは憤りをあらわにしていた。
その結果、クロディーヌはブルーノに保護されることになった。
魔法省勤務の役人だという彼は、体調が完全に治ったら彼女を連れて魔法省に行こうと提案した。
そこで今まで受けた虐待を話せば、レオタール侯爵家に帰る必要がなくなるのだと説明され、クロディーヌはすぐに頷いた。
「虐待の証拠は体に残る痣がなによりの証拠になる。……だが、あと一つ。何か欲しいな……」
仕事を休んでクロディーヌの傍にいてくれるブルーノが、彼女が寝ていると思って零した言葉だ。
夢うつつでそれを聞いて、彼女はそっと口を開く。
「お父さまはおうりょうをしていて……」
「クロディーヌ?」
「……お義母さまは、りんごくのわかがえりのくすりをのんでいて」
「!」
「お義姉さまは……がくえんで、いじめをしてて……」
使用人たちが噂していたことだ。
新しい母と義姉が来てから、ずっと彼女は空気として扱われていたから、イヴォンヌが雇い入れた礼儀のなっていないメイドたちが好き勝手にしていた口さがない噂は全て彼女の耳に入っていた。
(わるいこと、たくさんしてるの)
クロディーヌは『横領』の正確な意味も、『隣国の若返りの薬』の違法性も理解していなかった。
ただ、義姉の『学園でのいじめ』と同列に語るのだから、それなりに悪いことだろうと思っていただけだ。
ブルーノと傍に控えていた老齢の執事が息を飲んだことにすら気づくことなく、そこまで口にしたところで、彼女の意識は夢の世界に旅立った。
▽▲▽▲▽
寝ぼけたクロディーヌの告発を受けて、すぐにブルーノは部下に指示をしてひそかにレオタール侯爵家のことを調べだした。
目覚めた彼女は自身が口にした言葉の重みを理解していないようだったので、それ以上尋ねることは止めたのだ。
すぐにトニーの横領は事実だと裏がとれ、ブルーノはガッツポーズをした。
それだけではなく、イヴォンヌが飲んでいるという『隣国の若返りの薬』はこの国では違法なものだ。密輸しているならば相応の刑罰に問える。さらに、ネリーの学園での問題行動もある。
全ての証拠が出そろえば、侯爵家と言えど処罰は免れない。
クロディーヌと穏やかな時間を過ごす裏で、秘密裏に捜査はすすめられた。
貴族社会など、足の引っ張り合いだ。
その上、ブルーノの魔法省勤務の役人という肩書がこの時ばかりはきちんと効果を発揮した。なにしろ彼は――法務部の人間であったので。
結果、レオタール侯爵家は取り潰しとなった。
クロディーヌは虐待を受けていた境遇が考慮され、侯爵家の人間でただ一人罰を免れた。
将来、彼女は新しい家門を名乗ることを許されるだろう。
あるいはいい人が見つかれば、嫁に入って相手の家名を名乗ることになる。
クロディーヌ以外のもの――彼女を庇って不当な理由で首になった家庭教師やメイド以外は、すべからくレオタール侯爵家に関わったものたちは罪に問われた。
首になり途方に暮れていた者たちは、全てブルーノが新しく雇い入れた。
法務部の役人の給料はそれなりだ。新しい使用人が数人増えようと問題はない。
一番欲しかったのはクロディーヌを庇った家庭教師だ。
彼は爵位こそ低いが、大変優秀な人間でその才能を埋もれさせるのは惜しかったのだ。
「もう一度、俺の家でクロディーヌの家庭教師を頼みたい」と告げれば、泣いて喜んだ。
再会したクロディーヌもまた喜んでくれた。
彼女を庇って首になったメイドたちは、クロディーヌ付きのメイドとして召し抱えることにした。
心許せる同性がいたほうがいいという判断だ。
これまたクロディーヌは喜んで「ありがとうございます! ブルーノさま!」と花開くように笑ってくれた。
その笑みがあまりに亡き幼馴染の幼い頃にそっくりで、彼は寝る前に少しだけ泣いてしまったほどだ。
二年間、手元で大切に育てた。
蝶よ花よと慈しみ、彼女がまっすぐに育つために、水と栄養を与え続けた。
夜になると過去の傷を思い出して泣き出してしまう不安定なクロディーヌに、根気強く寄り添い続けた。
そうして、クロディーヌは十二歳になり、王立魔法学院への入学資格を得た。
貴族の令息と令嬢が十二歳から十五歳まで通う学園に送り出して「子育てもひと段落ですね」と感慨深げに告げる執事に「まだまだこれからさ」と笑う程度には心に余裕もあった。
幸せな、二年間だった。
