ビーフシチューを作った、もしくは人との距離の取り方の話
蓮田蓮
ビーフシチューを作った、もしくは人との距離の取り方の話
久しぶりに、所属の飲み会に参加した。この職場での飲み会は、酒好きな者が多い割に、なかなか開催できない。だからこそ「業務に支障が出ない範囲で」と前置きが付く今回の飲み会は、待っていましたとばかりに人が集まった。
佐伯、汐海、中野の三人は当然のように顔を揃え、市川や同期の女性車掌の三島、新人の高坂もいた。
安曇は業務で参加できず残念がっていたが、汐海の同期・小田原と、佐伯の同期・黒川は、乗務を終えてから合流できると聞いて喜んでいた。
今回は、いつもの居酒屋ではなく、最近出来た和食屋の宴会場だった。
料理も酒も評判通りで、翌日が休みの者たちは、かなりの量を楽しんでいた。
そして恒例のビンゴ大会。
一等から二十等まで景品が並び、半分ほどの参加者にチャンスがある。
早々にリーチを叫んだまま沈黙する者、三つもリーチが出ているのに当たらない者。
やけくそでカードを振る者もいて、性格がそのまま表に出る。
黒川が最初に当て、駅ナカで人気の菓子セットを抱えて戻って来た。それを見て同期の佐伯たちがはやし立てていた。
続いて市川が今治タオルを手にして、子どものように喜んでいる。
「美咲ちゃんおめでとう!」と女子達がはしゃいでいた。
次々とビンゴ者が現れる中、佐伯と中野もアイス引換券や駅キャラのノートをもらい、苦笑しながらも「まあ、これはこれで」と納得していた。
一方、小田原と汐海は、リーチすら遠い。
「……最近、振られてさ」
小田原が、水割りを口にしながらぽつりと切り出した。
時間が合わない。すれ違いばかり。理解して欲しくても難しい。
「結婚したらどうなんだろう、って思った事もあったんだけどな」
消極的なその言葉に、汐海は自分の過去を思い出していた。
入社した頃、大学時代に付き合っていた彼女に振られた。不規則な仕事、夜勤、休日のズレ。「会いたい時に会えない。」と「もっとキラキラした人だと思っていた」と言われて終焉を迎えた事。
「……こればっかりは、縁だな」
そう言うと、小田原は黙ってうなずいた。しんみりした空気が流れる。そんな時、番号が読み上げられた。
カードを見た小田原が、驚いたように立ち上がる。
「……俺、ビンゴだわ」少し嬉しそうに小田原が係員の方に向かっていった。
だが、戻って来た彼の手には大きな箱。
「快眠枕だって。絶対、お中元の残りだろ」
休憩室に貼ってある「快適な睡眠をお約束」のポスターを思い出し、二人は苦笑した。
その後、汐海も気づかぬうちに二か所ビンゴになっていた。
係員の所にカードを見せると「欲がないですね~」と笑われた。
渡された紙袋は重く、中にはホテルクオリティのカレーや本格ビーフシチューのルーが詰まっていた。
「男に料理材料って……」
そんな声も聞こえたが、汐海は気にしなかった。
美味しいものが食べられるなら、それでいい。
――次の休みに、作ってみるか。
寒くなり始めた時期、シチューの文字は妙にあたたかく見えた。
数日後。
グループラインには「汐海作シチューの会」という、ふざけた名前が付けられた。
このグループを作ったのは、市川と三島で飲み会の後に行ったカラオケボックスで、いつの間にか汐海が料理してそれを振る舞う約束が出来ていた。メンバーは何故か一人増えて同期5名になっていた。
「ビンゴで当たったジュース類もってくからな(^^)」と後から参加する事になった早川のコメントが笑いを誘った。
集合場所の小田原の家は両親が転勤中で、一人暮らしには広すぎるほどの家だった。
こちらも美味しい物が食べられるならと小田原の発案だった。
日時の指定と集合場所の連絡が書き込まれたラインを見て、全員の気合が入るのが分かった。他のメンバーも、それぞれデザートやサラダを持ち寄る事にして、開催日を楽しみにしていた。
当日、汐海は食材持って現れた。
キッチンは意外なほど整っていて、汐海は自然と手が動いた。
野菜を切り、肉を炒め、鍋に入れる。
「台所がちゃんと使われるの、いいな」
小田原が、どこか照れたように言う。聞けば、コンビニや近所のスーパーの総菜コーナーが主食で、電子レンジの活躍率が高かった。
やがて同僚たちが集まり、パンやサラダ、ジュースが並んだ。
途中から高坂も合流し、少し緊張した面持ちで頭を下げる。
「お邪魔します」
