処刑される聖女を強奪した【死神】の暗殺者、なぜか「救世主」として崇められる〜死体泥棒のつもりで奪ったはずが、彼女の涙があまりに綺麗だったので世界を敵に回すことにした〜
冰藍雷夏(ヒョウアイライカ)
第1話 死神は泥の中に咲く花を拾う
「聖女リアナ! 貴様は神の加護を失い、国を災厄に陥れた! よって本日、この広場にて処刑する!」
大司教の冷酷な声が、王都の広場に響き渡る。
かつて「救世の乙女」と称えられた聖女リアナは、今や泥にまみれ、ボロ布を纏わされ、処刑台の上に跪かされていた。
民衆からは、感謝の言葉ではなく罵声と石が飛ぶ。
「死ね! 偽聖女!」「お前のせいで村が焼けたんだ!」「さっさと首を跳ねろ!」
「……っ……」
リアナは何も言い返さなかった。
彼女が力を失ったのは、国を覆う呪いを一人で引き受けたからだ。
それを「加護を失った無能」と切り捨て、生贄に捧げようとする者たちの身勝手さを、彼女はただ静かに受け入れていた。
その光景を、広場を見下ろす時計塔の影から見つめる一人の男がいた。
真っ黒な外套に身を包み、顔を髑髏の仮面で隠した男——暗殺者、ジン。
裏社会で「死神」と恐れられる彼は、ある組織から依頼を受けていた。
『聖女の死体』を回収し、その高純度な魔力を持つ心臓を抜き取ってこい、という依頼だ。
「……反吐が出るな」
ジンは呟く。国も、民も、そして死体を狙う依頼主も。
彼はただ、処刑が終わるのを待っていた。死体になれば、仕事は楽だ。抵抗もしない。
だが。
処刑人が巨大な斧を振り上げ、リアナが最後に天を仰いだ。
その瞳から、一筋の涙が頬を伝う。
それは絶望でも、怒りでもなかった。
自分を罵倒する民衆を、最後まで憐れむような……あまりに、透き通った青い輝き。
(——ああ、クソが)
ジンの胸の中で、何かが弾けた。
それは「効率」や「報酬」といった、彼が今まで生きてきた基準をすべて踏みにじる衝動だった。
「ひ、ひぃっ!?」
次の瞬間、処刑場を凄まじい「殺気」が支配した。
広場にいた数千の民衆が、本能的な死の恐怖に襲われて沈黙する。
「な、なんだ!? 何が起きた!」
叫ぶ大司教の視線の先。
振り下ろされるはずだった斧は、中空で停止していた。
いや、違う。斧を持っていた男の腕が、肩から先が消えていたのだ。
「……仕事の内容を変える」
低い声が響く。
処刑台の中央。いつの間にかそこに立っていたジンの手には、黒く脈打つ二振りの短剣。
彼は、震えるリアナの肩を、無骨な手で引き寄せた。
「お、お前は……死神ジン! 貴様、何のつもりだ! 聖女の死体は国の所有物だぞ!」
「死体? どこに死体がある」
ジンは仮面の奥で、獲物を屠る獣の目を光らせた。
彼はリアナの耳元で、彼女にだけ聞こえる掠れた声で囁く。
「おい、聖女。お前、まだ生きたいか?」
「え……? 私は……」
「答えろ。生きたいと言えば、ここにあるゴミ共を一人残らず皆殺しにして、お前を連れ出してやる」
リアナの瞳に、初めて生への光が宿る。
自分を害する者ばかりの世界で、初めて自分に「意志」を問うてくれた、怪物。
「……生きたい。助けて……ください……っ」
その言葉を聞いた瞬間、ジンの口角が吊り上がった。
「契約成立だ。——安心しろ、お前は指一本、誰にも触れさせねえ」
ジンが地を蹴った。
その瞬間、王宮騎士団の最前列にいた十人が、何が起きたか理解する間もなく首を跳ねられた。
漆黒の旋風が、処刑場を蹂躙する。
それは救世主の降臨ではなく、地獄からの処刑人の乱舞。
だが、その背中に抱えられたリアナだけは、生まれて初めて感じた「絶対的な安全」に、涙を流しながらその服を強く握りしめていた。
これが、後に「世界を敵に回した救世主」と語り継がれる二人の、血塗られた始まりだった。
◇◇◇
