杉ちゃんと協奏曲
増田朋美
杉ちゃんと協奏曲
その日は冬なのか春なのかよくわからない気候の日であり、服装などに困ってしまうような日であった。その日、水穂さんが久しぶりに体調が良かったので、杉ちゃんと水穂さんは、製鉄所の利用者からもらった招待チケットで、ある楽団の演奏会を聞きに行った。
演奏曲は、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲で、独奏ピアノとオーケストラが華やかに演奏し合う曲である。二人はとりあえず車椅子席とその知覚に座らせてもらって聞いていたのであるが、確かにアマチュアオーケストラというだけあって、スピード感と快活さは劣った。だけど、登場したソリストは、とてもいい音を聞かせてくれた。ソリストアンコールで弾いたメンデルスゾーンの春の歌も素敵であった。
「へえ、なかなかお上手やないか。ちょっと、アマチュアバンドにはもったいない男やな。」
杉ちゃんも思わず呟くほどである。
「あんなソーセージ指から、よくきれいな音が出せるもんや。」
確かにそのとおりなのだった。
「ちょっとからかってやるか。」
杉ちゃんは演奏が終わると、楽屋へ向かって移動し始めてしまった。
「花も何も持ってないのに。」
水穂さんがそう言うと、
「良いってことよ。」
杉ちゃんはそう言って、舞台の袖に入ってしまったのであった。
「あの、すみません。今日やってたソリストの橋口拓真さんにお目にかかりたいのですが?」
舞台袖にいたバイオリニストにそう言うと、その人はどうぞこちらへと言って、第一楽屋へ連れて行ってくれた。でも何かツンとした感じで、なんだか変な感じだった。
「なんでそんなに冷たいんだろうかな。」
杉ちゃんと水穂さんは顔を見合わせた。
「とりあえず行ってみよう。」
二人は、第一楽屋のドアを叩いた。
「こんにちは。お疲れ様でした。演奏とても素敵でしたよ。今日はありがとうございました。」
水穂さんがそう挨拶すると、
「どうもありがとうございます。」
と、一緒にいた女性が杉ちゃんたちに頭を下げる。
「ほら、こうやって言ってくれる人がいるじゃありませんか。ぜひ、来年も一緒にやらせてもらったらどうです。きっと、この二人、あなたの協奏曲を楽しみにしていると思いますよ。」
「そうですね。」
先程のピアニストは、小さくなっていた。あの舞台で堂々としていたときとは全然違っていた。
「そうですよ。僕らはとても感動させてもらったぜ。次は是非、ラフマニノフの協奏曲第二番を弾いてもらいたいねえ。なんでそんなに恥ずかしそうに座ってんだ?」
杉ちゃんはすぐにそう言ってしまった。ピアニストは、どうしようと言う顔をしている。
「僕、答えが得られるまでいつまでも質問してしまうやつだもんでさ。お前さんの答えが出るまで離れないよ。」
「そうですね。そうしなくちゃいけないですよね。」
橋口さんは、なにか悩んでいるように言った。
「そうだよう。ピアニストだもん。それくらいしなくちゃだめだぜ。何かかなり深刻な問題抱えているようだけど、一体どうしたの?」
杉ちゃんに言われて、橋口さんは更に困った顔をする。隣の女性が口をひらいた。
「実はですね、オーケストラと方向性が一致しなくて、曲を決めるのも大変なんですよ。」
「はあ、なるほどねえ。」
杉ちゃんはすぐ言った。
「それでは、なにか軋轢のようなものがあるのですか?」
水穂さんが聞くと、
「ええ。まあ、こうなりますとねえ。仕方ないといいますか、本人とオーケストラと方向性が合致しないことはいくらでも有りますよね。まあ、仕方ないというか、、、。多かれ少なかれ、そういうトラブルに直面することはあると思うんですが。」
中年の女性はそういうのであった。
「オーケストラの皆さんも、みんな音楽というより、音を楽しむとしか見てないですものね。今日パガニーニをやってみたけど、うまくいかないのも当然のことで。何度も練習で衝突しましたし、やっぱり無理なものは無理という気がします。まあアマチュアなのだといえばそうなのですがね。モーツァルトとか、そういうので我慢するしかないのかな。」
橋口さんは愚痴を言うように言った。
「でも、音色は良かったと思いますよ。あとはもう少しテンポを上げてくれればもっと良くなります。素晴らしかったのにもったいないですよ。」
水穂さんが橋口さんにそういうのであるが、
