第6話 不落の盾と、泥に咲く情愛

 運河を渡る風が、一瞬で熱を帯びた。

 商業都市リンドの美しい石畳の上で、二人の「騎士」が対峙している。


 一人は白銀の鎧に身を包んだ、王国の守護者。もう一人は、漆黒の外套を纏った、闇に潜む死神。

「退きなさい、暗殺者。その女はすでに穢れている。これ以上、彼女を地上に留めておくことは、神への冒涜であり、何より彼女自身への侮辱です」

 聖騎士クラリスが、背負っていた大盾『イージスの鏡面』を構える。


 かつてリアナの盾として、数多の魔物から彼女を守り抜いた不落の防壁。その盾が今、守るべき相手だったはずのリアナに向けられていた。

「穢れている、か。……おいリアナ、聞いたかよ。お前が命を削って守ってきた連中は、お前が少し色を変えただけで『汚れ物』扱いだ」


​ ジンの言葉に、リアナは唇を噛み締めた。

 かつてのクラリスは、誰よりも優しかった。

 

 修行で怪我をすれば手当てをしてくれ、孤独な夜には傍にいてくれた。そんな彼女の瞳に、今は自分への憐れみと、断罪の光しかないことが、何よりも悲しかった。

「クラリス様……私は、もう戻れません。私は、ジン様と共に生きると決めたのです」

​「……悲しいことです。ならば、死をもってその迷いを断ち切って差し上げましょう!」

 クラリスが地を蹴った。

 重装甲とは思えぬ神速の突進。大盾を構えたままの体当たり――『シールドバッシュ』が、ジンの胸元を襲う。

「――重いな」

 ジンは短剣でその衝撃を受け流すが、盾から放たれる聖なる衝撃波ショックウェーブがジンの腕を痺れさせる。


 クラリスの戦い方は、バルカスのような搦手ではない。圧倒的な質量と、隙のない防御。文字通り「一点の曇りもない正義」による圧殺だ。

「聖なる光よ、不浄を焼き尽くせ! 『ホーリー・バースト』!」

 盾の表面が太陽のように輝き、至近距離で爆発的な光線が放たれた。


 目潰しと衝撃の同時攻撃。だが、ジンはその光の中に自ら飛び込んだ。

「リアナ、影を貸せ!」

「はい……! 『影のシャドウ・パス』!」

 爆光がジンを焼き尽くす寸前、ジンの足元から伸びた影が彼を飲み込み、クラリスの背後へと転移させる。


 ジンの二振りの短剣が、クラリスの鎧の隙間――首筋を狙って閃いた。

 キィィィィィィィン!

 金属音が響き、火花が散る。


 クラリスは振り返ることなく、背中に回した盾の縁でジンの刃を弾き返していた。

「無駄です。私の盾は全方位をカバーする。あなたの小細工など、揺るぎない正義の前には無力!」

​「正義、正義と……うるせえんだよ。お前の正義は、目の前で泣いてる女一人救えねえのか?」

 ジンは着地すると同時に、さらに加速する。

 右から、左から。目にも留まらぬ連撃。だが、そのすべてがクラリスの盾に阻まれる。


 ジンの刃が盾に触れるたび、漆黒の魔力と黄金の魔力が激突し、周囲の民家の窓ガラスを粉々に砕いていく。

「泣いている? 違います。彼女は魔に惑わされているだけだ! 彼女を解放するには、その憑代である肉体を滅ぼす以外にない!」

 クラリスの大剣が振り下ろされる。石畳が爆ぜ、土煙が舞う。


 その猛攻に押されながらも、ジンの口角は吊り上がっていた。

「……気づかねえのか。お前が『救おう』としてるのは、お前の頭の中にいる都合のいい聖女様だけだ。今ここにいる、腹を空かせて、泣いて、笑うリアナを……お前は一度だって見てねえ」

​「何を……っ!」

​「リアナ! こいつの盾、お前の闇なら食えるか?」

 ジンの叫びに、リアナが頷く。

 彼女は両手を地面に突き立て、全魔力を練り上げた。


​「……クラリス様、ごめんなさい。でも、私はこの人の傍で、生きたいんです! 『深淵の抱擁グラビティ・ジェイル』!」

 黄金の盾を中心に、重力場が発生した。

 聖なる光を吸い込み、闇が盾に纏わりつく。クラリスの絶対防御に、初めて「亀裂」が走った。

「馬鹿な……私の盾が、浸食される……!? リアナ様、あなたはこれほどまでの闇を……!」

​「今だ」

 ジンが影から跳んだ。

 闇の浸食によって一瞬だけ強度が落ちた盾の「一点」に、ジンの全体重を乗せた短剣が突き立てられる。


​「――『概念破壊』」

 パキィィィィィィン!!

 不落と呼ばれた『イージスの鏡面』が、中心から蜘蛛の巣状に割れ、四散した。


 衝撃でクラリスの兜が吹き飛び、艶やかな金髪が露わになる。彼女の瞳には、信じられないものを見たという驚愕が浮かんでいた。

 ジンの刃が、クラリスの喉元数ミリで止まる。

「……チェックメイトだ、聖騎士様。お前の盾は壊れた。次は、その頑固な頭をカチ割ってやろうか?」

​「……殺しなさい。盾を失った騎士に、価値はありません」

 クラリスが静かに目を閉じる。

 だが、その喉に痛みは来なかった。


​「……死にたいなら勝手に死ね。だが、リアナの前で死ぬな。あいつに、これ以上『悲しい思い出』を増やすんじゃねえよ」

 ジンは短剣を鞘に収めると、リアナの元へと歩み寄った。

 リアナは魔力を使い果たし、膝をついていたが、ジンの姿を見ると安心したように微笑んだ。

「……終わりましたか?」

「ああ。少し、騒ぎすぎたな。……ほら、立てるか」

 ジンはリアナの手を取り、引き上げる。

 二人は、呆然と座り込むクラリスを置いて、街の喧騒の中へと消えていった。

 夕暮れ時。

 街の入り口で、クラリスは割れた盾の破片を拾い集めていた。


 彼女の心には、先ほどのジンの言葉が、呪いのようにこびりついていた。

『お前は一度だって、リアナを見てねえ』

​「……私は……本当に……」

 一方、街道を行く二人。

 リアナはジンの隣を歩きながら、少しだけ申し訳なさそうに言った。

「ジン様……あの、クラリス様を逃がしてよかったのですか? 王宮に戻れば、また追っ手が……」

​「……あいつはもう来ねえよ。盾と一緒に、自分の正義も壊されたんだからな」


 ジンは前を見たまま、ぶっきらぼうに続けた。


「それより、さっきの魔法で腹減っただろ。……次の街には、美味い串焼き屋があるらしいぞ」

​「ふふ、はい! 楽しみです!」


​ 夕日に照らされた二人の影は、長く、一つに重なり合っていた。


 王国最強の盾を粉砕したことで、二人の名はさらに世界を震撼させることになる。


 しかし、当の本人たちは、今夜の夕食のことばかりを考えていた。

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2026年1月20日 08:07
2026年1月20日 20:07

処刑される聖女を強奪した【死神】の暗殺者、なぜか「救世主」として崇められる〜死体泥棒のつもりで奪ったはずが、彼女の涙があまりに綺麗だったので世界を敵に回すことにした〜 冰藍雷夏(ヒョウアイライカ) @rairaidengei

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