第10話 伯爵暗殺

 一日後。次に目を開けたのは、以前とは違う宿の一室だった。


「……ん…………ここは……ぐぅっ!?」


 全身を襲う、鈍い打撲傷と火傷のような痛み。


しかし、筋肉の断裂は高度な回復薬によって繋ぎ合わされており、動けないほどではない。


 ふと横を見ると、零が椅子に座って、うつらうつらと船を漕いでいた。


 その手には、血のついた俺の服を修繕しようとしたのか、針と糸が握られたままだ。


 普段の冷徹な彼女からは想像もできない、無防備な寝顔。

目の下には薄っすらと隈があり、俺のそばを離れずに看病していたことを物語っていた。


 少し身動きをすると、その気配を察したのか、零のまつ毛が震え、ゆっくりと瞳が開かれた。


「……零?」


「っ!? あ、あんた! やっと起きたの!?」


 飛び起きた零は、俺が生きているのを確認すると、すぐにいつもの厳しい表情を作った。


「全く、あんたのせいでどれだけ予定が狂ったと思ってるのよ。あの無茶苦茶な雷で、身体の中から焼けて死ぬところだったんだからね!」


「悪い。でも、なんとか勝てたんだろ? 例の積荷も」


「ええ、手に入れたわ。あんたのおがげと言えなくもないわね」


 零はふいっと顔を背けると、ベッドの端に腰掛けた。


「死ななくて、よかったわ。あんたがいなくなったら、誰が私のご飯を作るのよ」


 その震える声に、自分がした無茶が彼女をどれほど不安にさせたかを悟った。


「まだ、体は痛む?」


「 今日は、なんか……優しいな」


「……うるさいわね。あんたが壊れたら、私の計画が全部台無しになるから言ってるのよ」


 そう言い張る零だが、額に押し当てられた彼女の手は、彼女自身も無事を肌で感じて安心したいようだった。


「少しだけ、頼もしかったわ」


 消え入りそうな声で囁くと、彼女は力を込めて俺を抱きしめた。


 零の柔らかな感触と、伝わる体温が、ボロボロだった神経を穏やかに癒やしていく。


首筋に感じる彼女の吐息にドギマギしながらも、あの「積荷」のことを思い出した。


「ところで、その積荷って、結局なんなんだ?」


 そう聞くと、零の瞳には手に入れた喜びよりも、どこか警戒に近い色が浮かんだ。


「魔剣の残骸ね。折れてるけど。なんでも、呪いの剣らしいけど、実際はどうだかね。」


「そんな物騒なもの、何に使うんだよ」


「女神の理を壊すほどの圧倒的な『無秩序カオス』が必要なの。皮肉な話だけど、この呪われた力が、私たちが女神を刺すための唯一の毒になるかもしれない」


 零はマジックバッグから、その「柄」を取り出した。


 うーん、何の変哲もない鉄の塊に見えるが、、、


 呪いの剣を眺める横の窓に、一羽の鳥が飛んできた。


 そこに綴られた指令を確認した零の表情が、スッと温度を失う。


「次の標的が決まったわ。伯爵フェルナン。『百足』の活動について嗅ぎ回りすぎたみたいね」


 零の隣でその言葉を聞き、思わず言葉を失った。


「……そいつは、何か悪いことをしてるのか?」


「いいえ、ただの熱心な貴族よ。王の指示に従って忠実に動いているだけ。でも、邪魔者は消す。それが『百足』の絶対的なルールよ」


 零は淡々と語る。その冷徹な横顔に、胸が締め付けられるような違和感を覚えた。


「待てよ、零! 悪いことをしてない人を殺すなんて、そんなの……」


「……甘いわね、カズト。情けをかけて私たちが捕まったら、それこそ終わりなのよ。あんたもあの魔導士との戦いで分かったはずでしょ? この世界は奪い合いなの」


 カズトは零の前に立ち塞がった。


「分かってる……けど、あんたにこれ以上人殺しをさせたくない。誰も殺さずに、そいつの調査を止めさせる方法があるはずだ。お願いだ、俺にチャンスをくれ。俺がそいつを説得するか、あるいは死んだと思わせる偽装をしてみせるから!」


