第4話 深淵の共鳴、あるいは叛逆の産声
宿場町の腐った空気が、一瞬で凍りついた。
大魔導師バルカスが放った死霊の群れが、地面を埋め尽くす黒い絨毯となって、二人が潜む民家へと殺到する。
「無駄ですよ、死神。数千の亡者の軍勢を、その小さな短剣二振りでどうにかできるとでも?」
バルカスは高笑いしながら、髑髏の杖を振るった。
「その女を渡しなさい。闇に染まった聖女の魂は、私が至高の
ジンは一歩も引かなかった。
背中に感じる、リアナの震える小さな手のひら。そこから流れ込んでくる魔力は、冷たく、重く、そしてどこまでも純粋な「拒絶」の意志を孕んでいた。
「……リアナ。いいか、お前が祈るのはもう終わりだ」
ジンの声は、地を這うような低音で響く。
「これからは、お前が『命じる』んだ。お前を汚そうとするすべてを、影に沈めろと」
リアナは目を見開いた。
今まで彼女にとって「力」とは、誰かのために捧げ、削るものだった。だが、目の前の背中は、その力を「自分のために振るえ」と言っている。
「……わかっています、ジン様。私を……私を救わなかったこの世界に、私はもう、何も与えません」
リアナがジンの背に顔を埋め、叫ぶ。
「――飲み込め、『絶望の揺り籠(カース・アビス)』!」
その瞬間、ジンの足元から噴出した影が、爆発的に膨れ上がった。
それはもはや単なる暗殺者の技ではない。聖女の膨大な魔力を触媒とした、物理的な絶望の波だ。
殺到していた死霊の腕たちが、影に触れた瞬間、悲鳴を上げる間もなく泥のように溶け、ジンの影の一部へと取り込まれていく。
「な……馬鹿な!? 私の死霊術を『捕食』したというのか!?」
驚愕に顔を歪めるバルカス。
だが、ジンの反撃はすでに始まっていた。
「影の中に道を作れ、リアナ。――俺が最短距離で首を獲る」
「はい……っ!」
ジンの姿が消えた。
いや、影の中に潜り込んだのだ。リアナが展開した黒い領域の中では、ジンは空間そのものを無視して移動できる。
バルカスの目の前で、地面が不自然に波打つ。
「させん! 『処刑執行機』、防衛しろ!」
バルカスの叫びに、巨体の鋼鉄騎士が応じる。
蒸気を吹き上げ、大剣を振り下ろそうとしたその時、騎士の足元から無数の黒い棘が突き出し、その四肢を縫い止めた。リアナの補助魔法だ。
「が……アアァ……ッ!」
機械仕掛けの喉から、無理やり声を絞り出す異形の騎士。
その隙を、死神が逃すはずもなかった。
「終わりだ」
虚空から現れたジンが、バルカスの喉元へと肉薄する。
バルカスは慌てて多重魔法障壁を展開したが、ジンの短剣は、リアナの闇の力を纏って漆黒の光を放っていた。
「『概念切断』――。……そんな紙切れ、俺の刃は防げねえよ」
パリン、と硬質な音が響く。
王国最強を誇る魔導師の防御壁が、ガラス細工のように粉々に砕け散った。
ジンの刃が、バルカスの喉を薄皮一枚で捉える。
「ひ……ひぃいっ! 待て、待つのだ! 私は王宮の重鎮だぞ! 私を殺せば、この国すべてが貴様らを追い詰めることになる!」
「……それがどうした。俺は最初から、そのつもりだぜ」
ジンの瞳には、慈悲の欠片もない。
だが、ジンはそこで手を止めた。
彼は視線だけでリアナを促す。
「リアナ。こいつの処遇は、お前が決める権利がある」
バルカスは縋るような目でリアナを見た。
「り、リアナ様! お慈悲を! 私はただ、国の将来を思って……!」
リアナは、ゆっくりと歩み寄った。
かつて自分に死を宣告した男。自分からすべてを奪い、泥に突き落とした元凶の一人。
彼女の瞳には、以前のような慈愛はない。だが、憎悪に狂っているわけでもなかった。
そこにあるのは、絶対的な「断絶」。
「バルカス様。あなたは、私が力を失った時、こう言いましたね。『無能は、生きているだけで罪だ』と」
リアナは、静かに手をかざした。
「……ならば、その言葉。そのままあなたにお返しします」
リアナの手から放たれた黒い霧が、バルカスの全身を包み込む。
それは命を奪う魔法ではない。対象の「魔力回路」を永久に封印し、二度と魔法を使えない
「無能」へと作り変える、残酷なまでの報復。
「ぎ、あああああぁぁぁ……! 私の、私の魔法が……消える……消えていく……ッ!!」
王宮一の魔導師だった男が、ただの老いぼれへと成り果て、地面に転がった。
プライドをすべて破壊されたバルカスは、もはや恐怖で言葉も出ず、失禁しながら這いつくばるしかなかった。
「……ふぅ」
リアナが肩の力を抜くと、周囲を覆っていた影が霧散していく。
彼女はふらりとよろめいたが、その身体をジンの強い腕が支えた。
「よくやった。……もう、あんなゴミの声を聞く必要はない」
「……はい。ありがとうございます、ジン様。……少し、眠ってもいいですか?」
「ああ。次は、もう少しマシな宿場町まで運んでやる」
ジンは気絶したバルカスを一瞥もせず、リアナを横抱きに(お姫様抱っこ)した。
夜明けの光が、宿場町に差し込み始める。
背後では、主を失った『処刑執行機』が火花を散らして沈黙していた。
二人の戦いは、まだ始まったばかりだ。
王都はバルカスの敗北を知れば、次は騎士団の総力を挙げて、あるいは「伝説の勇者パーティ」の残り二人を差し向けてくるだろう。
だが、今のジンに不安はなかった。
「……腹、減ったな。次は、美味いパン屋がある街へ行くか」
腕の中の少女の寝顔を見つめながら、死神は誰にも聞こえない声で呟き、荒野へと歩み出した。
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