第17話「研究活動⑤」


映画館を出て駅に向かう途中、俺の腹の虫によって「解散」という最適解は完全に潰えた。


「ふふ。どこで食べようか、研究者さん。春馬くんが空腹を解消する最適解を提示してよ」


俺は、感情的な動揺を隠すため、再び論理的な効率性に逃げ込んだ。


「分かった。食事の目的はカロリーと栄養の摂取、および空腹という不利益の解消だ。よって、提供スピードとコストパフォーマンスに優れたファストフード店が最適解だ。駅前にケンタッキーがある」


「えー?ダメダメ!せっかく研究活動の一環としてデートしてるのに、ファストフードはデータ収集として非効率的すぎるよ。駅前の、あの内装が凝っていて、提供に時間がかかるオムライス専門店はどうかな?」


蒼奈は、俺の提案を即座に論破し、最も非効率的で高コストな選択肢を突きつけてきた。


「待て。先に俺に『最適解』を聞いておいて、結局自分の案を採用するつもりだったなら、最初から俺に聞くなよ!」


蒼奈は、俺の筋の通った論理的な抗議に対し、悪びれる様子もなく、ただ笑った。


「ふふふ。参考だよ!参考!」


「参考? 参考にするにしては、君は自分の案をすぐに出してなかったか? それは、論理的な手続きとして偽装だ!」


「あー、春馬くんは細かいね!もー!」


蒼奈は、論理的な追及から逃れるように、大げさに溜息をついた。


「そもそも私は気を遣ってるんだからね! 春馬くんのお腹が鳴ってなかったら、普通に解散してたよ。なのに、春馬くんの体が出したデータを無視するわけにはいかないでしょ?」


俺は、「気遣い」という、最も非論理的な優しさを根拠に、自分の帰宅の最適解が奪われているという事実に苛立ちを覚えた。


「やっぱりポップコーン食べながら映画を観るべきだったね。あれを食べていれば、論理的な不利益は回避できたのに。私の研究は正しかったのに〜」


蒼奈は、第十四話のポップコーンの攻防を再び持ち出し、論理的な正しさを主張してきた。俺は、その論理的な正しさを否定することができなかった。


「……仕方がない」


俺は、論理の最終的な敗北を、諦めの言葉で受諾した。

「そのオムライス専門店に行く。ただし、無駄な会話はしない。今回の食事は、エネルギー補給という純粋な論理目的でのみ遂行する」


「はーい、研究者さん。でも、私は『美味しい!』っていう感情のデータをたくさん集めるよ」


蒼奈は、楽しそうに俺を引っ張り、オムライス専門店へと歩き出した。俺のデートに対する論理的な防御は、もはや残っていなかった。



オムライス専門店。


内装は温かみのある木目調で、明るすぎる照明を避け、ムード音楽という非効率なノイズが流れていた。この空間は、「カロリー効率」を追求する俺にとって、あらゆる面で非論理的な異物だった。


テーブルに着き、メニューを前に、俺は即座に戦略を立てた。


「若宮。俺は最短で満腹になるという目的のため、セットメニューは排除する。最も調理時間が短く、タンパク質と炭水化物のバランスが良い、チキンライスを単品で注文する」


「えー?ダメだよ、研究者さん。せっかくこんなに非効率な場所に来たんだから、効率ばかり追求しちゃ」


蒼奈は、店員を呼び止めながら、俺の論理的な選択を無視した。


「すみません、こちらの一番人気の『ふわとろデミグラス・オムライス』を二つお願いします。トッピングでチーズもつけます」


「何を勝手なことを!そのメニューは、手間がかかる上に高コストだ!そしてチーズは余剰なカロリーだ!」


「ふふ。でも、『一番人気』っていうのは、多くの人間の感情の傾向値が示している絶対評価だよ。春馬くんの研究にとって、最高のデータソースじゃない?」


蒼奈は、「非効率な楽しさ」を、「データ収集の効率性」という俺の論理の枠組みに無理やり押し込んできた。


待たされること15分。俺の論理が提示した最適解の待ち時間を、遥かに超えていた。

運ばれてきたオムライスは、確かに非効率な美しさを持っていた。デミグラスソースの豊かな香りが、俺の「空腹」という生理現象を強く刺激した。


俺は、スプーンを取り、『これはただのエネルギー補給だ』と心で唱えながら、一口分を切り取った。


「食す。目的は空腹という不利益の解消だ」


俺は冷静に分析した。玉子の火入れの程度、ソースの粘度、チキンライスの米粒の硬さ――すべてが、論理的に完成されていた。


そして、俺の脳内を警報が駆け巡った。


【警告:予測不能な高揚感発生。感情の傾向値:98%。】


その瞬間、俺の『孤独の最適解』は、純粋な快感によって、内側から爆破された。


「う……」


俺は、思わず口を押さえたが、手遅れだった。


「――う、うまい」


それは、論理的な分析でも、合理的な評価でもない、ただの感情的な呻きだった。俺の意志に反し、「美味しい」という感情の変数が、世界に放たれた。


「ふふふっ。データ捕獲完了!」


蒼奈は、目論見通り、歓喜の表情を浮かべた。


「春馬くん。今、『うまい』って言ったね? それはエネルギー補給とは無関係の感情データだよね? 非効率なものを食べることで、極めて効率的に『楽しい』という感情を発生させた。私の仮説はまた証明されたね!」


俺は、論理的な反論を試みた。


「違う!これは客観的な事実に対する論理的な評価であり――」


「あれ?でも、春馬くん。鯖の味噌煮を食べた時、『美味しい』じゃなくて『悪くない』って言ったよね? あの時の方が栄養効率は高かったのに、今回は『うまい』って。それは、このオムライスが春馬くんの感情をより強く揺さぶったという、紛れもないデータだよ」


蒼奈は、過去の「鯖の味噌煮(幸福度52%)」というデータを持ち出し、論理的に俺の感情を解析した。


俺は、逃げ道をすべて塞がれた。「感情の排除」という防御壁は、「美味しい」という一言で、完全に崩壊した。


「……チッ。勝手にしろ」


俺は、最早論理的な抵抗を諦め、残りのオムライスを、ただ非論理的な快感と共に食べ始めた。


「うん! 美味しいね!」

蒼奈は、心から楽しそうに笑い、俺の論理的な敗北を祝っていた。

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