「いやあ、、、無理なものは無理だと諦めなければならないと思います。それはもう、こういう所へ来てるんだから、ある程度は妥協しなくちゃ。オーケストラだってみんな音大出てすごい人たちで結成されているわけではないのですし。そういうことですから、やはりラフマニノフは無理だなと思ったんですよ。」
と、橋口さんはそういうのであった。
「そういうことか。なんだかちょっとかわいそうやねえ。それではなんだか橋口さんの存在が宝の持ち腐れになっちまうような気がするな?」
杉ちゃんは腕組みをした。
「ソリストも、コンダクターもそんなものです。オーケストラに雇われているだけの飾り物的な存在ですよ。もうこうなると仕方ないですね。いくらこっちがああしろこうしろと言っても、うちらは素人だからと言われたら、反論のしようがない。」
「そうか。それも寂しいなあ。僕らも音楽聞くのを楽しみにしているけれど、それだけではなくなっちまうな。」
杉ちゃんは、がっくりと落ち込んだ。
「そうなんですね。確かに、オーケストラの抱えている事情はあると思いますが、パガニーニの主題による狂詩曲は、とても上手でした。そこだけは自身持ってくださいね。どうか、ご無理をなさらずに活動してください。」
水穂さんは、そういう橋口さんを励ました。杉ちゃんの方は、
「つまんない。」
というのであるが、
「まあ、仕方ないというか、ある程度受け入れることも必要なのかもしれません。そういうこともピアニストとして生きていくには必要かもしれませんよ。」
水穂さんは、そう言って橋口さんににこやかに微笑んだ。橋口さんは、どうもありがとうございますと言って、二人を楽屋入口まで丁寧に送り出してくれた。杉ちゃんたちは、橋口さんに見送られながら、楽屋をあとにした。
それから数日後のことであった。水穂さんが何気なく、製鉄所のテレビのスイッチを入れた所、ちょうどニュース番組をやっていた。
「臨時ニュースを申し上げます。今日未明、富士川橋近くのゴミ捨て場で、男性の遺体が見つかりました。遺体は持っていた免許証から、静岡県富士市在住の片桐峰央さんと判明し、遺体のそばにはバイオリンが落ちていました。」
と、アナウンサーがつかれた顔つきでそう言っているのであった。
「変な事件だなあ。なんでバイオリンを持ったまま遺体で発見されるのだろうか?」
テレビの近くにいた杉ちゃんがそう言うと、
「死因は、現在の所不明ですが、警察は事件と自殺の両方の面から、原因を調べています。」
と、アナウンサーは事務的に言った。
水穂さんが急いでスマートフォンを出して、華岡に電話をかけてみた。先日、楽団の演奏会に出かけたばかりなので、なにか気になった。
「あの、華岡さん。今日ニュースでやっていたのですが、ゴミ捨て場で片桐という人の遺体が見つかったと聞きましたが。」
「そうなんだよ。今司法解剖に出しているんだが、俺達もよくわからない。今日気になるようなものも見つからないし。」
華岡は電話口でそう言っている。
「それで、被害者の人間関係とかそういうものは?」
水穂さんが聞くと、
「ああ、まあ今のところわかっていることとして、片桐峰央さんは、富士川フィルハーモニーに入っていることははっきりしている。そこでバイオリニストとして活動していた。」
華岡は答えた。
「その中で問題になったことはありますか?」
水穂さんはもう一度聞いた。
「うんまあ、ああいう楽団とかオーケストラのようなものは半分人間関係で成り立っているようなものなんだが、、、。」
「つまり、なにかトラブルがあったんですか?」
「そうだねえ。いくら音楽は美しくてもだよ。楽団のメンバーが不仲であることはよくあることだがな。そのあたりはもう少し捜査してみないとわからないな。」
華岡は申し訳なさそうに言った。
「そうなんですね。そんなふうになってしまうほどあの楽団は問題があったということでしょうか。それではあの橋口くんも大変だったでしょうね。」
水穂さんがそう言うと、
「橋口くんって?」
と、華岡が聞いた。
「ええ、あの、この間の演奏会で、ソロを弾いていたピアニストですよ。」
水穂さんはそう答える。
「そうか!そんなのがいたのかい。全くああいうところは、人間の数が多いから、もういちいち調べるのも大変だ。」
華岡は面倒くさそうに言った。
「そうですけど、人を調べるのが警察の仕事ですから、愚痴を言わずに続けてください。」
そういう華岡を水穂さんはたしなめたが、確かにオーケストラの人間関係を調べるのは大変な労力だ。華岡の仕事も大変である。
「まあ、とにかくだな。あの富士川フィルハーモニーは、色々トラブルも多かったらしい。もうすぐ司法解剖の結果もでるし、そのうちわかってきたら、お前のところにも報告する。説教は今日で勘弁してくれ。」
