世界を救った、その後で
禿鷲
プロローグ
東京の空は、やけに青かった。
信号待ちの交差点。
視界の端で、子どもがよろけるのが見えた。
反射だったと思う。
考えるより先に、身体が動いた。
強い衝撃。
視界が反転した。
アスファルトの冷たさ。
遠ざかる喧騒。
滲む視界。
――ああ、こういう終わり方もあるのか。
後悔は、不思議と無かった。
ただ、もう少し生きたかった、という未練だけが胸に残った。
*
次に目を開けたとき、そこは白い空間だった。
床も、壁も、天井もない。
上下左右の感覚が曖昧で、立っているのか浮いているのかもわからない。だが、圧迫感はなく、静かで、落ち着いている。
「.......ここは?」
「目を覚まされましたか」
柔らかい声が響いた。
振り返ると、そこに何かがいた。
人の形をしているが、人ではない何かと直感でわかる存在。
「私は、あなた方の言う神にあたる存在です」
敬語。
だが、軽くはない。
不思議と、疑う気にはならなかった。
「あなたは先ほど、お亡くなりになりました。
ですが――」
神は一拍置いて、続ける。
「あなたの行動を、見ていました」
「.......行動?」
「身代わりになる選択です。見返りもなく、計算もなく、それでも他人の生を優先した」
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
「特別な正義感があったわけではないでしょう。それでも、あの瞬間に身体が動いた。それが、理由です」
理由?
何の。
「これから滅びゆく世界があります」
空間に、光の映像が広がる。
燃える街。
逃げ惑う人々。
人の形をした異形――魔人。
「魔人によって、人類は蹂躙されます。抵抗は可能ですが、未来は極めて厳しい」
俺は、思わず息を呑んだ。
「あなたにお願いがあります」
神は、頭を下げるでもなく、
だが、誠実な声で言った。
「どうか、その世界で生き、抗っていただけませんか?」
「.......え?」
都合のいい話だと思った。
正義感が強かったわけでもない。
世界を救いたいなんて、大それた夢もなかった。
それでも――
「力はお与えします。生まれながらにして、常識外れの魔力を内包できる器。そして、その力に適応できる資質を」
その言葉を聞いた瞬間。
――魔法。
――異世界。
――冒険。
「........っ!」
胸が、正直に高鳴った。
「........それって」
口角が、自然と上がる。
「正直、めちゃくちゃファンタジーですよね?」
神は、わずかに目を細めた。
「ええ。あなたが想像するような世界です」
ワクワクした。
怖さよりも、期待の方が勝った。
「世界を救う、とかは正直ピンと来ませんけど......」
それでも。
「できることがあるなら、やってみたいです!」
「ありがとうございます」
神は、静かに言った。
「ただし、全てが上手くいく保証はありません」
「それは……まあ、そうですよね」
そういうものだ。
「それでも、行きますか?」
俺は、少しだけ考えてから答えた。
「行きます」
その選択が、
どれほど重いものになるかも知らずに。
*
――次に目覚めたとき、俺は赤ん坊だった。
豪奢な天井。
柔らかな寝台。
周囲のざわめき。
理解するまでに時間はかからなかった。
――公爵家。
魔力の流れが、身体の奥で静かに脈打っている。神が言っていた「力」だと、直感でわかった。
俺は、与えられた役割を果たそうとした。
剣を振るい、魔法を磨き、体術を鍛えた。
人を守るために。
世界を救うために。
最初は楽しかった。
力を得ることも、強くなることも。
だが、そんな余裕はすぐに消えた。
魔人は想像以上だった。
戦線は広がり、軍は疲弊し、守りきれない場所が増えていく。
判断を迫られることも多かった。
ここを守れば、あちらは捨てる。
あちらを救えば、こちらは間に合わない。
「仕方がない」
誰かがそう言った。
俺も、何度か同じ言葉を口にした。
そして――失った。
家族が殺された。
友が殺された。
使用人たちが、目の前で蹂躙された。
領地は焼かれ、村は消え、民は数字になった。
それでも俺は戦った。
剣で。
魔法で。
拳で。
魔人を殺し続けた。
最終的に、生き残ったのは俺だけだった。
魔人は全滅した。
世界は救われた、と言われた。
英雄として称えられた。
名は歴史に刻まれた。
だが――
守りたかったものは、何一つ残っていなかった。
瓦礫の上で、俺は膝をついた。
誰もいない。
歓声も、感謝も、意味を持たない。
身体は限界だった。
血を流し、視界が霞む。
倒れ込む瞬間、ふと考えた。
――これで、良かったのか?
答えは出ないまま、意識が闇に沈んだ。
*
再び白い空間。
目の前には、あの神がいた。
「.......お疲れさまでした」
神の声は、以前よりも、どこか重かった。
「.......全部、失った」
絞り出すように言う。
「世界は救われました」
「救われたのは、世界だけだ」
神は沈黙した。
少しの間のあと、静かに言う。
「......時間を、戻すことができます」
その言葉に、心臓が跳ねた。
「一度だけです。全てを救えるわけではありません。運命の流れも、大きくは変わらないかもしれません」
それでも。
「もう一度、やり直しますか?」
俺は迷わなかった。
「――今度は、上手くやる」
英雄にならなくていい。
称えられなくていい。
名前なんて残らなくていい。
ただ。
守れる人を、守る。
救える命を、救う。
「........承知しました」
神は、静かに告げた。
世界が、再び反転する。
意識が沈む中、
俺の中には、もう浮かれた期待はなかった。
あるのは、覚悟だけ。
*
産声が響く。
同じ天井。
同じ始まり。
だが、俺はもう知っている。
この世界が、どれほど残酷かを。
赤ん坊の小さな手を、ぎゅっと握りしめる。
今度は、間違えない。
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世界を救った、その後で 禿鷲 @Hide_0225
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