「いらっしゃい」
高坂が持参したプリンを小田原が冷蔵庫にしまっている時に、高坂を誘った女性2人が彼女を誘った理由を話していた。どうやら仕事で煮詰まっていたらしい。
「美味しい物を食べて気分転換させてあげたかったのよ」と面倒見の良い二人が気にかけている、可愛い後輩。高坂は小田原の手伝いに行って皿やらグラスやらを持って現れた。
やがて出来たてのビーフシチューがテーブルに登場した。
「いただきます」
一口食べた瞬間、全員が言葉を失った。
――うまい。
誰かが言う前に、全員がそう思った。
「汐海さん、天才」
「これ、店出せるぞ」
「俺のメシ、全部作ってくれ」
「ホント美味しいわ」
笑い声が重なり、鍋はみるみる空になった。
高坂だけが、黙々と食べていた。
汐海が声をかけると、顔を上げた彼女の頬が一瞬で赤く染まる。
「……すごく、美味しいです」
よく通る、不思議な声。
その場にいた全員が、何かに気づき、そして何も言わなかった。
午後は、デザートと紅茶でゆっくりと過ぎていった。
「こんな休日も、いいな」
小田原の言葉に、汐海は静かにうなずいた。失恋の痛みも、仕事の疲れも、今は鍋の底に沈んでいる。
誰かが誰かを想い始めている事に、気づいている者と、気づいていない者がいて。
それでも、今はただ、同じテーブルを囲む仲間だった。
「次のメシイベント、俺も呼べよ!」帰り際、早川が笑っていった。
汐海は、その言葉に少しだけ微笑んだ。また何か、作ってもいいと思えたから。
ビーフシチューは、ただの景品だった。けれど、それは確かに、人を集め、心をほどく力を持っていた。
休暇明けの通常業務。それぞれの業務が始まった。
始発から乗務する者。午後からの勤務者。皆、決められたシフトで動いている。
そのおかげで、後日に一週間顔を合わさない事も結構あった。
休憩室で一人時間調整している時に高坂は考えていた。
――静かに、胸に残る余熱
あの日から、数日が経った。
制服の袖を整えながら、ふと鍋の湯気を思い出していた。正確には、ビーフシチューの香りと、あの居間の温度だ。
誰かが、休憩室に入って来た。
「お疲れ様です」声を出すと、いつもより少しだけ落ち着いて聞こえた。
最近、声の調子が良い。理由は分かっているけれど、誰にも言うつもりはなかった。
――楽しかった。
それだけで十分だと思うことにしている。
突然誘われた「シチューの会」。最初は、正直迷った。新人が行っていい場なのか、空気を壊さないか。
でも、市川さんが「大丈夫よ」と笑ってくれた。
鍋の前に立つ汐海車掌は、仕事中と同じだった。慌てず、騒がず、必要な事だけを静かにこなしている。
なのに、一口食べた瞬間、全部持っていかれた。
味だけじゃない。「大丈夫だよ」と言われているみたいな不思議な安心感。
「すごく美味しいです」そう言った時、自分の声が少し震えていたのに気づいた。
顔が熱くなって、慌てて視線を落とした。
――まずい。
これは、良くないやつだ。
仕事では、ちゃんと割り切れている。
高圧的なお客にも、理不尽な言葉にも、対処できるようになった。
上岡の指導を思い出せば、まだまだ耐えられる。
でも、ああいう場で、ああいう人を見ると、自分が思っているよりずっと、心は単純だった。
「料理、好きなんですか?」
後片付けの時、そう聞いた自分を、後から思い出して恥ずかしくなった。多分、大したことじゃない返事だったはずなのに、答えは覚えていない。
帰り道、少しだけ空を見上げた。
――次があったら。
そう思ってしまった時点で、もう負けなのかもしれない。
高坂杏奈は、まだ何も言わない。
でも、次に「お疲れ様です」と言う時、ほんの少しだけ、声に気持ちが混ざる事を、自分では止められそうになかった。
安曇は、通常業務をこなしていた。
飲み会の後は、何事もなかったように皆、勤務している。ビンゴ大会は、結局アイス券をもらったので、家族に渡すと大喜びをしていた。
悪くない飲み会だったなと思っていたころ、妙な噂を耳にした。
――休憩室を巡る「シチューの噂」
第二班の飲み会があった後しばらくしてからだ。
安曇は、休憩室でコーヒーを飲みながら、同僚の話を聞いていた。
「聞きました? 汐海のシチュー」
「……は?」一瞬、聞き間違いかと思った。
「ビンゴの景品で貰ったやつらしくてさ」
「小田原の家で作ったらしいんですけど」
「ヤバかったらしいですよ」
“ヤバかった”。
