天獣は私が「亡国の姫」だと主張する ~姫ってだれが姫ですか? 国って誰の国ですか?~

斎藤ニコ

第1話 え? 姫? だれが?

 私は私の人生に興味がなかった。

 本当は、嘘。でもそう思わないと。自分の人生のむなしさに気が付いたら、あっという間に私はダメになってしまうだろう。それが無意識に、わかっていたんだ。


 ここはどこにでもあるような、しかし誰からも興味を持たれない『児童養護施設』だ。

 いつも誰かが何かしらの感情を発露させているうるさい場所。

 子供も大人も静かに怒っていて、それをなんとか隠している。

 それか私みたいに気が付かないフリをしているのだ。


 私はある日、この施設の近くに捨てられていたらしい。

 三歳ぐらいだったという。

 雨の降る中、必死に泣いていた私を、施設の視察に来ていた市職員が見つけたとか。

 泣くことは、児童養護施設では悪手だが、その時ばかりは、私は私の鳴き声に救われたということになる。


 物心がついたころの記憶は、それは施設の裏庭に生えている大きな木の陰で涙を落としているシーン。

 そしてなぜかその傍らに、猫が一匹居た。

 居た、というか、寄り添ってくれていた。

 泣いている私の気持ちを、すべて理解してくれているみたいに。


 本当に不思議なのだが、その記憶はずっと続いている。

 つまり、高校一年になった私に辛いことがあったとき、誰にも涙を見せたくないとき、木の陰に座っていると、どこからともなくその猫はやってくる。


 名前をつけたつもりはないが、なぜか『コトラ』と呼んでいた。

 トラ柄の猫で、小さいから小虎……だったはず。

 コトラは、どこに住んでいるのか、ふらっと私の前に現れては、消えていく。

 それだけにとどまらず、近くの家に住む犬が襲ってきたときも助けてくれたし、いじめっこが追いかけてきたときも救ってくれた。

 小さい体にものすごい力を秘めている。コトラは私の人生で、なぜか重要なポジションにいる猫だ。


 しょうじき、よくわからない猫……。


 そんな印象は最初から最後まで続いた。

 最後っていうのは――つまり、あの日のこと。


     *


 高校一年の夏休みだった。

 

 私は市の図書館でクーラーの恩恵を受けていた。

 信じられないことに、児童養護施設の部屋にはクーラーがついていない。リビングとか大人がいる部屋だけだ。それ以外は扇風機。死んでしまう。それが狙いかもしれないけれど。


 八月六日。なんてことのない日。

 でも、私には意味がある日。

 ハムの日? いやそうじゃなくて、誕生日なのだ。

 私の16歳の誕生日。


「ハッピーバースデー、私」


 図書館のトイレ。

 洗面台で手を洗いながら、鏡の中にうつる自分にそうつぶやいた。


 ――その時だ。


「時は来た」


 声がした。


「え?」


 振り返る――必要はなかった。

 なぜって、鏡の中に、人影が映ったから。


 若い……男性だった。

 背が高い。

 顔のつくりはアジア系だが、髪の毛は金。目は切れ長、奥二重。

 それだけが印象に残る。

 そいつは鏡越しに私を見つめていた。


 信じられない。

 変質者だ。

 でももっと信じられないのは、私の体が動かないということ。


 こう見えても……いや、こう見えなくても、私は結構、気が強く、けんかっ早いところがある。

 黙っていても、視線で相手を殺せる自信がある……いや、言いすぎた。

 でも、変質者に好き勝手されるような性格ではないだろう。


 それがなぜか。

 私の体は動かなかった。

 動かせないのだ。

 まるで金縛りにあったかのように。


 鏡の中の男は繰り返した。


「時は来た。帰りましょう、サクヤ姫」


 ひめ?

 ヒメ?

 姫……?


 誰が?


 偶然だが、私の名前は『サクヤ』である。


 男が一歩、近づいてきた。

 鏡の中の顔が、大きくなる。

 催眠術にかかるように、私は男の目から視線を外すことができない。

 不思議なことに、灰色ぽかった男の瞳が、金色に光った気がした。


 「サクヤ姫。さあ、まいりましょう――我らが城に、もどりましょう」


 そこで私の意識はぷつりと途絶えた。

 


 

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