祈りの銃と異界の娘

白玉蓮

第一話 異界の教会と、生臭い神父

――炎が、空を裂いた。


閃光。衝撃。耳をつんざく悲鳴。

機体が大きく軋み、金属が悲鳴を上げた瞬間――視界の端で、赤い尾を引く何かが落ちていくのが見えた。


飛行機が、墜ちている。


「うそ……」


声にすらならなかった。

重力が逆さまになったみたいに、世界がぐにゃりと歪む。座席のベルトが骨を締め上げ、誰かが叫び、誰かが祈り、誰かが泣いた。


次の瞬間、白い光が全部を塗り潰す。


――そこで、私の意識は途切れた。



――気づけば、私は冷たい床の上に寝かされていた。


背中に硬い石の感触。

目を開けると、天井には色とりどりのステンドグラスが嵌め込まれていて、そこから射す光が静かに揺れていた。

夢の中の教会みたいに綺麗で、現実味がなくて――だから余計に怖い。


鼻腔をくすぐるのは、甘くてスパイシーな香り。

煙のように残るそれは、たぶん乳香――教会で焚く香の匂いだ。


「……ここ、どこ……?」


掠れた声が自分のものとは思えない。喉が痛い。頭が重い。

起き上がろうとした瞬間、視界の端で黒い布が揺れた。


祭壇の前。

一人の男が跪き、静かに祈りを捧げている。


黒い法衣。背筋の通った立ち姿。

祈りの声は低く、淡々としていて――途中まで、ちゃんと敬虔だった。


「主よ、この娘に安息を与えたまえ。

……ただし、まだ死んでいないのなら――ついでに目も覚まさせてあげてください」


……最後、軽くなかった?


思わず瞬きをした。

男がゆっくり振り向く。光の中で、銀色の髪がふわりと揺れた。


月光の糸みたいに淡い銀髪。

青灰色の瞳。整いすぎて不自然なくらいの横顔。


その目が私を捉え、ふっと笑う。


「おや。目を覚ましましたね」


声音は柔らかいのに、どこか冗談めいていた。


「よかった……死んだ人間を教会に運び込むのは、書類が多くて大変なんです」


「……え?」


書類?

死んだ人間?

脳が追いつかず、私は口をぱくぱくさせるだけだった。


「こ、ここは……どこですか? 私、飛行機に――」


「ひこうき?」


男は顎に手を当て、少し考える仕草をした。

本当に知らない言葉を聞いた、という顔で。


「ふむ。聞き慣れない単語ですねぇ」


嫌な予感が背筋を走る。


「ここはヴァルティス王国、都アルトレアの外れにある教会です。

そして私はアベル・クレイン。貴女を拾った、少々お人好しな神父です」


「……神父……さん……」


「ええ、一応。神の代理人、というやつです」


笑って肩をすくめる。

穏やかだけれど、目の奥が妙に読めない。


「ただ、信仰よりお布施を優先するタイプですがね」


「お布施……って、お金のことですか?」


「そうですとも。神の加護はタダではありません」


当たり前みたいに言い切られて、言葉が詰まった。


「それに、あなたの手当てに使った薬も聖水も高いんですよ?

まぁ、“異界の娘”への初回サービスということで、今回は見逃しましょう」


異界の、娘――。


その単語が、胸の奥に刺さる。

異界? この世界は? 私は?


頭の中で答えが形になる前に、視界がふらりと揺れた。

思考が追いつかない。世界が遠ざかる。


アベルさんは小さく息を吐き、私の様子を見ながら穏やかに言った。


「無理に考えなくていいですよ。

この世界に来た理由なんて、誰にも説明できないんですから」


「……どうして、助けてくれたんですか」


絞り出した問いは、我ながら情けない声だった。

怖い。ここがどこでも、私がひとりなのは変わらない。


アベルさんは口元だけで笑う。


「そうですねぇ。気まぐれ、でしょうか。

あるいは、神の悪趣味な導きかもしれません」


軽い言い方なのに、どこか刺々しい。


「だいたい、空から降ってきた女の子なんて、珍しいですからね」


空から……降ってきた。


墜落の瞬間が脳裏を掠め、胃がきゅっと縮む。

それでも、彼の目は冗談を言う人のそれで、恐ろしいほど静かだった。


その笑顔は優しい。

けれど、ほんの一瞬――影が差したように見えた。


この人、冗談ばかり言うのに。

……少し、寂しそうだ。


「さて」


アベルさんは立ち上がり、こちらへ歩み寄る。


「そろそろ立てますか? 立てないようなら――お姫様抱っこで運びますけど」


「だ、大丈夫ですっ!」


反射で叫んだ。

慌てて起き上がろうとして、足元がぐらつく。


「っと……」


次の瞬間、指先が私の腕を支えた。

アベルさんの手は思ったより温かい。


近い。

かなり見上げるくらいの高身長に、整った顔立ち。年齢は……二十代後半くらい?

笑っているのに、どこか距離がある。


視線を逸らした先、机の上に黒い銃が置かれているのが見えた。


銃――。


しかも、普通の拳銃じゃない。

銀の装飾が施され、見たことのない文字が刻まれている。意匠そのものが、宗教用品みたいに神々しいのに、物としてはひどく生々しい。


「……神父さん、それ……」


「ああ、これですか?」


アベルさんは軽く銃を持ち上げた。まるで杖でも扱うみたいに自然な動きで。


魔法銃エリュシオン。私の祈りを撃ち出す銃ですよ」


「いのりを……撃つ……?」


「ええ。ほら、“信仰”にもいろんな形があるでしょう?」


陽光が鋼を照らして、青白い光を放つ。

美しいのに、怖い。


祈りを武器にする。

言葉の形だけなら神聖なのに、中身は中々に血生臭い。


アベルさんは銃口を天井へ向け、指先で静かに十字を切る。


「主よ、今日も罪深き者を赦したまえ」


その声は祈りというより――呟きだった。

願いというより、諦めに近い温度。


胸の奥が、ちくりと痛む。


銃を片手に祈る神父。

この世界、絶対に平和じゃない。


それでも、彼が飄々と笑うのが、ほんの少しだけ救いに思えた。

少なくとも、私を「今すぐ殺す」タイプの人間じゃない。……たぶん。


「さあ、異界の娘さん」


アベルさんは銃を机に戻し、柔らかな笑みで言った。


「今日から貴女は、この教会で暮らすんですよ。

食費と寝床代は……そうですね。信仰心で割引してあげましょう」


「え? お金なんて持ってないですよ!?」


「では労働でお願いしましょうか。炊事洗濯とかでね」


さらっと言う。

神父の口から出る単語が世知辛すぎる。


「……神父って、もっと慈悲深いと思ってました」


「慈悲では生活できませんからね。お布施は正義です」


「うわぁ……生臭坊主……」


「神父です」


きっぱり訂正されて、私は思わず眉をひそめた。


――こうして私は、異世界で最初に出会った人が、

サボり魔で、お金にうるさくて、笑顔だけはやけに綺麗な神父さまだと知ることになった。


そして同時に、

この教会での“居候生活”が、私の運命を静かに変えていくことも――まだ知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祈りの銃と異界の娘 白玉蓮 @koyomi8464

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