銃だけが、私を覚えている
ムエン・ペソ
第1話ハイエナは笑わない
プロローグ
――鋼鉄の同盟は、いつも銃口から始まる
1979年。
世界は二つに割れていた。
赤い旗の下で「平等」を叫ぶ陣営と、
星条旗の下で「自由」を謳う陣営。
だが、この国には――
そのどちらにも属さない自由など、最初から存在しなかった。
中央アジアの山岳地帯。
タジキスタン、アフガニスタン、パキスタンに挟まれた
人口わずか三百万の小国。
ソ連の地図には、
「いずれ赤く染まる予定の空白」としか記されていない国。
人間が支配し、
白人が頂点に立ち、
獣人は最下層に押し込められ、
その中でも肉食獣は「危険な存在」として扱われる。
そしてこの世界では――
女が強く、男は守られるべき存在だった。
銃を持つのは女。
戦場に立つのも女。
男は「国宝」であり、「損耗してはいけない資源」。
だが。
ソ連の戦車は、
そんな価値観を一切考慮しなかった。
第1話
ハイエナは笑わない
徴兵令が出た朝、
空は嫌になるほど澄んでいた。
「……笑えない冗談ね」
ザイラ・ナシュラは、
掲示板に貼られた赤い紙を見上げながら呟いた。
ハイエナ種、二十二歳。
肉食獣人。
女。
この国で、最も差別され、
最も前線に押し出される条件を、すべて満たしている存在。
「第3独立歩兵大隊、即日動員――か」
文字の端には、
赤いスタンプでこう書かれていた。
《対ソ防衛任務》
「……来たわね、ついに」
遠くで、地鳴りのような音がした。
砲撃ではない。
戦車のエンジン音だ。
ソ連軍が、国境を越えた。
兵舎は、博物館のようだった。
壁に掛かっているのは
モシン・ナガンM1891。
机の上には
ドイツ製のMP40。
倉庫には
錆びたM1ガーランドや、
鹵獲されたPPSh-41が雑に積まれている。
「第二次世界大戦の寄せ集め……」
ザイラは肩に銃を担ぎながら、鼻で笑った。
「T-62に対して、これ?
冗談も大概にしてほしいわ」
だが、誰も反論しない。
反論できるほど、
この国は豊かじゃなかった。
「ね、ねえ……ザイラさん……」
小さな声が背後から聞こえた。
振り返ると、
そこにいたのは人間種の青年だった。
細身で、
長いまつ毛、
不安げに揺れる瞳。
男にしては珍しく、
前線配属を志願した存在。
――いや、正確には「志願させられた」。
「……あんた、名前は?」
「ミハイルです……ミハイル・セルゲーヴ……」
人間種、男。
この国では「守るべき存在」。
そのくせ、
古いヘルメットを被らされ、
ボルトアクションライフルを抱えている。
「可愛い顔して、運が悪いわね」
ザイラはそう言って、
彼の銃の安全装置を確認した。
「いい?
あたしが前に出る。
あんたは撃たなくていい」
「で、でも……!」
「命令よ。
男は生きて帰る。それがこの国のルール」
ミハイルは唇を噛みしめ、
小さく頷いた。
その瞬間――
遠くの山の向こうで、
黒煙が上がった。
「……始まった」
ソ連は、
対話ではなく、
戦車と条約を持ってきた。
ワルシャワ条約機構への「加盟」は、
銃口の先で署名させるものだと、
彼らはよく知っている。
ザイラは、
引き金に指を掛けながら思った。
(あたしは、
ソ連とも、
この歪んだ世界とも――)
「笑ってやるほど、
従順じゃないわよ」
ハイエナは、
今日は笑わなかった。
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