剣はまだ鞘にある

みんと

第1話 黄金の凱旋と、名前のない英雄たち


 空はどこまでも高く、残酷なほどに透き通った青を湛えていた。

 

 王都の目抜き通りを埋め尽くす民衆の熱気は、初夏の陽光と混じり合い、呼吸を妨げるほどの質量を持って押し寄せてくる。

 空から舞い散る色とりどりの花びらが、石畳を鮮やかに染め上げていた。

 それはかつて戦場で見た、仲間の返り血の飛沫を想起させる。

 英雄の帰還を祝う怒号のような歓声は、鼓膜を震わせるたびに、レク・ヘクタールの内臓を冷たく締め付けた。


「……レク、前を見て。笑ってあげないと」


 隣を歩くナレキ・フラントワールが、囁くような声で言った。

 彼女は幼馴染らしい、親しみやすく柔らかな微笑を顔に張り付けている。

 だが、その指先が白くなるほど強く、古びた杖を握りしめているのをレクは見逃さなかった。

 彼女の瞳の奥には、祝祭の光とは無縁の、底知れない焦燥が揺らめいている。


「分かっている。これでも精一杯だ」


 レクは短く答え、重い脚を一歩前へと踏み出した。

 腰に帯びた『序列の天秤オルディナリス』が、歩調に合わせて無機質な音を立てる。

 その黒檀のような鞘は、周囲の華やかな装飾をすべて飲み込むかのように、どろりとした闇の色彩を放っていた。


 反対側に並び立つララーナ・オシュトリンは、まさに完璧な「聖女」そのものだった。

 陽光を反射して輝く黄金の髪をなびかせ、その美しい肢体を包む純白のドレスを翻す。

 彼女が優雅に手を振るたびに、民衆の熱狂は一段と高まり、地鳴りのような拍手が巻き起こった。

 だが、彼女の完璧な横顔は、どこか現実感を欠いた陶器の彫像のように冷え切っている。


「三人とも! よくぞ魔王を討ち果たしてくれた!」

「人類の救世主、万歳! 三人の勇者たちに祝福を!」


 その叫びを聞いた瞬間、レクの脳裏に鋭い痛みが走った。

 三人の勇者――。

 その言葉が、毒のように全身の血に回っていく。


 俺たちは、三人だったか?

 違う、そんなはずはない。

 王都を発ったとき、俺たちの仲間はもっといたはずだ。

 共に泥を啜り、背中を預け合い、死線を潜り抜けた強かな戦士たちの姿が、記憶の断片として脳裏を掠める。


 盾を構え、豪快に笑っていた大男。

 皮肉を言いながらも、的確な魔法で窮地を救ってくれた魔導士。

 それだけではない、もっと多くの「絆」がそこにはあったはずなのだ。


 レクは必死に彼らの名前を呼ぼうとした。

 だが、喉の奥からせり上がってくるのは、名前を失った「空白」だけだった。

 まるで最初から存在しなかったかのように、四人の英雄の存在は、この黄金のパレードから綺麗に拭い去られている。


 やがて、一行は王城の謁見の間へと到達した。

 玉座に鎮座する王は、立ち上がって両手を広げ、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「よくぞ戻った、レク・ヘクタール。そしてナレキ、ララーナ。お前たちの偉業は、千年先まで語り継がれるだろう」


 レクは一歩前に出ると、周囲の視線も構わず、掠れた声で問いかけた。


「……陛下、失礼を承知で伺いたいことがございます」

「何かな、英雄よ。今は祝いの席だ、望みがあるなら何なりと言うが良い」

「論功行賞についてです。俺たち三人のほかに、この戦いには多大な貢献をした者たちがいました。彼ら四人の遺族や、その名誉については――」


 謁見の間が、氷を打ったような静寂に包まれた。

 王は怪訝そうに眉をひそめ、首を傾げる。

 傍らに控える大臣たちも、困惑したように顔を見合わせた。


「レクよ、何を言っている? 魔王を倒す旅に出たのは、最初からお前たち三人ではないか。予言に記された三つの星……それがお前たちのことだ」


 王の言葉には、一片の疑いもなかった。

 嘘をついているのではない。彼らにとっての真実は、すでに書き換えられているのだ。

 『序列の天秤オルディナリス』が魂を喰らうたび、その存在は歴史からも、人々の記憶からも消滅する。  代償を支払った者たちの痕跡は、この世界から跡形もなく抹消される。


「……そう、でしたか。私の、勘違いだったようです」


 レクは膝をつき、深く頭を垂れた。

 視界の端で、ナレキの肩が微かに震えている。

 ララーナはただ無表情に、前方の空間を見つめていた。


 王城を出る頃には、陽はすでに傾き、街は夜の祝祭へと姿を変えていた。

 英雄としてあてがわれた、王都で最も贅を尽くした宿へと向かう。

 背後に残るパレードの喧騒は、もはや別世界の出来事のように遠い。


 腰にある魔剣の重みが、今は何よりも生々しかった。

 それは、レクが四人の仲間を「殺して」ここに立っているという、逃れようのない証拠だった。


 豪華な宿の扉を開け、三人は言葉もなく、ふかふかの絨毯の上に足を踏み入れた。

 外界の喧騒を遮断した静寂が、鋭い刃となって三人を切り裂く。


 平和は、訪れた。

 だが、その平和を分かち合うべき者たちは、もうどこにもいない。

 自分たち三人が、彼らを忘却の彼方へ突き落としたのだ。


 レクは窓の外に広がる、光り輝く王都の夜景を見つめた。

 そして、己の罪を噛みしめるように、小さく呟いた。


「……まだ、剣は鞘にある」


 その呟きは、誰に届くこともなく、夜の帳に溶けて消えた。



 

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2026年1月18日 22:05
2026年1月19日 22:05

剣はまだ鞘にある みんと @MintoTsukino

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