 零の瞳が、怒りと戸惑いで揺れ動く。組織のルールは絶対。

 失敗すれば、零自身も「処刑対象」になりかねない危うい賭けだ。


「……本当にバカ。そんな甘い考えで、この裏社会を生き残れると思ってるの?」


 掴んだ胸ぐらを突き放すと、苛立たしげに髪をかき上げた。


「…いいわ。でも、もし説得に失敗したり、奴が少しでもおかしな動きをしたら、その時は、私が迷わずあんたの目の前でそいつを殺す。それでいいわね?」


 彼女の言葉は突き放すようだったが、その奥には、青臭い正義感にどこか救いを求めているような、危うい期待が混じっているように見えた。


「まずは移動しながら身体を治しなさい。目的地までは1週間はかかるわ」


〜1週間後


 二人は身分を隠し、賑わう国へと足を踏み入れた。


ターゲットであるフェルナン伯爵の屋敷は、高い塀に囲まれ、厳重な警備が敷かれている。


「……期限は明日の夜明けまでよ。それまでに結果を出しなさい」


 零は屋敷を見渡せる時計塔の影で、冷たく、けれどどこか祈るように告げた。


深夜の伯爵邸。


書斎の重厚な扉を潜り抜けたカズトは、机で書類を整理していた初老の男性——フェルナン伯爵と対峙した。


伯爵は突然の侵入にも動じず、眼鏡を外して穏やかな目を向けた。


「……『百足』の使いか。ついに私のもとにも来たのだな」


「……頼む。百足について調べるのをやめてくれ」


 必死だった。


これまでの修行で得た力を、初めて「人を救うため」に、そして零の手を汚させないために使おうとしていた。


「……断るよ、若者。私はこの国に誓った。闇に潜む悪を暴き、民が安心して暮らせる王都を作ると。私が止まれば、その間に誰が犠牲になる? 私の命一つで、民を犠牲にはできないのだよ」


 伯爵の言葉には、一点の曇りもない高潔な意志が宿っていた。


彼は自分の命よりも、守るべき正義を優先している――。


カズトは、彼が「本当に良い人」であることを知れば知るほど、焦燥感に駆られた。


「……ッ、言うことを聞け!!」


 無我夢中で机を乗り越えていた。


 伯爵の首を掴み、背後の壁に叩きつける。


 指先が、標的の喉を容赦なく圧迫した。

 手に伝わる脈動が、この男も自分と同じ人間なのだと突きつけてくる。


「……首をへし折られたくなければ、俺に従うと言え! 手を引くと言え! そうしないと、あんたは!」


 殺したいわけじゃない。

 だが、そう叫ばなければ自分の手が震えてしまいそうだった。


 対する伯爵は、苦しいはずの呼吸の中で、唇の端を吊り上げた。


「こうしてわざわざ厳重な警備を潜り抜けてまで殺しに来たということは、私の調査結果は正しかったということだな。何よりだ」


 その言葉が、見透かされたような視線が、刃物のように突き刺さる。


「そんなことは知らない!」


 必死に否定する。


「すでに調査結果は王の元へと向かっている。私の役目は果たされた。殺すが良い」


「なんでだよ! そんな簡単に!!」


 自分の命すら駒のように扱う男の理屈が、理解できない。

 指先に力を込める。もう、まともな言葉は出てこなかった。


「あんたにだって大切な人はいるだろう、ならそいつを殺す! だからこれ以上はもう手を引け!」


 口にした途端、最低な自分に吐き気がした。


 伯爵はしばしこちらを凝視し、やがて喉を鳴らして笑った。


「ふっ、はは。……そうか。……分かったよ。確かに私も身内には手を出されたくない。君の指示に従い、百足からは手を引こう」


 伯爵は苦しげに笑いながら、カズトの腕を優しく叩いた。


「本当か!? よかった!これで!」


 安堵し、力を緩めた瞬間。伯爵の瞳に、冷徹な理知の光が戻った。


「……なんて。そう言ったところで、どうやって私が王を裏切ったと証明すると言うのだね? 明日になれば気が変わって、また他の事を調べるかもしれないぞ? 君は、私が一生嘘をつき通すとでも信じているのか?」


「それは、っ! それは俺が、俺が見張りに来るから!」


「君は随分甘いようだね、若者。慈悲は、時には最大の残酷となる。君のその甘さが、いつか君の愛する者を殺すことになるぞ」


 伯爵が憐れむような声を上げた、その時だった。


 ザシュッ!!


 背後の闇から伸びた手が、伯爵の胸を鋭い短剣で貫いた。


「……え?」


「あなたの言う通りよ、伯爵。私がここに来た時点で、何を言おうとあなたが死ぬ未来は変わらないわ」


 背後には、返り血を浴びた零が、氷のような無機質な瞳で立っていた。


「……ごふっ…………あぁ。……なんとも美しい、死神だ……」


 伯爵は最期にカズトを見て、寂しげに微笑むと、そのままガクリと崩れ落ちた。


カズトの腕の中に、守りたかったはずの人の温もりが、急速に冷たくなっていく感覚だけが残る。


「零!!なんで……っ!!」


「甘えないで!この人は死を覚悟して、あんたを試したのよ。このまま生かしておいても、彼は明日には調査を再開する。そして私達は組織に処刑される。それがあんたの望んだ結果?」


 零は短剣に付いた血を払い、震えるカズトに背を向けた。


「……行くわよ。これが、私たちの住む世界の『正解』よ」


 屋敷を抜け出した二人は、激しく降り始めた雨の中を無言で歩いていた。


カズトの手には、まだ伯爵の血の熱さがこびりついているような気がして、何度も拳を握り締める。


「……怒ってるの?」


 前を歩く零が、足を止めずに問いかけた。


「……分からない。ただ、もっと他にやり方があったんじゃないかって……」


「ないわよ。情を捨てなさい。じゃないと、あんたは自分の心に殺されるわ」


 そう吐き捨てる彼女の肩も、雨に打たれて微かに震えていた。


彼女もまた、この「正解」を選び続けることで、心を削り続けてきたのだ。

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