だからこそ、今度こそクロディーヌを傷つけるものは許さない。
そう強く心に刻んでいたのだ。
▽▲▽▲▽
王立魔法学園に通う前、クロディーヌは本当は学園に行きたくはなかった。
学園での座学の授業で、窓際の一番後ろの席に腰を下ろして、羽ペンをノートに走らせながらも、彼女の頭の中はブルーノのことでいっぱいだ。
(ブルーノさまのお傍にいたいのに)
ブルーノの屋敷から通っているので、朝食や晩御飯は一緒に食べられるし、寝る前には話をする時間もある。
だが、家庭教師の課題でわからないところを聞きに行く気軽さで日中には会えない。
学園ではなく屋敷がいいと駄々を捏ねてみたけれど、ブルーノに説得されたのだ。
(頭を撫でながら「君なら学園でも優秀だろう」なんていわれたら、期待に応えたくなっちゃうわ)
二年前、絶望の底から救い出してくれたブルーノを心からクロディーヌは慕っている。
母より三歳年上だというブルーノは、中々いい歳なのだがお相手がいる気配もない。
このまま一生独身で傍にいてくれたらいいのになぁ、なんて本人には絶対に言えないことをクロディーヌは時々考える。
(婚約者を見つける意味も持つ学園生活だと理解してはいるけれど)
とはいえ、彼女からすればブルーノ以上にカッコいい人なんているわけがない、と思ってしまうのだ。
一日の授業を終え、寮生は寮に、屋敷から通っている者は馬車に乗って帰宅する。
馬車をつける門はいつだって渋滞だ。今日も同じく混雑していた。
馬車を待ってクロディーヌが門の前に佇んでいると、ふいに耳に痛い高い声が耳朶に届いた。
「?」
不思議に思って視線を滑らせると、般若の顔をした年若い女性がいる。
薄汚れてはいるが、ドレスを身に纏っていることから平民ではなさそうだった。
だが、絶望的にドレスが似合っていない。
手入れのされていないぼさぼさの髪、化粧もされていない汚い肌、クロディーヌをまっすぐに憎悪に燃える瞳で睨むその顔は。
「お、ねえ……さま……」
記憶に微かに残る絶望の日々が脳裏に過る。
いつだって豪奢なドレスを身に纏い、彼女を蹴り、殴り、踏みつけ、高笑いをしていた義姉。
真っ白な顔で表情をなくした彼女に、義姉のネリーが怒号を上げる。
「アンタのせいで! 私の人生めちゃくちゃよ!!」
そういって止める周囲を薙ぎ払って突進してくるネリーの手には、鈍くさび付いたナイフが握られていた。
咄嗟に魔法障壁を展開する。
目に見えない壁がクロディーヌとネリーの間にそびえたつ。
頭の中で思考はまとまらない。
だが、ブルーノから「自分の身は守れた方がいい」と叩き込まれた護身術は、考えなくとも行動に移せた。
「なにこれ! 魔法?! アンタなんかが生意気!!」
「っ」
壁にぶつかって喚き散らすネリーに今度は束縛魔法を放つ。
風が質量を伴ってネリーの身体に巻き付いて自由を奪う。
手からナイフを落としたネリーが、無様に地面に転がった。
「離せ! 殺す! 絶対殺す!!」
かつては一時とはいえ、侯爵令嬢だった見る影もない。
汚い言葉で喚くネリーを騒ぎに気付いて駆け付けた門番たちが取り押さえる。
「絶対に復讐してやる! 地獄に落としてやる!!」
汚泥を煮込んだような酷い眼差しで押さえつけられながらも叫び続けるネリーの姿に、クロディーヌは危機感を覚えざるを得ない。
(怯えてはだめ、ここで私が叩き潰す)
ブルーノに鍛えられたのは護身術だけではない。
貴族の令嬢として、理不尽に抗うやり方だって、教わった。
すっと息を吸う。
心配げに見守る周囲をあえて無視して、再び風魔法を操る。
伯爵令嬢だったクロディーヌ母が侯爵家に嫁ぐ理由となった、母譲りの莫大な魔力が可能にするのは――広い王都全体に響くように編み上げる拡散魔法。
「私の父の侯爵は母を見殺しにしました。高熱を出したお母様は、すぐにお医者様を呼べば助かったのに、様子見だといってあえて呼ばなかった」
静かに淡々と事実を並べる。感情はあえて排した。
愛する母の苦しむ姿はいまだ脳裏に焼き付いているが、いまだけは感情的にならないように気を付ける。
まだじたばたと暴れるネリーを見下ろして、クロディーヌの糾弾は続く。
「父は浮気相手の義母を三ヵ月で後妻に据えた。義母は侯爵夫人の座を手に入れて贅沢三昧。貴金属を買い漁り、その中には国に禁止されている密輸の品が含まれていた」