「囲め! 逃がすな! 賊だ、賊の首に懸賞金をかけろ!」
背後で怒号が響く。
王宮騎士団の重装歩兵たちが、重い鎧を鳴らしながら処刑台へとなだれ込んでくる。
だが、ジンは動じない。怯えるリアナを左腕一本で軽々と抱え上げると、右手の短剣を軽く振った。
「リアナ、目を閉じてろ。少し……風が強くなる」
「は、はい……!」
彼女がその言葉通り、ジンの胸に顔を埋めた直後だった。
ジンが地を蹴ると、石畳が爆ぜた。
常人の動体視力では捉えられない超高速の移動。彼は騎士たちの頭上を飛び越え、包囲網の
「最も分厚い場所」にあえて着地する。
「死ねッ!」
騎士たちが一斉に槍を突き出す。
だが、ジンの姿が陽炎のように揺れた。
「——『
物理法則を無視した急停止と加速。
突き出された槍の穂先が空を切り、騎士たちが互いに刺し違える。
その乱戦の最中を、ジンは散歩でもするかのように通り抜け、行く手を阻む巨大な城門を見上げた。
「門を閉めろ! 物理障壁を展開せよ!」
魔導師たちの叫びと共に、鉄塊のような門に幾重もの魔法陣が浮かび上がる。
「一国の軍隊」を止めるための絶対防御。
「ジン様……! もう、出口が……!」
リアナの悲鳴のような声。
だが、ジンは止まらない。逆に加速する。
「リアナ、よく見ておけ。お前を殺そうとしたこの国の『正義』なんて、この程度だ」
ジンが右手の短剣を逆手に持ち替える。
その刃に、夜の闇を凝縮したような黒い霧が纏わりついた。
「——『深淵断ち』」
一閃。
音もなかった。
ただ、次の瞬間には、厚さ一メートルを超える鋼鉄の門が、紙細工のように「✕」の形に両断されていた。
展開されていた魔法障壁が、ガラスが割れるような音を立てて霧散する。
「な……ばかな!? 王国最強の障壁が……一撃だと……!?」
呆然と立ち尽くす騎士たちを置き去りにし、ジンは王都の外へと続く街道へと躍り出た。
追っ手を振り切り、数時間が経過した。
王都から遠く離れた、深い森の中にある隠れ家(セーフハウス)。
洞窟を改造したその場所は、暗殺者の拠点らしく殺風景だが、清潔に保たれていた。
「……ひっ」
ベッドに横たえられたリアナが、ジンの影を見て小さく肩を震わせる。
ジンは何も言わず、髑髏の仮面を外した。
現れたのは、鋭い目つきながらも、どこか冷徹な美しさを湛えた青年の素顔だった。
彼は棚から木箱を取り出すと、リアナの前に無造作に置いた。
中に入っていたのは、ほかほかと湯気を立てるミートパイと、温かいスープだった。
「食え。死体になられたら、俺の取り分が減る」
「あ……ありがとうございます……」
リアナはおそるおそるスープを口にする。
冷え切った身体に、温かさが染み渡る。
泥水を啜らされ、裏切りに遭い、死を待つだけだった彼女にとって、それはあまりに現実味のない優しさだった。
「あの……ジン様。どうして、私を……? 私の心臓が目的なら、あの場で殺したほうが……」
「……さあな。俺にもわからん」
ジンは壁に背を預け、短剣を研ぎ始める。
「ただ、あんなに綺麗な涙を流す奴の心臓を抉り出すのは、寝覚めが悪いと思っただけだ。……それ以上の理由は、後で考えてやる」
「……っ」
リアナの目から、また涙が溢れた。
今度は、処刑台での透明な涙ではない。
安堵と、自分に向けられた「初めての肯定」に震える、熱い涙だった。
「お、おい、泣くな。スープの味が変わるだろ」
「……はい、すみません……ふふ」
泣きながら笑う聖女を、暗殺者はひどく居心地が悪そうに、だが決して目を逸らさずに見守っていた。
外では、聖女を奪還せんとする王国軍の軍靴の音が近づいている。
だが、この洞窟の中に流れる時間は、世界で一番静かで、残酷なほどに甘やかだった。
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