と華岡は言って、電話を切ってしまった。
水穂さんが電話を切ったのと同時に、製鉄所の玄関の引き戸がガラッと開いた。
「すみません。右城水穂先生のお住いはこちらですか?」
聞き覚えのある声だった。水穂さんと杉ちゃんが、玄関へ行ってみると、先日あった女性と、橋口拓真さんがそこにはいた。
「ああ先生、実は橋口くんに稽古をつけていただきたくてこさせていただきました。橋口くんは五年前に、音楽学校を卒業いたしまして、本年より、富士川フィルハーモニーのピアニストをやっておりましたが、この度富士川フィルハーモニーが、犠牲者が出たことで、休団状態となりましたので、そこでもう一度、右城先生のレッスンを受け、もう一度音楽的に鍛え直したいと考え、こちらへこさせていただいた次第です。先生、どうぞよろしくお願いします。」
水穂さんに名刺を渡した中年女性はそう早口に言った。
「はあ、えーとそうですか。」
水穂さんは驚いてそう言ってしまう。
「しかしどうしてわざわざレッスンに?」
「だから言ったじゃありませんか。どうしてもピアノをやり直したいと言っているからです。」
女性がそう言うと、橋口さんはお願いしますと言って頭を下げた。水穂さんは渡された名刺を見て、
「弁護士さんなんですか。」
と女性にいった。女性は、また頭を下げ、
「弁護士の、佐藤あずみと申します。」
と自己紹介した。杉ちゃんも水穂さんも困った顔をしたが、
「お願いします。僕を鍛え直して、もう一度指導してください。」
と、橋口さんがそう言ったので、水穂さんはこういった。
「わかりました。それなら一度弾いてみてください。どんな演奏をされるのか、聞いてみなければわかりませんから。」
橋口さんはそれを聞いて、ありがとうございますと言って、すぐに製鉄所の中へ入った。そして、水穂さんに付いてピアノの前に座り、パガニーニの主題による狂詩曲のピアノ・ソロ部分を弾き始めた。
「そうですね。もう少し伸びやかな演奏というか、もっと心の解放というものが必要だと思います。楽譜通りにひくだけではなく、あなたらしい演奏をしてほしいんですよ。それは難しいことではないと思います。演奏技術的には悪くないと思いますので。」
水穂さんは彼にそういったのであるが、
「そうですね。彼もそうなってほしいと思っていると思いますが、何でも富士川フィルハーモニーというところはそれが当てはまらないようなんです。」
佐藤さんはそういった。
「といいますとどういうことなんでしょうか?」
「まずあの女性指揮者の主張がとても強いんです。こんな音楽を作らないとと言って、何回も団員を怒鳴り散らして、僕もどうしたらいいのかわからなくなってしまって。」
水穂さんがそう言うと、橋口さんはそう答えた。
「それは具体的にどういうことなんかな?」
杉ちゃんが聞くと、
「はい。富士川フィルハーモニーは、毎年アマチュア・オーケストラフェスティバルに出場するのが通例なんですが、、、。」
と、佐藤さんが言葉を濁した。
「ええ。それは知っています。確か、一位の座を絶対譲らないと聞きました。」
水穂さんがそう言うが、
「それがこないだもいいました通り、メンバーさんは、音を楽しむ人達ですから、音を学ぼうという気力はサラサラないみたいで、そこで指揮者の女性と、メンバーさんたちの間で対立が起きているようなんです。」
と、橋口さんは言った。
「じゃあ、こないだのパガニーニの主題による狂詩曲は誰が決めたんだ?」
と、杉ちゃんはでかい声で言った。
「ええ。あれは指揮者の女性が決めました。」
橋口さんは答える。
「じゃあメンバーさんたちは。」
杉ちゃんが聞くと、
「ええ、あまり乗り気ではなかったようです。」
正直に橋口さんは答える。
「そうなんだね。それでは確かに大変だったよな。まあ、みんな高齢のメンバーも多いし、そうなっちまうことは避けられないんだけど、休団になっちまって、お前さんも辛いんじゃないの?」
「ええ、居場所がなくて。でも、僕みたいな若造が、メンバーさんには迎えるはずもないし、、、。それで、弁護士の、佐藤さんにお願いしたんですが。走行しているうちに、片桐さんも自殺してしまったようですし。」
橋口さんは、杉ちゃんの質問に申し訳さそうに言った。
「あああのバイオリニストの事件は、やはり自殺だったんですか?」
水穂さんが聞くと、