料理の評価としては、ずいぶん雑だが、その言葉を使う同僚が二人目、三人目になると、無視できなくなる。
「市川が大絶賛してました」
「普段、あんな褒め方しないのに。後、他に参加したやつも凄い褒めてたな」
安曇は、思わず笑った。
――ああ、やっぱりな。
汐海は、そういう男だ。派手なことはしないが、やる時はきっちりやる。仕事も、私生活も、線を引きながら丁寧だ。
「新人の高坂も来てたらしいっすよ」
「なんか……静かに感動してたって」
その言葉で、安曇は少しだけ真面目な顔になった。
最近、何かと注目されている新人の高坂が参加していた。
「……余計なこと、言わなかったか?」
「さあ。でも、汐海なら大丈夫でしょう」
同僚が笑う。
安曇はコーヒーを飲み干し、カップを置いた。
――大丈夫、か。
汐海は、面倒見が良すぎるところもある。
自覚なく、人を惹きつけるところもある。
それが良い時もあれば、厄介な時もある。
「まあ、シチューぐらいで人が集まるなら、平和なもんだな」
そう言うと、周囲が笑った。
その日の終わり、安曇は、ふと思い立って汐海にメッセージを送った。
「噂になってるぞ。今度は俺にも食わせろ」
しばらくして、短い返信が来る。
「……機会があれば」
安曇は、その文面に、少しだけ安心してロッカーにスマホをしまった。
ビーフシチューは、ただの料理だ。
だが、それがきっかけで、誰かの心が少し軽くなるなら。
――悪くない。
そう思いながら、安曇は次の乗務に向かった。
夕方の構内は、昼の喧騒が引いたぶん、音がよく通った。
入換の合図、遠くの警笛、風に鳴る架線の音。
安曇は、点呼が終わったあと、向かいのホームにいた汐海を呼び止めた。
「汐海」
それだけで、汐海は立ち止まった。
呼び方に、いつもの雑談とは違う気配が混じっているのを感じ取ったのだろう。
二人は、休憩室から少し離れた、人気のない通路に立った。
誰かに聞かれる距離ではないが、完全に閉じた場所でもない。安曇は、そういう場所を選ぶ。
「この前のシチューの件」
汐海は、一瞬だけ目を瞬かせた。
「噂、広がってますか」
「まあな。思ったより」
安曇は、それ以上笑わなかった。
「悪い話じゃない。むしろ、良い話だ」
「ただな……」
そこで一度、言葉を切った。汐海の反応を確かめるように。
汐海は、何も言わない。言い訳も冗談も挟まない。
それを見て、安曇は続けた。
「自分が思ってる以上に、影響力があるって事は覚えとけ」
「……影響力、ですか」
「そうだ」
安曇は、壁にもたれかかり、腕を組んだ。
「面倒見がいい。料理もできる。仕事も安定してる。本人は『普通』のつもりでもな、周りから見たら違う」
汐海は、少しだけ視線を落とした。
「新人もいたな」
「……はい」
「可愛がるのはいい。場を作るのも悪くない。でも、“勘違いさせない距離”は、意識しろ」
言葉は柔らかいが、芯ははっきりしていた。
「特に、相手が仕事で踏ん張ってる時期なら、なおさらだ」
一拍置いて、安曇は付け加える。
「善意でも、相手の足元を揺らすことがある」
汐海は、しばらく黙っていた。
そして、短く息を吐く。
「……分かってる、つもりでした」
「“つもり”で止めとくな」
叱責ではない。確認だ。
「汐海、お前はな、何もしなくても人が集まる。だからこそ、“何をしないか”が大事だ」
構内アナウンスが、遠くで流れた。次の列車の接近を告げる、いつもの声。
汐海は、顔を上げた。
「ありがとうございます。気をつけます」
安曇は、その返事を聞いて、初めて少しだけ表情を緩めた。
「ならいい」それだけ言って歩き出す。
数歩進んでから、安曇は振り返らずに付け足した。
「……それと」
「はい」
「シチューは、今度俺にも食わせろ。確認の意味でな」
一瞬の沈黙。
それから、汐海が小さく笑った。
「はい。機会があれば」
安曇は手を挙げ、構内の喧騒に戻っていった。
汐海は、その背中を見送りながら思う。
――ちゃんと、分かっている人に見てもらえている。それだけで、背筋が自然と伸びた。
そして、次に誰かを招く時は、鍋の火加減と同じくらい、距離の取り方にも気を配ろうと、静かに決めた。
おわり
ビーフシチューを作った、もしくは人との距離の取り方の話 蓮田蓮 @hasudaren
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