父であるトニーのときは無反応だったネリーが、義母イヴォンヌの罪を晒されて動きを止める。
心臓はどくどくと煩いが、ここでやめるわけにはいかない。
二年で培った勇気をかき集め、さらに声高らかにクロディーヌの告発は続く。
「義姉の貴方は学園に通う令息たちを点数付けして管理していた。婚約を結んでいる自分より地位の低い令息と令嬢の仲を引き裂いて遊んでいた!!」
レオタール家が取り潰され、学園を中退したネリーだがその悪評はまだ残っている。
ネリーの餌食となって泣いた令嬢や令息たちに、頭を下げて回ったのはブルーノだ。
彼らの両親からいわれのない中傷を受けても、頭を下げ続けたことを彼女は知っている。
「私は、貴方をこそ許さない」
ひたり。
ネリーが浮かべる憎悪より、よほど濃い憎しみを瞳に乗せて。クロディーヌは彼女を睨み据える。
すっかり大人しくなって、顔を真っ青にしているネリーに、クロディーヌはさらに憎しみの言葉を連ねようとした。
「そのあたりにしておけ」
「!」
そっと彼女の口を片手で覆ったのは、いつの間にか背後に立っていたブルーノだった。
驚いて見上げるクロディーヌに、茶目っ気を溢れさせ片目を閉じる。
「緊急事態だと判断して、魔法省の転移魔法陣を使わせてもらった」
魔法省には有事に備えた転移魔法陣がある。
転移できる場所に制約はあるらしいが、王都の中ならば、王宮の中を除けばほぼ自由に転移できたはずだ。
王都中に響いたクロディーヌの声を聞いてかけてつけてくれたのだと察せられた。
彼女が落ち着いたと判断したらしく、手が外される。
ブルーノの動きを視線で追いかけるクロディーヌの前で、ネリーの傍にか屈みこんだ彼は何事かを囁いた。
風魔法で何を話しているのか声を運ぶことはできたけれど、あえて行使しない。ブルーノの気遣いを無駄にしたくなかった。
彼がネリーに何を伝えたのかわからない。
だが、ブルーノの言葉を聞いた途端、青かった顔からさらに色をなくした彼女ががくりと項垂れたので、よほどのことを言われたのだろう。
「さ、帰ろうぜ」
立ち上がったブルーノが振り返って笑う。
クロディーヌにだけ向けられる、年齢より少しだけ幼く見える屈託のない笑み。
助けに来てくれたこと、笑みを見れたこと。
二つとも嬉しくて、彼女は弾む声で返事をする。すでにネリーのことなど眼中にない。
「はい! ブルーノ様!」
「よく頑張ったな。褒美を考えないとなぁ」
「私、ブルーノ様と一緒に寝たいです!」
添い寝、という意味だ。
だが、年頃の令嬢がからりと口にした言葉に周囲はぎょっとしている。
あえて気づかな無邪気さを振りまいて、彼女はブルーノの反応を待つ。
彼はぽりぽりと頭を掻いて、苦笑をこぼした。
「他にはないのか?」
「んー、それなら、ブルーノ様の手料理!」
「おいおい、難易度が跳ね上がってるぜ」
「ふふ」
引っ立てられていく義姉を無視して、やっと訪れた馬車に乗り込む。
送り迎え担当の御者が心底安心したように微笑んでいた。
「ねえ、ブルーノ様」
「なんだ?」
「私が行き遅れたら貰ってくれるって約束、忘れてませんよね?」
王立魔法学園に入学する前。
最後まで入学を渋った彼女が、ブルーノと交わした約束だ。
ブルーノはふいっと視線を逸らして、下手な口笛を吹く。
誤魔化すのが相変わらず下手だ。
仕事のスイッチが入ればそんなことはないのに、彼は一度懐に入れた人間にはとことん甘い。
(私、きっと一生ブルーノ様の傍から離れられないわ)
だって、母が恋しくて、虐待された過去がフラッシュバックして、辛い夜に。
ずっと傍で抱きしめてくれたのは、ブルーノだけだったのだから。
◤ ̄ ̄ ̄ ̄◥
あとがき
◣____◢
『ドアマット令嬢が救われるまで』はいかがだったでしょうか?
面白い! と思っていただけた方は、ぜひとも
☆や♡、コメントを送っていただけると大変励みになります!
短編をコンスタントに更新していく予定ですので、ぜひ「作者フォロー」をして、新作をお待ちください~!!!
ドアマット令嬢が救われるまで 久遠れん @kudou1206
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カクヨムを、もっと楽しもう
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