「ええ。警察ではまだ結論は出ていないようですが、何でも片桐さんは、富士川フィルハーモニーのメンバーさんとよく揉め合いになっていたら心です。片桐さんは音楽大学を出て、それなりに、音楽の知識もある方だったので、それでメンバーさんとは衝突していたと。」
と佐藤さんが言った。
「なるほど。そういうことならもっとレベルが高い楽団を探すんだな。お遊びでやってるようなところはお断りだと言って、どんどん出て行っちまえばいい。」
杉ちゃんがそういうのであるが、
「でも、それでは、やっていけないのもまた事実ですよね。」
と、水穂さんが言った。
「僕もそういうところはよく分かるので、、、。」
「はい。だから悩んでいるんですよ。これからどうしようか。それで一度右城先生のレッスンを受けて、自身を見つめ直すきっかけになればと。」
橋口さんはつらそうだった。
「僕も生活していくためには、アマチュアでもプロでも関係なく、弾けるようにならないといけませんので。」
「ええ。その気持ちわかります。」
水穂さんは、静かに言った。
「東京のように、アマチュアがたくさんあるところだったら、まだ選べるんですけどね。静岡はそうではないから。その事情をはっきり言って差別だと言ってくれる人もいるけれど、日本はそうなってしまっているので。」
「だけどさあ、指揮者と方向性が合致しないで、自殺者まで出しているようなところには居たくないんじゃないの?」
杉ちゃんが水穂さんの話に口を挟んだ。
「ええそれができたら理想なんですけど、どこにも行く所ないし、都内で新しい場所を探す勇気もないですよね、、、。」
と、橋口さんは言っている。
「そうなんですよね。日本では若い人の発言というのはどうしても軽視されがちで、年長者のことばかりが重要視されすぎている傾向にありますが、アマチュアオーケストラでもそれがよく出ているのではないかと。確かに年長者は大切ですが、それが原因で若い人を追い詰めているような気がしてなりません。」
佐藤さんが、法律家らしく、そういうことを言った。
「でも、ここでやっていかなければならないのですよね。そういうことなら、個々でやっていけるようにしましょう。じゃあですね、橋口さん。もう一度頭から弾いてみてくれますか?」
水穂さんは、そう彼に言った。彼はわかりましたと言って、パガニーニの主題による狂詩曲の冒頭部分から弾き始めた。水穂さんは、それをもう少し主張を弱く、謙虚な演奏になるようにしていった。演奏し終えると、先程の橋口さんの演奏とは随分違うものになってしまった。
「これが、今の社会に適応した演奏か?」
杉ちゃんが思わずいう。
「そうですね。確かに、主張しない演奏というのは、今の時代には必要なのかもしれません。今はつかれた人を癒やすことが最優先ですから。昔でしたら、強烈なタッチで、反省させたり考えさせたりするピアニストもいましたが、今はそういう人は皆無に近いです。」
水穂さんはそう解説した。
「そうなんだねえ。なんかつまんないものになっちまったぜ。そう思うのは僕だけかなあ?」
杉ちゃんがでかい声でそう言うと、佐藤さんも、杉ちゃんの方を向いた。きっと彼女も、そう思っているのだろう。
「でも、自分らしさとか、本当にやりたいことというのは、年を取ってからじゃないとやれないものなんですよ。それより若いうちは、年長者の要求に従える人でいられるようにしましょうね。」
水穂さんは、経験者らしくそういうことを言った。
「結局、そうなっちまうのか。なんか、若いやつは、もっと俺はここにいるぜ的な演奏をしてもいいと思うんだがなあ。それは、無理なのかなあ?」
杉ちゃんは苦笑いした。
「若いうちは、自分のことばかり主張するより、上の人の言う事をどれだけ聞くことができて、どれだけ要求することを、実行していくことができるかが鍵なんですよ。」
水穂さんがそう言うと、
「そうなったら、ロボット見たくなっちまうな。」
杉ちゃんがそう言うが、
「ええ。日本では、それがいいとされてますから仕方ないでしょ。」
水穂さんは、静かに言った。
「じゃあ、もう一回やってみましょうね。今度は、よりピアノで歌えるようになっていってください。」
水穂さんに言われて、橋口さんは、静かにピアノを弾き始めた。もう、一般的な演奏とほぼ変わらないものになっていた。だけど、それをつまらないと思ってくれる人がいてほしいと、杉ちゃんは思うのであった。
杉ちゃんと協奏曲 増田朋美 @masubuchi4996
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