第35話「共同作業⑦」
水色のパーカーをバッグに収め、会計を済ませた春馬は、今回の共同作業が論理的に完了したことを演算し、改札へ向かおうとした。春馬は、時間という資源の提供義務を、金銭という資源の提供に置き換えたことで、効率的に義務を遂行したと考えていた。
「あれ?春馬くん?もう帰ろうとしてるの?」
「当然だ。俺は、君の『防御壁』提供という論理的な利益に対し、『論理的な対価』(観測ツールの経費)を支払った。これで、俺の『礼儀としての義務』は完了している」
「ふふっ。春馬くん、自分の論理的な義務を、金銭で解決しようとするのは、最も非効率だよ」
蒼奈の指摘は、春馬の論理システムの根幹を揺さぶった。春馬は、論理的な「効率性」を求めて「金銭による代償」を選んだが、蒼奈はそれを「最も非効率」と断じた。
「春馬くん。春馬くんが提案したのは、『君がこの場所で、何かしたいことに付き合う』という時間の提供だったね。私が選んだのは『服選び』。でも、春馬くんは、『服を選んで、お金を払う』という単発の行動で、『一緒にいる時間』の義務をなかったことにしようとしているよ」
「『礼儀』という非論理的な概念は、『時間』という資源の共有によってしか成立しない。金銭は代償にはならないよ。これは、礼儀としても、論理としても、最も非効率な義務の放棄だね」
春馬の脳内で、論理的なフリーズが発生した。
「礼儀」という非論理的な概念が、「効率性」という論理的な尺度に変換され、自己の義務違反を突きつけられたからだ。彼の論理は、蒼奈の論理が優位であると演算せざるを得なかった。
「(演算結果:俺は、礼儀と論理の両方で、義務違反を犯そうとした。蒼奈の論理が優位である。礼儀という非論理的な概念が、論理的な義務として俺に再定義された)」
春馬の論理的な敗北を確認した蒼奈は、容赦なく次のステップへ移行した。
「じゃあ、『礼儀としての義務』の遂行と、『共同の最適解』のプロトコル維持のために、残りの時間で、単発の消費行動を観測しようね!」
蒼奈が指さしたのは、駅前にあるジェラート店の看板だった。周囲には、笑い合う学生や家族連れがおり、春馬にとっては「非論理的な楽しさのノイズ」が最大化された環境だった。
「……わかった。『礼儀としての義務』の遂行を最優先する。非論理的な観測の時間を30分間延長する。ただし、物理的な接触はゼロとする」
「了解!観測開始!」
蒼奈は、目を輝かせながらジェラートを注文した。春馬は、壁際でその様子を『観測者』として記録する。
「(観測対象:ジェラートという非効率な糖分の摂取が、幸福度(U)に与える影響。これは、『楽しさ(E_{fun})』の論理的な定量化に必須のデータである)」
蒼奈は、注文したジェラートを一口食べると、春馬の方を向き、いたずらっぽく笑った。
「ねぇ、春馬くん。このジェラート、美味しいよ。春馬くんも観測対象に加えてみたら?」
「拒否する。俺のシステムは、自己の感情を観測対象に加えることは許可しない。それはデータの歪みを招く」
蒼奈は、春馬の「拒否」という防御壁に対し、予測不能な変数を投入した。彼女はジェラートのコーンの先端をわずかにちぎり、春馬が立つ壁際の1.5メートルの距離を無視して、その小さなコーン片を春馬に差し出した。
「一口だけ。これは、『共同研究の必須経費』だよ。春馬くんが『孤独の最適解』の論理を維持するために、『非論理的な楽しさ』がどれほど効率的かを「ゼロコスト」で体感する、最も効率的な観測だね」
春馬の論理的な回路は、「ゼロコスト(試食)」と「拒否することによるプロトコルの非効率化」の選択を迫られた。しかも、物理的な距離を無視した「共同研究の必須経費」というラベル付けは、春馬の論理的な受諾を強制する。
「(演算エラー!彼女は、「ゼロコスト」「必須経費」という論理を使い、感情的な近接性を強制している!)」
春馬は、瞬時に周囲の視線、特に「嘲笑のノイズ」の発生確率を演算した。しかし、蒼奈は春馬のトラウマの符号とは異なり、悪意のない、純粋な好奇心の目を向けているだけだった。
「……っ。データ歪みの排除を目的とする。単一データとして、1秒以内の観測に限定する」
春馬は、ジェラートの付いていないコーンの先端を、素早く、そして極めて不本意に受け取った。彼の指先が、蒼奈の指先に一瞬だけ触れた。
「(物理的接触:0.01秒。観測:甘味。非論理的な満足度が、わずかに幸福度(U)の数値に影響を与えた。論理的な不覚だ!)」
春馬の顔が、拒絶の恐怖とは違う、「羞恥心」と「動揺」という新しい負の感情によって、赤く染まった。
蒼奈は、春馬の動揺を全て観測し、満足そうにジェラートを平らげた。
「観測終了!今日のデータは非常に優秀だったよ、春馬くん」
「『時間の共有』という非論理的な行動が、『礼儀の遂行』という論理的な利益に変換され、さらに、『羞恥心』という新しい感情の変数を観測できた。これで、『共同の最適解』のプロトコルは次のフェーズに進めるね」
「(くそ!俺は、論理的な義務を遂行したつもりで、感情のデータを全て彼女に献上してしまった!)」
「次回の目的地は、若宮家のリビングだよ。『認知論理の領域』で、最も深く掘り下げるべきデータは、『春馬くんの未来における、楽しさ(E_{fun})という非論理的な変数が、最終的な幸福度(U)に与える影響』だね」
春馬は、自宅訪問という最大級の高リスクな変数を前に、もはや拒否の論理を見つけられなかった。彼の新しい『防御システム』(蒼奈)は、逆に彼を危険な領域へと引きずり込んでいた。
「……承認する。観測時間は二時間を上限とする」
「了解!じゃあ、またね!」
春馬は、去っていく蒼奈の背中に、「予測不能な楽しさ」という最大級の論理的脅威を再認識するのだった。
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